竜焔の騎士

時雨青葉

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第1章 《焔乱舞》の静まり

対立

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 また絶対に来るから。
 そう何度も約束し、後ろ髪を引かれる思いをこらえて地下シェルターを後にした。


 誰にも見つからないように部屋に戻り、血だらけになった服と体を洗う。


 透明だった水が、自分の体を通して赤く染まって排水口へと流れていく。
 そんな光景を見ていると、まるで自分の心が血を流しているようで胸が切なくなった。


 ドラゴンをなだめるつもりが、最後にはドラゴンになぐさめられていた。
 自分のことを思いやるように頭をすり寄せてくれた感触が、今も全身に残っている。


 きっと、《焔乱舞》の判断は正確なのだ。
 あのドラゴンたちは壊れてもいないし、人間に敵意も持っていない。


 だから《焔乱舞》は沈黙した。
 《焔乱舞》にとって、あのドラゴンたちは裁きを下す対象じゃないから。


 自分の目から見れば、それは疑うまでもなく明らかなこと。
 でも、それが皆には伝わらない。


 自分にしか分からないこと。
 それを皆に分かってもらうには、一体何をどれだけすればいいのだろう。


 ぐるぐると考えても、答えは一向に見つからなかった。


 とにかく、自分がここで諦めてはいけない。
 その気持ちだけで、重たい体を引きずった。


 本当は、今は誰とも話したくない。
 でも、それじゃ何も解決しない。


 どんなに嫌でつらくても、向き合わなきゃ……


 シャワーを浴びて髪も乾かさないまま、誰かの姿を捜そうと思って部屋を出る。
 すると、階段を下りたところで微かなざわめきを聞いた。
 何事かと思って廊下から顔を覗かせると、ある一室の前でドラゴン殲滅部隊の人々がたむろしている。


「みんな、どうしたの?」


 そっと近寄って、はらはらとした様子の彼らに声をかける。


「キリハ…っ」


 自分に気付いた人が顔を青くし、動揺の波があっという間に全員に伝播していく。


「ど、どうしたんだ? 疲れてるだろ? 今日はもう、休んだ方がいいんじゃないか?」
「そうだよ。僕たちから、隊長たちには言っとくからさ。」


 皆が慌てたように言葉を重ねてくる。
 おそらく、自分には聞かれたくない話がこの部屋でされているのだろう。


 ネグレの気持ちを聞いた後だ。
 皆が嫌がらせでこんなことを言ってきているわけじゃないのは分かっている。


 ここは、自分は素直に引くべきなのか。
 そんなことを考えたが……




「この分らず屋が!」




 そんな怒号が、廊下にまで響き渡った。


「……ミゲル?」


 聞こえてきた馴染みのある声に、首をひねる。
 周囲の人々がやってしまったと言わんばかりに額を押さえるが、もう時は遅かった。


「いい加減、我慢の限界だ! お前、キー坊にどんだけひどいことを言ったのか、自覚してんのか!?」
「!!」


 ミゲルの言葉に一度心臓が跳ねて、次に苦い思いが全身に広がっていく。


(そっか…。俺のことを話してるんだ……)


 どうりで皆が自分を遠ざけようとするわけだ。
 皆の気まずげな雰囲気を無視したまま、室内の会話は続く。


「お前の考えには、仕方ねぇって思う部分はあるけどよ。何も、あんな言い方をする必要はなかっただろ!? ちょっとは、キー坊に考える時間をやったっていいだろうが!」


「そうやって、またキリハ君に重たい責任を背負わせるわけ?」


 熱を帯びているミゲルの声に対するジョーの声は、対照的とも言えるほどに冷めていた。


「なっ…」


 ミゲルが息をつまらせる。


「分かってないのはどっち? キリハ君のことを考えるなら、余計な情けはかけるべきじゃないよ。」


 ジョーの言葉に躊躇ためらいはなかった。


「《焔乱舞》を持ってる時点で、あの子はもう普通には生きられないんだ。それだけじゃない。キリハ君が怪我で昏睡状態だった時に、みんながどんなひどいことになってたか、忘れたわけじゃないでしょ?」


「それは…っ」


「キリハ君が抱えているものは、ただでさえ重い。重すぎるんだ。とてもじゃないけど、あの歳の子に背負わせていいものじゃない。僕らは、それを押しつけちゃいけないんだよ。」


 自分が聞いていないと思っているからか、ジョーは会議室では言わなかった胸中を語る。


「ただでさえ無理を押しつけてるのに、今度はドラゴンの世話なんてものまでやらせるの? そんなことをしてごらん。キリハ君はもう、レイミヤに帰れなくなるよ。キリハ君に特別なことが増えるほど、キリハ君はこっち側の世界に巻き込まれちゃう。キリハ君が嫌がっても、キリハ君を利用しようとする奴らはたくさんいるんだ。今のところは、僕とディアが情報をシャットアウトしてるから、かろうじて一線を保ててるけどね。」


 そこでジョーの声音に、自分と対峙していた時にはなかったうれいが混じる。


「……それにね。どうせドラゴンを殺すことになるなら、初めから変な期待なんか与えない方がいい。その方が、キリハ君のためだ。どうにかしようって頑張って心を砕いた分、それが叶わなかった時にどうなると思うの? ドラゴンを自然に返してやったとして、それが仇になったらどうするの? その時になって今以上に傷つくのは、キリハ君なんだよ? 僕たちがいらない責任を背負わせたせいで、キリハ君が自分のことを責めるかもしれない。それを、ミゲルは見過ごせる?」


 ジョーがそう問いかけると、室内は重たい沈黙に満たされる。
 ミゲルが答えに窮していることは明らかだった。
 そしてその動揺は、部屋の外で話を盗み聞きする他の皆にも共通している。


「………本当に、口ではお前に敵わねぇよな。」


 しばらしくてから低くぼやいたミゲルの声からは、先ほどまでの熱は跡形もなく引いていた。


「だったら、なんでキー坊にそう言ってやらない。あんな風に拒絶する必要はねぇだろ。おれは、そこが一番気に食わねぇんだよ。」
「受け入れることだけが優しさじゃないよ。言ったでしょ。変な期待なんか、与えない方がいいって。」


 やはり、ジョーは迷わなかった。


「いいんだよ。今は無理やり押さえ込んで、恨ませてあげれば。頑張れる余地を与えれば、キリハ君はきっと自分を責めるよ。優しい子だからね。だから理不尽に希望を絶って、別の誰かを責めさせるくらいがちょうどいいの。今がどうしようもなくつらくても、責める相手が自分じゃないなら、人間は案外早く立ち直れるもんだから。」


「だから、汚れ役を買ったっていうのか?」
「まあ、よく言えばそうなるよね。」


 ジョーがくすりと笑う。


「ミゲル、余計な詮索はしないでよ? 僕が、どれだけ長くこっちの世界に浸ってると思ってるの? ぶっちゃけ、恨みの十個や二十個くらい余裕で買ってるよ。だから……今さら、一人分の恨みが増えたところでどうってことないさ。」


 そこで切り替わったジョーの口調は、以前に暗い資料室で聞いた口調と同じもの。
 今の彼が、あの時と同じで蠱惑的な微笑みを浮かべているだろうことは、容易に想像がついた。


「キリハ君を突っぱねた理由の大半は、ドラゴンが僕らにとっての危険因子に他ならないと思うからだよ。僕らの足元をすくおうとしてるやからは、腐るほどいるんだ。つけ入る隙を与えたらどうなるのか……。それは、ここにいる誰よりも知ってるつもりだよ。」


「お前……おれが言いたいことが、そういうことじゃねぇのは分かってんだろうが。」
「もちろん。」


 苛立った様子のミゲルに、ジョーはあっさりと答えた。


「いいじゃん。ミゲルはミゲルの考えるように、キリハ君に寄り添ってあげれば。僕は僕のスタンスを崩すつもりはない。必要であればキリハ君を傷つけることも言うし、そういうことをするかもしれない。仕事は仕事。私情は私情。最終的な結論が出るまで、多分僕たちは敵対したままだよ。」


「………」


 ミゲルが黙り込む。
 室内にも廊下にも、先ほどとは比べ物にならないほどにずっしりとした、重い静寂が満ちた。

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