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一章 ホルンメランの駿馬

七話

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 シャコは透き通る群青の体を震わせていた。あまりの巨大さだから、かえって現実味を感じない。実際僕は今、この怪物シャコを目の前にして「寿司にしたら何貫ぐらいになるのかな」ぐらいしか考えられていない。

 ライアンくんは慌てて僕の体を引っ張り後ろへ下がった。軍人たちはノックル少尉の「囲め」の合図で巨大シャコを取り囲んだ。軍人たちは片手に麻酔銃、もう片手には鉄の盾を装備していた。

 軍人五人は盾で押し込むようにジリジリと囲いを狭めていった。一歩一歩、靴と土が擦れる音だけが立った。後ろで見ているだけの僕たち二人も緊張感で息を呑んでしまう。

 麻酔銃を外さないという距離まで近づいた。五人全員が麻酔銃を構えたというところ、シャコは突然動いた。

 一、二発くらいなら外してもいいから、もっと遠くから狙うべきだった。シャコの拳?のような前脚は一瞬で軍人までの距離を埋めてしまったのだ。

 拳は真正面に構えていたノックル少尉の盾に着弾した。盾は鉄製だというのに粘土のようにグニャリと曲がり、遥か後方まで吹き飛ばされていった。

 背筋が凍った。え、鉄の盾ってそんなふうに曲がるの?体に一発でも貰ったら穴開くぞ。

 少尉は流石に胆力があるとみえて、すぐに他の四人にシャコから距離をとるように指示した。四人もそれに従ってすぐに後ろに下がった。

 シャコは動かずにじっと構えていた。兵士五人も動くことなくシャコと向かい合っていた。

「撃ってみればいいのに。」

と素人ながら思わず言ってしまったが、それを聞いたライアンくんは僕をたしなめるようにこう言った。

「いやいや、そんなことしたら二発目を打つまでにやられちゃいます。銃は連発がききませんから。」

 この文明が軍事面で遅れているのを忘れていた。よくよく兵士たちが構えている銃を見てみれば、マスケット銃だった。これでは連射はとてもじゃないができない。つまりは、五人が発射する五発の弾のうちのどれか1発でもいいから、シャコの柔らかい部位に命中しなければならないということだ。それを五人ともとっくに理解しているのである。

 じゃあどこを狙えばいいのだろうか?殻と殻の間か?いや、それは流石に不可能だ。難しずきる。他にも柔らかい部位はあるだろうが、どこも狙撃するには困難だ。あとは下側に隠れている腹の部分くらいか……

 しかしながらそんなことはどうすればいいのか。シャコはそもそも地面に這いつくばったまま腹を見せることはない。そこが難しい。シャコが上を向き飛びあがりでもしない限りは……

 いや、もしかしたらあるかもしれないぞ。

「ライアンくん、この化けシャコは肉食なんだよな。」

突然でライアンくんは面食らったようだった。

「え、ええ。そうです。見当たり次第食い荒らすほどです。」

やっぱりそうだ。さきほど肉を投げ入れただけで飛び出してきたのだから、相当目がないのだろう。

「それだとなおさらいい。さっきの袋の中に肉は余っているかい?」

ライアンくんは袋の中からまた一つ肉塊を取り出した。

「一つ予備で持ってきています。」

彼はその肉を僕に手渡した。

 手渡された肉塊は思った以上にズッシリと重かった。

「でもそれで何するんですか?」

腕力に自信があるわけではないが、流石に届くだろう。

「こうするんだ!」

僕はシャコの頭上めがけて肉塊を放った。


 案の定、シャコは肉塊の方に注意を向けた。放物線を描いて頭上を通り過ぎて行こうとする大好物を見逃すはずがない。シャコは肉塊を捕まえんと上半身をのけぞらせて飛び上がった。

 さすがは軍人というべきか、五人はその隙を見逃さなかった。
「撃て!」
少尉の鋭い合図とともに、五人全員が一斉にシャコの腹に麻酔弾を撃ち込んだ。

 撃たれたシャコは身体をうねらせてのたうちまわり始めた。麻酔の効き目は、マスケット銃から発射されたものとは思えないほど凄まじいものだった。一分もしないうちにシャコはうなだれてしまった。

「よく考えましたね。あんな作戦。」

「いや、まあ」

 再び暴れ出しはしないかと、少しの間七人全員が様子を見ていた。しかしシャコはピクピクするだけで全く動く様子を見せないので、ライアンくんが近づいた。僕もシャコに近づくと、ライアンくんは袋から鉄製のチェーンを取り出して、シャコの脚をぐるぐる巻きにし始めた。

「麻酔ってこんなに効くものなのかい?」

「はい?麻酔なんてこんなもんでしょう。」

ああ、そこは進んでいるようだ。毎度毎度、技術がアンバランスすぎて混乱してしまう。

 ライアンくんは手際良くシャコの体を縛り上げると、その体を兵士たちが運んでくれた。リアカーの荷台に乗せたが、体の三割がはみ出していた。

 町中に戻っても、やたらと人目を集めて恥ずかしかった。シャコの体は日のもとに出ると一層鮮やかで、よく目立ったから。大通りを通る時なんて特に大変で、ちょっとした騒ぎになってしまった。

 苦労して研究所までシャコを持ち帰り、やっと一息というところだが、ライアンくんは全く休まずに配合の準備を始めた。

「いやいやライアンくん。少し休もうよ。」

「休んでる場合じゃないですよ。せっかく捕まえてきたんですから、早く試しましょうよ。」

機械を弄る彼の姿はいきいきしていた。

 配合のために牝馬を四頭準備した。ちゃんと狙い通りの仔が一発で生まれるとは限らないからだ。

 しかし実際一頭で大丈夫だった。いや、実際には四頭試したのだが。どれも同じような仔が生まれてきたのである。

 フォルムから見て馬であることには違いなかった。シャコの群青色の殻に覆われていて、体も一回り大きくなっていたが、全体的にシャープさが見られた。試しに体重を量ってみたが、一般的な軽種馬と変わりなかった。そして何より脚にはシャコのあの強烈な力が遺伝していたのだ。

 しかし結論を言うと、失敗だった。このシャコとの配合で生まれた品種、ギャロップマリンと名付けたが、いかんせん気性が荒すぎるのだ。試しにまた兵士くんに協力してもらって湿地帯を駆け抜けてもらったのだが、制御不能になってしまう。

 能力自体は申し分ないのだ。脚力は期待以上で泥の中でも苦もなく進むことができた。それに脚も速かった。もしやと思い従来種の馬と一緒に走らせてみたら、案の定比にならないくらい速かったから、これは嬉しい誤算だった。

 が、制御がきかないのだ。可哀想な兵士くんは泥の中に振り落とされてしまった。地面が柔らかいおかげで彼が怪我せずに済んだから、初めて湿地に感謝したが。そのあと暴れ回る馬を捕まえるのに苦労したのは、言うまでもない。

 というわけで散々苦労しておいて大変心苦しいけれども、これもボツだ。ギャロップマリン四頭はとりあえずアイラに話して役所に引き取ってもらった。彼女にはかなり面倒くさそうな顔をされてしまったが。


 さあいよいよネタ切れだ。重くてもダメ。軽くても力がなければダメ。力の強い魔物はみんな気性が荒いから配合できない。もうどうしたらいいのかが分からない。ライアンくんもさすがにしんどくなったらしく、頭を抱えていた。
「なあライアンくん。今日はもう疲れたから帰ろう。」
顔をあげたライアンくんは心なしかやつれていた。そりゃそうだ。今日一日で化けシャコを捕まえて、その配合をして、極めつけはそれが上手くいかなかったのだから。

「ええ、そうしましょうか。お疲れ様です、また明日。」

彼はのっそりと椅子から立ち上がると、白衣を脱ぐこともなく研究室から出て行ってしまった。彼の背中は小さかった。



 僕もすぐに研究所から出て帰路についた。町は既に夕暮れで、僕の帰る先にはすでに青黒い空が広がっていた。どんどん暗くなる町並みに気分が少し沈んでしまう。

 
 自分の家の前にようやく辿り着いた。大通りから路地を覗くとさらに暗かったので憂鬱になってしまう。ため息を一つついて進もうとしたところで呼び止められた。

「あら、おかえりなさいタイセイ。」

振り向けばフィリムが立っていた。彼女は今雑貨屋を閉めたところらしかった。

 フィリムは僕の顔が曇っていることにすぐに気づいた。

「何か困ったことでもあったのかい?」

僕は彼女に雑貨屋へと招き入れられると、紅茶でもてなされた。フィリムは僕に近況のことを聞いてきたので、最近の馬の配合のことなどを長々と話した。

 暗い僕をよそにフィリムは面白そうに聞いていた。

「いやあ、大変ねあなたも。無理難題じゃないの。」

「そうなんですよね。どうやっても上手くいかなくて。」

「あとは空を飛ぶくらいしかダメなんじゃない?羽生やしちゃったりして!」

フィリムはふざけていた。羽が生えた馬なんて、神話のペガサスじゃないか。そんなの……いや、あるか?ワンチャンあるかもしれないぞ、これ。

 その後もフィリムは上機嫌に話し続けていたが、僕は余り聞かずにずっと考えていた。ペガサスのことを。
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