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第6章 伝説と謳われる男
最後の交渉
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本決勝戦の仕切り直しが予定されたのは、二週間後の土曜日。
常に何かしらのイベントや大会が行われている会場の状態を考えると、異例に近い日取りといえた。
特例に特例を重ねた、今大会の決勝戦。
これだけ大きく育ってしまった話題は、遠く離れたレイミヤにまで届いたらしく、ナスカたちから寝耳に水といった様子で電話がかかってきた。
さすがに彼女たちに、こんな複雑な中枢事情を話すわけにもいかないので、大会に出ている経緯などは適当にごまかすしかなかったが……
「頑張りなさいよ。」
明るくそう言われてしまっては、自分としては頷くしかなかったのである。
そうして迎えた試合当日。
もう来ることはないと思い込んでいたこの場所に、自分はこうして足を運んでいるわけだ。
中央アリーナの特別控え室で一人ソファーに座り、キリハは物憂げな溜め息をつく。
試合まであと三十分。
他の皆は、観客席や警備に向かっていった。
皆がいた時はなんとかいつも通りの態度を保てたが、一人になった途端に重たい気持ちがぐるぐると脳内を巡る。
「あー、行きたくない……」
零れてしまう本音。
コンコン、と。
控えめにドアが叩かれたのはその時だった。
「相変わらず、気分はよくないようだね。」
控え室に入ってきたのは、いつぞやに会ったランドルフだった。
「何しに来たの?」
横目だけでランドルフを一瞥し、キリハは静かに警戒心を高めた。
「君に、総督部から最後の交渉だ。」
キリハの向かいに腰を下ろし、ランドルフは胸元から小さな小瓶を取り出した。
もったいぶった仕草で小瓶にキリハの視線を縫い止め、彼は机の上にゆっくりとそれを置く。
「君がディアラントを傷つけたくないという気持ちは、よく分かった。それで私たちも、何も殺す必要まではないんじゃないかという話になってね。死んでもらう必要はない。ただ、次の試合で君に負けてもらえればいいんだ。」
「それで、出てくるのがそれなの?」
「もちろん毒ではないよ。ただの痺れ薬だ。」
ランドルフの唇が、緩やかな弧を描く。
「皮膚から吸収される速効性の薬だ。これを剣にでも塗っておいて、あとは試合に乗じて剣をディアラントに触れさせればいい。君なら簡単だろう? ディアラントは宮殿にいる限り、こうして命を狙われ続ける。ここで君が引導を渡してあげれば、逆にディアラントを救えるんじゃないかい?」
「………」
キリハは黙し、静かに小瓶へと手を伸ばした。
そして指先が小瓶に触れるか否かというところで、一気にその手を横に薙ぎ払う。
「馬鹿じゃないの?」
床に転がっていく小瓶には目もくれず、キリハは激しい怒気を孕んだ瞳でランドルフを睨み上げた。
「ディア兄ちゃんの覚悟を、なんだと思ってるのさ。こんなことしたって、ディア兄ちゃんは絶対に喜ばない。それに、これが本当に毒じゃないって保証がどこにあるの?」
これだけの人たちに支えられて、今さら逃げるわけにはいかないと。
ディアラントはそう言った。
たとえディアラントを守るための行為だったとしても、こんな形で危険から遠ざけられたところで、彼は絶対に喜ばない。
「お金も地位もいらない。―――でも、手を抜くつもりもない。」
断言した。
総督部にとって自分は、ディアラントに勝てる可能性を秘めた唯一の希望。
だから本当は、本気でディアラントとぶつかることに少しだけ逃げ腰になっていた。
でも、そんな風に故意的に勝ちを譲られたところで、嬉しくもなんともない。
そのことは、誰よりも自分が分かっている。
ディアラントのことを信じるなら、本気で彼に剣を向けよう。
行きたくないとぼやきはしたものの、その覚悟はとっくのとうに決めていた。
ランドルフはじっとこちらを見つめている。
その静謐な双眸を、キリハも堂々と真正面から見つめ返す。
すると―――ふと、彼は表情を緩めた。
常に何かしらのイベントや大会が行われている会場の状態を考えると、異例に近い日取りといえた。
特例に特例を重ねた、今大会の決勝戦。
これだけ大きく育ってしまった話題は、遠く離れたレイミヤにまで届いたらしく、ナスカたちから寝耳に水といった様子で電話がかかってきた。
さすがに彼女たちに、こんな複雑な中枢事情を話すわけにもいかないので、大会に出ている経緯などは適当にごまかすしかなかったが……
「頑張りなさいよ。」
明るくそう言われてしまっては、自分としては頷くしかなかったのである。
そうして迎えた試合当日。
もう来ることはないと思い込んでいたこの場所に、自分はこうして足を運んでいるわけだ。
中央アリーナの特別控え室で一人ソファーに座り、キリハは物憂げな溜め息をつく。
試合まであと三十分。
他の皆は、観客席や警備に向かっていった。
皆がいた時はなんとかいつも通りの態度を保てたが、一人になった途端に重たい気持ちがぐるぐると脳内を巡る。
「あー、行きたくない……」
零れてしまう本音。
コンコン、と。
控えめにドアが叩かれたのはその時だった。
「相変わらず、気分はよくないようだね。」
控え室に入ってきたのは、いつぞやに会ったランドルフだった。
「何しに来たの?」
横目だけでランドルフを一瞥し、キリハは静かに警戒心を高めた。
「君に、総督部から最後の交渉だ。」
キリハの向かいに腰を下ろし、ランドルフは胸元から小さな小瓶を取り出した。
もったいぶった仕草で小瓶にキリハの視線を縫い止め、彼は机の上にゆっくりとそれを置く。
「君がディアラントを傷つけたくないという気持ちは、よく分かった。それで私たちも、何も殺す必要まではないんじゃないかという話になってね。死んでもらう必要はない。ただ、次の試合で君に負けてもらえればいいんだ。」
「それで、出てくるのがそれなの?」
「もちろん毒ではないよ。ただの痺れ薬だ。」
ランドルフの唇が、緩やかな弧を描く。
「皮膚から吸収される速効性の薬だ。これを剣にでも塗っておいて、あとは試合に乗じて剣をディアラントに触れさせればいい。君なら簡単だろう? ディアラントは宮殿にいる限り、こうして命を狙われ続ける。ここで君が引導を渡してあげれば、逆にディアラントを救えるんじゃないかい?」
「………」
キリハは黙し、静かに小瓶へと手を伸ばした。
そして指先が小瓶に触れるか否かというところで、一気にその手を横に薙ぎ払う。
「馬鹿じゃないの?」
床に転がっていく小瓶には目もくれず、キリハは激しい怒気を孕んだ瞳でランドルフを睨み上げた。
「ディア兄ちゃんの覚悟を、なんだと思ってるのさ。こんなことしたって、ディア兄ちゃんは絶対に喜ばない。それに、これが本当に毒じゃないって保証がどこにあるの?」
これだけの人たちに支えられて、今さら逃げるわけにはいかないと。
ディアラントはそう言った。
たとえディアラントを守るための行為だったとしても、こんな形で危険から遠ざけられたところで、彼は絶対に喜ばない。
「お金も地位もいらない。―――でも、手を抜くつもりもない。」
断言した。
総督部にとって自分は、ディアラントに勝てる可能性を秘めた唯一の希望。
だから本当は、本気でディアラントとぶつかることに少しだけ逃げ腰になっていた。
でも、そんな風に故意的に勝ちを譲られたところで、嬉しくもなんともない。
そのことは、誰よりも自分が分かっている。
ディアラントのことを信じるなら、本気で彼に剣を向けよう。
行きたくないとぼやきはしたものの、その覚悟はとっくのとうに決めていた。
ランドルフはじっとこちらを見つめている。
その静謐な双眸を、キリハも堂々と真正面から見つめ返す。
すると―――ふと、彼は表情を緩めた。
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