6 / 10
06
しおりを挟む
今年社交界デビューということは、王立学園の二学年生か。
貴族令息令嬢のほとんどが、学園在学中に婚約者が決まってしまう。
焦った公爵は、戦場に長い間身を置いていた弊害もあって、宮廷の作法が頭から抜けていた。
「すぐに求婚しなければ。横からかっさらわれるのはごめんです。これにて退出させて頂きたく」
王太子夫妻は非常にあわてた。一般的にこういう王室主催のパーティでは、王族から退場すべしというのが作法の一つだからだ。
今は勲章を授与された者たちの周りに歓談の輪が広がっていて、もう少し時間が経たねば王太子夫妻とて退場は出来ない。
各自自由な時間を過ごしている貴族たちも、王太子夫妻の退場時には全員が中央扉付近に序列順に整列する。
王族よりも先に臣下が退出するなどあってはならないことで、作法としては初歩の初歩なのだが、公爵はどうかしてしまったのだろうか?
異母弟に瑕疵を付けるわけにはいかないと意気込む二人は必死に引き留める。ほんの小さな傷であっても決して付けてはならない。でなければ敵対勢力に一方的な攻撃の口実を与えるだけだ。
「待て待て!相当な変…人……い、いや変わり者だと評判のご令嬢だ。昨日今日で縁談が殺到するはずもないだろう」
いつもならマナーや作法を忘れることなどなかろう。いったいどうなっているのか。王太子は異母弟がいきなりポンコツになってしまったことにびっくりした。
王太子妃も、恋?恋なの?恋する者は盲目になってしまうの?と湧き上がる好奇心を抑えながら、扇をパチンと閉じる。
「そうよ!それにああいうご令嬢の心を掴むには普通の手順ではダメよ!?釣書を送って訪問して花束じゃ蟻並みに心が動かないわ」
「蟻並み……」
まさにしようとしていたままを言い当てられ、しかもその効果は蟻並みだとまで言われ、公爵は落ち込んだ。彼の頭に項垂れた大型犬の耳が視えたと、のちに王太子妃は語ったと言う。
「そ、その通り!それにたとえ話にもあるじゃないか。『人を得んとすればまず馬を得よ』だろう!?ひとまず一旦中座しろ。控え室で休憩を取れ。令嬢の周囲をまず固める方法を考えてこい。な?な?」
威厳も何もあったもんじゃない王太子が、さらに畳みかける。異母弟の行動の早さを誰よりも知っているからに他ならない。
それを聞いて公爵はハッとなった。
「……周囲をまず固める……」
どこかで聞いた方法だな――
!
そうか……
……戦と同じか。
情報を集め、彼女の周囲を掌握し、退路を断つ。
なるほど……自分は――
あの令嬢を手に入れたいのか。
初めて芽生えた執着に驚愕する。
まさか自分が人を欲するようになるなどと。
物心ついた頃から食事や飲み物への毒物混入は日常茶飯事で、戦場ですら刺客が味方陣営に入り込み心休まる暇はなかった。刺客が幾人送り込まれて来ようとも、生き延びているのは優秀な忠臣たちのおかげでもある。
生きたい――ただそれだけのことが酷く困難だった。
人生とは緊張の連続で、隙を見せたら命はなく、欲望を持つ余裕などなかった。
それでも寵姫だった母が生きていた間は、父である国王の目もあり、そう頻繁ではなかったのだ。
だが母が亡くなってからは、ますます生き延びることが難しくなった。
暗殺には『やんごとなきお方』が関与していると言われており、証拠は消え、暗殺者もすぐに処理されてしまう。暗殺未遂は全て未解決のままだ。
加えて母の生家である子爵家にも問題があった。
無駄に野心が大きく、やたらと口出しばかりしてくる母方の親族たちも、中庸派の立ち位置を変えることなく寄親も決めない下級貴族のままで、後ろ盾となるには余りにも貧弱だった。
考え込んだ公爵を見て、どうやら中座してくれる気になったようだ、と王太子夫妻は揃ってほっと安堵のため息を漏らした。
けれど、公爵が求愛さえも、戦馬鹿の一つ覚えで考えていることに気付いていたら、そして恋でポンコツになる人間もいるのだと知っていたら、この先起こる前代未聞の求婚騒動も、もう少しなんとかなったかもしれない――
貴族令息令嬢のほとんどが、学園在学中に婚約者が決まってしまう。
焦った公爵は、戦場に長い間身を置いていた弊害もあって、宮廷の作法が頭から抜けていた。
「すぐに求婚しなければ。横からかっさらわれるのはごめんです。これにて退出させて頂きたく」
王太子夫妻は非常にあわてた。一般的にこういう王室主催のパーティでは、王族から退場すべしというのが作法の一つだからだ。
今は勲章を授与された者たちの周りに歓談の輪が広がっていて、もう少し時間が経たねば王太子夫妻とて退場は出来ない。
各自自由な時間を過ごしている貴族たちも、王太子夫妻の退場時には全員が中央扉付近に序列順に整列する。
王族よりも先に臣下が退出するなどあってはならないことで、作法としては初歩の初歩なのだが、公爵はどうかしてしまったのだろうか?
異母弟に瑕疵を付けるわけにはいかないと意気込む二人は必死に引き留める。ほんの小さな傷であっても決して付けてはならない。でなければ敵対勢力に一方的な攻撃の口実を与えるだけだ。
「待て待て!相当な変…人……い、いや変わり者だと評判のご令嬢だ。昨日今日で縁談が殺到するはずもないだろう」
いつもならマナーや作法を忘れることなどなかろう。いったいどうなっているのか。王太子は異母弟がいきなりポンコツになってしまったことにびっくりした。
王太子妃も、恋?恋なの?恋する者は盲目になってしまうの?と湧き上がる好奇心を抑えながら、扇をパチンと閉じる。
「そうよ!それにああいうご令嬢の心を掴むには普通の手順ではダメよ!?釣書を送って訪問して花束じゃ蟻並みに心が動かないわ」
「蟻並み……」
まさにしようとしていたままを言い当てられ、しかもその効果は蟻並みだとまで言われ、公爵は落ち込んだ。彼の頭に項垂れた大型犬の耳が視えたと、のちに王太子妃は語ったと言う。
「そ、その通り!それにたとえ話にもあるじゃないか。『人を得んとすればまず馬を得よ』だろう!?ひとまず一旦中座しろ。控え室で休憩を取れ。令嬢の周囲をまず固める方法を考えてこい。な?な?」
威厳も何もあったもんじゃない王太子が、さらに畳みかける。異母弟の行動の早さを誰よりも知っているからに他ならない。
それを聞いて公爵はハッとなった。
「……周囲をまず固める……」
どこかで聞いた方法だな――
!
そうか……
……戦と同じか。
情報を集め、彼女の周囲を掌握し、退路を断つ。
なるほど……自分は――
あの令嬢を手に入れたいのか。
初めて芽生えた執着に驚愕する。
まさか自分が人を欲するようになるなどと。
物心ついた頃から食事や飲み物への毒物混入は日常茶飯事で、戦場ですら刺客が味方陣営に入り込み心休まる暇はなかった。刺客が幾人送り込まれて来ようとも、生き延びているのは優秀な忠臣たちのおかげでもある。
生きたい――ただそれだけのことが酷く困難だった。
人生とは緊張の連続で、隙を見せたら命はなく、欲望を持つ余裕などなかった。
それでも寵姫だった母が生きていた間は、父である国王の目もあり、そう頻繁ではなかったのだ。
だが母が亡くなってからは、ますます生き延びることが難しくなった。
暗殺には『やんごとなきお方』が関与していると言われており、証拠は消え、暗殺者もすぐに処理されてしまう。暗殺未遂は全て未解決のままだ。
加えて母の生家である子爵家にも問題があった。
無駄に野心が大きく、やたらと口出しばかりしてくる母方の親族たちも、中庸派の立ち位置を変えることなく寄親も決めない下級貴族のままで、後ろ盾となるには余りにも貧弱だった。
考え込んだ公爵を見て、どうやら中座してくれる気になったようだ、と王太子夫妻は揃ってほっと安堵のため息を漏らした。
けれど、公爵が求愛さえも、戦馬鹿の一つ覚えで考えていることに気付いていたら、そして恋でポンコツになる人間もいるのだと知っていたら、この先起こる前代未聞の求婚騒動も、もう少しなんとかなったかもしれない――
52
お気に入りに追加
162
あなたにおすすめの小説
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道
Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道
周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。
女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。
※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
大好きだけど、結婚はできません!〜強面彼氏に強引に溺愛されて、困っています〜
楠結衣
恋愛
冷たい川に落ちてしまったリス獣人のミーナは、薄れゆく意識の中、水中を飛ぶような速さで泳いできた一人の青年に助け出される。
ミーナを助けてくれた鍛冶屋のリュークは、鋭く睨むワイルドな人で。思わず身をすくませたけど、見た目と違って優しいリュークに次第に心惹かれていく。
さらに結婚を前提の告白をされてしまうのだけど、リュークの夢は故郷で鍛冶屋をひらくことだと告げられて。
(リュークのことは好きだけど、彼が住むのは北にある氷の国。寒すぎると冬眠してしまう私には無理!)
と断ったのに、なぜか諦めないリュークと期限付きでお試しの恋人に?!
「泊まっていい?」
「今日、泊まってけ」
「俺の故郷で結婚してほしい!」
あまく溺愛してくるリュークに、ミーナの好きの気持ちは加速していく。
やっぱり、氷の国に一緒に行きたい!寒さに慣れると決意したミーナはある行動に出る……。
ミーナの一途な想いの行方は?二人の恋の結末は?!
健気でかわいいリス獣人と、見た目が怖いのに甘々なペンギン獣人の恋物語。
一途で溺愛なハッピーエンドストーリーです。
*小説家になろう様でも掲載しています
人形な美貌の王女様はイケメン騎士団長の花嫁になりたい
青空一夏
恋愛
美貌の王女は騎士団長のハミルトンにずっと恋をしていた。
ところが、父王から60歳を超える皇帝のもとに嫁がされた。
嫁がなければ戦争になると言われたミレはハミルトンに帰ってきたら妻にしてほしいと頼むのだった。
王女がハミルトンのところにもどるためにたてた作戦とは‥‥
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる