世界の十字路

時雨青葉

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第6章 帰郷

現れた、絶対的存在。

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 実の言葉を受けて、拓也と梨央の視線が煙をあげる木に集中する。


 数秒後、その木の裏からサリアムが姿を現した。


「やれやれ…。まだ戒めを解くには早すぎたかな? すぐに追っかけてくるのは、さすがと言うべきだけどさ。」


 言いながら、実はゆっくりと立ち上がる。
 余裕の対応を見せる実に、サリアムが苦い表情を浮かべた。


「君も、さすがはあの方の器に選ばれるだけはあるね。君が魔法を解くまで、私も含め、誰として君の戒めを破ることはできなかったよ。手っ取り早く人質でも取って、君には城に戻ってもらおうと思ったんだけど、それも無理なようだね。」


「そうだね。で、どうするの?」


「とりあえず、君を地球に帰すわけにはいかないからね。全力で止めさせてもらうよ。」


 サリアムは真剣な表情を作ると、目を閉じた。


 ザワザワザワッ


 風もないのに、木々が揺れる。


「うわ…」


 声をあげたのは拓也だ。


 ものすごい力だ。
 サリアムの周りに集まっているのは、彼に従う火の精霊たち。
 精霊たちはそれぞれの姿が見えなくなるほどに集まり、巨大な力の塊へと変貌を遂げていく。


 サリアムが息を深く吸った。
 そして―――


「我に従いし火の精霊に命じる。我が声に応えて、具象なせ!」


 ドン、と。
 地響きと共に、サリアムの後ろで炎が爆発した。


 サリアムの横に、それは足を下ろす。


 サリアムのめいによって現れたのは、巨大な炎の獣だった。


 獣は、実たちに向かって低くうなる。
 その唸り声に呼応して周りの木の葉がざわざわと揺れたが、不思議と木々が燃えるようなことはなかった。


 サリアムの表情に、遊びの色は全くない。
 実に向けられている力には、一切の手加減がなかった。


「実、まずいぞ。〝ティートゥリー〟の力を本気で出されると、さすがに不利―――」


 ごく自然に実に目をやった拓也は、思わず声を引っ込めた。


 実はじっと、炎の獣を見上げている。
 巨大な力に恐れる様子も、焦る様子もない。
 あくまでも実の周囲に漂うのは、珍しいものを見物しに来ただけという軽い雰囲気だ。


 その横顔を凝視していると、ふいにその口が深い笑みをたたえた。


「―――っ!!」


 拓也の背筋を、怖気おぞけが蛇のようにうねって下りていく。


 サリアムが作り出した炎の獣は、とてつもない闘気を放っている。
 それを真正面から受けていてこうやって笑えるなんて、並大抵の精神じゃない。


 実は腕を掲げ、パチリと指を弾いた。


 すると、ゴオッとけたたましい轟音ごうおんを上げて、実の後ろで竜巻が起こった。
 それに、実以外の人間は視界を奪われてしまう。


 竜巻は周りの枝や葉を巻き上げながら成長し、一気に膨張して消えていく。


「―――……」


 拓也たちは目を開いて、出る言葉もなく棒立ちになってしまった。


 実の後ろには、一匹の巨大な龍がいたのだ。


 水でできた体に、風をまとわせた龍だ。
 木に絡みつく長い胴体はすらりと細身で美しく、龍を包む風は穏やかな微風をこちらに届けている。


 龍は頭を下げると、甘えるように実に頭をすり寄せた。
 実はそんな龍を優しくなでる。


「そんな馬鹿な!? 水と風の複合体なんて、できるわけがない!」


 サリアムが、目の前の龍に激しく動揺する。


 無理もない。
 こればかりは、拓也もサリアムに全面的に同意せざるを得なかった。


 このような精霊の力の具象などが分類される精霊魔法というものは、本来なら一つの精霊の属性に限定された効果しか発揮させることができない。


 しかもここまで大規模な具象となれば、術の行使が可能なのは、精霊たちを束ねる四大芯柱に限られるはずだ。


 サリアムがあそこまで巨大な炎の獣を作り出せたのも、サリアムが火の精霊を統治する、四大芯柱の〝ティートゥリー〟であるから。


 つまり実が作り出した龍は、今までの精霊魔法の常識を根底からひっくり返す存在なのだ。


「どうしてそう思うわけ? 別に、水と風の相性は悪くないけど?」


「無理だ! 第一、君は四大芯柱ではないだろう!?」


「確かにね。だけど、水は父さんの統治領域で、風は母さんの統治領域。やろうと思えば、こんなことも可能だよ。精霊たちも、すんなり協力してくれたし。」


「そんな……精霊は、血脈では従わないはずなのに。」


 未だに信じられない様子のサリアムが、茫然と呟く。
 主人の動揺に影響されてか、獣の輪郭がぼやけだした。


 実は笑って人差し指を立てる。


「術の完成度の高さは、魔力の強さと集中力、そして起こる事象をいかに鮮明に頭の中に思い浮かべるかによって左右される。どんな術でも、術者本人がありえないと否定した瞬間、効力を失う―――でしょ? 現実にできたものをいつまでも否定したって、仕方ないと思うんだけどね。来ないなら、こっちから行くけど?」


 実の指が、まっすぐに炎の獣を指した。


「行け。」


 短く一言。
 すると、龍が長い胴体に見合わない素早い動きで、獣に襲いかかった。
 獣の体に長い胴体を絡ませた龍は、その巨躯を一気に締め上げる。


 獣の口腔から、すさまじい咆哮ほうこうがほとばしった。
 炎と水が触れ合ったところから、大量の水蒸気があがる。


 ただでさえサリアムが動揺したことで形が崩れかけていたのに、そこに水の攻撃が襲ってきたのではたまらない。


 炎の獣は抵抗する間もなく、あっという間に消えてしまった。


「くっ…」


 サリアムが地に膝をついた。


 獣の受けたダメージは、術者であるサリアムに帰る。
 魔法の反動と龍からの攻撃のダメージが、相当大きかったのだろう。
 サリアムは蒼白な顔で、浅い呼吸を繰り返していた。


 龍は自分の仕事が終わると、すぐに実の元へと戻った。
 また頭をすり寄せてくる龍を、実はねぎらうようになでる。


「ありがとう。……え? うーん、仕方ないなぁ…。行っていいよ。」


 実が困ったように笑いながら言うと、龍は実から離れて空へと翔け上がっていった。


「消えたのか?」


 拓也が空を見上げながら訊くと、実は苦笑したまま首を左右に振る。


「いや。あの姿が気に入ったから、しばらくあのままで遊んでくるってさ。まったく、あの姿の維持には俺の魔力が必要だってのに、俺の魔力をなんだと思ってるんだか。」


 実は肩をすくめ、次に立てない様子のサリアムに目をやった。


 さすがにサリアムも、しばらくは魔法を使えないだろう。
 彼が動けない間に、どうにか地球へ帰らなければなるまい。


 しかし、予定外に魔法を繰り出してしまった後だ。
 地球へ移動できるまでの魔力が戻りきるには、まだ少し時間がかかる。


 いざとなったら、拓也に頼むか。
 そんなことを考えていた時、急に何かを感じた。


「拓也、梨央! 伏せろ!!」


 一体何を感じたのか分からないまま、とにかく叫ぶ。
 急に怒鳴られて固まる拓也を、実は梨央の方へ思い切り突き飛ばした。


 大きくバランスを崩した拓也が梨央にぶつかり、二人してもつれるように地面へ倒れる。


 そのすぐ後、にぶい音と共に、拓也たちの右側の地面がえぐれた。


 実も、直感だけを頼りに身を屈める。
 瞬間、何かが耳元を音も立てずに通り過ぎた気がした。


 それで切れたらしい自分の髪が視界に舞う。
 後方で何かが破壊されたが、それを確認する暇はない。


「誰だ!?」


 実は声を荒げた。


 本能でなんとかけられたものの、今の攻撃がどこからきたもので、誰が放ったものなのか。
 それが、さっぱり分からなかった。


 意識を研ぎ澄ませて周りを探っても、誰の気配も感じられない。
 また同じように攻撃されたら、今度は避けられるかどうか。


 厳しい実の誰何すいかは、広い森の中に響いて消える。
 思ったよりも近くの下草が揺れる音がしたのは、それから数秒も経たない時のことだった。


 乱立した木立の陰から現れた人物を、実は険しい目つきで睨む。


 ストレートの金髪を腰まで伸ばした、おそらく三十前後の男性だ。
 全体的に細身だが、その動きや仕草には隙がなく、かなりの手練てだれだということが十分にうかがえる。


 首から膝までがすっぽりと隠れる臙脂えんじ色の上衣は一見無地に見えるが、目をらせば細かな刺繍ししゅうが、至る所に施されているのが分かる。


 それなりに、身分が高い人間なのだろう。


 そして……


(目が、金色……)


 彼の瞳は、髪の色よりも明るい金色をしていた。


 ―――〝その目はきらめく黄金のごとし。〟


 拓也が、梨央をかばいながら立ち上がる。
 今現れた彼を、射殺すような眼光で睨んで。


「レティル様……」


 サリアムが顔を青くした。


(やっぱりか……)


 サリアムの表情で、実は自分の予想が間違っていないことを知る。


 ここに来て、ようやくこの騒動を引き起こした張本人の登場というわけだ。


 目の前にいるのは、人間の姿を借りた人間ではない存在。
 この国をいにしえより長きに渡り支配し続ける、絶対的存在だ。

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