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24.まさかの

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 ヘルマン執事が戻ってきた時、アードルフは応接間の扉の横の壁に背を預けてしゃがみ込み蹲っていた。

「……………旦那様、何をなさっておいでで?」

「参った………」
「………は?」
「シャルロッテ公女が言ったんだ」
「何を、でございます?」
「俺のきずを、いたわしいと」

 これまでアードルフの顔の疵は、忌まれ疎まれ怖がられることはあっても気遣われることはほとんど無かった。もちろん主君たる両陛下や家中の者たちからは気遣われ見舞われ、治癒を担当してくれた魔術師たちからは力不足を詫びられたこともある。
 だが多くの人々は、ことに妙齢のご婦人やご令嬢たちからはあからさまに避けられ、はっきりと怯えられた事さえある。この疵のせいで当時婚約の話が進んでいた令嬢の家からは婚約の白紙撤回を言い渡され、以後ぱったりと縁談も来なくなり、だからこそ彼は25歳のこの歳まで結婚も婚約もしていなかったのだ。

 だが、そんな醜い疵を彼女は労しいと言ってくれたのだ。それも怯える様子など微塵もなく、恐怖に顔をしかめることもなく、本当に心の底から自分の痛みまでも理解するかのように、辛そうな顔をして言ったのだ。

「天使過ぎんか………」
「はい?」
「10年経っても天使のままって、どういう事だよ」


 10年前、当時15歳で成人したばかりのアードルフは、学舎の友人たちと卒業前の最後の越年祭を楽しむため街へ繰り出していた。年が明けて16歳になればおよそ1ヶ月で学舎を卒業し、卒業すれば辺境伯である父の後継者として東方国境にて従軍せねばならなくなる。それを目前にした、最後の息抜きが越年祭であった。
 その時に出会ったのが当時6歳だった幼いシャルロッテである。彼女は越年祭で街へ出ることを許可され、両親や妹、侍女や護衛たちと初めての街歩きを楽しんでいたのだが、見るもの聞くもの何もかもが初めてで浮かれ上がってしまい、みなが止めるのも聞かずにあちこち走り回って見て回り、気付けば護衛さえ撒いてしまって独りぼっちになり泣いていたのだ。

 人並みの恋愛感覚を持っていて幼女趣味などないアードルフの目から見ても、シャルロッテの姿はひどく可愛らしく魅力的に見えた。輝く銀の髪と涙で潤んだ艶やかな漆黒の瞳は息を呑むほど美しく、そのまま成長するだけで誰もが振り返る絶世の美女になることが容易に想像できた。しかも身なりも整っていて、どう見ても高位貴族のご令嬢にしか見えなかった。

 こんなお嬢さんが、なぜ護衛も連れずにひとりで泣いているのか。それが発見した時最初に思ったことだった。放っておいたら確実に人攫いに連れ去られて行方不明になるに決まっている。おそらく護衛たちが血眼になって探しているだろうから、それまで保護してあげよう。
 そう決めたアードルフは学友たちと別れ、彼女と一緒に護衛の姿を探した。だが行き合わせがよくないのかいっこうにそれらしい姿を見かけない。下手に移動するのがまずいと気付いて噴水広場でしばらく待ったが、やはり発見してもらえない。
 実はこの時彼らのいた広場はすでに捜索されたあとで、だから護衛たちはとっくに別の地区の捜索に移動してしまっていた。

「ねえ君、名前は?」
「しゃるろって………」
「そっか、僕はアードルフ。シャルロッテのおうちの家名は言える?」
「かめい?」
「お父様はなんて呼ばれてるの?」
「んと、あすかーにゃこうしゃく」

(あすかーにゃ……アスカーニャ……アスカーニア公爵!?)

 なんとビックリ、国内でも有数の大貴族である。しかもアードルフのブレンダンブルク家にとっては本家筋だ。もう分岐して百年以上経っており血の繋がりはかなり薄まっているとはいえ、アードルフとシャルロッテは遠い親戚同士ということになる。

「よし、じゃあシャルロッテ、おうちへ帰ろうか」
「わたくし、おうちにかえれるの?」
「うん。僕が場所を知ってるから、連れてってあげるよ」
「ほんと?ありがとうあーろるふお兄ちゃま!」

「名前、呼びづらいよね。ドルフって呼んで?」
「どるふ?」
「そう、ドルフ」
「分かったわ、どるふお兄ちゃま!」

 こうして、アードルフはシャルロッテの手を引いてアスカーニア公爵家の帝都公邸までシャルロッテを送り届けた。途中、歩き疲れた彼女を背負ってやり、彼女がその背で眠ってしまってからはこの子を守りたい、守らねばと思いを強くした。
 ようやく公邸へたどり着けば、公爵一家は捜索を護衛たちに任せて一足先に帰宅していた。アードルフがブレンダンブルク辺境伯の子息だと知って大変喜んで一泊させてくれ、歓待してくれた挙げ句に翌日には学舎の寮まで送り届けてくれた。


 それ以後、アスカーニア公爵家からブレンダンブルク辺境伯家への支援が手厚くなり、5年前の戦で父が戦死してから辺境伯を継承する際にも大いに助力してもらったものである。でなければ20歳の若造がいくら戦功を挙げたとはいえ、帝国の最強の防壁たるブレンダンブルク辺境伯の地位を引き継ぐ事などできなかったはずだった。
 戦勝式典とそれに伴う辺境伯の継承式で、アードルフは久々にシャルロッテの姿を見ることができた。11歳になった彼女はまだ幼さを残しつつも、思ったとおりに素晴らしい美少女に成長していた。

 だが、その隣には皇后の産んだ第二皇子のルートヴィヒの姿があった。


 皇后の産んだ皇子はルートヴィヒだけだ。だから継承順位はルートヴィヒが兄のハインリヒを差し置いて1位となる。
 その彼の隣に、シャルロッテは婚約者として立っていた。その事が誇らしくもあり、同時に密かに隠していた宝物を取られたような気持ちにもなり、アードルフは内心で混乱したものである。
 なぜそんな気持ちになるのか考えに考えて、彼はひとつの結論に達した。

 そう。自分は彼女に恋してしまったのだ、と。


 それ以降、アードルフはその想いを心の奥深くに封印すると決めた。彼女は第二皇子の婚約者であり、ゆくゆくは皇太子の婚約者となり、そして皇太子妃から皇后になる。
 つまり、アードルフの将来の主君になるのだ。
 だから彼は、生涯彼女に忠誠を誓うと心に決めた。愛の代わりに忠誠を捧げ、彼女の剣となり盾となって生涯守り抜くと、固く誓ったのだ。



 それなのに。
 その彼女が今、婚約破棄されて辺境伯じぶんとの結婚を命じられ、辺境伯領に追放されたと言ってこの城に来ている。それだけでも望外の夢かと疑っているのに、自分の顔の疵を厭うこともなく気遣ってくれたのだ。
 他の誰もが嫌ったこの疵を。他ならぬ自分でさえもが呪ったこの疵を。

「やっべえ嬉しい………俺こんな幸せでいいのかな………」
「旦那様、それ公女様ご本人に直接言って差し上げなされ」
「無理だそんなの言えるわけねえだろ俺を殺す気かヘルマン」
「言わなきゃ伝わらんと思いますがねえ」





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