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【王女アナスタシア】

16.とある昼休みの混沌風景(2)

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「これ以上、我が国の恥を晒さないでくれるかな」

 そりゃあこれだけ騒ぎになれば、学生会長がお出ましになっても不思議はないわよね。そう思いつつアナスタシアは、学生会長フィラムモーンの声のした方に目を向ける。彼は黒髪のひとりの男子学生を伴ってこちらに向かってきているところだった。
 その彼はアナスタシアの前まで進み出ると、サッと拝跪礼を取り頭を下げた。

「連邦第三王女アナスタシア姫殿下にご挨拶申し上げます。ミエザ学習院三回生、学生会長のアポロニア公爵家が一子いっしフィラムモーンと申します」

 フィラムモーンとは先日すでに挨拶を済ませているから、本来は不要なのだが。だがこの場のテルクシノエーやテルシーテースに見せつけるためだとアナスタシアも理解しているため、彼女は鷹揚に頷いただけである。

「我が国のの無礼を代わってお詫び致します。どうかこのフィラムモーンに免じて、一度だけお赦し下されば僥倖にございます」

 跪いて頭を下げるフィラムモーンの向こうで、テルクシノエーが顔を真っ赤にして怒っているが、口を噤めているだけまだマシである。
 何しろ、この状況でなお口を開けた勇者バカがいたのだ。

「なっ、学生会長!何故下級生に頭を下げるのですか!?」
「何故、ではないだろう。君こそ真っ先に跪くべきじゃないのか?」

 そしてテルシーテースは、フィラムモーンが連れてきた黒髪の男子学生にそう言われて激高した。

「貴様っ!平民風情が⸺」
「君たちの主張通りなら、、なのだろう?」

 ぐ、と声を詰まらせ、顔を怒りで真っ赤にして、それでもさすがのテルシーテースもひと言も言い返せなかった。自分の主張が巡り巡って自身を切り裂いただけなので、言い返しようがなかったのである。


 結局、テルクシノエーとテルシーテースは衛兵たちに囲まれ教員室に連行されて行った。おそらく学習院長直々にお叱りを受け、軽ければ反省文提出、重ければ数日間の停学処分になるだろう。
 なお退学処分にさせるつもりはアナスタシアにはない。ハラストラ公爵家とサロニカ伯爵家はともに反王派、下手に刺激すればカリトンの立場がますます危うくなりかねないため、アナスタシアはあくまでも学習院内の学生間のトラブルとして済ませるつもりである。
 そういう意味では、「自分に免じて」と赦しを乞うたフィラムモーンの言動はファインプレーであった。あの発言があったからこそアナスタシアも情状酌量を与えやすくなったのだから。

「お口添え頂き感謝致しますわ。下級生だの騙り者だのと謗られて、正直どうしようかと考えていたところでしたの」
「なに、非才の身だが名ばかりの肩書でも役に立てて何よりです。今後も何かあれば、遠慮なく頼って下されば私も嬉しい」

 ようやく場が収まったことに安堵しつつアナスタシアが礼を述べれば、フィラムモーンも柔らかく微笑んでそれに応えてくれる。それをクロエーやソニアが「きゃ」「まあ」などと頬を染めて見ていることに気付いて、顔にも声にも出さずに頭を抱えるアナスタシアである。
 彼女とカリトンの婚約はミエザ学習院在籍中の3年間は公表されない、いわば仮婚約である。それを知っているのは他にフィラムモーンだけ、つまりクロエーやソニアはアナスタシアがミエザ学習院に入院した本当の理由を知らないのだ。だから彼女らには、アナスタシアとフィラムモーンがいい雰囲気に見えたことだろう。
 彼女たちにそう見えるということは、他の学生たちにもそう見えるということである。誤解が誤解を呼びそうな予感がして、ひたすら面倒くさいと感じてしまうアナスタシアであった。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「あっ、そう言えばアナスタシア様」

 ようやく再びテイオポリオカフェテリアへの移動を再開したところで、クロエーが思い出したように声を上げた。彼女やオルトシアーらには「殿下」と呼ばないようすでにお願いしているため、クロエーも学生間の上下関係なしの敬称である「様」をつけてアナスタシアを呼ぶ。
 なお学生間ではファーストネームで呼び合うことが学習院規則で定められているため、クロエーも特に許可を求めることなくアナスタシアの名を呼んでいる。

「先日お話し致しました、わたくしの婚約者をご紹介申し上げますわ」
「まあ。どちらのどなた?」

 今このタイミングでこの話題ということは、向かう先のテイオポリオで同席する予定なのだろうか。そう思って彼女に顔を向けると、クロエーは一緒に歩いている黒髪の三回生の腕を取った。

「わたくしの婚約者は、従兄のクトニオスなんですのよ」

 そうして彼女は嬉しそうに微笑んだのであった。

「おっおい、クロエー嬢」
「あら、いつものように呼び捨てして下さいませお従兄にいさま」

 黒髪の三回生はいきなり紹介されてやや狼狽えたものの、すぐに小さなため息を飲み込んで、自分の腕に触れているクロエーの手を優しく包み込む。そうしてアナスタシアに改めて向き直り頭を下げた。

「自己紹介は先ほど済ませましたが、改めてご挨拶申し上げます。クロエーの婚約者、クトニオスと申します」

「まあ。そうでしたのね」

 驚きはしたものの、そうと聞けば納得である。先ほどの無礼者どもが衛兵たちに連れられて退去したあと、彼は名を名乗るとともにオルトシアーの兄であると告げていた。つまり彼もまたアナスタシアオフィーリアのよく知るヨルゴスの子なのだ。
 そして彼らの婚約は、従兄妹だからこそ組まれたものだとよく分かる。穏やかに微笑み合うクトニオスとクロエーの姿は、クリストポリ侯爵家とその家を除籍されたはずのヨルゴスが良好な関係を保っていることの証左でもあった。

「ふふ。ヨルゴス様もきっとお喜びなのでしょうね」
「父ですか?いえ、父はクロエーが嫁に来るのは反対でして」
「あら、そうなんですの?」
「クロエーほどの器量があるのならもっと良い縁談があるだろう、と。それでこの子に大泣きされましてね」
「だって伯父さまったら酷いのですもの。物心ついた頃から頻繁に遊びに行っていたわたくしがお従兄さまと遊んでいても何も仰らなかったのに、年頃になったら急に手のひらを返すのですもの。乙女の純情を弄ばないで頂きたいわっ」
「それでクロエーに全面降伏したくせに、今だにブツブツ言ってるからなあ」
「いっそのこと伯父さまには、我が家の空いているクレニデス伯爵位を押し付けて差し上げればいいのですわ。そうしたらお従兄さまも伯爵家の世継ぎですもの、伯父さまが反対なさる理由もなくなるわ」

 口を尖らせて不満を述べるクロエーと、苦笑しつつもそれを宥めるクトニオスがおかしくて、アナスタシアはつい笑ってしまった。平民に落ちたあとのヨルゴスに関してはほとんど記録がなくてどうしているのか若干気掛かりではあったのだが、どうやら穏やかで平和に、家族と幸せに暮らしているのだと知れて安心できた。
 そのうち、オルトシアーやクロエーの友人の立場を利用して遊びに行ってみよう。オフィーリアとして知っている彼の姿はいつだって悩んでるか困ってるか、申し訳なさそうに目礼してくるかだったから、今ならあの頃に見られなかった彼の笑顔も見られるかも知れない。

「それはそれとして、フィラムモーン様はなぜわたくしたちと歩いておられるのでしょうか?」

 ごくごく自然に、当たり前のように隣を歩いているフィラムモーンに、アナスタシアは目を向ける。

「うん?僕らもちょうどテイオポリオに向かうところだったからだけど。せっかくこうして合流したのだし、同席してはダメかな?」

 そして柔らかな笑顔を向けられて、思わず息を呑んだ。
 いっ、美丈夫イケメンだわ……っ!

 いやイケメンなのは分かっていたことだし、そもそもアポロニア公爵家は陽神アポロンの祭祀を司る司祭の家系で、直系には美男美女が多い。同じヘレーネス十二王家の中でも武骨な印象の強いヘーラクレイオス家や尚武の気風のアーギス家、文人の気質のあるカストリア家などとは雰囲気からして一線を画している家系だ。
 それは分かっていたのだが、それでも至近距離でその微笑みを浴びるとクラクラしてしまう。

 だって彼女がよく知る男子といえば、オフィーリアだった頃の婚約者であるボアネルジェスだけなのだ。武骨で粗忽で声も態度も身体つきもやたら大きかった彼しか、彼女は知らない。そしてアナスタシアとして生まれ変わっても今まで婚約者やその候補もいなかったせいで、彼女はキラキラしいイケメンに全然慣れていなかった。
 そして、彼女はイケメンが大好物である。元々カリトンを好ましく思っていたのも、彼が儚げな雰囲気の弱々しいイケメンだったからなのだ。

(くっ……!なんて眩しい笑顔なの!)

「……?どうかしたかい?」
「なっ、なんでもありませんわ!」
「そうか。では早く向かうとしようか」
「なっ……!?」

 で手を取られ、アナスタシアはまたも驚愕する。今まで男性からのエスコートといえばニケフォロスおとうさまヒュアキントスおにいさまにしかしてもらったことのないアナスタシアは、もうそれだけで心臓が跳ね上がる。ドキドキが抑えられない。

「あらあら。アナスタシア様ったら嬉しそう」
「ちっ、違うから!わたくしは別に……!」
「とか仰りながらもお手を離そうとなさいませんものね」
「すごい、まさに美男美女のデュオカップル……!」
「ですから……っ!」
「まあまあ、先を急ぎましょうか。エスコートくらいならいつでもお役に立ちますとも」
「ああああお待ちになって……!」

 クロエーとオルトシアーの勘違いはますます深まり、フィラムモーンは嬉しそうにアナスタシアの腕を引く。そして彼女はそれに抗うことができない。だって本意はともかく、紳士の善意のエスコートを淑女は理由なく断れないから。
 それにそもそもの話、トラブルから助けてくれた彼のエスコートを断れるものでもなかった。


 こうして抵抗することもできずにテイオポリオにされ、同席して一緒に昼食を摂るハメになり、その間ずっとなす術なくイケメンオーラを浴びせられ続け、翻弄されまくって何もできなかったアナスタシアであった。





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