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三章 切れ者少女、ゴースに立つ
十五話
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パゴスキー准将は突然僕を指名した。彼女は何かを考えて言っているのだろうが、当の僕には訳がわからなかった。
「どういうことです? 僕の力が借りたいだなんて。」
「タイセイさんは騎馬の件といいソナリ村の件といい、生物に関して造詣が深いとお見受けします。」
いや、それは買い被りだ。やめてくれ、将官全員がこっちを見ているじゃないか。
「ノース子爵は大変な動物好きとして知られていますから、彼との交渉に際してはあなたの知識と能力が頼りになるのです。」
理由は分かったが、それにしても荷が重い。僕はどこまでいっても一般の官吏にすぎないのだ。……しかしもうすでに断れる雰囲気ではなかった。
「いいじゃないかパゴスキーくん。全く、秀逸なことを考える。」
中将がこう言ってしまったのだから、もう決定に等しいだろう。「分かりました」とだけ返答すると、准将はわずかに表情を緩めて
「ありがとうございます。」
とだけ言った。
出立は翌朝だった。旅路を行くのは僕とパゴスキー准将の二人だけだった。大勢で押しかけて子爵に警戒されたりしてはまずいからという理由らしい。
パゴスキー准将は軍服を着てはおらず、普通の旅の装いだった。山岳地帯を通っていくと聞いていたので僕は厚着をしていったのだが、彼女は半袖にマントを一枚羽織っているだけだった。
「そんな薄着で大丈夫なの? 」
「大丈夫です、雪国生まれなので。」
そっけなく返事した准将は用意された馬車に乗り込んだ。
随分と慣れた馬車の旅ではあったが、今回は一際タフだった。あまり整備されていない山道を登っては降りを繰り返すのでとにかく車内が揺れるのだ。馬たちもさすがに疲れてしまうので、途中何度も休憩を取った。准将は疲れる様子を全く見せなかったが。この世界の軍人たちは超人ばかりなのだろうか。
三度目の休憩を取ったときだった。場所は雪解けのあとの開けた草原。膝下ほどの丈の草々が一様に風に靡いていた。
だがそこは縄張りだったようで、いつの間にかえんじ色の大蛇が僕たちの馬車の前にいた。
「ねえ、パゴスキーさん。」
准将の方を向くと彼女はすでに荷台から槍を取り出していた。彼女の身長の二倍はある大槍だった。刃には何の金属が使われているのだろうか。燃えるような緋色をしていた。
准将の敵意を感じ取ったのだろうか。大蛇は彼女に狙いを定めた。大蛇は体を唸らせて准将のいるところを尻尾で薙ぎ払った。
准将は後ろへ飛び退くと、今度は攻撃後の無防備な大蛇に詰め寄った。そのまま槍で大蛇の背中を一突き。
狙いは外さなかった。だが、刃は浅くしか刺さらず、准将は暴れた大蛇に振り払われてしまった。
大蛇の体を覆う鱗は分厚かった。今の一突きでいくらか剥がれて、そのうちの一枚が僕の足元に飛んできた。拾い上げてみると辞書くらいの厚さだった。これじゃ槍が十分に刺さらないわけだ。
准将はまた距離をとった。しかし大蛇の方が体が大きいので簡単に距離を詰められてしまう。大蛇の体当たりや噛みつきなどの攻撃を、今は上手くいなせている。だがこれがいつまで持つかは分からない。
これがいつまで続くかと思われたが、突然大蛇が止まった。大蛇は正面の准将に向けて大きく口を開けた。
「危ない!! 」
と僕が叫んだ次の瞬間、大蛇は口から液体を発射した。
准将は前に屈んで液体を避けた。そのまま彼女の頭上を通り越した液体の球は後ろにあった岩に命中した。
岩は炎天下のアイスクリームのように溶け落ちてしまった。
「飛び道具とは、クセのあるやつだな。」
「気をつけて。酸だよ、これ。」
大蛇は再び口を開けて、二発目を発射しようとしていた。
准将は大蛇を中心にして時計回りに旋回して、二発目以降もかわし続けた。
このままではジリ貧だ。僕は自分にも何かしらできないかと思い、馬車の荷台を物色した。
一つの箱の中に大量の黒い球が仕舞われていた。
「これはなんです? 」
「爆弾ですよ。山道が塞がっていたとき用の。」
車夫は答えた。あるじゃないか! 役に立つものが。僕はその爆弾を二、三個抱えた。
爆弾は着火式だった。マッチもセットで準備されていたので問題はない。狙いは一つだった。
「パゴスキーさん、止まって! 」
「止まれるわけないでしょう! 」
「いいから! 次で決めるよ。」
准将はこちらをチラ見した。
「なるほど、そういうことですか。任せましたよ。」
准将は大蛇の真正面で走るのをやめた。
勝負はたった一回きり。僕が外せば准将が酸まみれになってしまう。外せない。そう思うと手が震えてきてしまう。……腹をくくれ、長谷川大成!
大蛇はここぞとばかりに准将に狙いを定めた。そして、狙い通りに大口を開いた。恐ろしいほど大きな口を。
「今ですよ、タイセイさん! 」
「任せてくれ! 」
僕は火をつけた爆弾を渾身の力をこめて放った。
爆弾は一直線に大蛇の喉の奥へと吸い込まれていった。我ながら見事なコントロールだったと思う。大蛇はそのままの勢いで爆弾を丸呑みにしてしまった。
それから数秒の間、沈黙が流れた。大蛇は混乱しているようだった。准将はまだ警戒を解かず、槍を構えていた。
突然ズドンと重い音が大蛇の腹から聞こえて大蛇が「ギャオ」と断末魔をあげた。そのまま大蛇は横向きに倒れてしまい、それから起き上がることはなかった。
大蛇が動かなくなったのを見てようやく准将は槍を下ろした。なかなか苦戦したように見えたが、結果的に准将はかすり傷一つ負っていなかった。
准将は僕の元へと戻ってきた。
「お見事でした、タイセイさん。」
「いや、君が勇敢だったおかげだよ。」
彼女は息一つ切らしていなかった。
僕たちは一応大蛇の死体を調べた。
「こいつ、マウントバジリスクという種類ですね。図鑑で見たことがあります。山岳地帯でよく旅人を襲うのだとか。」
割と有名な魔物なのか。まあ現に僕たちが襲われたわけだしな。
大蛇の死体から気になるものを見つけた。卵である。この蛇はメスだったらしく、どうやら死の淵で産卵していたようだ。何個か産んだうちの大半は大蛇自身の体に押しつぶされてしまっていたが、一つだけ無事だった。
僕はそのひとつだけ残っていた大蛇の卵がなんとなく放っておけず、拾い上げた。
僕たちはちょっと休憩してからまた出発した。眠気も少ししたが、いつまたあの大蛇のようなのが襲ってくるともしれないので、寝ることはできなかった。
しかしその後の道程は穏やかそのものだった。昇りきった日の光が馬車の隙間から差し込んでくるのは、余計に眠気を誘った。
ふと隣に目をやると、准将は肘枕で眠っていた。さっきまで大蛇に襲われていたというのに、太い神経をしているものだ。さっきまでの勇猛さが嘘のような幼なげな寝顔だった。
ゴースまでの道のりは遠く、結局この日は到着しなかった。僕たちは近くに焚き火を焚いたうえで、馬車に泊まった。
山岳の夜はひたすら冷えていて、体の芯から震わされるようだった。それでも准将は薄着のままで外に座っていた。
准将は空を見上げていた。僕も彼女の視線の先に目を向けると、満点の星空が優しく輝いていた。
「タイセイさん、頑張りましょうね。」
僕に気づいた彼女はそう言った。
「こんな静かな夜をホルンメランでもずっと過ごせるように。」
それきり言葉はもうなかった。
朝日が山際に溢れたのを合図に僕は目を覚ました。雪が陽を反射するから一際眩しかった。僕ら二人と車夫は荷台に乗せてあった携帯食で朝食を済ませると、早々と出発した。
道が徐々に平坦になった。それと同時に草木も増えて山道ではなくなっていった。
ひたすらだだっ広い平原の中を走る。聞こえてくるのは車輪が転がる音と馬の蹄の音だけだった。いや、時々風が木を揺らすのが聞こえた。
後ろの山が雲に霞むほどの遠さになった頃合いで、ゴースは見えてきた。
「あれですよ、タイセイさん。」
「ありゃ、意外と小さいんだな。」
「ホルンメランは大きいですからね。」
軽く見ただけだが、ゴースはホルンメランの半分ほどの大きさだった。
「どういうことです? 僕の力が借りたいだなんて。」
「タイセイさんは騎馬の件といいソナリ村の件といい、生物に関して造詣が深いとお見受けします。」
いや、それは買い被りだ。やめてくれ、将官全員がこっちを見ているじゃないか。
「ノース子爵は大変な動物好きとして知られていますから、彼との交渉に際してはあなたの知識と能力が頼りになるのです。」
理由は分かったが、それにしても荷が重い。僕はどこまでいっても一般の官吏にすぎないのだ。……しかしもうすでに断れる雰囲気ではなかった。
「いいじゃないかパゴスキーくん。全く、秀逸なことを考える。」
中将がこう言ってしまったのだから、もう決定に等しいだろう。「分かりました」とだけ返答すると、准将はわずかに表情を緩めて
「ありがとうございます。」
とだけ言った。
出立は翌朝だった。旅路を行くのは僕とパゴスキー准将の二人だけだった。大勢で押しかけて子爵に警戒されたりしてはまずいからという理由らしい。
パゴスキー准将は軍服を着てはおらず、普通の旅の装いだった。山岳地帯を通っていくと聞いていたので僕は厚着をしていったのだが、彼女は半袖にマントを一枚羽織っているだけだった。
「そんな薄着で大丈夫なの? 」
「大丈夫です、雪国生まれなので。」
そっけなく返事した准将は用意された馬車に乗り込んだ。
随分と慣れた馬車の旅ではあったが、今回は一際タフだった。あまり整備されていない山道を登っては降りを繰り返すのでとにかく車内が揺れるのだ。馬たちもさすがに疲れてしまうので、途中何度も休憩を取った。准将は疲れる様子を全く見せなかったが。この世界の軍人たちは超人ばかりなのだろうか。
三度目の休憩を取ったときだった。場所は雪解けのあとの開けた草原。膝下ほどの丈の草々が一様に風に靡いていた。
だがそこは縄張りだったようで、いつの間にかえんじ色の大蛇が僕たちの馬車の前にいた。
「ねえ、パゴスキーさん。」
准将の方を向くと彼女はすでに荷台から槍を取り出していた。彼女の身長の二倍はある大槍だった。刃には何の金属が使われているのだろうか。燃えるような緋色をしていた。
准将の敵意を感じ取ったのだろうか。大蛇は彼女に狙いを定めた。大蛇は体を唸らせて准将のいるところを尻尾で薙ぎ払った。
准将は後ろへ飛び退くと、今度は攻撃後の無防備な大蛇に詰め寄った。そのまま槍で大蛇の背中を一突き。
狙いは外さなかった。だが、刃は浅くしか刺さらず、准将は暴れた大蛇に振り払われてしまった。
大蛇の体を覆う鱗は分厚かった。今の一突きでいくらか剥がれて、そのうちの一枚が僕の足元に飛んできた。拾い上げてみると辞書くらいの厚さだった。これじゃ槍が十分に刺さらないわけだ。
准将はまた距離をとった。しかし大蛇の方が体が大きいので簡単に距離を詰められてしまう。大蛇の体当たりや噛みつきなどの攻撃を、今は上手くいなせている。だがこれがいつまで持つかは分からない。
これがいつまで続くかと思われたが、突然大蛇が止まった。大蛇は正面の准将に向けて大きく口を開けた。
「危ない!! 」
と僕が叫んだ次の瞬間、大蛇は口から液体を発射した。
准将は前に屈んで液体を避けた。そのまま彼女の頭上を通り越した液体の球は後ろにあった岩に命中した。
岩は炎天下のアイスクリームのように溶け落ちてしまった。
「飛び道具とは、クセのあるやつだな。」
「気をつけて。酸だよ、これ。」
大蛇は再び口を開けて、二発目を発射しようとしていた。
准将は大蛇を中心にして時計回りに旋回して、二発目以降もかわし続けた。
このままではジリ貧だ。僕は自分にも何かしらできないかと思い、馬車の荷台を物色した。
一つの箱の中に大量の黒い球が仕舞われていた。
「これはなんです? 」
「爆弾ですよ。山道が塞がっていたとき用の。」
車夫は答えた。あるじゃないか! 役に立つものが。僕はその爆弾を二、三個抱えた。
爆弾は着火式だった。マッチもセットで準備されていたので問題はない。狙いは一つだった。
「パゴスキーさん、止まって! 」
「止まれるわけないでしょう! 」
「いいから! 次で決めるよ。」
准将はこちらをチラ見した。
「なるほど、そういうことですか。任せましたよ。」
准将は大蛇の真正面で走るのをやめた。
勝負はたった一回きり。僕が外せば准将が酸まみれになってしまう。外せない。そう思うと手が震えてきてしまう。……腹をくくれ、長谷川大成!
大蛇はここぞとばかりに准将に狙いを定めた。そして、狙い通りに大口を開いた。恐ろしいほど大きな口を。
「今ですよ、タイセイさん! 」
「任せてくれ! 」
僕は火をつけた爆弾を渾身の力をこめて放った。
爆弾は一直線に大蛇の喉の奥へと吸い込まれていった。我ながら見事なコントロールだったと思う。大蛇はそのままの勢いで爆弾を丸呑みにしてしまった。
それから数秒の間、沈黙が流れた。大蛇は混乱しているようだった。准将はまだ警戒を解かず、槍を構えていた。
突然ズドンと重い音が大蛇の腹から聞こえて大蛇が「ギャオ」と断末魔をあげた。そのまま大蛇は横向きに倒れてしまい、それから起き上がることはなかった。
大蛇が動かなくなったのを見てようやく准将は槍を下ろした。なかなか苦戦したように見えたが、結果的に准将はかすり傷一つ負っていなかった。
准将は僕の元へと戻ってきた。
「お見事でした、タイセイさん。」
「いや、君が勇敢だったおかげだよ。」
彼女は息一つ切らしていなかった。
僕たちは一応大蛇の死体を調べた。
「こいつ、マウントバジリスクという種類ですね。図鑑で見たことがあります。山岳地帯でよく旅人を襲うのだとか。」
割と有名な魔物なのか。まあ現に僕たちが襲われたわけだしな。
大蛇の死体から気になるものを見つけた。卵である。この蛇はメスだったらしく、どうやら死の淵で産卵していたようだ。何個か産んだうちの大半は大蛇自身の体に押しつぶされてしまっていたが、一つだけ無事だった。
僕はそのひとつだけ残っていた大蛇の卵がなんとなく放っておけず、拾い上げた。
僕たちはちょっと休憩してからまた出発した。眠気も少ししたが、いつまたあの大蛇のようなのが襲ってくるともしれないので、寝ることはできなかった。
しかしその後の道程は穏やかそのものだった。昇りきった日の光が馬車の隙間から差し込んでくるのは、余計に眠気を誘った。
ふと隣に目をやると、准将は肘枕で眠っていた。さっきまで大蛇に襲われていたというのに、太い神経をしているものだ。さっきまでの勇猛さが嘘のような幼なげな寝顔だった。
ゴースまでの道のりは遠く、結局この日は到着しなかった。僕たちは近くに焚き火を焚いたうえで、馬車に泊まった。
山岳の夜はひたすら冷えていて、体の芯から震わされるようだった。それでも准将は薄着のままで外に座っていた。
准将は空を見上げていた。僕も彼女の視線の先に目を向けると、満点の星空が優しく輝いていた。
「タイセイさん、頑張りましょうね。」
僕に気づいた彼女はそう言った。
「こんな静かな夜をホルンメランでもずっと過ごせるように。」
それきり言葉はもうなかった。
朝日が山際に溢れたのを合図に僕は目を覚ました。雪が陽を反射するから一際眩しかった。僕ら二人と車夫は荷台に乗せてあった携帯食で朝食を済ませると、早々と出発した。
道が徐々に平坦になった。それと同時に草木も増えて山道ではなくなっていった。
ひたすらだだっ広い平原の中を走る。聞こえてくるのは車輪が転がる音と馬の蹄の音だけだった。いや、時々風が木を揺らすのが聞こえた。
後ろの山が雲に霞むほどの遠さになった頃合いで、ゴースは見えてきた。
「あれですよ、タイセイさん。」
「ありゃ、意外と小さいんだな。」
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