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第1章 闇の中に光るもの
ルカの交渉と期待
しおりを挟む『あいつもオレと同じで……大多数の人間を嫌う一方で、お前だけは特別に認めている。』
ルカの言葉が、脳裏で反響する。
まさか、本当にそうなの?
この人もルカと同じで、自分を直接傷つけた人だけじゃなくて、ほとんどの人間を嫌っている人…?
にわかには信じられなくて、少し混乱しながら、すがりついたその人を見つめる。
「………」
ジョーはやはり、何も言わなかった。
だが、これまでノーであることには即でノーを叩きつけてきた彼がそれをしないという事実が、自分に答えを突きつけてくる。
何よりその表情に広がる、一切の感情を失った人形のような無が、全てを物語っているではないか。
「ねぇ…。ルカが、アルシードに交渉を持ちかけてたって言ってた。それって……」
「……ああ、そうだよ。」
そこでようやく、彼が口を開く。
「レクトや自分と一緒に、この国をめちゃくちゃにしてやらないか……それが、ルカ君からの交渉だった。」
「―――っ!?」
その口から飛び出したとんでもない証言に、ユアンを始めとする全員が目を剥く。
宮殿中の情報を網羅している自身が、何も知らないとは言い逃れられない。
それに加えて、こちらがすでに色々と悟っていることも効いたのか、ジョーは観念した様子で肩を落としていた。
「ルカ君が動き出したのは、もう四ヶ月以上も前……君が初めてルカ君をレクトと会わせてから、割かしすぐのことだったよ。」
淡々と、ジョーは己が見聞きしてきた真実を語る。
「レクトに語った計画の中で、ルカ君が真っ先に目をつけていたのが僕だった。始めは利用されそうになっていることにムカついて、余計なことに巻き込むなって牽制するために乗り込んだはずだったんだけど……まんまと一本取られたよ。あんなに分が悪い交渉は、初めてだった。」
キリハ以外の全員から驚愕と嫌疑の目を向けられる中、ジョーは眉を下げて自嘲的に笑った。
「いつから見抜かれてたんだろうねぇ…。これまで誰にも気付かれたことがなかった、この復讐心……あの子は、的確にそこだけを突いてきた。少しでも他の利益を持ち出してきたなら、僕もまだ理性的に対処できたんだろうけど……揺さぶりに揺さぶられた結果、この様だよ。」
憂いと悔しさ。
それらが複雑に絡み合って、彼の目を沈んだ光で彩る。
「鉄壁を誇る情報の覇者……そうやって恐れられる僕も人間である以上、弱点はある。唯一と言ってもいいこの弱点を突かれたんじゃあ、さすがの僕もひとたまりもないんだって思い知らされたよ。ディアとの五年の勝負に負けた総督部が形振り構わずになってきて、その対処に手を焼いてたせいで余裕もなくて……タイミングが最悪だったとはいえ、あれに揺さぶられたのは僕の落ち度だ。」
「じゃあ、アルシードは……ルカがこんなことをするって―――」
「いや。そこまでは知らなかった。」
次のキリハの問いに対し、ジョーはすぐさま首を横に振る。
「ルカ君はそんじょそこらの国防軍の奴らよりも、よっぽど頭が切れる子だよ? 交渉が成立もしないうちから、自分が不利になる情報を零すわけがないじゃない。監視していた行動の中にも、直接他人に危害を加えるものはなし。あの段階では、ルカ君を糾弾できる手札はなかったね。」
確かにそのとおりだ。
発言がいくら過激で不穏なものでも、そこに行動が伴わないなら、なんの罪にも問われない。
言うだけならタダである。
「僕が知っているのは、ルカ君がレクトを利用して、人間に何かしらの制裁を与えようとしていたこと。そして、自分と同じ立場にいる僕を仲間に引き込みたかったってことまでさ。交渉を受け入れたふりをして情報を引き出すって手もあったけど……そうしていたら、僕は今頃ここにいなかったと思う。」
―――ああ、そうか。
ルカがジョーに期待していると言っていたのは、こういう意味だったのか。
そしてジョーもまた、自分と同じだったんだ。
一度踏み込んでしまったら、引き返せなくなる。
そんな危機感で身動きができなくなるほど、今も心が揺れているんだ。
「……俺が、いけなかったのかな…?」
先ほどから胸を締めつけていた気持ちが、とうとう外にあふれ出てしまう。
「俺が、レクトとルカを会わせなければ……そもそも、レクトと友達になろうとしなければよかったの? アルシードが言うとおり……他人なんて、信じなければよかったの?」
〝こうなったのは全部、俺のせいなの?〟
そこに続くこの言葉は言えなかったけど、周りには筒抜けだったのだろう。
「キリハ! それは違う!!」
ディアラントやミゲルが、慌てた様子でそう言ってくる。
だけど今の自分の心に、そんな慰めは届かない。
自分が答えを聞きたいのは、彼らの口からではないのだ。
「……そうだね。」
自分の視線を一身に受けるジョーの答えは、静かな肯定。
「他人なんか信じなければ、今とは違う未来になっていただろう。仮に同じ未来になっていたとしても、ここまで傷つくことはなかったと思うよ。」
「ジョー!!」
「ジョー先輩!!」
傷に塩を塗り込むようなジョーの返答に、ディアラントやミゲルが批難の声をあげる。
しかし、ジョーはその声の一切を無視。
彼らの方を見ることさえしなかった。
「でもね……」
そっと伸びたジョーの手が、キリハの髪を優しく梳く。
「僕みたいに、他人を信じることを完全に捨てるには……信じていた相手に裏切られて、めちゃくちゃに傷つかなきゃいけないんだと思う。人間は机上の空論だけでは学べないし、適切な選択をすることもできないから。そして……多くの人たちの選択で成り立っているこの世に、絶対的に正しくて完璧な結果なんて存在しない。それもまた、事実だと思うよ。」
無表情で告げられた、淡々とした言葉。
そこに込められた彼の想いが、痛いほど心に沁みる。
他人を信じるべきじゃなかったのか。
彼はこの問いを肯定する一方で、これは自分のせいなのかという問いを否定した。
経験しないと学べないんだから、こうなったのは仕方ない。
そしてこれは、全てが自分のせいではなくて、ルカや彼の選択も絡み合った結果。
それが正しいか誤りかなんて、誰にも断ずることはできない。
ものすごく遠回しにだけど、彼はそう言ってくれた。
そう言われたように、自分は感じたんだ。
「う…っ」
安易な綺麗事なんて聞きたくなかった今、感情を抜きにして事実だけを述べる彼の言葉は、期待していた以上の安堵を自分にもたらした。
くずおれそうな全身を一生懸命支えていると、それを察した彼が自身と一緒に、ゆっくりと膝をつかせてくれる。
「うう……あああ…っ」
言葉や表情とは異なり、仕草だけはとても優しくて気遣わしげな彼。
そんな彼に強く抱きつき、その胸に顔をうずめて大声で泣く。
「いいんじゃない? 僕が今まで、僕にとって正しい選択をして生きてきたみたいに、君も君にとって正しい選択をすれば。……たとえそれが、真っ暗な闇の道だろうとね。」
最後の一言は、ともすれば風の音に掻き消されそうなほどに小さい。
だけど、自分にだけ聞こえるように囁かれたその言葉は、何よりも大きく自分の心に響いた。
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