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大エレヅ帝国編
古都バディオン
しおりを挟む遠くに夜の名残を見せる、夜明けの空。薄い青に浮かぶ雲が陽光に彩られる美しい景色の中に、緋い生き物が飛んでいる。あれは飛竜。見覚えのある金の麦畑を飛び越えて、地上に降りて来る。
槍を手に、物々しい雰囲気で降り立つその人はーー。
「!!」
見開いた視界は暗くて、声が漏れかけた。震える口元を押さえ、呼吸を繰り返すとやがて慣れてきた目が天井を映す。そろりと隣を見ると、ウラヌスの背中。反対側にはオージェ。
(宿屋……)
昨夜眠りに就いた時のまま。つまり今、自分は夢を見ていたんだって理解する。
(ローダー皇子だった。また、見た……)
うるさく主張する胸にぎゅっと目を瞑る。夢なのに一気に不安が込み上げてきて、心のままに呻きたかった。
でも二人が眠っている。起こしちゃいけないと声を抑えて恐怖が過ぎ去るのを待とうとした。そんなわたしに、隣からひそやかな声が掛かる。
「どうした…?」
いつの間にかこちらを向いていたウラヌスが、掠れた声でわたしに問う。
「……」
黙り込んでただ口を押さえるばかりのわたしに、手が差し伸ばされる。シーツ越しに背中を撫でられると、わたしの異変はもう悟られてるんだって察した。
「こわい……夢を、見たの」
「どんな夢だ?」
「……誰かが、追って来る、夢」
「どんな所にいた? いつだ?」
「……この村。多分、夜明け……」
わたしの返答に今度はウラヌスが静かになる。それからわたしの頭を撫でて、そっと半身を起こした。
「村を立とう」
「えっ…」
「もうここに、いたくないだろう?」
その声は核心を突いていた。でもあまりに突然の話だったから、驚きで呆然とするわたしの半身を彼は同じように起こさせて、ベッドを降りると小さなランプを灯した。
「エイコが上着着たら、いつでも出発出来るよん」
唐突に後ろからオージェの声も上がる。振り返るとすでに帯刀した彼の姿があった。
「ごめんねぇ。眠いよねぇエイコ。でも、行こっか」
わたしを労ってくれる優しい響き。でも、同じ唇で、有無を言わせない響きで出立を促した。
「まだみんな眠っているから、静かに出るんだ。エイコなら、出来るな?」
上着を着せてくれるウラヌスが内緒話をするように言う。深く考えないでわたしが頷くと、ランプの灯りは再び消された。
<行こう>。
二人に連れられて、まるで夜逃げみたいに窓からそっと外に出る。まだ眠る世界は暗くて静かで、先が見えなくて。でも今は夜明けの来訪が一番怖かった。
ウラヌスとオージェだってせっかく眠っていたのに。わたしの都合で起こして、わたしの都合で出発させている。
こんな事が、この先も続くのかな。もしそうだったら、二人は一緒にいてくれるのかな。
帝都の方向を振り返るわたしの背を柔く咎めるみたいに、ウラヌスの手がやんわり添えられた。
古めかしさを感じる門の奥に広がるのは、異世界から来たわたしから見ても、昔の時代にタイムスリップしたかと思わせられるような町並み。石造りで彩りのない家屋が並ぶ奥に、抜きん出て大きな建物が見える。
古都バディオン。
大エレヅ帝国の前身、ソイル王朝王廟を目玉として栄えた観光都市。住民が住む家々がすでに歴史的価値のある文化財であり、国の保護対象にされている。
現在の帝都はエレヅ建国の際に生まれたもので、道中の村の方が歴史としては古い。故に間の突飛な場所に位置するーーという話を、バディオンまでの道すがらウラヌスから聞いていたわたしは、何だか少しばかり旅行気分になっていた。
「奥にあるのが王様の眠る場所?」
門に二人の兵士が立っていたけれど、問題なく町に入ったわたし達。中に進み建造物を物珍しげに眺める様は本当に観光客そのものだと思う。
「ああ。ここに住む人々は廟の守り人の末裔だ。ソイル王朝が滅び、エレヅが建国され、ここが異国民の観光地となってからも、変わらず守り続けているそうだ」
「へえ…。ね、もっと近くでも見られる?」
「歴史の話は好きかい」
「うん、もっと聞きたい」
「そうか。じゃあ歩きながら話そう」
「うん!」
観光都市の名の通り、地元民とは考えにくい建造物から浮いた服装の人々が目立つ。中にはウラヌスとオージェみたいに白や青を基調にした服装の人もいて、きっとエステレア人だと感じた。
人の中を行きながら、ウラヌスが町の事を教えてくれる。彼はここにきてからフードを被っていて顔が見づらい。だからこそ陰になったフードの中から、ふいに陽の光を受けて煌めく青さが、目に沁みる程に綺麗に見えた。
ウラヌスの話と時折茶々を入れるオージェの話はどれも全く新しい知識で、その楽しさからわたしの不安は薄らいでいく。周りに色んな人種の人がいて、わたしの存在なんてすっかり紛れてしまっているのも関係してると思う。
「宿を取って余分な荷を置いたら、本格的に観光するか」
「え……良いの?」
ウラヌスの提案は嬉しいものだけれど、二人には本来の用事があるはず。聞き返すわたしにオージェが答えてくれた。
「い~じゃん。色んなとこ行った方が、オレ達の目的も果たせるし」
そう言われると、確かに人探しならそうかと納得する。
多分観光はついで、もしくはカムフラージュ。だから二人が本来の目的に集中し始めた時は大人しく従えば良いかな。そう考えてわたしは頷いた。
「じゃ、まずは何か食べるぅ? 今日はろくに食べてないし~。ここの名物食べようぜ。ソイル王朝時代の伝統料理だって」
オージェの言う通り、今日は町への到着を急いだためにまともな食事を取っていない。野宿はアザーの襲撃に警戒しないといけなくて、それがストレスだからなるべく早く町に着きたかった。
おかげでわたし達のお腹はぺこぺこ。
「良いな。一度食べてみたかったんだ。行くか!」
「食べたい!」
ウラヌスとわたしも賛成し、宿を取った後に三人で出店に向かう。
その後は甘い物も食べて、他の人達に紛れて遺跡を観光していく。活気立ち賑やかだった人混みは、奥の廟へ近付くにつれて静かになっていく。
人はいるけれどみんな大きな声は出したりしない。廟の厳かな雰囲気に敬意を払うように振る舞っていた。
「大きいね…」
「歴代の王族が眠っているからな。中は一部だけ解放されている。せっかくだから入ろう」
廟は他の建造物と同じく石造りで、異国情緒溢れる、まるでお城のよう。古い建物だけど大切に手入れされているのか植物の侵食はなくて。代わりに周辺を木々が彩り、涼しげな景観だった。
頭上高い入り口を越えると、ひんやりした空気が肌を撫でる。公開エリアと非公開エリアの境には弛んだロープで繋いだポールが設置されていた。その境界の向こうに管理者なのか、サッと人影が過ぎるのを目にする。
(こうしてると海外旅行に来たみたい。人を見たら、みんな異世界観出してるけど)
決められた道を奥に奥に進む。一方通行なのか帰る人には擦れ違わない。
「窓がないから薄暗いね」
そうして歩く内に小さな声で感想を述べたら、返事が返ってこなかった。
聞こえなかったのかと思ってウラヌスの背中を見上げると、何だか……機械的というか、どことなく違和感を覚える。廟の壁を見ているけれど、頭の向きが一定で動きがない。でも、あくまで壁に関心を持ってる様子といえばそうかもしれない。
何となく不安に感じてオージェを振り返る。すると彼もどこを見ているのかよく分からない視線だった。
(どうしたの……?)
声を掛けづらい。
どうしようか考えあぐねていたら、ふと、さわさわと聞こえていた周りの音が消えたことに気付く。前後に誰もいなくなっていた。
そもそも入場制限をしているから内部は混んでいなかった。だからタイミングの問題でこうなることもあるかなって、思って。
ロープの張られた脇道に差し掛かる。次の瞬間、目の前の景色が急に動いて、狭い道を勝手に退がっていく光景を目にした。
「んむ……!?」
口元を押さえられていて声が出ない。一瞬でパニックになりかけたわたしは、覚えのある匂いがとても近いことに気付いて。自分を抱えて走る人が、ウラヌスだって分かった。
音もなく目まぐるしく動く景色はやがて狭い物置きで落ち着く。そっとわたしを離したウラヌスが口元に人差し指を立てたので、頷くと口も解放された。
壁に背中をぴったり付けて外をうかがう二人を、ウラヌスの隣から見ていた。声がうっかり漏れないように今度は自分で押さえてみる。
四角い入り口から差し込む薄明かり。そこに一つの影が、ぬっと現れた。
「……」
影の正体は無言でわたし達の目の前を通り過ぎて行く。ちらりとうかがったオージェの眼光が鋭くて、いつもの気怠げな彼とあまりにも違っていて。
二人が探している人って、誰なんだろう。何者なんだろう。
そんな思いが今、強く浮かんだ。
「……い……が違う」
誰か、男の人の低い声がした。普通じゃない雰囲気に耳を澄ます。
「俺はもう少し幼いガキを頼んだ。育ち過ぎてるじゃねーか。その分の料金は引かせてもらうぜ」
「はあ? どんだけ危険冒して調達したと思ってンだよ。大体、大して変わらねぇだろうがよ」
「いいや駄目だ。旦那サマは幼女をご所望なんだよ」
……何の、話なのかな。
嫌な予感が胸を騒がせていく。でも反対に、何故かオージェの眼光は緩んでいった。
「とにかく売買は成立だ! 金はきっちり払ってもらう」
「困るんだよなぁ。お粗末な仕事で一丁前に金だけは請求されちゃ。調達するだけなら誰でも貧民街でもどこでも取ってこれる」
アザーと戦う時と同じ程度の雰囲気に戻った二人が手で何か合図を送り合っている。それからウラヌスがわたしにここに居ろってジェスチャーをしたから、ぎこちなく頷く。
こんな怖い状況下で、どうして二人は震えないでいられるんだろう。
口元を布で覆ったオージェとウラヌスが一人ずつ物置きから出て行く。一瞬だけ知らない男の声と、鈍い音がして。あとはドサドサっと何かが倒れた音を最後に何も聞こえなくなった。
「エイコ」
オージェの声に、伏せていた視線を向ける。そこにはいつもの緩い笑みを浮かべた彼がいた。
差し出された手を取って、表に出る。狭い廊下の先に小さな女の子相手に膝を突くウラヌスがいた。
「君はどこから来たんだ?」
帝都で初めて会った時の光景を思い出した。
女の子は固い表情で答える。
「バハル……」
「バハル自治区か……遠くから来たな。家はあるかい」
「ある」
「そうか、もう大丈夫だ。お家に帰ろう。おいで」
軽々と女の子を抱き上げたウラヌスに合わせて、オージェは伸びて気を失ってる男二人を引き摺って一纏めにする。それから物置きをあさって、取り出した紐でぐるぐるに巻いてしまった。
「ここの人に突き出すの? わたし……誰か呼んで来ようか」
何も出来ないわたしの、せめてもの申し出のつもりだった。でも二人は首を振る。
「離れるな、エイコ。一緒に行こう」
「あ、う…うん。分かった」
「もう少し裏側探索するよ。これ、どうするー?」
「ひとまずあっちの柱にでも繋いどけ」
「うい」
そこからはオージェの言った通り、非公開エリアを静かに回る展開になった。お揃いの服を着た、多分施設の人達はそんなにはいなくて、鉢合うこともなく探索は進む。
そしたら、今度は棺に鉢合わないかってわたしは怖くなって。ひんやりした空気にいっそう肌寒くなる。でもウラヌス達は全然恐れのない足取りでぐんぐん歩くから、必死について行った。
「……もう、何もないな」
最後の一部屋だったらしい。ウラヌスの一言に、ようやく終わったんだと思って何気なく中を覗く。多分、油断してたんだと自分でも思う。
独特な臭いのする暗い一室。廊下の照明にぼんやり浮かび上がる角から視線を滑らせた。長くて四角い。
「これは誰の部屋だ?」
平然としたウラヌスの声。
棺が、そこには在った。
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