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一章 ホルンメランの駿馬
九話
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馬車に乗せられたバレエダンサーとライアンくんは共にぐったりとしていた。僕は特に苦労することがなかったのでピンピンしているわけだが、ライアンくんから向けられる恨めしそうな視線が痛い。
また道を帰って行き、研究所に戻った頃には日が落ちかけていた。しかしむしろ本番はここからである。早速バレエダンサーと馬を配合していく。
作業は概ね滞りなく進んだ。途中で研究室のチャイムに反応してしまい、ステップを踏み始めたときはかなり焦ったが。ともあれ、配合までこぎつけることができた。
時間が時間なので、仔を生み出すのは翌日になった。翌朝研究所へ行くと、一足先にライアンくんが来ていた。今回は彼が一番苦労していたから、思い入れもそこそこあるのだろう。ライアンくんは僕がくると早速子どもの産出にかかった。
馬と鳥の配合は、シャコのときほどは難しくなかった。すぐに生まれてきた子どもは……、ビンゴだ! 前脚の上部に翼がついていたのだ。それは、片翼八十センチほどの小さい翼だった。
「こんなに小さい羽で大丈夫なんですかね? 」
と、ライアンくんは心配げだったが、問題ない。これくらいあれば十分だ。
早速いつもの兵士くんに頼んで試乗してもらう。彼はちょっと辟易としている感じがあったが、そんなことは気にしない。半ば強引に「今回はいけるから! 」と乗ってもらった。
彼は首をかしげながらも乗ってくれた。まあ疑う気持ちは分かる。羽が生えた馬なんて、見ただけではふざけているようにしか見えない。
それでも、兵士くんの表情は馬が走り出すと一変した。馬が弾むように走り出したのだ。まだ平野しか走っていないが、今までとは一味違う。しかしライアンくんの表情は固かった。
「ほら、やっぱりあんな小さな羽じゃパタパタしてるだけで飛べませんよ。」
なんだ、飛ぶとでも思っていたのか?
「馬が飛ぶのは御伽噺の世界だけだよ。」
そう答えた。
「それじゃあダメじゃないですか。泥の上を走れない。」
「ダメなんかじゃない。走れなくもない。」
馬と兵士くんは湿地帯に差し掛かった。
馬の走りは僕が期待した通りだった。湿地帯に入っても全くと言っていいほどスピードが落ちなかった。ライアンくんは目を見開いて驚いていた。
「どうして? 」
「浮力さ。確かににあの大きさの羽じゃ飛べない。でも力はゼロじゃない。脚が泥にとられたり沈んだりしないくらいの浮く力が生まれるのさ。」
馬はやはり泥の上を苦なく駆けていた。
鞍上の兵士くんが誰よりも興奮していた。さっきまでとはまるで別人のようにはしゃいでいる。
「いやあ、凄いですねこの馬……、馬ですよね、これ? 」
確かにそこの問題がある。確かにフォルムは羽以外馬だ。だけど馬と鳥のハーフを果たして単純に馬と呼んでいいのだろうか。
「この種固有の名前をつけてあげないといけませんね。」
ライアンくんがそう言ったから、三人で考え始めた。
しばらく全員考え込んでいた。いざすぐに名前を考えろと言われると、なかなか難しいものだ。沈黙を破ったのは、兵士くんだった。
「記念すべき一頭目のこの子が芦毛なので、ウイングレー種とかどうですか? ほら、翼のウイングと毛色のグレーをかけて。」
さっきまでちょっと嫌な顔していたくせに図々しいし、しかもダサい。
けれどもライアンくんがこれを気に入ってしまったので、多数決で正式にこの馬の種族名がウイングレーに決まってしまった。
ともあれこれで不可能と思われた、湿地帯を駆けることができる馬の作出に成功したわけだ。ライアンくんは早速その場で無線の連絡機のようなものを使って役所に繋いだ。
すぐにアイラ本人が向かうとの返答があったので、三人でその場に待機していると、ほどなくして凄まじい勢いの馬車がやってきた。門から出るなり、アイラが馬車から飛び出してきた。
「完成したというのは本当!? 」
急いできたアイラにライアンくんが説明を始めた。
「お待ちしておりましたジョシュア伯。タイセイさんがついに湿地を走行可能な馬の作出に成功いたしました。」
「それはもう聞いてるわよ。いいから早くその馬を見せてちょうだい。」
アイラは首長としての口調を繕うことを完全に忘れていた。
アイラの指示に従って、兵士くんがウイングレーを引っ張ってきた。
「あら、君が試乗してくれたのね。名前は? 」
「先ほどウイングレー種と名付けました。」
「あんまりパッとしない名前ね……って、そうじゃないわよ。君の名前は? 」
「は! 伝令を務めております、クロード・レイン一等兵であります。」
はあ、兵士くん、そんな名前だったのか。今さらながらに知った。まあこれからも多分兵士くんと呼ぶだろうけど。
アイラは馬に近づいていくと、颯爽と飛び乗った。
「あれ、馬乗れるの? 」
と聞くと
「当たり前じゃない。馬に乗れない貴族なんていないわよ。」
と言い捨てて走り出した。
実際彼女の手綱さばきは見事だった。馬に無理させることなく、それでいて小回りがきいている。馬は一層のびのびと駆けていた。
アイラは一通り駆けると、満足したようで帰ってきた。
「いい馬ね。正式にホルンメランの騎馬として採用するわ。」
彼女の髪は、吹き荒ぶ冷たい風の中でも不思議とみだれていなかった。
その日の夜、ライアンくんと、ついでに兵士くんも連れて役所近くの大衆酒場でお疲れ様会を開いた。この頃ずっと忙しかったので、酒も格別に美味かった。
話題は昼間のことに移った。
「それにしてもジョシュア伯が馬術に秀でておられるとは、全く驚きでしたよ。」
ライアンくんがそう言うと、兵士くんは酒にまかせてペラペラと喋り始めた。
「ジョシュア伯が武芸に秀でてらっしゃるのは軍の中では常識ってくらい知られてますよ。剣も弓も一級品らしいです。」
飲んでいた店のドアが開き、ドアに付けられたベルが涼やかに鳴った。新しい客が来たようだが、かなりの有名人らしく、周囲がざわつき始めた。
そんな様子をよそに兵士くんの口は止まらない。
「僕が実際に見たのはですね、伯爵があの細い腕で、大男が使うのと同じ大きさの弓を余裕綽々で引いていたんですよ。あれには驚きましたね。」
完全にエンジンがかかったようだ。
こちらのテーブルに近づいてくる足音があった。さっきの有名人らしいが、近づいてきてわかった。どうやら僕らの知り合いだ。もっとも、兵士くんは背を向けているので全く気づいていないが。
「なあ兵士くん、そろそろやめといた方が……」
「そうですよクロードくん。ほどほどにしとかないと。」
僕とライアン君がそう言っても彼は止まらなかった。
「いやあ、もしかしたら伯爵は男なんじゃないかって思っちゃいますね、ハハハ。」
「誰が男だって?」
足音はいつの間にか兵士くんの真後ろで止まっていた。
後ろから聞こえた声に兵士くんは酔いも吹き飛んだようで凍りついてしまった。彼は引きつった顔で恐る恐る振り向いた。
「ジ、ジョシュア伯。どうしてこんなところへ? 」
アイラは兵士くんを鋭く睨みつつ見下ろしていた。
「なに? 貴族は大衆酒場に来ちゃいけないっていうのかしら? 」
「いや、そういうわけではありませんが。」
兵士くんがそう言い終わるよりさきに、アイラは四人がけのテーブルの余った一席に座った。
アイラは私服に着替えていた。馬上の勇ましい姿とは別人のように可憐だった。こう見れば彼女も普通の女の子だ。さっきの兵士くんの発言は甚だ見当違いである。彼女がテーブルに座ってから、僕たちはやたらと視線を集めた。先ほどまでは橙の柔らかな照明が落ち着いた雰囲気を醸し出す素敵な空間で大変居心地が良かったが、今は真逆で注目され続けるので全く落ち着けなかった。
「みんな君のことを知ってるみたいだね。」
「そりゃあこの街の首長だからね。」
「今はそうは見えないよ。」
「誰にだってオフはあるわよ。」
アイラはウェイトレスさんに店で一番高いウイスキーを注文した。ここらへんはやはり貴族だ。
「でもどうしてぼくらのところへ? 」
「たまたまよ。でもよかったわ。ちょうどタイセイに用があったから。」
アイラはそう言いながらプライベート用とは思えない黒革の四角いカバンから書類と、あの金のプレートを取り出した。
「はい、これがまず報酬の残りね。出来高は弾んでおいたわ。」
僕はプレートを四枚手渡された。え、四千万イデ!! 酒場で軽い感じで渡す額じゃないだろう。アイラはついでにライアンくんと兵士くんにも手当と称して現金イデをいくらか包んだ。兵士くんはションボリしたまま、だけどしっかり受け取っていた。やはり図々しい。
「あとはノックル少尉とかね。今回タイセイに協力してくれた人全員に特別手当を出しておくわ。そしてもう一つの方なんだけどね。」
アイラは書類の方を僕の前に出してきた。
また道を帰って行き、研究所に戻った頃には日が落ちかけていた。しかしむしろ本番はここからである。早速バレエダンサーと馬を配合していく。
作業は概ね滞りなく進んだ。途中で研究室のチャイムに反応してしまい、ステップを踏み始めたときはかなり焦ったが。ともあれ、配合までこぎつけることができた。
時間が時間なので、仔を生み出すのは翌日になった。翌朝研究所へ行くと、一足先にライアンくんが来ていた。今回は彼が一番苦労していたから、思い入れもそこそこあるのだろう。ライアンくんは僕がくると早速子どもの産出にかかった。
馬と鳥の配合は、シャコのときほどは難しくなかった。すぐに生まれてきた子どもは……、ビンゴだ! 前脚の上部に翼がついていたのだ。それは、片翼八十センチほどの小さい翼だった。
「こんなに小さい羽で大丈夫なんですかね? 」
と、ライアンくんは心配げだったが、問題ない。これくらいあれば十分だ。
早速いつもの兵士くんに頼んで試乗してもらう。彼はちょっと辟易としている感じがあったが、そんなことは気にしない。半ば強引に「今回はいけるから! 」と乗ってもらった。
彼は首をかしげながらも乗ってくれた。まあ疑う気持ちは分かる。羽が生えた馬なんて、見ただけではふざけているようにしか見えない。
それでも、兵士くんの表情は馬が走り出すと一変した。馬が弾むように走り出したのだ。まだ平野しか走っていないが、今までとは一味違う。しかしライアンくんの表情は固かった。
「ほら、やっぱりあんな小さな羽じゃパタパタしてるだけで飛べませんよ。」
なんだ、飛ぶとでも思っていたのか?
「馬が飛ぶのは御伽噺の世界だけだよ。」
そう答えた。
「それじゃあダメじゃないですか。泥の上を走れない。」
「ダメなんかじゃない。走れなくもない。」
馬と兵士くんは湿地帯に差し掛かった。
馬の走りは僕が期待した通りだった。湿地帯に入っても全くと言っていいほどスピードが落ちなかった。ライアンくんは目を見開いて驚いていた。
「どうして? 」
「浮力さ。確かににあの大きさの羽じゃ飛べない。でも力はゼロじゃない。脚が泥にとられたり沈んだりしないくらいの浮く力が生まれるのさ。」
馬はやはり泥の上を苦なく駆けていた。
鞍上の兵士くんが誰よりも興奮していた。さっきまでとはまるで別人のようにはしゃいでいる。
「いやあ、凄いですねこの馬……、馬ですよね、これ? 」
確かにそこの問題がある。確かにフォルムは羽以外馬だ。だけど馬と鳥のハーフを果たして単純に馬と呼んでいいのだろうか。
「この種固有の名前をつけてあげないといけませんね。」
ライアンくんがそう言ったから、三人で考え始めた。
しばらく全員考え込んでいた。いざすぐに名前を考えろと言われると、なかなか難しいものだ。沈黙を破ったのは、兵士くんだった。
「記念すべき一頭目のこの子が芦毛なので、ウイングレー種とかどうですか? ほら、翼のウイングと毛色のグレーをかけて。」
さっきまでちょっと嫌な顔していたくせに図々しいし、しかもダサい。
けれどもライアンくんがこれを気に入ってしまったので、多数決で正式にこの馬の種族名がウイングレーに決まってしまった。
ともあれこれで不可能と思われた、湿地帯を駆けることができる馬の作出に成功したわけだ。ライアンくんは早速その場で無線の連絡機のようなものを使って役所に繋いだ。
すぐにアイラ本人が向かうとの返答があったので、三人でその場に待機していると、ほどなくして凄まじい勢いの馬車がやってきた。門から出るなり、アイラが馬車から飛び出してきた。
「完成したというのは本当!? 」
急いできたアイラにライアンくんが説明を始めた。
「お待ちしておりましたジョシュア伯。タイセイさんがついに湿地を走行可能な馬の作出に成功いたしました。」
「それはもう聞いてるわよ。いいから早くその馬を見せてちょうだい。」
アイラは首長としての口調を繕うことを完全に忘れていた。
アイラの指示に従って、兵士くんがウイングレーを引っ張ってきた。
「あら、君が試乗してくれたのね。名前は? 」
「先ほどウイングレー種と名付けました。」
「あんまりパッとしない名前ね……って、そうじゃないわよ。君の名前は? 」
「は! 伝令を務めております、クロード・レイン一等兵であります。」
はあ、兵士くん、そんな名前だったのか。今さらながらに知った。まあこれからも多分兵士くんと呼ぶだろうけど。
アイラは馬に近づいていくと、颯爽と飛び乗った。
「あれ、馬乗れるの? 」
と聞くと
「当たり前じゃない。馬に乗れない貴族なんていないわよ。」
と言い捨てて走り出した。
実際彼女の手綱さばきは見事だった。馬に無理させることなく、それでいて小回りがきいている。馬は一層のびのびと駆けていた。
アイラは一通り駆けると、満足したようで帰ってきた。
「いい馬ね。正式にホルンメランの騎馬として採用するわ。」
彼女の髪は、吹き荒ぶ冷たい風の中でも不思議とみだれていなかった。
その日の夜、ライアンくんと、ついでに兵士くんも連れて役所近くの大衆酒場でお疲れ様会を開いた。この頃ずっと忙しかったので、酒も格別に美味かった。
話題は昼間のことに移った。
「それにしてもジョシュア伯が馬術に秀でておられるとは、全く驚きでしたよ。」
ライアンくんがそう言うと、兵士くんは酒にまかせてペラペラと喋り始めた。
「ジョシュア伯が武芸に秀でてらっしゃるのは軍の中では常識ってくらい知られてますよ。剣も弓も一級品らしいです。」
飲んでいた店のドアが開き、ドアに付けられたベルが涼やかに鳴った。新しい客が来たようだが、かなりの有名人らしく、周囲がざわつき始めた。
そんな様子をよそに兵士くんの口は止まらない。
「僕が実際に見たのはですね、伯爵があの細い腕で、大男が使うのと同じ大きさの弓を余裕綽々で引いていたんですよ。あれには驚きましたね。」
完全にエンジンがかかったようだ。
こちらのテーブルに近づいてくる足音があった。さっきの有名人らしいが、近づいてきてわかった。どうやら僕らの知り合いだ。もっとも、兵士くんは背を向けているので全く気づいていないが。
「なあ兵士くん、そろそろやめといた方が……」
「そうですよクロードくん。ほどほどにしとかないと。」
僕とライアン君がそう言っても彼は止まらなかった。
「いやあ、もしかしたら伯爵は男なんじゃないかって思っちゃいますね、ハハハ。」
「誰が男だって?」
足音はいつの間にか兵士くんの真後ろで止まっていた。
後ろから聞こえた声に兵士くんは酔いも吹き飛んだようで凍りついてしまった。彼は引きつった顔で恐る恐る振り向いた。
「ジ、ジョシュア伯。どうしてこんなところへ? 」
アイラは兵士くんを鋭く睨みつつ見下ろしていた。
「なに? 貴族は大衆酒場に来ちゃいけないっていうのかしら? 」
「いや、そういうわけではありませんが。」
兵士くんがそう言い終わるよりさきに、アイラは四人がけのテーブルの余った一席に座った。
アイラは私服に着替えていた。馬上の勇ましい姿とは別人のように可憐だった。こう見れば彼女も普通の女の子だ。さっきの兵士くんの発言は甚だ見当違いである。彼女がテーブルに座ってから、僕たちはやたらと視線を集めた。先ほどまでは橙の柔らかな照明が落ち着いた雰囲気を醸し出す素敵な空間で大変居心地が良かったが、今は真逆で注目され続けるので全く落ち着けなかった。
「みんな君のことを知ってるみたいだね。」
「そりゃあこの街の首長だからね。」
「今はそうは見えないよ。」
「誰にだってオフはあるわよ。」
アイラはウェイトレスさんに店で一番高いウイスキーを注文した。ここらへんはやはり貴族だ。
「でもどうしてぼくらのところへ? 」
「たまたまよ。でもよかったわ。ちょうどタイセイに用があったから。」
アイラはそう言いながらプライベート用とは思えない黒革の四角いカバンから書類と、あの金のプレートを取り出した。
「はい、これがまず報酬の残りね。出来高は弾んでおいたわ。」
僕はプレートを四枚手渡された。え、四千万イデ!! 酒場で軽い感じで渡す額じゃないだろう。アイラはついでにライアンくんと兵士くんにも手当と称して現金イデをいくらか包んだ。兵士くんはションボリしたまま、だけどしっかり受け取っていた。やはり図々しい。
「あとはノックル少尉とかね。今回タイセイに協力してくれた人全員に特別手当を出しておくわ。そしてもう一つの方なんだけどね。」
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