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第一章・不吉なペンネーム
壱
しおりを挟む千代は最寄り駅で地下鉄を降り、地上へ繋がる階段をのぼる。
夕下風が、千代の草履の巻を撫ぜた。
同じ都内でも、出版社と下町情緒あふれる駅前とでは、まとっている空気が全然違う。
「千代ちゃん。今日も綺麗な着物ねぇ」
惣菜屋の女主人に声をかけられ、千代は足を止める。
大皿に盛りつけられた惣菜の数々が、グウゥゥと腹の虫をくすぐった。
「お腹が先に返事したねぇ。ちゃんと食べてるのかい?」
「こんばんは、おばちゃん。……あはは……えーと、そのー……」
三食ぬか漬けごはんです。
口にあふれたよだれごと、千代は言葉を飲みこむ。
トロリとした餡かけ豆腐。
ツヤツヤ光るカボチャの煮つけ。きんぴらごぼう。肉だんご。ふわふわのだし巻き卵。
(ああああ、おいしそう! せめて匂いだけでも!)
スーハースーハーと、店先で深呼吸をくり返す千代へ、女主人がいなり寿司のパックを差しだした。
「お稲荷さんの掃除。今週はウチが当番なんだけどねぇ。忙がしくて行けなくてねぇ。
千代ちゃんが代わりに行ってくれたら、もう一パックおまけしても良いんけどねぇ」
「お掃除大好きです!」
夕暮れのオレンジ色に染まる商店街に、千代の声が響きわたった。
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