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第3章 知って 向き合って そして進んで
君には君らしく、君のままで―――
しおりを挟む「―――でね、注射を怖がったその子がパニックを起こして逃げ出しちゃったもんだから、僕たちも大慌てだよ。」
「そう、なんだ……」
楽しそうに話すエリクに、曖昧な相づちを返す。
人通りも少なくなってきた公園の遊歩道を歩きながら、エリクはずっとこんな調子で話している。
普段は聞き役のエリクだが、今回はこちらの空気を察してくれているのかもしれない。
彼の話を聞くのは、楽しくて好きだ。
でも今は、彼の話がほとんど頭の中に入ってこない。
エリクと話したくないわけじゃない。
むしろ、彼と話したいことが胸の中からあふれ出しそうなほどある。
ただ、一番話したいことが喉につまって出てこないのだ。
「キリハ君。」
そっと呼びかけられる。
それにゆっくりと顔を上げると、いつものように優しげに微笑むエリクがいた。
「何か、僕に訊きたいことがあるんでしょ?」
「………っ」
息をつまらせるキリハに、エリクは穏やかな声音で先を促した。
「大丈夫。怖くないから、言ってごらん。」
エリクが告げる一音一音が、心の脆い部分を強く刺激してくる。
ルカには、怖くて訊けなかった。
エリクに対しても、本当に訊いてみていいのかは分からない。
「………、………っ」
喉が震える。
本当は、絶対に訊かない方がいい。
それは分かっている。
でも、エリクの瞳に揺れる赤い色を見ていたら、胸を引っ掻き回すこの衝動に抗えなくて―――
「…………六年前……」
緊張でかすれて裏返りそうになる声が、口から零れた。
「六年前、何があったか……知ってる?」
その問いがエリクに届いた瞬間を、どう言い表せばいいのだろうか。
強いて言うなら、空気が凍りついて時が止まってしまったかのような感覚。
エリクは一切表情を変えない。
きっと、驚きすぎて反応らしい反応ができなかったのだろう。
なんとなく、それは伝わってきた。
「中央区ができた……なんて、ことじゃないよね。そんな顔をするってことは……」
気が遠くなるような空白の時間を経て、ぽつりと呟いたエリクが肩の力を抜いた。
「知ってるよ。忘れられるわけがない。……僕の友達にも、まだ見つかっていない人がいる。」
「―――っ!?」
それを聞いた瞬間、ずっと我慢してきた感情が一気に臨界点を突破した。
得もいわれぬ感覚が脳内を一気に侵食して、荒れ狂う激情を飲み込んで思考回路をショートさせる。
気付いた時には、もう遅い。
―――つ、と。
とても一言じゃ言い表せない心は、透明な雫になって落ちていっていた。
「キリハ君……」
彼にしては珍しく眉を下げて、エリクはそっとキリハの頭を優しくなでた。
「やっぱり、知らなかったんだね。どこで教えてもらったの? 知らなくてもよかったのに。」
「そんなこと、ないよ…っ」
キリハはふるふると首を振る。
「なんで……なんで、教えてくれなかったの? 理由、ちゃんとあったじゃん。あんなことがあれば、そりゃみんな、竜使いじゃない人たちのことを嫌いになるよ。しょうがないよ。なのに俺、何も知らなくて……みんなに、無茶なことを言っちゃってた。俺…っ」
〝竜使いも、そうじゃない人も関係なく〟
これまではとても簡単に言えた言葉が、今はこんなにも重い。
今までルカたちやエリクは、自分のこの言葉をどんな気持ちで聞いていたのだろう。
真新しい傷を抱えて、何も知らない自分の口から出る綺麗事を、一体どんな心地で受け止めていたのだろう。
知っていれば、もっと違うことを言えたはずなのに……
自分はきっと、無自覚でたくさんの人を傷つけていたはずだ。
それを思うと、胸が潰れそうなくらい苦しかった。
「キリハ君、訊いてもいいかな?」
震えるキリハの手に触れて、エリクは穏やかな口調で訊ねた。
「ミゲルたちのこと、嫌いになった?」
「―――っ!」
キリハはぶんぶんと頭を横に振る。
「すぐそこに困ってる人がいたら、それが竜使いじゃなくても助けられる?」
今度は迷いなく、頭を縦に振る。
「そう。じゃあ―――それでいいんだよ。」
エリクは笑みを深め、キリハの目から零れる涙を丁寧にすくい取った。
「僕も同じ。あんなことがあったからって誰も彼も嫌わないし、救う命を乱暴な決めつけで選んだりしない。だからね、今までの自分を否定しちゃだめだよ。そんなことをしたら、君の考えに賛同してる僕のことまで、否定することになっちゃうからね?」
ほんの少し冗談めかして、エリクはそう言った。
「……きっとね、君には君らしく、君のままでいてほしかったんだと思うんだ。」
ふと、寂しげな顔をするエリク。
「確かに僕たちの中には、竜使い以外の人を憎んでる人も多い。そういう人たちが今までのことを水に流せるかと言われたら、やっぱり無理だと思うし、それを強要するのも酷なことだと思う。きっと、みんなが許し合って手を取るのは不可能だ。」
「………」
「でもね……だからこそ、キリハ君の存在って、すごく大事だと思うんだ。」
「……俺?」
小さく呟くキリハに、エリクは一つ頷く。
「キリハ君は僕たちと同じだけど、決定的に僕たちとは違う。僕たちと同じように理不尽な思いをしてきただろうけど、きっとそれと同じくらい、僕たちにはない経験をしてきたんだと思う。そんな君にしか創れない未来があるんだ。そして、君が創る未来は絶対に悪いものじゃない。それは僕も……ルカやカレンに、サーシャちゃんも感じてることなんだ。」
「………」
「僕たちは、僕たちとは違う君が創っていく未来を見ていたかった。だから君には、僕たちと同じ色に染まってほしくなかった。そう思ったから、あの時のことを言いたくなかったんだろうね。もちろん、単純に思い出したくない事件だからってのもあると思うけど。」
「………?」
キリハはそこで、思わず眉を寄せる。
思い出したくない事件。
それはそうだろう。
これは、迂闊に掘り返してはいけないデリケートな話題だ。
でも……
「エリクさん……ごめんね。これだけは言わせて。」
キリハは真正面からエリクの瞳を見据えた。
エリクは悪くない。
分かってはいても、心が訴えるこの違和感を抑えることはできなかった。
「それは―――俺が何も知らなくていい理由にはならないよ。」
はっきりと、そう告げた。
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