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01.新婚初夜、絶望の宣告

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「お前との婚姻は形だけのもの。当然、白い結婚として3年後に離縁とする。いいな」

 本日挙げた婚姻式でわたくしの夫となった侯爵閣下は、初夜のためにと完璧に調えられた夫婦の寝室で、ベッドではなくソファにふんぞり返って一方的にそう宣言なさいました。

「はい……」

 そしてわたくしは、そう返すしかありません。

「父上が早く婚姻しろ、しなければ爵位を継がせんと頑なに意向を曲げんからやむを得ず婚姻に同意しただけだ。だがお前も知っての通り、私は宰相閣下の期待を一身に背負う身として職務に邁進まいしんせねばならん。我が国の問題は山積しており、一瞬の猶予もないのだ。まあ女子供には言っても分からんだろうがな」
「……お忙しくていらっしゃることは、重々伺っております」
「分かっているなら話が早い。名実ともに宰相閣下の右腕となる首席補佐官に昇進するためには、襲爵し当主となる必要があった。だが、私は襲爵のデメリットまで背負い込むつもりはない。領の統治はまだお元気な父上に任せておけばいいし、邸の采配は執事と侍女長に全て取り仕切らせている。そして忙しい私には、この邸に

 さすがにこの一言には、わたくしも驚くほかはありませんでした。
 だって、それでは。

「そもそも邸に戻らんのだから、お前との夫婦の実態など作りようもないだろう。そして領のことも邸のことも、お前に任せることは何ひとつない。お前はただこの邸で、安穏と過ごしているだけで構わん。余計なことさえしなければ、衣食住の保証くらいはしてやろう。⸺なに、3年もただで養ってもらって遊んで暮らせるのだ。お前にとっても悪い話ではないだろう?」

 侯爵閣下はさも、自分ばかりでなくわたくしにもメリットしかないのだから有り難く思え、とでも言いたげです。
 ですが、わたくしはそれでは困るのです。

「ですが」
「なんだ、まだ何か不満でもあるのか」
「その、離縁だけは」

 離縁されるのだけは困るのです。離縁されてしまえば、わたくしには行く場所がありません。
 それに、わたくしには侯爵家の跡継ぎを産むという使が……。

「⸺ハッ」

 だのに、侯爵閣下は小馬鹿にしたように鼻で笑われました。

「実家に戻ればいいではないか」
「子ができずに離縁されて実家に戻ったがどういう目に遭うか、閣下もご存知のはず」
「無論知っているとも。石女うまずめなど恥でしかないからな。隠居した年寄りの後妻にやるか、神殿に入れて家を追い出すか、まあどちらかだろうな」
「そ、それが分かっておいででしたら!」

「だがそれは、離縁したあとの話だ」
「……えっ」
「離縁した後のことまで、なぜ私が面倒を見てやらねばならんのだ?」

 真顔でそう言われて、わたくしは二の句が継げなくなりました。

「それが嫌なら、3年の間に妻としてお前に与える化粧料でも貯蓄しておくことだな。3年分の半分でも残しておけば、ある程度まとまった財産になるはずだ。それで商会でも立ち上げれば、離縁したところで独り立ちくらいはできるだろうさ」
「そ、そんな……」
「まあ商売のノウハウもない貴族の子女がそれで成功した例など知らんがな。だがいい機会だろう?商売で初めて成功した女にのだからな!」

 そう言って侯爵閣下は、声を上げてお笑いになりました。
 わたくしは今度こそ、絶望に身を震わせて黙り込むしかありませんでした。

「いずれにしても、せいぜい頑張ることだ。世の中何事も、努力なくしては成し遂げられん。貴族に生まれたことで今まで何不自由なく暮らしてきたのだから、女であろうとも少しは社会の厳しさ、責任を負うことの重大さを知るべきだ。違うかね?」
「…………」
「ふん、だんまりか。父親や兄、夫に守られるばかりで楽に生きていこうなど、これだから女というやつは」

 わたくしが返事をしなかったことで、侯爵閣下はみるみる不機嫌そうなお顔になられました。“流麗の貴公子”とまで呼ばれる見目麗しいお顔が、今度は怒りに歪みます。
 お怒りになったお顔まで麗しいなんて。と、どうでもいいことに感心してしまいました。
 ですが閣下は咳払いをひとつしてお怒りをお鎮めになると、改めてわたくしに仰いました。

「まあそう心配するな、跡継ぎならそのうち誰か適当に見繕って産ませるから心配には及ばない。それがお前が出て行く前であれば、お前との子ということにして届け出てやる。そうすれば離縁しないでいられるだろう?」

 何ということでしょう。この方はわたくしに白い結婚を強いるばかりか、離縁が嫌なら誰の子だとも分からない子供を育てろと仰るのですね。

「話は以上だ。文句はないな?」

 無いわけがありません。ですがどれほど不服があろうとも、もうこれはこの方の中で決まってしまっている事なのでしょう。もしもここで頑なになって拒否すれば、きっと今すぐに追い出されてしまうに違いありません。
 わたくしが初夜を拒否したとでも理由を付けておけば、新婚初日で離縁したところで侯爵閣下の醜聞にはなりません。むしろお可哀想な新郎だと同情も買えることでしょう。

「それと今言った内容は、すでに誓紙にまとめてある。読み返す時間くらいは与えてやるから、よく読んでサインしろ」
「えっ」

 こ、婚姻誓紙に今のお話を条件として盛り込んでいると……!?

「なお、これは我が家庭内の秘匿事項だ。故にこの契約内容は黙秘が要求される。具体的には[制約]の術式をもって、
「そ、そんな!」

 [制約]の魔術は契約にあたっての禁止事項を規定する術式で、破った場合の罰則も併せて盛り込まれます。貴族家で家内の機密を漏らさないように使用人たちに施術したり、王宮で働く者たちが守秘義務保持のために義務付けられたりしますから、わたくしも王宮文官の家系の人間としてよく知っています。
 [誓約]は[制約]のバリエーションのひとつで、互いに取り決めたことを遵守すると誓い合うことで発動します。[制約]は一方的なものですが[誓約]は双方向、というのが大きな違いと言えるでしょうか。

 婚姻誓紙に[誓約]を盛り込むことは我が国でも法によって定められています。術式に従い双方がからこそ“誓紙”と名がついているのですから。
 ですが一般的に、その内容は不貞を禁ずるだとか家門の秘匿事項を口外してはならぬだとかの条項のはず。このような理不尽で一方的な条件など[誓約]では通常は認められませんし、何より誓紙に[誓約]ではなく[制約]を付与するなど違法行為です。
 その誓紙でこんな不条理で理不尽で違法な、わたくしに不利な内容しかない[制約]を、侯爵家の妻となるわたくしに強いようというのですか!

「当たり前ではないか。こんな内容をペラペラと外で喋られては栄えある我がクラシーク家の家名に傷がつく。そんなことを認めるわけがないだろう。⸺そう睨んだところで、私は撤回も謝罪もしないぞ。そしてどの道お前には、受け入れてサインする以外にできることなど無いはずだ。違うか?」

 目の前に置かれた誓紙を、わたくしは震える手でめくります。誓紙は通常は二枚組で、一枚目に互いに取り決めた誓約内容や諸条件、二枚目に[誓約]の発動条件や罰則が盛り込まれるのが一般的です。まあ目の前にある誓紙に付与されているのは[制約]ですが。
 [制約]を破った際の罰則は、わりと一般的なものでした。慰謝料の支払いと、公の場で自分の非を全面的に認めて相手に一切の瑕疵がないことを宣言すること。その上でお邸を即刻退去すること。
 まあさすがに命を奪うだとか王都警邏けいら隊に犯罪告発するとか、そういった過剰な罰則ではありませんでした。慰謝料の額が、我が子爵家の年収3年分という法外な金額であることを除けば、ですが。

 ああ……この方は、どこまでもなのですね。

「読み返して納得しただろう?さあ早くサインするんだ」

 わたくしはなすすべもなく、言われるままに震える手でサインするしかありませんでした。だってどれほど理不尽な内容であっても、サインしさえすれば今後3年間の生活と身分は少なくとも保証されるのですから。
 サインを終えると誓紙が淡く光ります。同時にわたくしの左手首に誓印と呼ばれる、誓紙に署名したことを示す印が現れました。これでわたくしは誓紙に書かれた内容を受け入れ、その罰則に縛られたことになるわけです。
 ああ、だけれど、明日からどうすればいいのでしょう……。





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