宵闇町・文字屋奇譚

桜衣いちか

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第四章・熱を孕む

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       ◇◆◇◆◇◆


 筆記試験が終わり、その日の午後には合格発表がされた。自己採点で一問だけ間違えた文字屋の名は合格者一覧にあり、三日で詰め込んだにしてはよくやったほうだと、文字屋は自分で自分を褒めた。次なる試験である実技試験は、今年は大筆でのパフォーマンスということで、特に座って勉強することはない。文字屋は書く文字だけ考えようと、移動する彩雲さいうんに乗って天狐帝てんこていの屋敷へと戻った。
 屋敷に戻ると、なにやら雰囲気がざわざわ騒がしい。迎えに出てきた鈿女うずめ曰く、西対にしのたいの屋根に矢が打ちこまれたという。文字屋が慌てて西対にしのたいに向かうと、千代が一人で座って大皿の菓子を食べていた。

「おはうひゅん?」

 うにょーんと伸びる豆餅を食べつつ、返答する千代。その姿を見て文字屋は安堵すると同時に、どっと気が抜け、ずるずるとその場に座り込んだ。

「怪我はないか、千代」

「うん! わたし、事件の時は東対ひがしのたいで狐の女官さん達とお喋りしていたの。だからぜーんぜんなんともない。めぐみさんが一人でいた時に矢が刺さったらしくて、それで大問題になってるみたい。めぐみさんは今、寝殿しんでん玄之丞げんのすけ様と一緒にいらっしゃるよ」

「母上も無事なのか」

「うん。ぴんぴんしてた。『げんちゃんといちゃいちゃしてくるわぁ』って、お元気そうだったよ」

 文字屋の脳内に、その光景がはっきり浮かぶ。二人とも無事で良かったと思うと同時に、千代がすすすと文字屋に近づき、すぐ隣で腰を下ろした。

「なんだ」

「そんなに慌ててくるんだもん、少しは心配してくれたのかなって。そうだったら嬉しいなって」

「……心配するだろ、当然だ」

「えへへー。ですよねー」

 千代が勝ち誇った顔で笑い、文字屋は耳の端を真っ赤に染めたまま俯いた。正月の光る金魚が二人揃って【こい】だったことが発覚してから、何かにつけて千代の機嫌がいい。それは文字屋にとっても嬉しいことなのだが、どんどん近づく距離に慣れないのもまた事実だ。
 とりあえず矢が打ちこまれた屋根を見ておこうと、文字屋は部屋の外に出る。ついてきた千代が「あそこあそこ」と指をさしたのは、随分と屋根の低いところだった。文字屋では手が届かないが、千代でも悠々ゆうゆう手が届く高さ。鈿女うずめは『打ちこまれた』と言っていたが、部屋の中を狙うにしては遠く、意図的に誰かが屋根に矢を刺したほうが正しそうだった。

「矢が放たれたところ、誰か見た者はいるのか?」

「わたしも東対ひがしのたいにいた狐の女官さん達、誰も見ていないよ。話の途中で鈿女うずめさんが大慌てで駆け込んできて、急に矢の話をするんだもの。びっくりしちゃった」

「……東西の侍所さむらいどころにいる狐にも話を聞いてみよう。何も見ていないと言われそうだが、一応な」

 歩き出そうとした文字屋の片手を、千代が自分の手でぎゅっと握る。文字屋は「歩きにくい」と皮肉を言ったが、千代の「一人じゃつまらないから一緒に行く」の一言で黙るしかなかった。
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