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第五章【蛇王討伐】
5-55.撤退成功
しおりを挟む「ハァ……ハァ……ハァ……」
「に…………逃げ切った……っ!」
身体にまとわりつく瘴気を振り切り、背後に迫り来る蛇王の咆哮と足音をひしひしと感じながらも、アルベルトたちは何とか逃げ切った。レギーナを横抱きにしたアルベルトも、その彼に並走しつつ彼女に[治癒]を掛け続けたミカエラも、アルベルトの代わりに大きく重い背嚢を背負ったヴィオレも、そしてひとり未成年で体力の少ないクレアも、全員が最後は全力疾走で疲労困憊だ。
一時は追いつかれそうな勢いだったが、封印の境界面が近づくにつれ蛇王は追ってこれなくなり、その怨嗟の声を聞きながら彼らは封印の外まで一気に抜け出した。境界を越えた途端に蛇王の声が聞こえなくなり、それでようやく彼らは立ち止まることができたのである。
その場にへたり込むように全員が座り込む。だが彼らはまだ、自分たちだけ休むわけにはいかない。
「ヴィオレさん、俺の背嚢の下から大きい方の毛布を取って、そこに敷いてくれないかな」
「毛布?……ああ、これね」
アルベルトの背嚢の底面の下、二本のベルトでまとめて留めてある大小二枚の毛布のうち、大きめの毛布をヴィオレが取り出し、広げて地面に敷いた。そこにレギーナを寝かせて、ようやくアルベルトは汗を拭う。
「姫ちゃん⸺姫ちゃん!?」
「大丈夫だよミカエラさん。多分眠ってしまっただけだと思うから」
レギーナが意識をなくしていることに気付いてミカエラが慌てるが、アルベルトの言葉で彼女の穏やかな顔つきに気付いて、少しだけ安堵したような表情になる。だがもちろん瀕死の重傷のままなので、予断を許さない状況には変わりない。
「[治癒]の前にもう一度[破邪]をかけるけど、俺は目を瞑っておくから、瘴気の光線を食らった箇所に俺の手を誘導してもらっていいかな」
逃げている間は必死だったが、レギーナは鎧も服もズタボロで、あちこち露出して際どいことになっている。まあ露出しているとは言っても全身血まみれの、無事な肌がほぼ見当たらないほど無残な状態で、別の意味で見ていられない状況ではあるが。
でも、だからといって見ていいわけではないはずだ。特に彼女は王女でもあるため人前で肌を晒したことなどないはずだし、一緒に湯を使ったこともある仲間たちならともかく男性であるアルベルトに見られたと知れば、たとえ治療のためだったとしても恥辱を感じることだろう。
「えっ目ェ閉じとくん?……あー、いや、まあ、そうやね、うん」
そしてミカエラにも、彼の意図したところは伝わったようだ。
アルベルトは横たわるレギーナのすぐ隣に膝を付き、目を閉じる。そうして身体を支える左手と、患部に添える右手をミカエラとクレアに誘導してもらいつつ、5ヶ所全てに[破邪]を施した。もちろん途中でやはり背嚢から取り出してもらったステラリアのポーションを消費してのことである。
それから彼は目を閉じたままで後ずさりして、レギーナと逆方向、つまり封印の境界面の方を向いて座り込む。
「あとは[治癒]が終わるまで、俺は後ろを向いているから。終わったら教えてくれるかな」
「うん、ちょお待っとって」
アルベルトの背後で、砕けた鎧の残骸を外す音とボロボロの騎士服を引き裂く音がする。クレアが息を呑む気配やミカエラの[解析]と[治癒]の詠唱が聞こえ、続いてミカエラが[請願]を請うた。一瞬だけ圧倒的な神気が辺りを包み込み、そしてミカエラの安堵のため息が漏れた。
そのあと[清浄]と[噴霧]、そしてクレアの[温風]の詠唱が聞こえたのは、レギーナの身を清めたのだろう。
「⸺ええと、こっからどげんしょう」
困惑したようなミカエラの呟き。傷口の確認のため服を裂いたのはいいが、着替えさせるものがなくて困っている、というところだろうか。
「敷いた毛布でそのまま包むといいんじゃないかな。それから小さい方の毛布を上から掛けてあげれば、アプローズ号にたどり着くまではそれで何とかなると思うけど」
「あ、そっか。そうやね」
「では、もうしばらくお待ちなさいな」
そうしてややあって「いいわよ」と声をかけられ、ようやくアルベルトは振り返った。
レギーナはアルベルトが提案したとおりに毛布で左右から包まれ、合わせに小さな毛布を重ねて身体を隠されていた。男性の目に触れさせられない部分はきちんと隠されていて、これなら大丈夫だろう。彼女の長い蒼髪はゆるくまとめられ中程を紐で縛られて、右手から外され無事だった鞘に戻されたドゥリンダナとともに上掛けの毛布の上に乗せられていた。
「じゃあ、ここからはヴィオレさんに抱き上げてもらって⸺」
「いいえ、この先も貴方が運んで頂戴」
万が一を考えてヴィオレに託そうとしたら、何故か断られた。
「そんなに不思議そうな顔をするようなことを言ったかしら?姫をエスコートするのは勇者の役目ではなくて?」
「まあこの場はしゃあないたい。アルベルトさんにはそれだけの手柄のあるけんね」
ヴィオレだけでなく、ミカエラにまで許可を出されてアルベルトはますます困惑してしまう。そもそも彼は勇者ではないし、それはレギーナのほうである。
まあ彼女は姫でもあるから、男性にエスコートさせるという理屈は分かるけれども。でもそう言われてもアルベルトは平民の作法しか知らないし、どうしたらいいものやら。
「おとうさん。据膳食わぬは…」
「クレアちゃんはどこでそんな言葉覚えてくるのかなあ!?」
意識を失っているお姫様にそんな事しようものなら、もうそれはただの不埒者である。どう考えてもミカエラにぼてくりこかされる末路しか浮かばない。
とはいえ蒼薔薇騎士団のメンバー全員に微笑みをもって勧められ、いいのかなと思いつつも拝命するしかなかったアルベルトである。
一旦休息を入れても良かったのだが、一番消耗しているだろうミカエラが断ったのと、彼女たちが一刻も早く安心できる場所までレギーナを運びたいというので、アルベルトは再び彼女を抱き上げた。そうして封印の境界面を離れ、長い坂を登り、彼らはようやく洞窟の外まで戻ってきた。
幸いというかアプローズ号の周りには魔物の気配はなく、死骸なども転がっていなかった。屋根の上に胡座をかいた銀麗が、気配に気付いて見上げてきた。
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