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第11話『権謀術数①-ケンボウジュッスイ-』
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西澤顕人は滝田晴臣と別行動となった後、教室棟へ来ていた。
一時間ほど前に別れた室江崇矢と会うためだ。
彼が宮准教授の言葉を引き摺っていないかという心配もあったし、今回の件に晴臣と共に首を突っ込むという承諾も貰いたかった。
何より、噂の彼女がいるのではないか、という予感が強かった。
大学の時間割は個人が学びたい授業を選び単位を取得するのが一般的だが、この大学ではその時間割を決める際に注意しなくてはならないことがある。
それが『学部共通授業』だ。
卒業に必要な単位は、『必修授業』『学部共通授業』『専門授業』に分かれている。
殆どの授業は週に一コマだが、『学部共通授業』は少し違う。
この分類の授業は、週に二コマ受けなくてはならない。
そのため、二コマの内どちらかが『必修授業』や『専門授業』と被ってしまうと授業を入れられなくなってしまう。
だから学期の最初の時間割は慎重に決めなくてはならないのだ。
だが、顕人は二年目の春、この時間割の決定をしくじったのだ。
原因は『学部共通授業』のコマ割の確認ミス。
その授業は月曜日の一限目と金曜日三限目だったのだが、月曜日の一限目は『必修授業』と被ってしまい、その『学部共通授業』を取ることができなくなってしまったのだ。おかげで今期の『学部共通授業』の単位数が減ってしまった。
ただでさえ、週に二コマあるので他の授業よりも単位数が多いのに……。
そして宮准教授の部屋で、室江の話を聞いていたとき、彼がレジュメの盗難に遭った授業がまさに、顕人が取り損ねた『学部共通授業』であると察した。
確か教室を確認すると、教室棟の中でもそこそこ大きな部屋だったはず。途中で生徒が一人増えても気がつかないだろう。
そう思いながら顕人は静かに教室の扉を開ける。
教室は大人数が授業を受けれる階段教室になっていた。受けている人数もかなり多く、案の定、生徒の入退室が多い。
そして授業をしている講師も入ってきた生徒が、本当にこの授業を取っている生徒かなんて覚えていないだろう。
顕人は教室に入ると、一番後ろの席に座る。一番高い場所にある席だから、教室内を一望できる。顕人はカバンからルーズリーフと筆記用具を出すと授業を受けている体裁を整える。
顕人がこの教室にやってきた理由が室江に会うためだが、もう一つ、この教室にはレジュメの窃盗をやらかしたヤツがいるからだ。
そして『ストーカー説』を推す顕人にとっての、本命は函南が話していた黒い服の女子生徒。
函南の話でも、その女子生徒は大教室での授業で室江を見ていたと言っていた。
これくらい大人数で、どの学部の生徒がわからない状況は、ストーカーにとって好ましい状況なのではないかと考えた。
そこでまずは室江の姿を探す。
真面目な室江のことだ、きっと前の席で授業を受けているだろうと前列の席を探す。するとやはり前から三列目の中央の席に座る室江の姿を見つけることができた。
彼は真面目に黒板を見ながら講師の話を聞いている。とても集中しているのがよくわかる。これでは人の視線には気がつかないか。
顕人は室江から視線を外してその周囲、後方の数列を見る。
函南が存在に気が付いたということは、恐らくそれほど遠くない席に例の女子生徒が座っていたからだろう。遠ければ、恐らく気がつかれなかったはず。
そう考え、まずは室江の後ろの列を順番に見ていく。
この列はいない。……その後ろはどうか。
じっくりと探すと、室江の席から四列後ろの端の席に黒髪の黒い服の女子生徒が一人座っている。
彼女だろうか?
他を確認するが、函南の話していた特徴に一致する女子生徒は他にはいない。
可能性の一つとして、顕人はその女子生徒を観察する。
机にはノートやレジュメを広げているが、ペンを握る手が全く動いていない。他の生徒が授業を聞きながら色々書き込んでいるのに、その女子生徒は微動だにしない。
彼女は背筋を伸ばしペンを握って、真面目に授業を聞いていますという形を取っているが、その視線はまっすぐ室江に向かっていた。
室江の後ろ姿をじっと見ていた。
それはもう熱烈なまでに。
室江の視線が、黒板とレジュメを交互に追いかけるのを見ていた。
室江の指が、レジュメをなぞりそこにペンで書き込みをいれていくのを見ていた。
室江の口元が、少し大きく息をつくため薄く開くのを見ていた。
室江の髪が、無意識に掻き上げられるのを見ていた。
彼女は室江を見ていた。
室江のほんの僅かな動作も見逃さないように、瞬きすら惜しむように見ていた。
彼女は彼を見つめていた。
ただ見ていただけだった。
「こっわ。」
顕人は思わず呟く。
数分観察していただけで、あの女子生徒の視線の重さに震える。
そりゃあ函南も気がつくはずだ。逆に室江はどうして気が付かないのか。
やっぱり宮准教授が示した可能性にあった、自分に気が付かないのが嫌で気を引きたくて物を盗んだ、ということなのか。
そんなことをするくらいなら、いっそ話しかける方が手っ取り早いのに。
室江の面倒見の良さと如何にお人好しということを知っているなら、彼に声をかけて授業の質問をすれば一緒に考えてくれるだろう。
物を盗むなんてリスクの高い真似をしなくても良い。
だけどれ、きっと、それだけではないのだろう。
宮准教授の言葉を借りるなら、それができれば苦労はしない、のだ。
以前宮准教授が言っていたが、人によって取れる行動というものは違うのだという。
自分ができる行動が、万人のできる行動であるとは限らない。
例えば、小学校の授業。先生が生徒たちに問題を出し「わかる人は手を挙げて」と言っても、すんなり手を挙げられるコばかりではない。
本当に問題の答えがわからないコ、問題の答えはわかっても恥ずかしさから手が挙げられないコ、単に手を挙げたくないコ。色々いる。
それは大人になるにつれ、違いが濃くなる。
昔は手を挙げられたコも、もう挙げられない場合だってある。
彼女がもし盗難の犯人だったとして、彼女はその方法でしか室江に接触できなかった可能性もある。
まあ、それを善しとは全く思えないが。
顕人はスマートフォンを取り出すと、シャッター音の鳴らないカメラアプリを起動する。
まずは彼女がどの学部の生徒か調べなくては。
名前や学部がわかれば、行動が追える。
彼女が真に室江のストーカーであるなら、室江に知らせる必要があるし、他にも何か盗まれたものがあるならそれはやっぱり窃盗だし、警察案件だ。
とは言え、現段階では『彼女=ストーカー』という判断は顕人の個人的な感想でしかないし、それを決定づける証拠がない。
彼女を糾弾するなら、まず確実な証拠が必要だ。
顔写真があれば、彼女が一体誰なのかわかる人もいるだろう。
できるだけズームにして写真を撮るが、流石に画像が粗い。
不鮮明だが、無いよりは良いか。
顕人は撮影した写真を見ていると、ふと、一列前の席の生徒の声が聞こえてくる。
座っていたのは女子生徒二人で、こちらは前方の真っ黒な服装の女子生徒と違い、春らしいパステルカラーな服装に身を包んでいる。
髪も明るい茶色で、見るからに今年の新入生という様子の二人組だ。
彼女たちは肩を寄せ合って、小声で話を続ける。
「今日もいないね、荒瀬川先輩」
「事故に遭ったって噂、本当だったのかなあ?」
「ええ、可哀想。お見舞い行ってあげたい」
「でも先輩、学外にカノジョいるって話だよ?」
「カノジョ居てもいいよ、先輩格好良いし」
「やだあ」
女子生徒たちは肩を寄せてクスクスと笑う。
その話を素知らぬ顔で聞きながら、顕人は少し首を捻る。
はて、荒瀬川。何処かで聞いたことのある名前だ。
だけどどうにも思い出せない。後で晴臣に訊いてみるか。
顕人はスマートフォンをカバンに入れようとするが、あと五分ほどで授業が終わりであることに気が付く。
取り敢えず室江にメッセージを送っておこう。
授業が終わったら話があるので、何処かで会えませんか。
送っておけば授業が終わったら見てくれるだろう。
そして顕人は早々とルーズリーフや筆記用具をカバンに片付けると、いつでも席を立てる準備をする。
当然、黒髪黒服の女子生徒を追いかけるために。
「この賭けは俺が勝つぜ」
そう既に勝ったような気分で、顕人はぼそりと呟いて笑った。
一時間ほど前に別れた室江崇矢と会うためだ。
彼が宮准教授の言葉を引き摺っていないかという心配もあったし、今回の件に晴臣と共に首を突っ込むという承諾も貰いたかった。
何より、噂の彼女がいるのではないか、という予感が強かった。
大学の時間割は個人が学びたい授業を選び単位を取得するのが一般的だが、この大学ではその時間割を決める際に注意しなくてはならないことがある。
それが『学部共通授業』だ。
卒業に必要な単位は、『必修授業』『学部共通授業』『専門授業』に分かれている。
殆どの授業は週に一コマだが、『学部共通授業』は少し違う。
この分類の授業は、週に二コマ受けなくてはならない。
そのため、二コマの内どちらかが『必修授業』や『専門授業』と被ってしまうと授業を入れられなくなってしまう。
だから学期の最初の時間割は慎重に決めなくてはならないのだ。
だが、顕人は二年目の春、この時間割の決定をしくじったのだ。
原因は『学部共通授業』のコマ割の確認ミス。
その授業は月曜日の一限目と金曜日三限目だったのだが、月曜日の一限目は『必修授業』と被ってしまい、その『学部共通授業』を取ることができなくなってしまったのだ。おかげで今期の『学部共通授業』の単位数が減ってしまった。
ただでさえ、週に二コマあるので他の授業よりも単位数が多いのに……。
そして宮准教授の部屋で、室江の話を聞いていたとき、彼がレジュメの盗難に遭った授業がまさに、顕人が取り損ねた『学部共通授業』であると察した。
確か教室を確認すると、教室棟の中でもそこそこ大きな部屋だったはず。途中で生徒が一人増えても気がつかないだろう。
そう思いながら顕人は静かに教室の扉を開ける。
教室は大人数が授業を受けれる階段教室になっていた。受けている人数もかなり多く、案の定、生徒の入退室が多い。
そして授業をしている講師も入ってきた生徒が、本当にこの授業を取っている生徒かなんて覚えていないだろう。
顕人は教室に入ると、一番後ろの席に座る。一番高い場所にある席だから、教室内を一望できる。顕人はカバンからルーズリーフと筆記用具を出すと授業を受けている体裁を整える。
顕人がこの教室にやってきた理由が室江に会うためだが、もう一つ、この教室にはレジュメの窃盗をやらかしたヤツがいるからだ。
そして『ストーカー説』を推す顕人にとっての、本命は函南が話していた黒い服の女子生徒。
函南の話でも、その女子生徒は大教室での授業で室江を見ていたと言っていた。
これくらい大人数で、どの学部の生徒がわからない状況は、ストーカーにとって好ましい状況なのではないかと考えた。
そこでまずは室江の姿を探す。
真面目な室江のことだ、きっと前の席で授業を受けているだろうと前列の席を探す。するとやはり前から三列目の中央の席に座る室江の姿を見つけることができた。
彼は真面目に黒板を見ながら講師の話を聞いている。とても集中しているのがよくわかる。これでは人の視線には気がつかないか。
顕人は室江から視線を外してその周囲、後方の数列を見る。
函南が存在に気が付いたということは、恐らくそれほど遠くない席に例の女子生徒が座っていたからだろう。遠ければ、恐らく気がつかれなかったはず。
そう考え、まずは室江の後ろの列を順番に見ていく。
この列はいない。……その後ろはどうか。
じっくりと探すと、室江の席から四列後ろの端の席に黒髪の黒い服の女子生徒が一人座っている。
彼女だろうか?
他を確認するが、函南の話していた特徴に一致する女子生徒は他にはいない。
可能性の一つとして、顕人はその女子生徒を観察する。
机にはノートやレジュメを広げているが、ペンを握る手が全く動いていない。他の生徒が授業を聞きながら色々書き込んでいるのに、その女子生徒は微動だにしない。
彼女は背筋を伸ばしペンを握って、真面目に授業を聞いていますという形を取っているが、その視線はまっすぐ室江に向かっていた。
室江の後ろ姿をじっと見ていた。
それはもう熱烈なまでに。
室江の視線が、黒板とレジュメを交互に追いかけるのを見ていた。
室江の指が、レジュメをなぞりそこにペンで書き込みをいれていくのを見ていた。
室江の口元が、少し大きく息をつくため薄く開くのを見ていた。
室江の髪が、無意識に掻き上げられるのを見ていた。
彼女は室江を見ていた。
室江のほんの僅かな動作も見逃さないように、瞬きすら惜しむように見ていた。
彼女は彼を見つめていた。
ただ見ていただけだった。
「こっわ。」
顕人は思わず呟く。
数分観察していただけで、あの女子生徒の視線の重さに震える。
そりゃあ函南も気がつくはずだ。逆に室江はどうして気が付かないのか。
やっぱり宮准教授が示した可能性にあった、自分に気が付かないのが嫌で気を引きたくて物を盗んだ、ということなのか。
そんなことをするくらいなら、いっそ話しかける方が手っ取り早いのに。
室江の面倒見の良さと如何にお人好しということを知っているなら、彼に声をかけて授業の質問をすれば一緒に考えてくれるだろう。
物を盗むなんてリスクの高い真似をしなくても良い。
だけどれ、きっと、それだけではないのだろう。
宮准教授の言葉を借りるなら、それができれば苦労はしない、のだ。
以前宮准教授が言っていたが、人によって取れる行動というものは違うのだという。
自分ができる行動が、万人のできる行動であるとは限らない。
例えば、小学校の授業。先生が生徒たちに問題を出し「わかる人は手を挙げて」と言っても、すんなり手を挙げられるコばかりではない。
本当に問題の答えがわからないコ、問題の答えはわかっても恥ずかしさから手が挙げられないコ、単に手を挙げたくないコ。色々いる。
それは大人になるにつれ、違いが濃くなる。
昔は手を挙げられたコも、もう挙げられない場合だってある。
彼女がもし盗難の犯人だったとして、彼女はその方法でしか室江に接触できなかった可能性もある。
まあ、それを善しとは全く思えないが。
顕人はスマートフォンを取り出すと、シャッター音の鳴らないカメラアプリを起動する。
まずは彼女がどの学部の生徒か調べなくては。
名前や学部がわかれば、行動が追える。
彼女が真に室江のストーカーであるなら、室江に知らせる必要があるし、他にも何か盗まれたものがあるならそれはやっぱり窃盗だし、警察案件だ。
とは言え、現段階では『彼女=ストーカー』という判断は顕人の個人的な感想でしかないし、それを決定づける証拠がない。
彼女を糾弾するなら、まず確実な証拠が必要だ。
顔写真があれば、彼女が一体誰なのかわかる人もいるだろう。
できるだけズームにして写真を撮るが、流石に画像が粗い。
不鮮明だが、無いよりは良いか。
顕人は撮影した写真を見ていると、ふと、一列前の席の生徒の声が聞こえてくる。
座っていたのは女子生徒二人で、こちらは前方の真っ黒な服装の女子生徒と違い、春らしいパステルカラーな服装に身を包んでいる。
髪も明るい茶色で、見るからに今年の新入生という様子の二人組だ。
彼女たちは肩を寄せ合って、小声で話を続ける。
「今日もいないね、荒瀬川先輩」
「事故に遭ったって噂、本当だったのかなあ?」
「ええ、可哀想。お見舞い行ってあげたい」
「でも先輩、学外にカノジョいるって話だよ?」
「カノジョ居てもいいよ、先輩格好良いし」
「やだあ」
女子生徒たちは肩を寄せてクスクスと笑う。
その話を素知らぬ顔で聞きながら、顕人は少し首を捻る。
はて、荒瀬川。何処かで聞いたことのある名前だ。
だけどどうにも思い出せない。後で晴臣に訊いてみるか。
顕人はスマートフォンをカバンに入れようとするが、あと五分ほどで授業が終わりであることに気が付く。
取り敢えず室江にメッセージを送っておこう。
授業が終わったら話があるので、何処かで会えませんか。
送っておけば授業が終わったら見てくれるだろう。
そして顕人は早々とルーズリーフや筆記用具をカバンに片付けると、いつでも席を立てる準備をする。
当然、黒髪黒服の女子生徒を追いかけるために。
「この賭けは俺が勝つぜ」
そう既に勝ったような気分で、顕人はぼそりと呟いて笑った。
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