星聖エステレア皇国

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バハル自治区編

特別な日

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 大変だけど、とても充実した買い出しだった。

「飾り選びに時間掛けすぎちゃった……」

 お店の扉をくぐって端末を見る。思っていたより随分と時間が経っていて、薄暗くなりつつある辺りに母の言葉を思い出した。

(連絡入れとこう)

 二つの店の間に避けてメッセージを送る。後はお花を受け取ったらおしまい。でもここから少しだけ距離があるから、帰れるのはまだ先になる。返事がこないのを確認して端末はバッグへ戻した。
 暦上では夏なのに今夜は少し肌寒くて、袖が少しでも伸びないかと引っ張る。道行く人が<急に寒いね>と話していたので、心の中で頷いた。

(あと一店舗。早く終わらせて、もう帰ろっと)

 父に車を出してもらえば楽だったろうけど、明日まで全部秘密にしておきたくて徒歩を選んだのだ。
 そろそろ夕食の時間。温かいオレンジ照明が漏れる飲食店へと入っていく人達に、今日の我が家の食事を考えた。うちは父も料理好きで休日には腕を振るってくれる。

(今夜は何が食べられるかな。あったかいの食べたい気分かも。……あ、知らないお店が出来てる。雑貨屋? へー! 今度来なきゃ。……あの人の服、良いなぁ。ヘアアレンジも素敵)

 とりとめのない思考を巡らせながら、花屋を目指す。やがて見えたのは落ち着いたダークブラウンの店舗。軒先のパキッと色鮮やかな花々がよく映えていた。うちはこの花屋がお気に入りで、一昨日も玄関用の替えを買いにきたところ。

(この時期はお花の種類がたくさんで良いよね)

 見るだけで気分がふわりと浮く。わたしは口許を緩めながら硝子張りの扉を開いた。



「ありがとうございました」

 店員さんにお礼を告げて店を出る。とても綺麗なアレンジメントを作ってもらえて、上機嫌だった。

(そろそろメッセージ見てくれたかな)

 エテルノで記念品を受け取った後と同じく、店の脇に避けて端末のロックを解除した。すっかり暗くなった周囲で端末は明々と光を放つから、少し明度を落とす。

(あれ? まだ誰も見てない……)

 返事が来ていなかった。
 遅くなるなら連絡を入れろと言ったのは母なのに、どうしたんだろう。

(お料理中? 電話入れてみよっか)

 耳元でコール音が繰り返される。しばらく待ったけど、母は出なかった。

(じゃ、お父さんに……)

 だけど、同じ事の繰り返しとなった。父も出ないし、固定電話にも出ないし、再度確認したメッセージは相変わらず誰も見ていない。

(何してるんだろ。もしかして買い足しに出掛けてるとか? 賑やかな場所にいるなら気付かないかも)
 
 今は気付ける状況にいないなら少し時間を置こう。そう思ってある程度帰り道を行ってから、もう一度道の脇に身を寄せた。

(メッセージ……まだ見てない……)

 返事のこないそれに、薄っすらと不安が頭をもたげる。だって連絡を寄越せと言った母が端末を見ないなんて、おかしい。あの優しくて心配性で、いつもわたしを想ってくれている母が。
 
(……なにか……あった、なんて)

 そんな訳ない。不穏なノイズが騒めき始める胸を落ち着かせようと、ありそうな呑気な理由を脳裏に並べ立てる。それからお母さんの番号をタップした。

『プルルルル、プルルルル、プルルルル……』

 無機質なコール音が耳に障る。もどかしい。
 応えてくれるはずの柔らかな声を聞き逃すまいと、雑踏に背を向けて身を縮めた。それでもコール音は終わらない。

『プルルルルーー』

 次第に周りの雑音が何も聞こえなくなっていく。研ぎ澄まされる神経。
 いやに長く感じる時間の中で、わたしは二人の優しい笑顔を思い浮かべていた。早く声を聴きたい。安心したい。
 早く、会いたいーー。


『只今、電話に出ることが出来ません。ピーっという発信音の……』


 プツッ。落胆と共に発信を止めた。その直後だった。父から折り返しが掛かってきたのは。

(やっぱり取り越し苦労ね。良かった)

 安堵の息をこぼすと共に通話をタップする。少しだけ不満をぶつけてやろうと、でも、どうしても嬉しさの混じる声で応答する。

「もしもし、もう、なんで出なーー」
『野々咲エイコさんでお間違いないですか?』





「いやあぁああ!! ちがう! ちがうぅ!!」

 <違うでしょ?>。
 理性の皮を必死に伸ばして全身を覆った、わたしの問いは真っ向から否定されてしまった。
 あの最後のコールの後、程近くにいたらしい両親のもとへ走って、泣き縋って、引き剥がされて。恐ろしい手術室から帰ってきた両親はもう、何も語らなくなっていた。
 真っ白になった二人の顔はぴくりとも動かない。わたしがこんなに泣き叫んでいるのに、どうして? 心で何度問い掛けても返らない答え。
 こわくて、受け入れられなくて。否定し続けた。呼吸が上手く出来なくて苦しい。
 だけど、どんなに喚いても……お父さんとお母さんがわたしを宥めることも、嗜めることもーーついぞなかった。



 今日は特別な日だ。
 わたし達親子三人での思い出、その最後の日。以前一緒に選んだ黒のワンピースと真珠のネックレスを身に付けて、綺麗なメイクと着物で横たわる二人を眺めていた。
 外は曇天。絶えず落ちる雨粒に地上は冷え切っていく。やまない雨の中、わたしはよく分からない漢字が連ねられた物を手に、今度は箱を眺めていた。
 周囲の人々、傘、車、何もかもが黒い。でも二つの箱だけはわざとらしい程に白い。

「エイコちゃん」

 親戚のおばさまに促されて、のろのろと黒塗りの車に乗り込んだ。
 パーっと鳴り響くクラクションを虚しく感じる。どうしてわたし達はこんな所にいるんだろう。こんな予定じゃなかったのに。こんなドライブ、望んでいなかったのに。
 わたしと両親を乗せた車は見知った景色の中を走り、記憶を思い起こさせる。向かうのは見晴らしの良い丘。
 それが最後の別れの場所だ。

『ーーめなさい』

 ふいに、脳内へ知らない聲が響く。どうでも良くてぼんやり聞き流すと、また聲は主張した。

『帰るのです』

 なにを……いっているの……?
 うるさくて苛立ちのままに頭を振った。それでも聲はやまない。そして一番明瞭な音質で、わたしに告げる。

『汝(なれ)の在るべき世界へ』

 その瞬間、世界が白く弾けた。





「おはよう。久しぶりね、フラメウちゃん」

 目蓋を開くと女の人がわたしを覗き込んでいた。頭が重く痛い。胸が酷く不快だ。
 でも真っ赤な唇はそんなわたしを面白がるように、愉悦を含みにんまり裂けた。

「また逢えて嬉しいわ。もう離さないから」

 ーーお父さんとお母さんは、どこ?
 知らない匂いを放つ手が、ねっとりとわたしの頬を撫でる。その匂いも、鼻に残るお香の匂いも。そのどちらも叫び出したい程に煩わしかった。
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