宵闇町・文字屋奇譚

桜衣いちか

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第三章・自称:悪役たちの依頼

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 次の日、千代が新聞店に出勤すると、子兎は休みだった。新聞屋曰く、体調不良とのこと。千代は自分の席に着き、主不在の古いデスクを見つめた。
 昨日商店街で起こした騒ぎの数々が原因だろう。悪いのは千代なのだが、子兎も責任を感じてしまったのかもしれない。早く仕事を終わらせてお見舞いにいこうと、千代がかたく誓った途端。
 カランカランとドアベルを鳴らし、買い物カゴを下げたイズナと、小豆色の襟巻きをした文字屋が店内に入ってきた。

「も、文字屋くん?!」

「待ってたですホー! 助かりますでホー!」

「仕事をしにきた」

『二階を借りるでござるよ』

 煙状になったイズナがすーっと二階へ上がっていく。文字屋は襟巻を外し、綺麗に畳んでデスクの上に置くと、子兎の古いデスクの椅子と隣のデスクの椅子を交換した。交換した椅子に座り、新聞屋が書き上げた原稿に目を通し始める。
 くるりと一回、指に挟んだ赤鉛筆が回ると、千代が目を剥く速さで原稿用紙に赤が入った。原稿用紙を新聞屋に渡すと、文字屋は肩を揉み揉みとんとんと叩き、赤鉛筆を置いた。

「校閲係が休みと新聞屋から連絡が入ってな。代わりに来た。子兎に文字の読み書きと校閲の方法を教えたのは俺だからな。弟子の後始末は師である俺がする」

「あ、だから昨日子兎ちゃんが『先生』って呼んでたんだ」

 そういうことだと言い残し、文字屋が口を閉ざす。小豆色の襟巻きを首に巻き直し、使っていた椅子と隣のデスクの椅子を交換する。デスク周りを元通りに戻すと、新聞屋から報酬が入った封筒を受け取り、千代を見つめた。

「俺は子兎の見舞いに行くが、お前はどうする?」

「はい! はい! 行きます!」

「新聞屋。イズナは此処に置いていく。こいつは少し借りるぞ」

「了解しましたでホー!」

 千代はいそいそと都衿みやこえりのコートを羽織る。出入口で待っていた文字屋が、ガランとドアベルを鳴らして扉を開いた。


       ◇◆◇◆◇◆


 子兎の家へ向かう途中、文字屋がたぬき食堂で足を止めた。子狸に〈かちかち山の泥舟デザート〉なるものを持ち帰りで頼み、食堂に入る列とは離れた場所で待機する。
 文字屋はいたって普通通りだ。長い前髪もおろし、書生服姿も変わらない。唯一変わったところがあるとすれば、右親指に薄く包帯が巻かれていることぐらいだ。
 デザートの出来上がりを二人で待つ中、間には細くたなびく白い吐息と静寂だけがあり、千代は思わず昨日のことを思い出して頬を染めた。

(いやいやいやいや! だからなんで照れているの、わたし! そりゃあ色々と不安でしたし、わたしも助けてって言っちゃったし……『俺がそばにいる』なんて台詞せりふ、漫画でしか読んだことないよ! 文字屋くんも普段と違って優しく見えたし……ああ、そうか、目があったからだ。夜を飲みこんだ漆黒の瞳。人間の瞳。その瞳で穏やかに笑ってくれたから、わたしは)

 デザートができたことを告げる声がし、文字屋が先に動いた。迷いない足取りで子狸に近づき、代金と引き換えに商品を受け取る。幾重にも新聞紙に包まれたものが入った袋は、文字屋の小さな手にきちんとおさまった。

「千代。行くぞ」

「はーい」

 千代も慌てて文字屋に駆け寄り、文字屋と足取りを揃える。

(……わたしは、つまり、文字屋くんが)

 唇だけで形作った言葉は、勢いよく千代の体中を駆け巡り、ぼっと沸騰させた。ちらと横目で見た文字屋は、何ら変わりがなくて、それもまた千代の熱情を煽った。
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