180 / 192
last.
32
しおりを挟む
ここは出入り口から目に入る場所だ。
案の定、先輩もすぐこちらに気が付いた。目が合ってしまう。その瞬間落ち着いていたはずの胸の中がざわめいて、キヨ先輩の無表情だった顔に俺を認識したことで微笑みが浮かびかけたのが分かっていながら、俺は思い切り顔を背けてしまった。
自分でもどうかと思うほど露骨な、避けるような態度。頭で考える前に体が動いてしまっていた。
一瞬後に襲ってきた後悔は、もうどうしようもない。
「……エス?」
岩見がとても驚いているのが伝わってくる。
言いたいことも、分かっている。けれど、でも、無理だ。俺のなかに居座ったままのどろどろした嫌な感情が、他の誰に気取られずともキヨ先輩には透けてしまいそうで、真っ直ぐに目を見ることなど出来なかった。
今の俺は、先輩に笑いかけてもらうに値しない。
「あの人にあんな顔させていいのかよ」
すぐに抑えた声で、けれど強い語調で発せられた言葉と共にきつく腕を掴まれた。
はっとして顔を上げ、先輩を見る。感情らしい感情の消えた表情で呆けたように固まっていた先輩は、俺と再び目が合うと、我に返ったように瞬きをして口元に笑みを作ろうとしたように見えた。けれど笑顔になりきる前に、耐えきれなかったみたいに端麗な顔が歪んだ。
すぐに俯きながら前髪に触ることで手の陰に隠されてしまったその表情に茫然としてしまった俺は、先輩がそのままこちらに視線を戻すことなく足早に階段の方へ向かうのを黙って見つめ続けていた。
立ち上がれないし、追いかけられなかった。
だって俺は今、俺自身の勝手で彼を傷つけた。傷つけたのだということを自覚してしまった。
大切にしたい、笑っていてほしい、なんて。どの口が言うのか。キヨ先輩にあんな顔をさせておいて。
岩見が掴んだままだった手の力を緩めて、なだめるように俺の腕を摩った。
「追いかけないの?」
「……、無理だ」
「―そう」
こんなときでも、理由を問うてはこないのだ。岩見が優しくて、自分が不甲斐ない。
「ごめん」
「うん?」
「先に戻る」
返事を聞く前に立ち上がって歩き出した。どんなに情けない姿だろうが、岩見にならそれを見られることを恥だとは思わない。けれど、そういうこととは別にとにかくはやく一人になりたかった。
部屋に戻る。共有スペースは静かだ。北川は自室にいるらしかった。顔を合わせないで済んだことにほっとしてしまう。
ベッドに直行して、いつもなら具合が悪かろうが絶対にそんなことはしないのに、制服を着たままベッドに横たわった。
避けたりなんかしないと、そんな態度はとらないと自分で言ったくせに。さっきのあれはなんだ。あんなあからさまに――。
「最悪……」
低く呻いて体を丸める。鳩尾が重くて苦しい。
俺の態度がぎこちなくても意識されていると受け止めるとキヨ先輩は言ってくれたけれど、あんなふうに顔を背けるのはその範疇を超えているし、先輩もそういう類いではないと思ったはずだ。でなければ、あんな顔をしない。
でも、キヨ先輩と真っ直ぐに目を合わせるには、あまりに自分の心が後ろめたかったのだ。そんなことはキヨ先輩には関係ないけれど。
俺が勝手に告白されているところに居合わせてしまって、勝手に苦しくなっただけ。
自分本位が過ぎる。したくないと思った振る舞いをしている自分に吐き気がする。
先輩を悲しませるような、誤解を生むような行動をしたと分かっているのに、あなたは何も悪くなくて俺自身の問題だと伝えることもできなかった。それを言うためには咄嗟になぜあんなふうに顔を背けたかを説明しなくてはいけなくて、それを躊躇した。
俺は自分よりもよほど大切であるはずの人より、自分を優先したのだ。
彼に心理を知られたくなかった。そのせいで傷つけた。有り得ない。こんな行動を自分がとるとは思わなかった。
何をやっているのだろう、と繰り返し同じことを思う。これほど後悔したことはない。当然だ、かつてこんなに自分のことを制御できなかったことがないのだから。らしくない、と言えばこれほどらしくないこともないだろう。
それとも、俺は元々こういう人間で、ただそれを取り繕っていただけなのだろうか。
いや、そんなのはどちらでもどうでもいいことだ。結果は変わらない。
自己嫌悪に押しつぶされそうになりながら、それでも先輩の下へ行くことも連絡することもできない。何も行動せずにただ見苦しく蹲っている。
それが実際の俺なのだということだけが事実だ。
腕の中の枕を歪むほどにきつく抱え込む。
キヨ先輩の一瞬の表情が頭から離れなかった。
案の定、先輩もすぐこちらに気が付いた。目が合ってしまう。その瞬間落ち着いていたはずの胸の中がざわめいて、キヨ先輩の無表情だった顔に俺を認識したことで微笑みが浮かびかけたのが分かっていながら、俺は思い切り顔を背けてしまった。
自分でもどうかと思うほど露骨な、避けるような態度。頭で考える前に体が動いてしまっていた。
一瞬後に襲ってきた後悔は、もうどうしようもない。
「……エス?」
岩見がとても驚いているのが伝わってくる。
言いたいことも、分かっている。けれど、でも、無理だ。俺のなかに居座ったままのどろどろした嫌な感情が、他の誰に気取られずともキヨ先輩には透けてしまいそうで、真っ直ぐに目を見ることなど出来なかった。
今の俺は、先輩に笑いかけてもらうに値しない。
「あの人にあんな顔させていいのかよ」
すぐに抑えた声で、けれど強い語調で発せられた言葉と共にきつく腕を掴まれた。
はっとして顔を上げ、先輩を見る。感情らしい感情の消えた表情で呆けたように固まっていた先輩は、俺と再び目が合うと、我に返ったように瞬きをして口元に笑みを作ろうとしたように見えた。けれど笑顔になりきる前に、耐えきれなかったみたいに端麗な顔が歪んだ。
すぐに俯きながら前髪に触ることで手の陰に隠されてしまったその表情に茫然としてしまった俺は、先輩がそのままこちらに視線を戻すことなく足早に階段の方へ向かうのを黙って見つめ続けていた。
立ち上がれないし、追いかけられなかった。
だって俺は今、俺自身の勝手で彼を傷つけた。傷つけたのだということを自覚してしまった。
大切にしたい、笑っていてほしい、なんて。どの口が言うのか。キヨ先輩にあんな顔をさせておいて。
岩見が掴んだままだった手の力を緩めて、なだめるように俺の腕を摩った。
「追いかけないの?」
「……、無理だ」
「―そう」
こんなときでも、理由を問うてはこないのだ。岩見が優しくて、自分が不甲斐ない。
「ごめん」
「うん?」
「先に戻る」
返事を聞く前に立ち上がって歩き出した。どんなに情けない姿だろうが、岩見にならそれを見られることを恥だとは思わない。けれど、そういうこととは別にとにかくはやく一人になりたかった。
部屋に戻る。共有スペースは静かだ。北川は自室にいるらしかった。顔を合わせないで済んだことにほっとしてしまう。
ベッドに直行して、いつもなら具合が悪かろうが絶対にそんなことはしないのに、制服を着たままベッドに横たわった。
避けたりなんかしないと、そんな態度はとらないと自分で言ったくせに。さっきのあれはなんだ。あんなあからさまに――。
「最悪……」
低く呻いて体を丸める。鳩尾が重くて苦しい。
俺の態度がぎこちなくても意識されていると受け止めるとキヨ先輩は言ってくれたけれど、あんなふうに顔を背けるのはその範疇を超えているし、先輩もそういう類いではないと思ったはずだ。でなければ、あんな顔をしない。
でも、キヨ先輩と真っ直ぐに目を合わせるには、あまりに自分の心が後ろめたかったのだ。そんなことはキヨ先輩には関係ないけれど。
俺が勝手に告白されているところに居合わせてしまって、勝手に苦しくなっただけ。
自分本位が過ぎる。したくないと思った振る舞いをしている自分に吐き気がする。
先輩を悲しませるような、誤解を生むような行動をしたと分かっているのに、あなたは何も悪くなくて俺自身の問題だと伝えることもできなかった。それを言うためには咄嗟になぜあんなふうに顔を背けたかを説明しなくてはいけなくて、それを躊躇した。
俺は自分よりもよほど大切であるはずの人より、自分を優先したのだ。
彼に心理を知られたくなかった。そのせいで傷つけた。有り得ない。こんな行動を自分がとるとは思わなかった。
何をやっているのだろう、と繰り返し同じことを思う。これほど後悔したことはない。当然だ、かつてこんなに自分のことを制御できなかったことがないのだから。らしくない、と言えばこれほどらしくないこともないだろう。
それとも、俺は元々こういう人間で、ただそれを取り繕っていただけなのだろうか。
いや、そんなのはどちらでもどうでもいいことだ。結果は変わらない。
自己嫌悪に押しつぶされそうになりながら、それでも先輩の下へ行くことも連絡することもできない。何も行動せずにただ見苦しく蹲っている。
それが実際の俺なのだということだけが事実だ。
腕の中の枕を歪むほどにきつく抱え込む。
キヨ先輩の一瞬の表情が頭から離れなかった。
0
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
目が覚めたら、妹の彼氏とつきあうことになっていた件
水野七緒
BL
一見チャラそうだけど、根はマジメな男子高校生・星井夏樹。
そんな彼が、ある日、現代とよく似た「別の世界(パラレルワールド)」の夏樹と入れ替わることに。
この世界の夏樹は、浮気性な上に「妹の彼氏」とお付き合いしているようで…?
※終わり方が2種類あります。9話目から分岐します。※続編「目が覚めたら、カノジョの兄に迫られていた件」連載中です(2022.8.14)
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
親衛隊は、推しから『選ばれる』までは推しに自分の気持ちを伝えてはいけないルール
雨宮里玖
BL
エリート高校の親衛隊プラスα×平凡無自覚総受け
《あらすじ》
4月。平凡な吉良は、楯山に告白している川上の姿を偶然目撃してしまった。遠目だが二人はイイ感じに見えて告白は成功したようだった。
そのことで、吉良は二年間ずっと学生寮の同室者だった楯山に自分が特別な感情を抱いていたのではないかと思い——。
平凡無自覚な受けの総愛され全寮制学園ライフの物語。
こっそりバウムクーヘンエンド小説を投稿したら相手に見つかって押し倒されてた件
神崎 ルナ
BL
バウムクーヘンエンド――片想いの相手の結婚式に招待されて引き出物のバウムクーヘンを手に失恋に浸るという、所謂アンハッピーエンド。
僕の幼なじみは天然が入ったぽんやりしたタイプでずっと目が離せなかった。
だけどその笑顔を見ていると自然と僕も口角が上がり。
子供の頃に勢いに任せて『光くん、好きっ!!』と言ってしまったのは黒歴史だが、そのすぐ後に白詰草の指輪を持って来て『うん、およめさんになってね』と来たのは反則だろう。
ぽやぽやした光のことだから、きっとよく意味が分かってなかったに違いない。
指輪も、僕の左手の中指に収めていたし。
あれから10年近く。
ずっと仲が良い幼なじみの範疇に留まる僕たちの関係は決して崩してはならない。
だけど想いを隠すのは苦しくて――。
こっそりとある小説サイトに想いを吐露してそれで何とか未練を断ち切ろうと思った。
なのにどうして――。
『ねぇ、この小説って海斗が書いたんだよね?』
えっ!?どうしてバレたっ!?というより何故この僕が押し倒されてるんだっ!?(※注 サブ垢にて公開済みの『バウムクーヘンエンド』をご覧になるとより一層楽しめるかもしれません)
【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます
猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」
「いや、するわけないだろ!」
相川優也(25)
主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。
碧スバル(21)
指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。
「僕の方がぜってー綺麗なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ」
「スバル、お前なにいってんの……?」
冗談? 本気? 二人の結末は?
美形病みホスと平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。
【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
当たって砕けていたら彼氏ができました
ちとせあき
BL
毎月24日は覚悟の日だ。
学校で少し浮いてる三倉莉緒は王子様のような同級生、寺田紘に恋をしている。
教室で意図せず公開告白をしてしまって以来、欠かさずしている月に1度の告白だが、19回目の告白でやっと心が砕けた。
諦めようとする莉緒に突っかかってくるのはあれ程告白を拒否してきた紘で…。
寺田絋
自分と同じくらいモテる莉緒がムカついたのでちょっかいをかけたら好かれた残念男子
×
三倉莉緒
クールイケメン男子と思われているただの陰キャ
そういうシーンはありませんが一応R15にしておきました。
お気に入り登録ありがとうございます。なんだか嬉しいので載せるか迷った紘視点を追加で投稿します。ただ紘は残念な子過ぎるので莉緒視点と印象が変わると思います。ご注意ください。
お気に入り登録100ありがとうございます。お付き合いに浮かれている二人の小話投稿しました。
美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした
亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。
カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。
(悪役モブ♀が出てきます)
(他サイトに2021年〜掲載済)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる