破棄から始まる下克上

杜野秋人

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本編

22.公都陥落、そして

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 辺境伯軍はなんの抵抗もなく公都ウィンボナへと入った。まあフランツェンブルク城が陥ちた以上、抵抗できるような勢力も残っていなかったわけだが。
 軍勢の大半を公都郊外に残し、辺境伯家の直属であるウルリヒ、マインハルト、ヴィクトーリアとルイーサの率いる計3万1千だけが公都入りして公城を目指す。公都の都民たちは不安げに怯えた目で彼らを見ていたが、略奪や暴行など働かぬよう軍令が徹底されていて、特に大きな混乱もない。


 公城の前には親衛騎士団の一隊が待っていて、ヴィクトーリアたちが近付くとその中から進み出た者がいる。

「辺境伯軍の方々、お待ちしておりました。バーブスブルク公王家はエステルハージ家に降伏致します」

 そう言って頭を下げたのは、まだ10歳くらいの少年だった。

「フィデリオ公子」

 名を呼び、ヴィクトーリアが歩み寄る。
 彼女たちを出迎えたのはクラウスの歳の離れた弟フィデリオだった。利発で温和な明るい子だが、なまじ勉強の成績が良かったクラウスがいたために将来は政略で婿に出されるか、臣籍降下するしかないだと密かに同情を集めていた少年である。

 婚約者の弟ということで、ヴィクトーリアも以前から彼とは親しくしていた。というより兄弟に兄しかいないヴィクトーリアにとってはでもあった。もちろん、今となってはである。

「お父上にお会いしたい。いずこにおわすだろうか」
「そう仰ると思いまして。ご案内のためお待ちしておりました」

 フィデリオはそう言って再び頭を下げる。普段よく笑う彼がにこりともせず無表情を貫くのを見て、ヴィクトーリアの胸中に言いしれぬ不安感が広がっていく。


 案内されたのは公城の謁見の間だった。
 当代辺境伯にして辺境伯軍総帥のウルリヒと、その長男で次代辺境伯である継嗣のマインハルト、今回の内乱の一方の当事者にして辺境伯家長女のヴィクトーリアのエステルハージ家だけが謁見の間に入る。その他の護衛たちは謁見の間の扉の外、軍団長や兵たちは城の内外各所にて待機だ。唯一ヴィクトーリアの護衛侍女で彼女の介助も担当するルイーサだけは謁見の間に入ることを許された。

 その謁見の間に、何故かポツンと置いてある棺。

「遅かったか…」

 ウルリヒが苦しげに呟いた。
 フィデリオが側付きの親衛騎士に命じて棺の蓋を開けさせる。
 中に収められていたのは、カール・グスタフ3世ロドリックの遺体だった。

「父はフランツェンブルク落城の報を聞いて、……いえ、グーゼンバウアー侯の降伏の一報を聞いたからかも知れませんが、もはやこれまでと毒杯を呷りました。
それによりわたくしが正式に爵位を継ぎまして、先日よりカール・グスタフ4世フィデリオを襲名しております」

 誰も何も答えないまま、フィデリオ、いやカール・グスタフ4世の言葉だけが響く。

「アウストリー公爵カール・グスタフ4世の名において、我がバーブスブルク家はエステルハージ家に降伏致します」

 フィデリオはそう言って膝を付き頭を垂れる。その彼を護衛していた親衛騎士たちが縄を取り出し、少年の細腕を後ろ手に縛り上げ始める。

「待て待て、縄は良い」

 それを見てウルリヒが慌てて止めた。いくら正式に爵位を継ごうとも、そこに跪くのはまだ成人もしていない10歳の少年だ。しかも今回のことは彼の不肖の兄のしでかしたことであり、彼自身に責任は全くないのだから当然である。

 本来ならこの場でエステルハージ家に頭を垂れるのは未成年の彼ではなく、公王妃であるべきはずだった。だがその公王妃は一昨年の暮れに体調を崩してあっという間に身罷った。
 それ以来、カール・グスタフ3世ロドリックは新たな公王妃を迎えていなかったため、それでわずか10歳の身ながら全ての責任を負わされる羽目になっているのがフィデリオなのだ。

「こんな年若い息子に責任を被せて自分はひとりだけさっさと死によってからに。そういうところ、やっぱりクラウスあやつの親じゃったの、お主も」

 ウルリヒが棺に近付いて中を覗き込みながらポツリと呟いた。その声には確かに、長年にわたってともに国を支えてきた盟友を失った悲しみが溢れていて、だから誰も何も、言葉をかけることができなかった。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


 謁見の間に長テーブルと椅子が運び込まれ、公宮付きの役人たちが忙しなく駆け回り書面を準備し、式の手順をチェックして回る。
 式とは、言うまでもなく降伏文書の調印式である。

 役人たちの顔色は一様に暗い。公王家が盟約で対等の立場にあるとはいえ一臣下に降伏するのだ。栄えあるアウストリー公国の七百年近い歴史もついに幕を降ろす時が来たかと思えば、歴史ある大国に仕えることを誇りにしていた人々が悲しみに暮れるのも無理もない。

 調印式に先立ち、両家の代表者たちだけであらかじめ降伏文書の内容が協議されていた。だがそれは公王執務室で行われ、エステルハージ家からは当主ウルリヒと継嗣マインハルト、バーブスブルク家からは当主フィデリオと公国政府の代表者として宰相が出席したが、ヴィクトーリアはその場には呼ばれなかった。

「おかしいですよ。お嬢様はなのに、大事なお席に呼ばれないなんて」
「まあ仕方ないだろう。私は次期辺境伯でもないし、今や婚約者もおらぬ身だ。軍に身を尽くそうにもだし、この先お荷物になる未来しか浮かばんよ。とてもじゃないが、家とお国の将来に関われるような立場じゃない」

 何故かルイーサのほうが怒っていて、ヴィクトーリアはそれを苦笑しつつなだめるしかない。しかないが、言ってて自分でも悲しくなるのは止められなかった。
 確かにこの内乱に勝利したことで彼女の名誉は守られただろう。だがその先の未来は明るいとは思えなかった。


 両家の代表者が席につき、いよいよ調印式が始まる。その場にはさすがにヴィクトーリアもルイーサも同席を許されて、ヴィクトーリアは着席しルイーサはその後ろに控えた。
 だが。

 降伏文書の書面を確認したヴィクトーリアの顔色が変わる。

「待て待て父上!これは一体どういうことだ!?」
「ん?どうもなにも書かれている通りじゃが?」
「だからなんでんだ!?」
「だってそれが一番じゃろ?」


 確認した降伏文書の書面。
 そこにはこう書かれていた。


『アウストリー公爵位をフィデリオ・カール・グスタフ・フォン・バーブスブルクよりヴィクトーリア・フォン・に譲渡し、ヴィクトーリアをアウストリーとする』と。





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