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完成からの

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 文見は一心不乱に仕事に取り組んだ。
 今売れているゲームはすべてやった。流行っているアニメもたくさん見た。許可をもらって仕事中にもやっていたし、家に帰ってからも見ていた。

「絶対にいい作品にするんだ!」

 熱意を恥ずかしいと思われてもいい。素人なんだから、ダメなシナリオと馬鹿にされるのも仕方ない。
 これは自分だけの仕事ではなくて、会社の大勢の人に関係すること。ユーザーにダメシナリオと言われたら、みんなに迷惑をかけてしまう。それは絶対に避けないといけない。
 世には星のようにゲームがある。毎週のように新しいゲームがリリースされていく。ちょっと派手にしたり大胆にしたりぐらいでは、天の川を構成する名もなき星の一つになってしまう。
 少しでもこの拡大し続ける宇宙に爪痕を残せるようにと、文見は死ぬ気で一番頑張った。

「立ち止まったら負け……。どんどん吸収しなきゃ……」

 家でも仕事のようなことをやっているから、心は休まることがなかった。土日は休むべきだが、足りない知識とセンスのままシナリオを書かないといけないのは不安で仕方がなく、土日もアニメを見続けてしまった。しょせん付け焼き刃というのは分かっていたが、何もしないでいると押しつぶされそうだった。
 大学時代に大はまりして、コスプレのきっかけとなった「ドラスティックファンタジー」(略称はドラファン)もまたゲームを再開してみた。やってみると今でも面白く、ついついやりこんでしまう。
 それはむしろ、現実逃避だったかもしれない。

「やっぱいいキャラしてるなあ! 尊い!! 好きだー!!!」

 残業も死ぬほどしているから、これぐらい贅沢してもいいだろうと思って課金すること7万円。文見が1番好きなキャラの新衣装バージョンをガチャで引き当てた。
 最近のゲームは「天井」といって、ガチャをたくさん引いて、一定額に達すると、必ず最高レアのキャラやカードがもらえることになっている。
 文見はガチャ運悪く、天井にてそのキャラをゲットしたのだった。

「いやー、スマホゲーがもうかるわけだよね……。ああ、7万あったら何買えた?」

 今日1日で、というよりもこの1時間……いや10分程度で7万円をゲームで消費してしまった。ストレスや寝不足もあって、さすがにやらかしてしまったと文見は思う。
 文見のようなユーザーが100人いれば、日商700万円ということになる。ゲーム会社はその日だけで、文見の給料と社会保険料もろもろを支払えるかもしれなかった。
 大枚をはたいて手に入れたキャラは、やっぱり思い入れが強く、使い込みたくなる。あまり有効でないときも出してしまうし、文見の場合はコスプレしたくなる。

「この新しい衣装いいなあ。レインのよさを分かってる! 久しぶりに作ろうかなー」

 ゲーム画面を眺めているだけでワクワクが止まらない。それだけでも7万円の価値があったんじゃないかと思えてくる。
 文見の好きなキャラは、レインという男性キャラだ。
 名前の通り、あまり男々しておらず中性的で、クールな美形キャラだった。線が細く、あまりバトル向きではないが、精神的に大人で他のキャラに信頼されている。
 前髪が長く顔にかかっているため、物静かで暗い印象もあるが、内面にネガティブなところはまったくなく、何事もポジティブにあたる。
 「やまない雨はないから」というのが口癖で、いかなる困難にも屈することなく、眈々と勝機を探している。
 文見はキャラの見た目も気に入っていたが、その心の強さにも憧れ、自分もそうなりたいと思っていた。それがそのキャラになりきる、つまりコスプレをするきっかけであった。

「これ終わったら作ろ。絶対作ろ」

 けれど初めてのシナリオ作業が楽なわけがない。考えるだけでも時間がかかり、それを明文化するのはもっと時間がかかる。
 仕事が終わらず、帰るのは遅くなり、睡眠時間も比例して減っていく。

「小椋、寝てる?」
「へっ!? 寝てないよ、寝てないよ!?」

 隣席の久世に突然話しかけられ、小椋は体をびくっと跳ねさせる。

「そうじゃなくて……。家帰って寝てる?」
「あ、そういうことね……。ちょっとは寝てる」

 居眠りを指摘されたかと思って、文見はびっくりしたのだった。
 ちなみに寝てない。真剣に文章を打ち込んでいた。

「全然仕事進んでなくてね……」
「あんまり寝不足続くと体調崩すぞ」
「うん、気を付ける」

 そう言ったものの、今日も早く帰れないなーと文見は思う。

「それにもう崩れてるぞ」
「え?」
「グッズ」
「ああっー!?」

 文見の席から久世のほうへ、キャラクターのアクリルスタンドやミニフィギュアが雪崩を起こして倒れていた。
 ドラファンのグッズだった。ストレスのあまり、ドラファンの絵を見るとついついネット通販サイトで買い込んでしまっていた。そして、ちょっと嫌なことがあるたびに、会社の机に並べていたのだ。
 ゲーム会社の机は、社員それぞれの好きなキャラのグッズが並んでいることが多い。つらいことがあったとき、好きなものを見ると頑張れるものなのである。


「ごめん! すぐ片付ける! ……ああっ!」

 慌ててグッズをしまおうとしたとき、勢い余ってグッズが転落してしまった。

「ゆっくりでいいから……。それより、ちゃんと寝ろよ」
「うん……」

 シナリオ担当は一人だけ。ゆえに自分がやらないと誰もやってくれず、自分が進めないと進捗ゼロ。
 結局、文見はしっかり眠れることができなかった。




 それから一ヶ月後、プロデューサーやディレクターと相談しながら修正を繰り返し、なんとかプロットはようやく完成に至った。

「やったーーー!! できたーー!!」

 プロデューサーである社長には「よく頑張ったな。あのアイデアがここまで形になると思わなかった。任せてよかったよ」と言われた。
 社長の想像を上回る出来だったようで、最高の仕事をやったと言えるのではないだろうか。
 世界設定、メインストーリーのプロット、メインキャラ設定まで作成してある。あとはメインストーリーをさらに詳細化したり、サブストーリーやサブキャラを決めていったりすることになる。スマホゲームのシナリオは運営と共に長く続くものなので、のちのち追加するキャラもある程度、想定しておかなくてはいけない。

「これがあたしの書いたシナリオなんだ……」

 まだまだ先は長いが、とりあえず作り上げたという達成感があった。
 もう死んでもいい、とは思わないが、自分の作った資料を眺めていると、成長した我が子を旅立ちを見送るかのように誇らしかった。
 ヒロイックリメインズの概要はこうだ。

 舞台は現代日本。ある日、主人公が爆発事件に巻き込まれる。
 現場には見慣れぬ服を着た異国風の少女が倒れていた。主人公は彼女を助けるが、この世界のことを知らないようで、どうやら他の世界から来たようだった。
 日本中、古風な格好で武器を持った者たちが各地で大暴れしているとニュースが流れる。
 彼女はその者を“英結”(えいけつ)と呼んだ。
 リメインズエナジーが場所と結びついたことによって生まれた存在だという。
 リメインズエナジーとは、これまでに地球で生きた人間や動植物のエネルギーが凝縮されたもの。化石燃料は動物の死骸が何億年もかけて堆積、圧縮されたものだが、それと同様にリメインズエナジーも地球の地下に埋蔵されている。
 リメインズエナジーがその土地で起きた事件や人々の思いと結びつき、人の形となり、英結として活動している。いわば、土地に由来する付喪神のようなものである。
 彼女は未来から来た人間で、リメインズエナジーと英結を悪用する人間から地球を守るために、タイムマシンでこの時代に来たという。
 主人公は彼女の依頼で、英結を味方にして世界を救う旅に出る。




「設定、めっちゃよかった!」
「え、見たの!?」
「オリジナリティあっていいんじゃないか? 遺跡の擬人化もアリだなと思った!」

 隣席の久世が話しかけてくる。
 社運を賭けた新プロジェクトなので、できるだけ多くの意見を吸収しようと、完成した設定資料が社内で共有されていた。これに対してプロジェクト関係者は必ず意見を出すことになっていて、その他の人は時間に余裕があればということになっている。

「奥入瀬(おいらせ)と昇仙峡(しょうせんきょう)の渓流対決、めっちゃ盛り上がりそうじゃん! あと姫路城と松本城だっけ? 白黒で分かれて戦うのもいいな!」
「ありがと! いろいろ調べたかいあったよ! お城は秀吉派か家康派で色が違うらしいんで、敵味方にしてみたんだ。秀吉のほうが黒ね」

 敵側も英結を使って戦いを挑んでくる。主人公と敵がライバル関係にあるのは当然だが、英結同士もバトルを通じて関係が作られていき、物語に深く関わってくるのだ。
 これが文見の考案した本作の売りである。実際の名所の特徴や逸話を調べて、ゲーム内でもそれを擬人化したキャラたちが関連したストーリーを展開させる。
 文見がアニメやゲームをたくさん見て感じたのは、擬人キャラが登場するものは現実とシナリオがリンクしていると、非常に感情移入できるということだった。現実に存在するものには、人々の強い思い入れがあるもので、それを和歌の本歌取りのようにイメージを拝借することで、より強いシーンを作りあげることができる。

「俺は意見出してないけど、これは一発で通るんじゃない?」
「出してよ! 褒め言葉なら大歓迎! 批判ならノーセンキュー!」
「いやぁ、めんどくさくてさあ。『エンケジ』の人は読んでも出さないんじゃないかな」
「まあ、忙しいからねえ」

 同期の率直な言葉は素直に嬉しかった。
 たくさん勉強したし何度も作り直した。そして社長のOKをもらっているのだから自信満々だった。
 他の人からの意見で、ちょっとは直しがあるかもしれないが、少し修正すれば済むはず。そうすれば、次のステップに進むことができ、文見の書いた資料を元にして様々パートが動き始める。

「意見はいつ来るの?」
「ディレクターがまとめて、今日中に送ってくれるって」
「おっ、楽しみだね」
「うん!」
「『サイコーです!』『これなら大ヒット間違いなし!』『全米が泣いた!』とか?」
「はは、それならいいんだけど」

 自分の作ったものをみんなに見てもらうのは緊張するが、人から意見をもらうのはなかなかない機会でとても楽しみだった。
 同じような体験はコスプレでもある。自分と同じくそのキャラを好きな人が、こだわって作ったところに気付いてくれるとすごく嬉しいのだ。
 今回のシナリオでも、ゲームを作っているゲーム好きたちが、自分のこだわりを分かってくれるか楽しみである。




 そのとき、ウインドウがポップアップした。
 ディレクターからのメッセージだった。

「おっ、来た? 俺にも見せてよ」
「ヤダ、恥ずかしい」
「いーじゃん、減るもんじゃないし!」
「えー、別に面白くないと思うよ」
「そんなことないって。一緒に見ようぜ!」
「いいけどさあ」

 意見を人に見られるのは恥ずかしいという思いがあったが、いざ目の前にして一人で見るのが不安になってくる。結局、久世ならフォローもしてくれるだろうと、その申し出を受け入れることにした。
 メッセージにはエクセルのファイルが添付されていて、さっそくクリックしてファイルを開く。
 無記名の意見が項目別に箇条書きになっている。
 どうやら誰の意見か明らかにしないスタイルらしい。無記名のほうが意見しやすいという配慮なのかもしれない。意見されるほうはちょっと怖いが。

「さてと、『全体』の項目からかー」

 文見は上から順に目を通していく。項目が分かれていて、上は全体に対するもの、下に行くと個別の箇所に対する意見になっていた。
 久世は椅子を近寄らせて、文見のモニターをのぞき込む。

・問題ないと思う
・このまま進行してほしい
・よくできている
・作り込まれていて、楽しくなる気がする

「ふむふむ、なるほどね」
「お、いーじゃん!」

・悪くはないが、面白くない
・いまいちぱっとしない
・あまり盛り上がらない
・資料が長すぎるのでまとめてほしい

「ン……?」
「あれ……?」

 文見と久世は同時に首をかしげる。
 書かれている内容が思っていたものとは違ったのだ。

「なんだろう? なんかアバウト過ぎない?」
「んー……」

 久世が苦笑する。
 どこが面白いのか、よくできているのか。またはどのあたりがダメで修正したほうがいいのか、もっと具体的に書いてあると文見は思っていた。だが、書かれている内容はかなりあいまいだった。

「結局、いいのか悪いのか分かんないよね……」
「それそれ。判断を避けたような感じだな」

 非常にもやもやする。
 ダメ出しもらっても、何がどう悪いのか分からないと、設定担当者として対応しようがない。いい作品を作りたくていろんな人に意見を求めているのだから、もっとちゃんと書いて欲しかった。

「なんかほら、もっと前向きな意見欲しかったなあ。後ろ向きってわけじゃないけど、これからプロジェクトは前に進んでいくんだからさ」
「全体に対するやつだから、意見もおおざっぱに書いたんじゃない? きっと個別の項目には具体的なことが書いてあるんだよ、たぶん」
「でもさ、資料が長いのはしょうがなくない? 企画書とか概要書とかじゃなくて、詳細を全部載せた資料だからね」
「まあまあ。次行こうぜ。きっといいこと書いてあるって」
「うーん……」

 自分の書いたものに対して意見をもらうのは、不思議な気持ちだった。
 期待と不安、喜びと不信感などが混じってどうも落ち着かない。ちょっとしたことでも、自分を否定されたように感じてしまうのだ。文見は自分で言ったが、ここには具体的な意見が書いてないので、文見自身を否定したものはまるでないのに。
 もやもやが不愉快な感じがして、文見はつい久世に愚痴ってしまっていた。

・もっとシンプルなほうがいい
・話が浅くて、のめり込めない

「どっちやねん!」

 矛盾する意見が書いてあって、つい関西弁が出てしまう。文見は東京生まれ、東京育ちである。

「いろんな人が意見してるんだから、両方あるっしょ! しゃあないしゃあない!」
「まあね……」

 冷静に考えればそうだが、文見の中ではすでにこのファイルの意見に対する不信感が植え付けられていて、なんでも強く反応するようになっていた。

・「スターマスターズ」のほうが面白そう
・これなら「アースドラゴンズ」をやる

「えええ……」
「まじで……」

 二人して絶句。
 そこには他の会社のゲーム名が書いてあって、ヒロイックリメインズより面白そうだというのだ。

「はあ……『個人の感想ですよね』って突っ込んでほしいかな……」
「これはさすがに……。ほんと、うちの社員が書いたのか? 厳しすぎだろ……」

 さすがに久世も負の感情を吐いてしまう。
 文見は自分がカスタマーセンター係なら「貴重なご意見ありがとうございます。参考にさせていただきます」と、まったく参考にするつもりがない、皮肉の返事を書かこうと思った。しかし匿名のため、これに返信することができない。ストレスだけが溜まる。

・作りに素人っぽさを感じる
・外注ライターに書いてもらったほうがいい
・有名な小説家やクリエイターの監修を受けてはどうか

「は?」

 思わず、シンプルにドスの利いた敵意ある声が出てしまった。いや殺意かもしれない。
 怒りがどんどんこみ上がってくる。聞かせられないような暴言が出てきそうで、口を開くことができない。
 てめえ、何言ってんの? あたしの仕事に文句あんのか? 何が気に食わねえんだよ、具体的に書けよ! そもそも誰だてめえ、名前書け!
 そんな言葉が喉まで来ていて、歯を食いしばり押さえるのに必死だった。
 がたっと椅子を後ろに飛ばして立ち上がる。
 そしてディレクターの席のほうをにらみつける。
 このファイルはディレクターの村野が作ったものだ。村野ならばこの意見を誰が書いたか知っているはず。聞き出さなくては。
 これはまずいと思って久世は文見を止めようとするが、文見は立ち上がっただけで静止していた

「ふー、ふー、ふー」

 文見は顔を真っ赤にしながらも、息を細かく吐いて、気持ちを落ち着かせようとしていた。

「ふーーー。危ない危ない。キレるところだった」

 文見は深呼吸をして椅子を戻し、ゆっくり腰を降ろす。

「だ、大丈夫か……?」
「うん、大丈夫」

 文見は強がって言ってみせるが、まだ息が荒く、毛羽立ちそうな心を強引に抑えている。
 仕事で怒るなんて最低なことだ。仕事でイライラして人に当たったところで、まったく生産的ではない。
 村野や意見を書いた人とケンカをしてやりたいが、そんなのを下っ端の文見がやったら大変なことになってしまう。問題は解決しないどころか、上司や先輩に恨まれ、自分の立場が悪くなってしまう。もしかすると、反抗的ということでシナリオ担当を外されてしまうかもしれない。

「ひどい意見だな、ちょっと文句を言うぐらいいいんじゃない?」
「いいよいいよ、どうせこっちは素人だし。お金とか人脈あるなら、有名人に書いてもらえばいいんじゃない? 宮崎駿とか村上春樹とかどうかなー? ユーザーみんな喜ぶし、社員誰も異見できないでしょ」

 ようは舐められているのだ。
 この意見を書いた先輩社員たちは文見がシナリオを書いているのを知っている。話の良し悪しは分からないが、きっとたいしたことないだろうから、箔をつけるためにも有名人の力を借りたほうが会社のためだと言っている。
 きっと彼らにとっては良心的な意見なのだと、文見は解釈した。

「読むのやめとく? 一回休憩したほうが」
「まだ全然読み終わってないじゃん。あたしはこれ全部読んで、全部吸収しなくちゃいけないんだから」
「そうだけどさ……」

 やけになってしまっている。
 久世は文見を危うく思った。これ以上、変な意見がないといいんだけどと願うが、もろくも破られる。

・遺跡の擬人化が売れると思わない
・デスゲームが流行っているので、殺し合いをしてはどうか?
・このまま進めても売れないので、企画を練り直したほうがよい

「はあああああああ!?」

 思わず大声をあげてしまう。心の奥底からの叫び声だ。
 言うまでもなく、突然叫ぶなど仕事中に絶対やってはいけないことだが、止められるはずがなかった。
 子供のころ、授業中に奇声を発したらどうなるんだろうと考えたことはあったが、こんなところで実行することになろうとは思いもしなかった。
 ゲーム会社なので、ゲームしてたりイヤホンしてたりするが、ここまで大きい声だと何事かと驚いて、多くの人が一斉に振り向いた。
 とっさに久世が文見の口をふさぐ。

「ごめんなさい! なんでもないっす!」

 そう言って久世は、憤怒の形相をした文見を強引に引きずってオフィスを出ていく。




「少しは落ち着いた?」
「なんとか……」

 久世は文見に冷たい缶コーヒーを渡す。
 二人は会社から少し離れた小さい公園に来ていた。
 遊具はなく、広場とベンチがあるだけなので、子供はあまりおらず、サラリーマンの休憩場所としてよく使われている公園だ。
 6月の夕方の風はまだひんやりしていて心地よく、怒りでオーバーヒートした頭を冷ましてくれる。
 この会社では、気分転換に外の空気を吸うのは珍しくない。ゲーム会社という特性上、長時間勤務になることが多いので、ときどき外に出なくてはいけないという意識があり、しばらく席をあける社員を咎めることはあまりない。裁量労働制なので、仕事さえしっかりやってくれれば文句はないのだ。

「なんか変なことなってるな。あんなコメントして小椋に何をやらせたいんだ?」
「……なんなんだろね。あたしのシナリオが気に食わないなら別にいいんだけど、あそこまでいうと企画否定じゃん。社長に対する文句? 経営陣への叛逆?」

 新プロジェクトの企画はすでに通っていて、この内容で制作することは決定事項である。だが明らかにその企画に反対するような意見があったのはおかしなことだった。

「企画書読んでないんじゃないか? プロジェクトメンバー以外には回ってないし、俺も読んでない」
「え? 回覧されてないの?」
「ああ、シナリオはみんな回ってきただろうけど、それで企画内容を初めて知った人多いと思う」
「なにそれ、ひどくない?」
「自分に関係ないゲームの企画回されても、みんな人ごとだから興味ないな。シナリオは社長がみんなの意見が欲しいって言ってたから、仕方なく読んだけど、正直めんどう。俺も意見出さなかったし」
「面倒って……。仕方なくであんなこと言われてもなあ。適当なこと言うなら黙っててよ……」

 書かれていた意見は「無責任」の一言に尽きるだろう。
 自分が当事者であるシナリオライターではないから、好き勝手言っているだけだ。会社のために真面目に考えて、批判的な意見を書いた人もいるかもしれないが、それだけでは文見は助からない。
 プロデューサーやディレクターがその意見を見て、文見の書くシナリオはダメなんだと判断したら、とばっちりもいいところである。

「答えをくれとは言わないけど、何がどうダメでどうしたらよくなるのか示して欲しかったな……」
「それはそう思う……。仕事なんだから、会社のためになることしてほしいな。あと相手が人間だって忘れてるんじゃない?」
「それ! 好き勝手に言って気分よくなってるだけじゃない。仕事のストレスをあたしにぶつけんな! ニュースのコメント欄か!」

 文見は勢いのままコーヒーの缶を握りつぶそうとするが、びくともしなかった。

「硬っ!?」

 それを見ていた久世が缶を引き取り、簡単にぐしゃっと潰してみせる。

「すごっ」
「俺もストレスたまってたんで」

 久世がははっと笑ってみせるので、文見は苦笑した。
 同期に久世がいてよかった。怒り狂ってひどい失敗をしていたと思う。久世のおかげで、どれだけ気が休まったか。

「でもなんか思ってたのとだいぶ違うなあ。みんなで議論しながら決めていけると思ってた。『エンゲジ』もそうだったし、これまでもプロデューサーとディレクターとは和気藹々とやってたんだよ? でも、今回の意見は……同じ会社の人、同じゲームを作る仲間の言葉に思えなかったなあ」
「なんだろな。文字が冷たすぎるんかな? 文章だと口頭より角が立つとかいうけど。意見書いてる人間の心を冷静にさせてくれるってメリットはあるんだろうけど、距離が離れて他人事にさせてる気がするな。面と向かってなら、絶対あんなこと言わないぜ」
「なるほどね……」

 久世の言っていることはよく分かった。
 あんなことを口頭で言われたら、ケンカになるか泣き出すかしているかもしれない。しかし、そうなるのは意見する側も分かっていて、わざわざ波風立てるようなことはしない。
 文面での意見共有ではなく、実際にみんな集まっての討論会形式なら、こんなことにならなかったかもしれない。その場の意見に対して返答しなければいけないのであれば、かなり文見としては嫌なものであったが。

「自分で言うのもアレだけど、一生懸命やってる人に真顔で『無駄だからやめたほうがいいよ』と言われた感じがしたなあ。めっちゃ傷つくし、心折れる。百歩譲ってその意見が正しいとしても、こっちは仕事はなんだよ……。遺跡の擬人化よりいいアイデアがあったとしても、それを自分の心の中に封印して、どうやったら遺跡の擬人化が受け入れてくれるか考えないといけないわけ」
「ちげえねえちげえねえ」

 久世はおおげさに何度も頷いてみせた。

「でもズルいな。あたしは直接企画に文句言えないけど、外野の人はこういう機会で言えるんでしょ。ストレスのはけ口にされている気がする」
「匿名を悪用してるな。仕事してると言いたいことあっても、仕事だからと我慢するが、こうやって意見を出せっていうのに乗じて言いたい放題だ」

 その一方で、文見はあんなファイルを送ってきたディレクターを問い詰めることができない。

「ストレスもそうだけど、みんな自分の仕事で精一杯なのかも。佐々里が言ってたけど、同じ会社でもちょっと立場が違うと興味なくなっちゃうんだろうね」
「そうだな。うちの会社でもそういうことあったか……」

 佐々里は転職したが、誰も仕事を教えてくれず、苦しい思いをした。それぞれに仕事を抱えているから、他人に気遣う余裕がないのだという。
 自分もそれと似たような状況にあるのかもしれない。
 でも、ある程度やむを得ないように思えた。周りは文見の状況を知らないのだ。意見を出せと社長に言われたからやっただけで、初心者である文見が困らないように道を示すところまでが仕事なのか分からなかった。いや、仕事だとは思わないだろう。意見をもらって苦しもうが、その上で直すのが文見の役目だろうと思っている。
 もしかすると、新プロジェクトに参加したいが参加できなかったことを恨んでいるのかもしれない。さらに、シナリオ担当に抜擢された文見をひがんでいるのかもしれない。それなら悪意あるコメントがあってもおかしくないだろう。
 解決するには文見が状況を周りに明らかにする以外ない。けれど今回はもう意見を出し終わっているので、これから何かできるわけではなかった。




「ディレクターがしっかり仕切ってくれたらなあ……」
「松野さんは自分のことしか興味ないからな。ゲーム作れたらそれでいいんだろう。専門はプログラムだし」
「でもディレクターだよ?」

 ディレクターは開発現場の最高指揮官である。
 日本語にすると「監督」という役職だ。ディレクターではなくもっと偉い役職だが、敬愛を込めて監督と呼ばれるゲームクリエイターもいる。
 プロデューサーがお金の管理、プロモーションなど外回りを担当して、ディレクターはそれ以外に責任を持つ。グラフィックやサウンドに精通していなくても、それぞれ判断して指示を出さないといけない立場だ。
 そして、シナリオパートのボスにして下っ端の文見を監督するのは、ディレクター松野になる。

「いい意味でいえば現場主義、悪い意味でいえば責任放棄、だな」
「うーん……」

 松野のやり方は文見にとって、よくも悪くもあり悩ましかった。自由にできるのは嬉しいが、何せシナリオの素人だからある程度は導いてほしいと思ってしまう。
 それはわがままなのだろうか。選ばれた以上は自分のパートは自分ですべてやらないといけないのか。

「まあ、自分でやるしかないんだよね……。はあーー」

 文見は大きなため息を吐く。

「さて帰ろ。帰って苦行の意見読みやらなきゃ」

 ディレクターは会社で集めてきた意見を精査することなく、文見に丸投げしてきた。それは文見になんとか処理しろ、ということだ。
 ここで愚痴を言っていても仕方がなかった。他の誰でもない文見が一人で、あの意見を読み、吸収しないことは先に進めない。

「小椋って案外タフだよな。俺なら今日はもう帰っちまうよ」
「えー、だってあんなの明日に持ち越したくないじゃん」
「そうだけど、もう読みたくないだろ?」
「だから久世にも読んでもらうわけ」
「え、俺も?」

 まさかという顔。
 同期といってもずうずうしかったかなと文見は思うが、ここで引いたら恥ずかしいので押してみる。

「どうせ外野だから読んでもダメージないでしょ?」
「まあねえ……。何もしてあげられない、って意味では人ごとだからな」

 久世は「エンゲージケージ」のプログラマーなので、「ヒロイックリメインズ」のシナリオとはまったく無関係であった。根っからの理系であるため、シナリオはまったく知識がない。

「しょうがない。同期のよしみだ、最後まで付き合ってやるか!」
「さっすが頼れる同期!」
「今度、寿司おごれよー」
「なんで寿司!?」
「それぐらいのお返しがあっていいだろ?」
「むう……。考えとく」

 それぐらいなら安いものだ。久世がいれば怒りを共有しつつ、なんとか苦行を乗り越えられるはず。
 久世はプロジェクトの関係者ではないので、タイムカードを切って完全なボランティアだ。
 全体に対する意見はネガティブでアバウトな意見が多かったが、個別の項目に関しては具体的なものも多かった。
 もちろんネガティブなコメントもだいぶあったが、親身になって考えてくれているものもあって励まされた。

・「桶狭間」というキャラが今川義元ベースなのは非常によいが、最近、義元をアホ貴族キャラにすると批判が大きいのでやめたほうがいいと思う。キャラのバリエーション的に変わったキャラが欲しいのは分かるが。
・ガチャを引かせたいならもっとあざといほうがよい。極端にイケメンか萌えの強いキャラをもっといれるべき。
・未来からやってきた敵というのは面白いと思う。しかしユーザーにはあまり頭のよくない人もいるので、単純明快な話のほうがいい。

「これは難しいね……。シナリオ単品での善し悪しはあるけど、売れる売れないは別のところにある気がする……。優秀な文学作品をゲームにしても売れないし、ゲームにはちゃんとゲーム向けのシナリオがありそう」
「ああ、確かに。いいキャラ作っても、ターゲットに響かないとダメだよな。男女で傾向はまったく違うし、どこに特化するか決めておかないと、ガチャ引いてくれないな」
「いかに作って、いかにターゲットに届けるかの判断もいるってことかあ。うーん」

 これまで単純に、優れたシナリオを、面白いシナリオを、というのも目指して作ってきた。いや、なんとか成立しているシナリオを、というのが正しいかもしれない。
 「このライター、シナリオの作り方を知らないのか?」「整合性とれていないものに金を払えって?」……そんな言葉をかけられないようにすることで必死だったのだ。
 けれどユーザーが望むのはもっと上のものだ。成立していて当たり前。楽しくて、かっこよくて、可愛くて、深くて、感動する。当然、ハイクオリティなものが欲しい。

「俺は巨乳がいればいいや。あ、メガネキャラも捨てがたい」
「えー!? ……って言いたいところだけど、いいねそれ」
「だろ? メガネは世界最強だ」
「そうじゃなくて、シナリオ視点ではフェチは重要だよね、ってこと。ゲームキャラにそういうフェチ……性癖っていうのかな。人それぞれのこだわりを研究してもっと取り込んでいかないと、多くの人を納得させられない気がする……」
「へー。思ったよりゲームシナリオは奥が深そうだ」
「こっちも商売だから、いい話を書くのも大事だけど、誰が買ってくれるかも考えないといけないんだね」

 いいシナリオに加えて、売れるシナリオ。
 それが文見の目指さないといけないものだった。
 同期とのオタトークは楽しかった。これが自分の仕事に直結しているんだから堪らない。こういうことができるのは、ゲーム会社の醍醐味かもしれない。

「ちなみにリアルでメガネの女性は?」
「へ? 二次元の話だろ?」
「巨乳は?」
「三次元でも大歓迎」
「あっそ」

 文見はいつもコンタクトレンズで、メガネは家でしかかけていない。そして、貧乳だった。
 終電をスルーして朝まで議論し合うのもいいかなと思ったけど、文見は切り上げて帰ることにした。
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