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しおりを挟む誰が注目したわけでもなく、庭園にいた令嬢は静かに入って来て、まっすぐ会場の壁際に置かれている休憩用の長椅子のほうに歩いていく。
小柄で歩くたびに腰まである茶色の髪がふわりふわりと揺れていて、まるでリスの尻尾のようだと思う。
遠くて瞳の色までは分からなかったが、今すぐに近づいてその瞳を覗き込みたい衝動を抑えなければならなかった。
もう一つ気になったのは、彼女が着ているドレスのポケットに大量に詰め込まれていた草の行方だった。スカート部分に不自然さはなくなっている。
どこにやったのだろう?
彼女が向かう先の長椅子には、白髪をかっちりまとめた厳格そうな夫人が、ひじ掛けに上半身をすっかり預けたままくつろいでいるが、億劫そうにゆっくりと身体を起こした。
一言二言何か言ったようで、令嬢はしきりにペコペコと頭を下げている。
付き添い役と言っていたが、あれは気難しいことで有名なベルマ伯爵夫人じゃないか、と思い観察していると、やがて小言を言うのにも飽きたのか、令嬢の手を借りながら伯爵夫人が立ち上がって共に中央扉のほうに歩いていく。侍者や侍女が控える、軽食などの置かれた控え室へ移動するのだろう。
「ほぉ。我が異母弟はああいう令嬢が好みか」
いなくなってしまった―――言い知れぬ焦燥感のようなものがこみあげてきて、それでもどうしたらいいのか分からなくて思考の海に沈んでいたところ、いきなりの言葉に驚いて振り返ると、ニマニマしている異母兄と目が合った。
見れば王太子妃も扇のかげから好奇心の浮かんだ紫色の瞳をキラキラさせて、令嬢が去っていくほうを見つめている。
そこで自分がずっと時も忘れて令嬢を目で追いかけ、不調法にも王太子夫妻に対して正面に身体を向けていなかったことに、初めて気がついたのだった。
しまった、と思いつつ臣下としての姿勢を正した。
興味がない振りを今更しようとしても手遅れだろう。二人のキラキラした瞳が何が起こったのかと語りかけてくる。まさに『目は口程に物を言う』だ。
彼女がどういう素性なのか尋ねることにする。
王族であった時期に名を覚えた記憶がないことから、戦時中で社交界から遠ざかっていた頃に行われた宮廷舞踏会で社交界デビューしたご令嬢であろうと推測する。
全ての令嬢令息から挨拶を受けた二人なら分かるに違いない、と判断したのは正しかった。
「今年の王室主催舞踏会で社交界デビューしたシュヴァイン子爵令嬢だな」
「ええ。ご令嬢が教えを乞うている薬草学教授が、魔力を付与した回復薬を、戦時下で安定供給したことによる貢献度で叙爵しましたの。ですから一番弟子であるご令嬢は、このパーティに参加したのでしょうね」
「ほら、アレクサンドルと同じ勲章授与の場にいた……彼は軍人ではないから階級昇進ではないが、男爵位を授けることになった」
なるほど。あの時勲章授与の列にいた、唯一軍人ではなかった男が、あのご令嬢の師匠というわけか。
一張羅と思しき礼服もサイズが合っていなくて、いかにも研究肌の男だな、そう思ったことは覚えている。白髪交じりの髪も勲章授与の時には水でなでつけただけだったのか、授与が済んだ頃には寝ぐせのようにあちこちに飛び跳ねていたな。
公爵は何かに突出した才能を持つ人間が、他のこと――例えば身だしなみなど――に気を留めないこともよく分かっていた。
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