My heart in your hand.

津秋

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ここは出入り口から目に入る場所だ。
案の定、先輩もすぐこちらに気が付いた。目が合ってしまう。その瞬間落ち着いていたはずの胸の中がざわめいて、キヨ先輩の無表情だった顔に俺を認識したことで微笑みが浮かびかけたのが分かっていながら、俺は思い切り顔を背けてしまった。
自分でもどうかと思うほど露骨な、避けるような態度。頭で考える前に体が動いてしまっていた。

一瞬後に襲ってきた後悔は、もうどうしようもない。

「……エス?」
岩見がとても驚いているのが伝わってくる。
言いたいことも、分かっている。けれど、でも、無理だ。俺のなかに居座ったままのどろどろした嫌な感情が、他の誰に気取られずともキヨ先輩には透けてしまいそうで、真っ直ぐに目を見ることなど出来なかった。
今の俺は、先輩に笑いかけてもらうに値しない。

「あの人にあんな顔させていいのかよ」
すぐに抑えた声で、けれど強い語調で発せられた言葉と共にきつく腕を掴まれた。
はっとして顔を上げ、先輩を見る。感情らしい感情の消えた表情で呆けたように固まっていた先輩は、俺と再び目が合うと、我に返ったように瞬きをして口元に笑みを作ろうとしたように見えた。けれど笑顔になりきる前に、耐えきれなかったみたいに端麗な顔が歪んだ。
すぐに俯きながら前髪に触ることで手の陰に隠されてしまったその表情に茫然としてしまった俺は、先輩がそのままこちらに視線を戻すことなく足早に階段の方へ向かうのを黙って見つめ続けていた。

立ち上がれないし、追いかけられなかった。
だって俺は今、俺自身の勝手で彼を傷つけた。傷つけたのだということを自覚してしまった。

大切にしたい、笑っていてほしい、なんて。どの口が言うのか。キヨ先輩にあんな顔をさせておいて。

岩見が掴んだままだった手の力を緩めて、なだめるように俺の腕を摩った。
「追いかけないの?」
「……、無理だ」
「―そう」
こんなときでも、理由を問うてはこないのだ。岩見が優しくて、自分が不甲斐ない。
「ごめん」
「うん?」
「先に戻る」
返事を聞く前に立ち上がって歩き出した。どんなに情けない姿だろうが、岩見にならそれを見られることを恥だとは思わない。けれど、そういうこととは別にとにかくはやく一人になりたかった。

部屋に戻る。共有スペースは静かだ。北川は自室にいるらしかった。顔を合わせないで済んだことにほっとしてしまう。
ベッドに直行して、いつもなら具合が悪かろうが絶対にそんなことはしないのに、制服を着たままベッドに横たわった。

避けたりなんかしないと、そんな態度はとらないと自分で言ったくせに。さっきのあれはなんだ。あんなあからさまに――。
「最悪……」
低く呻いて体を丸める。鳩尾が重くて苦しい。
俺の態度がぎこちなくても意識されていると受け止めるとキヨ先輩は言ってくれたけれど、あんなふうに顔を背けるのはその範疇を超えているし、先輩もそういう類いではないと思ったはずだ。でなければ、あんな顔をしない。

でも、キヨ先輩と真っ直ぐに目を合わせるには、あまりに自分の心が後ろめたかったのだ。そんなことはキヨ先輩には関係ないけれど。
俺が勝手に告白されているところに居合わせてしまって、勝手に苦しくなっただけ。

自分本位が過ぎる。したくないと思った振る舞いをしている自分に吐き気がする。

先輩を悲しませるような、誤解を生むような行動をしたと分かっているのに、あなたは何も悪くなくて俺自身の問題だと伝えることもできなかった。それを言うためには咄嗟になぜあんなふうに顔を背けたかを説明しなくてはいけなくて、それを躊躇した。
俺は自分よりもよほど大切であるはずの人より、自分を優先したのだ。

彼に心理を知られたくなかった。そのせいで傷つけた。有り得ない。こんな行動を自分がとるとは思わなかった。

何をやっているのだろう、と繰り返し同じことを思う。これほど後悔したことはない。当然だ、かつてこんなに自分のことを制御できなかったことがないのだから。らしくない、と言えばこれほどらしくないこともないだろう。
それとも、俺は元々こういう人間で、ただそれを取り繕っていただけなのだろうか。

いや、そんなのはどちらでもどうでもいいことだ。結果は変わらない。
自己嫌悪に押しつぶされそうになりながら、それでも先輩の下へ行くことも連絡することもできない。何も行動せずにただ見苦しく蹲っている。

それが実際の俺なのだということだけが事実だ。

腕の中の枕を歪むほどにきつく抱え込む。
キヨ先輩の一瞬の表情が頭から離れなかった。
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