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同期

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「転職なんてろくでもないぞ! やめとけやめとけ!」

 お酒の入った佐々里は、そのセリフを何度も繰り返していた。
 秋葉原の繁華街からちょっと離れたところにある居酒屋。文見たち四人の同期が集まってお酒を飲んでいた。そこはよく同期飲みをしていたお店だ。
 主役は佐々里。ノベルティアイテムを退社して、他のゲーム会社に勤めていたが、その会社もやめるという。
 やめるときに会って数ヶ月しか経ってないが、その時より太っているような気がする。私服姿でゆったりした格好しているからそんなに目立たないが、やはりお腹がちょっと出ている。

「『ブレイズ&アイス』はずっと好きなゲームだったし、こうなればさらによくなるって、アイデアたくさんあったんだ。面接でもいっぱい言ったよ。パーティー編成の画面遷移を減らせばテンポが上がって、デイリーミッションも回す気になるって。あのゲーム、やったら画面の数多くて、切り替える気失うからさ。それには社長もうなずいて賛同してくれたんだ。だから入社できたわけだけど……。配属されてみれば、どうでもいい雑用ばかりで……」

 佐々里はジョッキのビールを行きに飲み干す。飲めば飲むほど舌が回るタイプで、飲み会が始まってからしゃべりっぱなしだった。
 それを見て木津が何も言わず、お店の端末で追加のビールを注文する。
 木津は赤縁メガネのオシャレな女性で、美大卒のグラフィッカーだ。ゲーム会社は私服出勤がOKで、ラフでルーズな格好になりがちだが、木津は決して崩れることなく、いいとこ務めのお嬢さん風でびしっと決めていた。
 電車ですれ違った人は、まさか彼女が秋葉原駅を降りてゲーム会社に吸い込まれていくとは思わないだろう。
 ちなみに文見と佐々里がプランナーとして採用され、久世がプログラマーだった。

「でも、給料は上がったんでしょ?」

 もやしのナムルを食べつつ、文見が質問する。
 文見はもやしが好きだ。太らないし、なんたって安い。お通しで出てきても、追加で頼んでしまう。

「ちょっとだけどな。そこは転職エージェントに調整してもらった」
「エージェント?」

 エージェントと言われると、サングラスに黒スーツを着た人が思いつく。もちろんそのエージェントのわけがない。

「無料で、転職したい会社と代わりに交渉してくれるサービス。オススメの会社も紹介してくれる」
「へー、そんなのあるんだ? 新卒採用は自分で連絡しないといけなかったよね」
「企業もいい人材が欲しいからエージェントにお金払って、優秀な人を紹介してもらってんだとよ。転職が成立したら、成功報酬としてけっこうなお金を支払うことになってるから、利用者は無料で利用できるんだ。あとサイト登録しておけば、企業からオファーも来る」
「えっ、すごいじゃん! オファー欲しい! 転職いいなあ」

 文見は大学時代の苦労を思い出す。
 ひたすら名前の聞いたことある企業にエントリーシートを送りつけていた。しかし、書類で落とされることも多く、面接も惨敗だった。「結局、学歴かよ!」と友達と愚痴を言い合ったもんだ。
 そこに企業との仲を取り持ってくれるエージェントがいたり、企業からオファーが来たりしたら、どんなに嬉しいことか。
 文見は文系で、金融、旅行、小売りなどを受けていた。でも全敗してしまい、他に受けるところがなくなってしまう。
 そこで思い切ったほうに舵を取る。大学時代にのめり込んでいた、ゲームなどのエンターテインメント系を受けるようになったのだ。
 狭き門のゲーム会社を狙うなんて夢のような話だったけど、受けるのはタダだし、せっかくなら好きな業界にチャレンジにすることにした。
 それでご覧の通り、ノベルティアイテムに合格。どうせ絶望的な状態だから、いっそ好きな業界に行ってやる、と楽しんで受けたのが良かったのかもしれない。ゲームに関する技能は何もなかったが、社長は熱意を買ってくれた。

「よくなんかないぞ。一応は、双方の希望が通ったんだから嬉しいことのはずだ。確かに向こうは俺を使いたいと言ってくれたから、それなりのものを任せてくれるのかと思ったんだ。けどな……しょうもないデータ打ちばっかで、やってることは新卒やアルバイトと同じ……」

 佐々里は深いため息を吐いて続ける。

「こっちはさ、死ぬほど働いてそれで死んでもいいから、すげーことやってみたかったんだよ。天下の『ブレイズ&アイス』だぞ? 人に誇れることをやれるはずだったんだ! それなのに飼い殺しだ……。なんでオレを雇ったんだ……」

 佐々里の思いは痛いほどに伝わってきて、場は静まり帰ってしまう。

「雑用に高い給料払ってくれるなんていい会社じゃない?」

 愚痴を吐き出しまくる佐々里に、トゲのある言い方をしたのは木津だった。
 けれど、木津の言うことに思うところがあったのだろう。佐々里は神妙な顔で答える。

「ああ……それだよ、それ。俺も気にしてたんだ……。向こうは、入ったばかりの俺に何ができるか分からないから、仕事を与えにくかったんだろうけど、役に立てないのはまずいし、『もっと仕事をやらせてください』ってお願いしたよ。それでさ、次のイベントの施策を任せてくれることになったんだ。だけど問題はさらに起きる。……誰もそのやり方教えてくれなかった。ああ、もちろん黙って待ってたわけじゃないぜ? ちゃんと先輩に聞いて回ったが、『今忙しいから』『自分で考えろ』『楽しようとすんな』とかで、まともに取り合ってくれないんだよなあ……」
「おかしな話ね。会社の損にしかならないのに」
「ほんとだよ。せっかく採用したんだから、ちゃんと働かせてくれよお。会社って意味分からないな!」

 そう言って佐々里は、店員が持ってきたばかりのビールをあおる。
 文見は思わず言う。

「それで、やめちゃうの? ゲームはかなり好調だし、そのまま会社にいれば安泰でしょ? 入ったばかりで、仕事慣れないのは分かるけど」

 非常にもったいなく思っていた。せっかくビッグタイトルの仕事がしたいと言って転職したのに、入社数ヶ月でダメだと判断するのはあまりに早計すぎる。
 佐々里は何度目かわからないため息を吐いてから言う。

「……結局のところ、職場が回ってないんだよ。みんな自分の仕事に精一杯で、他の人を見てる余裕がない。人が足りないから人を雇うが、その人を育てる余裕がないんだ。みんな中途社員で、ろくな教育もなしに現場投入されるから、意味分かんないまま仕事してるし、そこにやってきた新人を育てる時間も義理も能力もない……」

 その語りはさらにトーンダウンする。

「ノベにいたときは、部活みたいに言い合いながら仕事してて楽しかったな……。そりゃあ、長時間勤務とか怒られたりでつらいこともあったけど、今さらながら恵まれていたんだと思う。やりたいことをやれるかは重要だけど、仕事環境ってのも重要なんだな……」

 ノベとは社名のノベルティアイテムのことだ。
 社長曰く、ノベルティは「斬新」という意味で、そこにゲーム用語っぽい「アイテム」という言葉をつけたとのこと。ノベルティと言えば、記念品や販促物の意味合いのほうが強く感じてしまうが、それは織り込み済みだという。ゲームを楽しむユーザーにとって、心に残る記念品になればという思いがある。
 佐々里にとっては振り返って見れば、ノベルティアイテムでのことはいい思い出となっているようだった。だからこうして、そのときの同期と話したいとみんなを呼んだのだ。

「会社が好きになれるか、か……」

 佐々里の言うことも分かる気がして、文見はつぶやいた。
 人間のトラブルのほとんどは人間関係だという。仕事内容の合う合わないもトラブルとなり得るが、一番大きいのは職場における人間関係が合うか合わないかだ。
 ノベルティアイテムは証券マンだった天ヶ瀬が起こした会社。
 ハードな金融系の仕事につかれ、夢を追ってみたくなって独立した。大学時代の親友である村野を巻き込み、スマホアプリの開発を行って成功。とあるゲーム会社からミニゲームの開発を依頼され、ゲーム会社となっていった。社員ゼロからスタートした会社とあって、人間関係は密接で上下関係はあまりなく、まさに佐々里の言うように部活のような環境だった。自分たちが会社を大きくした、という自負もあり、新人教育も自分たちの責任だと思い、注力していた。

「今時の言葉じゃないけど、愛社精神みたいなのは必要なのかもね。というより、帰属意識?」

 自分はこの会社こそが居場所で、ここで活躍することが生きがいである、といった意識だ。それがないと会社に行く気にも成長する気にもなれない。当然、誰かに仕事を教えようなんて思わないだろうと、文見は思った。
 社長や先輩たちも会社が好きだから、遅くまで頑張っているし、文見の面倒を見てくれる。

「そうかもな。人材が入れ替わり立ち替わりの会社じゃ、そんな意識生まれんな……」

 佐々里は寂しそうに言う。会社をやめてしまったことに後悔があるのかもしれない。
 しかし覆水盆に返らず。戻ろうと思えば戻れるのかもしれないが、プライドの高い佐々里は社長に頭を下げられないだろう。

「まあいいじゃん! それが分かるほどいい経験したってことだろ?」

 どんよりした空気を打ち破るように、うなだれる佐々里の肩に腕を回して久世が言う。
 ずっと真面目な話だったので黙っていたが、我慢しきれなくなったらしい。ムードメーカーとしての活動を開始する。

「次はどこ行くんだ? もっといい会社探そうぜ! 世には星の数ほどいっぱい会社あるんだからな! それにゲームがダメなら、他の業界行くのもアリだろ?」
「ああ、そうだな……」

 底抜けの明るさでポジティブに久世がフォローするが、佐々里の顔は暗いままだった。

「会社は辞めたくてしかたないんだが、行くところないんだよ……。お前らも分かってると思うけど、俺らまともな会社員やってないだろ?」

 佐々里はそれぞれの顔を見て、同意を求めてくる。

「朝が遅い、よれよれの私服出社。残業は長くてだらけすぎの勤務。それに、まともな敬語は使えず、上下関係もいい加減。ワードやエクセル使えても、ニュースや新聞は見ないし、日常会話はオタトーク。社会人としてゴミなんだよ、ゲーム会社の社員っていうのは……」

 ひどい言いようだが、思い当たるところがいっぱいあり、文見たちは口元をゆがませる。

「えっと……。ゲーム会社の社員は、他の業界ではやっていけないってこと……?」

 恐る恐る文見が尋ねる。

「そういうこと。社会人スキル足りなすぎ。オタ知識、オタスキルなんて普通の会社じゃなんの役にも立たないんだ。アニメが好き、ゲームが得意なんて主張しても、キモがられるだけ。真面目な顔して『それが弊社の業務でどのように役に立つとお考えですか……?』って言われるぞ」
「ひいっ!?」

 耳と胸が痛い。
 最近、ゲーム大好き、コスプレ大好きと、社長面談で堂々と語った人間は誰だろう。これはゲーム会社だから許されることで、一歩その業界を出れば絶対に許されない。愛するオタなトークは、仕事に役に立つようなことではないから、心に潜めておくものだと思っていたが、実際に役に立たないと言われるとつらいものがある。
 他にも社会人スキルはまったく自信がない。部活やゼミの延長上のような環境で仕事してるため、他の社会人と並んだら一発でだらしなさがバレる気がする。

「それじゃ会社に残ったら? ゲーム会社の社員はゲーム会社でしか務まらないんでしょ」

 そこで、ばっさりと木津が言った。

「木津は相変わらず、容赦ないな」
「生きるか死ぬかの話でしょ? なら遠回しに言っても仕方ないじゃない」
「死ぬかって……まあそうなのかもだけど……」

 至極もっともな正論。
 二年以上の付き合いなので、佐々里も木津節には皆慣れていた。率直な物言いは必ず本人を思ってのことなので、言われても悪い気はしない。心に刺さることはあるけれど。

「恥ずかしい話だが……お前らの前だからな。素直に言おう。……つらいんだよ。会社に居場所がないんだ……」

 これまで真面目ではあったけど、愚痴っぽかったり、冗談も混じってたりで笑い飛ばせるような話だった。けれど急に真剣なトーンになり、文見は思わず、つばを飲んでしまう。
 佐々里は髪をくしゃくしゃにかいて続ける。

「実は、ある仕事がうまくいかなくて、使えない新人扱いされちまったんだ……。さっきも言ったように、よくやり方が分からなかったこともあるし、俺がダメだったのもある。そのせいで、さらに居心地が悪くなったんだ……。一回の失敗くらいで闇堕ちすんな、挽回してみせろって思うかもしれないけど……漫画やアニメみたい、そんなチャンスがないんだよ。余計仕事をくれないし、教えてくれなくなった。きっと、このまま孤立させてやめるまで追い詰める気なんだぜ、あいつら……。結局、俺は会社にとっていらない奴だったんだよ……。そうだよな、二年ゲーム会社に勤めただけの凡人で、別にスキルも才能もないからな。失敗したらただのお荷物だよ……」

 会社が悪い、業界が悪いというのは表向きな愚痴。しかし、佐々里は実際の失敗によって、もっと悪い状況にあった。
 そこに偽りなし。冗談もなし。そのつらさが痛いほどに伝わってきて、何も言えなくなってしまう。
 当然、そこまで深刻な状況ではなく、佐々里の被害妄想の可能性もある。でも、文見にはそういうこともあるのではと思えた。だって、赤の他人にこんな劣等感をさらけ出せないものだから。
 しーんとしてどんよりとした空気を打ち破ったのは木津だった。ワインを一息で飲み干して言う。

「何も考えてないって。人は他人にそんなに興味持ってないから」

 思わぬ言葉に文見は目を丸くする。

「佐々里も、他の社員のことなんて何も思ってないでしょ? 今日は元気かな、仕事は楽しんでるかな、とか思ってあげてる? それは周りも同じ。特に新しく入ってきた人なんて、ほぼ赤の他人なんだから気にするわけがない。興味を持ってほしいなら、まずあんたから興味を持て。話はそれからだ」

 まるで漫画やアニメの登場人物のようなセリフを吐く木津。
 皆がぽかんとする中、佐々里は目を潤ませる。

「木津……。お前、そこまで俺のことを思って……。結婚してくれ!」
「しねえよ、ボケ!」

 木津は思っていることを率直に言う女である。
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