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第四章【騒乱のアナトリア】
4-6.先行きに不安しかない
しおりを挟む「おそれながら、もうそのあたりで赦してやっては頂けませぬか勇者様」
不意に声が響いて、アルベルトもレギーナたちも声のした方に振り向く。
そこには恰幅の良い、顎髭を蓄えた猫目の男が、やはり騎士の一団を従えて立っている。ガイゼル髭と同じようにジャラジャラと勲章を付けた豪奢な礼服を身に纏っていて、一見してやはり皇国の宰相のひとりに見受けられる。
「あなた誰よ?」
「これは申し遅れました。それがし、アナトリア皇国で財務宰相を務めておりますジェム・タライと申す者。外務宰相ブニャミン・カラスめが大変失礼をば致しました。どうかお怒りをお納め下されば幸いに存じます」
慇懃無礼、というのはこういう人物のことを言うのだろうか。そう思ってしまうほど、物腰は低いが尊大な態度が隠せていない。まるで、私がここまで言うのだから当然矛を収めるべきだ、と言っているようにしか聞こえない。
まさかと思うが、アナトリアの閣僚ってこの手のいけ好かない連中しかいないのだろうか?
「たっ、タライ財務!?」
そこで初めて気付いたかのように金切り声を上げるカラス外務宰相。
「お主、何故ここへ!?」
「何故も何もないわ。どうせお主のことだから勇者様方のご不興を買いかねん、と思って念のために来てみればこれだ。出迎えの使者ひとつ務まらんで、よく外務宰相などやっておれるな」
「なっ、なにおう!?」
カラスが顔を真っ赤にして怒っているが、全くもってタライ財務宰相の言う通りである。態度こそ慇懃無礼だが一応話に筋は通っているし、何より外務宰相よりは話が通じそうである。
「それでですな勇者様」
「なによ」
「それがしがこうして参ったのは、我らが皇帝陛下より勇者様を皇城にお招き申し上げるよう仰せつかったからにございます。丁重にご案内申し上げ、道中の諸々を取り仕切り遺漏のないよう厳命されておりますれば、どうか皇都アンキューラまでお越し頂きますよう、伏して願い奉るものでございます」
恭しく頭を下げるタライ。
レギーナは思わずミカエラと顔を見合わせてしまった。
アンキューラに行くことは問題ない。竜骨回廊沿いの都市なので、どのみち通過する予定なのだ。問題は「皇城への招待」の部分である。
アナトリアは絶対帝政で皇帝権力が非常に強く、しかもヴィオレの話を事実だと仮定すれば皇太子がレギーナたちを気に入る可能性が高そうだ。それでなくとも元よりアナトリアは勇者として初めて訪れた地で、お国柄もよく分からないし皇帝の思惑が読めない。
「お招きありがとうございます。我らとしましてもアンキューラの通過は予定しておりますし、皇城へもご挨拶に寄らせて頂くつもりでおりました。
ただし我らは東方への旅の途上でありますし、アナトリア国内も通過に留めて長居はせぬつもりでおります。ですのでどうかお構い無く。通行許可さえ頂ければと存じます」
ミカエラが突然、流暢に現代ロマーノ語で挨拶を始めてアルベルトは驚く。出会ってこのかた、彼女はずっと頑ななまでに南部ラティン語のファガータ方言を貫き通していたというのに。
「ははは。法術師ミカエラ殿、そのように遠慮なさらずとも結構ですぞ。皇城ではすでに歓待の準備も進んでおりますゆえ、ごゆるりと逗留なさるとよろしかろう」
「いえ、アナトリア国内は15日ほどで通過する予定ですので。お気遣いは無用に願います」
そんなアルベルトの様子に気付くこともなく、タライはにこやかにミカエラに応対し、ミカエラはミカエラでさらに断りを入れる。
それを見て、アルベルトは解ってしまった。これは彼女が本気で嫌な相手を拒否しているのだと。
彼女の隣でレギーナが押し黙ったまま目線だけ逸らしているところを見ても、多分間違っていないだろう。
「いえいえ、そう仰らずに。すでにこのコンスタンティノスでの宿も手配してございますれば」
「ああ、この街には宿泊しませんので遠慮申し上げます。この旅のための専用の脚竜車もありますし、野営も慣れておりますから」
「それこそ滅相もない。栄えある勇者様方をもてなしもせぬとあっては、我がアナトリアが世界の笑いものになりますゆえ、どうか」
「他のどの国でも基本的に我々は自由にやらせてもらっておりますし、ご心配は無用です」
やり取りを続けながら、ミカエラがこっそりとアルベルトを肘でつついてくる。これはどうやら、もう無視して行けという事だろう。
それを受けてアルベルトはスズに手綱だけで指示を出した。スズも心得たもので、彼女はタライの方へ一歩踏み出すと「グルルル…」と威嚇するかのように低く喉を鳴らした。
それに気圧されるようにタライと、その後ろに居並ぶ騎士たちが後ずさる。元より一般的に目にするアロサウル種より一回り大きなスズの身体は迫力満点だ。
スズが二歩目を踏み出したところで、さすがにタライも顔色が変わる。
「ゆ、勇者様?」
「悪いけど、もう行くわ」
ミカエラではなくレギーナに話を振ったタライに対して、彼女は素っ気なかった。アルベルトは素知らぬ顔をしてスズが歩むに任せる。
「おっ、お待ちを、勇者様──」
さすがにタライが脇に退避し、騎士たちが左右に退いたタイミングで、アルベルトはスズに鞭を一発入れる。心得たと言わんばかりにスズが並足から速歩に変わる。普通に歩いていたのが小走りになった形だ。
ちなみにもっと速度を上げると駈歩といい、余力を残しつつも速度を上げて普通に走る態勢になる。街道などは駈歩での移動が基本だ。それ以上スピードを上げると襲歩と言って、これがいわゆる全力疾走だ。
なお通常、街中では速歩までしか認められていない。
速歩とはいえ身体の大きなスズのそれなので、アプローズ号はあっという間に騎士たちの目の前を通り過ぎ、コンスタンティノスの街中に走り去って行く。
それを見て慌ててタライが「何をしておる、追えー!」と騎士たちに叱咤を飛ばし、自分も乗ってきた脚竜車に慌てて乗り込む。そこでようやく茫然自失のままフリーズしていたカラスも立ち上がり、「ええい、者共タライめに遅れるな!」と配下の騎士たちを怒鳴りつけ、こちらも自分の乗ってきた脚竜車に慌てて飛び込んだ。だがそんな事をしている間にアプローズ号はとっくに姿が見えなくなっている。
ー ー ー ー ー ー ー ー ー
【お知らせ】
アナトリア帝国の国名表記を「アナトリア皇国」に変更しました。それに伴い、その他の名称も皇城、皇都など「皇」で統一します。
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