57 / 96
バハル自治区編
特別な日
しおりを挟む大変だけど、とても充実した買い出しだった。
「飾り選びに時間掛けすぎちゃった……」
お店の扉をくぐって端末を見る。思っていたより随分と時間が経っていて、薄暗くなりつつある辺りに母の言葉を思い出した。
(連絡入れとこう)
二つの店の間に避けてメッセージを送る。後はお花を受け取ったらおしまい。でもここから少しだけ距離があるから、帰れるのはまだ先になる。返事がこないのを確認して端末はバッグへ戻した。
暦上では夏なのに今夜は少し肌寒くて、袖が少しでも伸びないかと引っ張る。道行く人が<急に寒いね>と話していたので、心の中で頷いた。
(あと一店舗。早く終わらせて、もう帰ろっと)
父に車を出してもらえば楽だったろうけど、明日まで全部秘密にしておきたくて徒歩を選んだのだ。
そろそろ夕食の時間。温かいオレンジ照明が漏れる飲食店へと入っていく人達に、今日の我が家の食事を考えた。うちは父も料理好きで休日には腕を振るってくれる。
(今夜は何が食べられるかな。あったかいの食べたい気分かも。……あ、知らないお店が出来てる。雑貨屋? へー! 今度来なきゃ。……あの人の服、良いなぁ。ヘアアレンジも素敵)
とりとめのない思考を巡らせながら、花屋を目指す。やがて見えたのは落ち着いたダークブラウンの店舗。軒先のパキッと色鮮やかな花々がよく映えていた。うちはこの花屋がお気に入りで、一昨日も玄関用の替えを買いにきたところ。
(この時期はお花の種類がたくさんで良いよね)
見るだけで気分がふわりと浮く。わたしは口許を緩めながら硝子張りの扉を開いた。
「ありがとうございました」
店員さんにお礼を告げて店を出る。とても綺麗なアレンジメントを作ってもらえて、上機嫌だった。
(そろそろメッセージ見てくれたかな)
エテルノで記念品を受け取った後と同じく、店の脇に避けて端末のロックを解除した。すっかり暗くなった周囲で端末は明々と光を放つから、少し明度を落とす。
(あれ? まだ誰も見てない……)
返事が来ていなかった。
遅くなるなら連絡を入れろと言ったのは母なのに、どうしたんだろう。
(お料理中? 電話入れてみよっか)
耳元でコール音が繰り返される。しばらく待ったけど、母は出なかった。
(じゃ、お父さんに……)
だけど、同じ事の繰り返しとなった。父も出ないし、固定電話にも出ないし、再度確認したメッセージは相変わらず誰も見ていない。
(何してるんだろ。もしかして買い足しに出掛けてるとか? 賑やかな場所にいるなら気付かないかも)
今は気付ける状況にいないなら少し時間を置こう。そう思ってある程度帰り道を行ってから、もう一度道の脇に身を寄せた。
(メッセージ……まだ見てない……)
返事のこないそれに、薄っすらと不安が頭をもたげる。だって連絡を寄越せと言った母が端末を見ないなんて、おかしい。あの優しくて心配性で、いつもわたしを想ってくれている母が。
(……なにか……あった、なんて)
そんな訳ない。不穏なノイズが騒めき始める胸を落ち着かせようと、ありそうな呑気な理由を脳裏に並べ立てる。それからお母さんの番号をタップした。
『プルルルル、プルルルル、プルルルル……』
無機質なコール音が耳に障る。もどかしい。
応えてくれるはずの柔らかな声を聞き逃すまいと、雑踏に背を向けて身を縮めた。それでもコール音は終わらない。
『プルルルルーー』
次第に周りの雑音が何も聞こえなくなっていく。研ぎ澄まされる神経。
いやに長く感じる時間の中で、わたしは二人の優しい笑顔を思い浮かべていた。早く声を聴きたい。安心したい。
早く、会いたいーー。
『只今、電話に出ることが出来ません。ピーっという発信音の……』
プツッ。落胆と共に発信を止めた。その直後だった。父から折り返しが掛かってきたのは。
(やっぱり取り越し苦労ね。良かった)
安堵の息をこぼすと共に通話をタップする。少しだけ不満をぶつけてやろうと、でも、どうしても嬉しさの混じる声で応答する。
「もしもし、もう、なんで出なーー」
『野々咲エイコさんでお間違いないですか?』
「いやあぁああ!! ちがう! ちがうぅ!!」
<違うでしょ?>。
理性の皮を必死に伸ばして全身を覆った、わたしの問いは真っ向から否定されてしまった。
あの最後のコールの後、程近くにいたらしい両親のもとへ走って、泣き縋って、引き剥がされて。恐ろしい手術室から帰ってきた両親はもう、何も語らなくなっていた。
真っ白になった二人の顔はぴくりとも動かない。わたしがこんなに泣き叫んでいるのに、どうして? 心で何度問い掛けても返らない答え。
こわくて、受け入れられなくて。否定し続けた。呼吸が上手く出来なくて苦しい。
だけど、どんなに喚いても……お父さんとお母さんがわたしを宥めることも、嗜めることもーーついぞなかった。
今日は特別な日だ。
わたし達親子三人での思い出、その最後の日。以前一緒に選んだ黒のワンピースと真珠のネックレスを身に付けて、綺麗なメイクと着物で横たわる二人を眺めていた。
外は曇天。絶えず落ちる雨粒に地上は冷え切っていく。やまない雨の中、わたしはよく分からない漢字が連ねられた物を手に、今度は箱を眺めていた。
周囲の人々、傘、車、何もかもが黒い。でも二つの箱だけはわざとらしい程に白い。
「エイコちゃん」
親戚のおばさまに促されて、のろのろと黒塗りの車に乗り込んだ。
パーっと鳴り響くクラクションを虚しく感じる。どうしてわたし達はこんな所にいるんだろう。こんな予定じゃなかったのに。こんなドライブ、望んでいなかったのに。
わたしと両親を乗せた車は見知った景色の中を走り、記憶を思い起こさせる。向かうのは見晴らしの良い丘。
それが最後の別れの場所だ。
『ーーめなさい』
ふいに、脳内へ知らない聲が響く。どうでも良くてぼんやり聞き流すと、また聲は主張した。
『帰るのです』
なにを……いっているの……?
うるさくて苛立ちのままに頭を振った。それでも聲はやまない。そして一番明瞭な音質で、わたしに告げる。
『汝(なれ)の在るべき世界へ』
その瞬間、世界が白く弾けた。
「おはよう。久しぶりね、フラメウちゃん」
目蓋を開くと女の人がわたしを覗き込んでいた。頭が重く痛い。胸が酷く不快だ。
でも真っ赤な唇はそんなわたしを面白がるように、愉悦を含みにんまり裂けた。
「また逢えて嬉しいわ。もう離さないから」
ーーお父さんとお母さんは、どこ?
知らない匂いを放つ手が、ねっとりとわたしの頬を撫でる。その匂いも、鼻に残るお香の匂いも。そのどちらも叫び出したい程に煩わしかった。
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。
【本編完結】美女と魔獣〜筋肉大好き令嬢がマッチョ騎士と婚約? ついでに国も救ってみます〜
松浦どれみ
恋愛
【読んで笑って! 詰め込みまくりのラブコメディ!】
(ああ、なんて素敵なのかしら! まさかリアム様があんなに逞しくなっているだなんて、反則だわ! そりゃ触るわよ。モロ好みなんだから!)『本編より抜粋』
※カクヨムでも公開中ですが、若干お直しして移植しています!
【あらすじ】
架空の国、ジュエリトス王国。
人々は大なり小なり魔力を持つものが多く、魔法が身近な存在だった。
国内の辺境に領地を持つ伯爵家令嬢のオリビアはカフェの経営などで手腕を発揮していた。
そして、貴族の令息令嬢の大規模お見合い会場となっている「貴族学院」入学を二ヶ月後に控えていたある日、彼女の元に公爵家の次男リアムとの婚約話が舞い込む。
数年ぶりに再会したリアムは、王子様系イケメンとして令嬢たちに大人気だった頃とは別人で、オリビア好みの筋肉ムキムキのゴリマッチョになっていた!
仮の婚約者としてスタートしたオリビアとリアム。
さまざまなトラブルを乗り越えて、ふたりは正式な婚約を目指す!
まさかの国にもトラブル発生!? だったらついでに救います!
恋愛偏差値底辺の変態令嬢と初恋拗らせマッチョ騎士のジョブ&ラブストーリー!(コメディありあり)
応援よろしくお願いします😊
2023.8.28
カテゴリー迷子になりファンタジーから恋愛に変更しました。
本作は恋愛をメインとした異世界ファンタジーです✨
私と運命の番との物語
星屑
恋愛
サーフィリア・ルナ・アイラックは前世の記憶を思い出した。だが、彼女が転生したのは乙女ゲームの悪役令嬢だった。しかもその悪役令嬢、ヒロインがどのルートを選んでも邪竜に殺されるという、破滅エンドしかない。
ーなんで死ぬ運命しかないの⁉︎どうしてタイプでも好きでもない王太子と婚約しなくてはならないの⁉︎誰か私の破滅エンドを打ち破るくらいの運命の人はいないの⁉︎ー
破滅エンドを回避し、永遠の愛を手に入れる。
前世では恋をしたことがなく、物語のような永遠の愛に憧れていた。
そんな彼女と恋をした人はまさかの……⁉︎
そんな2人がイチャイチャラブラブする物語。
*「私と運命の番との物語」の改稿版です。
モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~
咲桜りおな
恋愛
前世で大好きだった乙女ゲームの世界にモブキャラとして転生した伯爵令嬢のアスチルゼフィラ・ピスケリー。
ヒロインでも悪役令嬢でもないモブキャラだからこそ、推しキャラ達の恋物語を遠くから鑑賞出来る! と楽しみにしていたら、関わりたくないのに何故か悪役令嬢の兄である騎士見習いがやたらと絡んでくる……。
いやいや、物語の当事者になんてなりたくないんです! お願いだから近付かないでぇ!
そんな思いも虚しく愛しの推しは全力でわたしを口説いてくる。おまけにキラキラ王子まで絡んで来て……逃げ場を塞がれてしまったようです。
結構、ところどころでイチャラブしております。
◆◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◆
前作「完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい」のスピンオフ作品。
この作品だけでもちゃんと楽しんで頂けます。
番外編集もUPしましたので、宜しければご覧下さい。
「小説家になろう」でも公開しています。
悪役令嬢の生産ライフ
星宮歌
恋愛
コツコツとレベルを上げて、生産していくゲームが好きなしがない女子大生、田中雪は、その日、妹に頼まれて手に入れたゲームを片手に通り魔に刺される。
女神『はい、あなた、転生ね』
雪『へっ?』
これは、生産ゲームの世界に転生したかった雪が、別のゲーム世界に転生して、コツコツと生産するお話である。
雪『世界観が壊れる? 知ったこっちゃないわっ!』
無事に完結しました!
続編は『悪役令嬢の神様ライフ』です。
よければ、そちらもよろしくお願いしますm(_ _)m
出ていってください!~結婚相手に裏切られた令嬢はなぜか騎士様に溺愛される~
白井
恋愛
イヴェット・オーダム男爵令嬢の幸せな結婚生活が始まる……はずだった。
父の死後、急に態度が変わった結婚相手にイヴェットは振り回されていた。
財産を食いつぶす義母、継いだ仕事を放棄して不貞を続ける夫。
それでも家族の形を維持しようと努力するイヴェットは、ついに殺されかける。
「もう我慢の限界。あなたたちにはこの家から出ていってもらいます」
覚悟を決めたら、なぜか騎士団長様が執着してきたけれど困ります!
面倒くさがりやの異世界人〜微妙な美醜逆転世界で〜
波間柏
恋愛
仕事帰り電車で寝ていた雅は、目が覚めたら満天の夜空が広がる場所にいた。目の前には、やたら美形な青年が騒いでいる。どうしたもんか。面倒くさいが口癖の主人公の異世界生活。
短編ではありませんが短めです。
別視点あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる