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【王女アナスタシア】
28.襲撃事件の後始末
しおりを挟むマケダニア王城、西の尖塔にある貴人牢の一室は重苦しい空気に包まれていた。
その場に立ち尽くす人々はカリトン王のほか、宰相クリューセースと書記官たち、刑務局長、司法局長、追捕局長、典医局長、それに追捕局の騎士たちと王の近衛騎士たち。
そして彼らの前で跪いて涙を流しているのが、後ろ手に縛られて轡を噛まされている、ハラストラ公爵家令嬢テルクシノエーだった。
「襲撃の主犯は本当にテルクシノエー嬢で間違いないのか」
「……蘇生させた賊がそう申したこと自体は、事実でございますな」
あの時アナスタシアが指示して神教神殿に運び込ませた賊の亡骸は、全員とはいかなかったものの狙い通りに数人の蘇生に成功した。彼らは偽装していたもののハラストラ公爵家に仕える騎士たちであり、自分たちが蘇生させられたことに気付いてからもなかなか口を割らなかったが、どうやらハラストラ公爵に家族を害されることを恐れているようだった。それで宰相の権限でそれとなく調べさせると、ハラストラ公爵は突然帰って来なくなった配下たちの家族に謝罪と謝礼をし、手厚くその面倒を見ているようだと判明した。
そこまで説明して、自分たちが公式にはすでに死亡していること、取り調べを終えた後には家族ともども保護して王家の権限で必ず安全な土地に逃してやると約束して、それでようやく彼らは口を開いたのだ。
そうして踏み込んだハラストラ公爵家の首都公邸にハラストラ公爵はおらず、公邸の執事がすでに捕縛されたテルクシノエーを従えて追捕局の騎士たちを出迎えた。執事によれば今回のことはテルクシノエーの独断であり、公爵にも話を通さず勝手に公爵家の騎士を動かしたこと、あまつさえ狙った相手が連邦王家のアナスタシア姫であったことに公爵が激怒し、犯人を王家に突き出すべく準備していたのだという。
追捕局の騎士たちは彼女の身柄を引き受け、今は事件の内情調査のために領に戻っている公爵にも必ず出頭させると執事の確約を得た上で、王城に引き揚げてきたとのことだった。
「……ハラストラ公は、本当にそれで済むと思っているのか」
「それで済ますおつもりなのでしょうなあ」
本来ならそれで済むはずがないと、考えずとも分かるものである。テルクシノエーはミエザ学習院の二回生、つまりまだ14歳の未成年なのだから、そんな小娘が独断で考えなしの暴挙をやるにも限度があろうし、仮に本当にそうだとしても保護者として公爵が監督責任に問われるべき事態なのだ。
それなのに、公爵は直ちに王宮に参内することもなく調査のために領に戻っているという。どう考えても掘り出されては困る証拠の隠滅のため奔走しているとしか思えない。
とりもなおさず、それはハラストラ公爵をはじめとする反王派がカリトン王を見くびっているということに他ならない。どうせ大したことはできないと、そう侮られているのだ。
そして実際に、すでに隠滅に動かれているであろうことを考えると、今から証拠保全に努めたとしてどれほど容疑が固めきれるものか不透明だ。
「……とりあえず、テルクシノエー嬢をいつまでもこのままにしておくのも忍びない。解いてやるように」
涙を浮かべて、可哀想なほど怯えきっているテルクシノエーの姿は見るに堪えない。どのみち彼女からも聴取せねばならないし、まずは落ち着いてもらわなくては。
控えていた追捕局の女性騎士が彼女の背後に回って、戒めていた手首の縄と轡を解いてやるも、その顔色が驚愕に染まる。
「なっ、へ、陛下!」
「どうした?」
「ご令嬢の……、し、舌が……!」
直ちに典医局長が駆け寄り「ご無礼を」と一言断ってからテルクシノエーの口を開けさせた。覗き込んですぐに顔を強張らせた老医は「青派の魔術師、それから神教の法術師もお呼び下され!」と叫ぶ。それを聞いて宰相の脇に控えていた書記官たちが慌ただしく退出していった。
「どうした、何があった」
「畏れながら陛下、ご令嬢の舌が切り刻まれておりまする」
「なんだと!?」
驚愕に顔を歪めるカリトン王の姿を見て、テルクシノエーが呻きながら再び泣き出した。すでに轡も外されているというのに、彼女の口からは言葉にならない呻き声しか出てこなかった。
ややあって駆け付けてきた女性魔術師が[治癒]の魔術を施したが、彼女は力なく首を振って宰相を仰ぎ見た。
「どうした、まさか治せぬとは言うまいな」
「[治癒]は正常に発動しましたが、ご令嬢には[制約]もかけられております」
「ではそれも解除するように」
「…………すぐには不可能でございます。既存の術式ではなく、新たに組み直したオリジナルの術式によるものですので、まずは[解析]から始めませんと」
力なく首を振る女性魔術師と、呻き声を上げつつ泣き崩れるテルクシノエーの姿に、その場の誰も口を開くことができなかった。
要するに、テルクシノエーは公爵から切り捨てられたのだ。
彼女が今回の件にどれほど主体的に関わっていたのか、彼女の父公爵とどこまで共謀していたのか、それを詳しく調べ立証するためにはテルクシノエーの供述が不可欠だ。だがその彼女は舌を切り刻まれて喋れなくされ、なおかつ[制約]で不利な証言をしないよう縛られている。既存の術式であれば解除は比較的容易だが、術式を組み替えたオリジナルとなれば詳細な術式解析を行って、その仕組みを解明した上で解除の方法を探らねばならない。
だがそんな事をしている間にハラストラ公爵は証拠の隠滅を完璧に終えてしまうだろう。そうなってから何食わぬ顔で参内して、娘に全ての罪を被せて処刑するよう求めるつもりなのだ。
「なんと……非道な……!」
歯噛みするも、素直な性格で人の良いカリトンにはどうすることもできない。そして宰相や刑務局長にはどうすればいいのか腹案を思いついてはいるものの、それを王にそのまま進言できない。
だって穏やかで人が良いのがこの頼りない王の最大の長所なのだ。それをわざわざ汚し捻じ曲げるのは本意ではないし、そんな事をしてしまってはここまで王を支えて盛り立ててきた意義すらも失いかねない。
この場に集う高官たちの誰もが解っているのだ。この優しいだけの王にそんな非情な振る舞いなどできるはずもないと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「⸺そう。分かりましたわ」
仔細を聞き出したアナスタシアは何食わぬ顔で、いつもの調子で平静な声音で、それだけ発言した。彼女は目の前に置かれたカップを手に取り、黄金色の紅茶を一口含んでこくりと飲み干す。
そうしておもむろにカップを戻し。
「わたくしが売られた喧嘩ですもの。わたくしが責任をもって買い取りますわ」
静かにそう宣言した。
「し、しかしですな……」
「ああ、宰相閣下は何もご案じなさらないで。わたくしが勝手に動きますから」
「…………は」
うっそりと微笑むアナスタシアを前にして、宰相クリューセースは縮こまるしかなかった。彼の心は今、当事者なのだから教えなさいとしつこく詰め寄ってきたアナスタシアに根負けしてしまった後悔で溢れている。
だがどこかで安堵している自分がいるのも事実であり、だから余計に色々といたたまれない。自分の娘のような年頃の少女に勝てないと思わされるのもまた、忸怩たる思いであった。
それからおよそ半月後。
暑季のさなかにハラストラ公爵ゲンナディオスは、連邦司法局の差し向けた軍勢に首都公邸と領都本邸を同時に取り囲まれ、抗議する間もなく捕らえられた。容疑は連邦反逆罪である。公爵夫人ビリスティチェと嫡男クラトスも併せて捕らえられたが、唯一、長女アポレイアだけは捕縛を免れ、ハラストラ公爵の代行を命じられた。
とはいえアポレイアはまだ学習院を卒院した直後の16歳であり、爵位を継ぐ予定もなかったため困惑して右往左往するばかりである。
マケダニア王宮には激震が走ったものの、捕縛の対象がハラストラ公爵家に限定されたことですぐに落ち着きを取り戻した。とはいえ、反王派筆頭であるハラストラ公爵が失脚した影響は決して小さくはない。マケダニア王カリトンばかりでなくイリシャ連邦王家まで明確に敵に回ったことで、派閥の瓦解は免れぬであろう。
「儂が!一体何をしたというのだ!」
「公爵家の私兵力をもって反逆を企み、第三王女アナスタシアを害さんとしたこと明白。言い逃れができると思うな」
「それは!我が愚女めが!」
「未成年の娘の罪から父親が逃げ切れると、本気で思っているのか?」
捕縛の軍勢を率いてきたアカエイア王太子ヒュアキントスに冷ややかな目を向けられ、それ以上何も言えずに、ゲンナディオスはがっくりと肩を落としたのであった。
要するにアナスタシアがしたことは、ハラストラ公爵がテルクシノエーにやった事をそのままやり返してやっただけである。つまり主犯が誰かに関わらず、ハラストラ公爵家の犯行ということにしてマケダニア王家は無関係という体を貫いたわけだ。
連邦王女アナスタシアへの襲撃と、それを実行したのが公爵家の手の者だったという事実があるのだから、あとは連邦王家に告発して連邦の敵として族滅してしまえばいい。そうすればマケダニア国内でハラストラ公爵家がどれほど力を持っていようと無意味である。
アナスタシアの書簡で詳細を知らされた連邦王太子ニケフォロスが激昂し、仔細を聞いた連邦王アリストデーモスも同じく激昂し、あれよあれよという間にゲンナディオスの罪状は組み上げられた。
そうして捕縛され厳しい取り調べと捜査の結果、アナスタシア襲撃実行犯たちの家族が秘密裏に始末されていたこと、北東隣国のヴァルガン王国や東方隣国のアナトリア皇国との密貿易の証拠などが次々と露見したことで、ゲンナディオスが無罪を勝ち取ることなどあり得なくなった。
「……できれば、ここまで大事にはしたくなかったのですけれど」
「何を言っているんだアナ。愛しいお前を害するような非道を許すことなどできるものか」
「……ありがとうございます、お兄様」
約半年ぶりに顔を合わせた兄の重い愛に、ため息をつきつつも喜びを感じてしまうアナスタシアである。
公爵ゲンナディオス、夫人ビリスティチェ、嫡男クラトスの3名は裁判を経て全て斬首に処せられ、ハラストラ公爵家は取り潰しとなった。
長女アポレイアと次女テルクシノエーは共謀関係にはない、あるいは被害者とされたため死一等を減ぜられ、今後しばらくはマケダニア王宮の西の尖塔にて貴人牢に入れられる事になった。反省と贖罪の態度が見られるようであれば、家門の復活を含めた今後の処遇が決められる事になるだろう。まあその前に、テルクシノエーは心身の療養が先であろうが。
テルクシノエーはまた、ミエザ学習院の中途退院が決まった。罪を得て貴人牢に入れられる以上はこれも当然の処置であろう。
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