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第三章【イリュリア事変】

3-20.そのころの“おとうさん”

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 中隊長はこの警備交代がなるべく多くの耳目に触れるよう、敢えて高鐘楼前の広場で小隊とやり取りしていた。通常の交代時間でもなく、秘密裏に行われるべき交代だと分かっていながら、敢えて目立つように動いたのだ。
 中隊長は温和な性格だったが決して愚鈍ではなかった。わざわざ戦士団小隊に偽装した漆黒騎士たちが警備に就いた本当の理由にもある程度の推測をつけていた。
 つまり王宮は、王は、警戒を緩め警備を薄くしたとに思わせ、それを餌におびき寄せるつもりなのだ。でなければわざわざ手練の漆黒騎士を6名も派遣した意味がない。だとすれば、
 さて、果たして見せたい者たちにきちんと見せることができただろうか。確認の術はないので、見せられていることを願うばかりだ。


「中隊長、いかがなされましたか」

 麾下の若い小隊長に声をかけられ、中隊長は我に返る。どうやら歩きながら物思いに耽っていたようだ。

「ああ、いや。考え事をしていただけだ。
さあ、王宮へ急ぐぞ。おそらく今夜は、きっとまだ何かある」

「あー、やっぱり俺ら、まだ帰れないんですね」

 中隊長の言葉に、若い小隊長ががっくりと肩を落とす。そう言えばこの男は最近結婚したばかりだったな、さては今夜は愛妻の元に早く帰れるものと、そら喜びさせてしまったか。

「まあ、規定の時間分はきっちり働いてもらうという事だろう。とにかく考えるのは後だ。我らはただ、主命を果たすのみ」

 若い部下を諭すようでいて、後段は自分に言い聞かせる意味合いも含んでいた。我ながらそれに気付いて、中隊長は周囲に気取られぬ程度に苦笑した。
 そして彼らの中隊は、隊列を組んで今度こそ王宮へと歩を進めたのだった。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


「これで良かったですかな、アルベルト殿」

 本来の警備担当だった戦士団中隊が去っていったのを見送ってから、鐘楼最上部の物見櫓に上がってきた小隊長、漆黒騎士の男は自らが連れて来たに声をかけた。

「ええ。ここなら市内で何か異変があってもすぐに分かりますね」

 部下の男はそう言って被っていたフードを剥ぎ取り、戦士団制式のマントも脱ぎ捨てた。

 そこにいたのはアルベルトだ。
 彼は物見櫓から市内を見渡す。すでに陽神たいようは地平に沈み、街は夜闇に閉ざされようとしている。そこかしこに明かりが点いて、炊事の煙が幾筋もたなびいていた。
 そこに暮らす多くの市民の姿をアルベルトは幻視する。何も知らない、善良な市民たちが今この場には多くいる。

 市井の人々を顧みず、国の頂点ばかり気にして争っている者たちがいる。そのことが単純にアルベルトは許せなかった。民あってこその為政者で、民のために全てを捧げるのが国の王のはずなのに、その王の地位を手中に収めるためならば犠牲も厭わない、そのやり方には虫唾が走る。
 だからこそ、こんな事は止めさせなくてはならない。レギーナたち蒼薔薇騎士団のサポートとは、これはまた別の話だ。
 だからレギーナがこの話を持ってきた時に、彼は一も二もなく賛成した。幸いなことにこの問題を解決すれば市民を守れ、拐われたクレアもきっと助け出せる。全てが丸く収まるのだ。

「では、後はご随意に」

 協力してくれた漆黒騎士はそう言って頭を下げ、階下へと降りてゆく。レギーナから協力を要請された国王の命令とはいえ、一介の冒険者に過ぎない自分に惜しみなく助力してくれる彼らに感謝と尊敬の念に堪えず、アルベルトは降りてゆく彼の背中に深く頭を下げた。


  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


ズウゥゥン…

 夜の帳が降り、市街が闇に包まれてからおよそ特大二2時間
 突如、地鳴りのような響きと振動が市街を襲った。

「なんだ、何事だ!?」
「敵襲か!?」
「慌てるな、警戒しろ!出入口の防備を固めろ!」

 戦士団小隊に扮した漆黒騎士たちが階下で慌ただしくなるのが分かる。だが物見櫓にいるアルベルトの目には、見渡しても敵影は見えない。

ズウウウゥゥゥン…

 そこへ再びの地鳴りと振動。先程のものより明らかに大きい。
 天井からパラパラと埃だか木屑だかが降ってくる。高鐘楼は市街のどの建物よりも高いので、その分上部では揺れも増幅されているのだ。

「………待て、これはもしや、噂に聞く『地震』というやつか?」
「そんなもの、我が国では一度も起こったことないだろう!?」
「分からんぞ、今までなかったからと言って、この先もあり得ないとは言い切れまい」

 連絡用の伝声管を伝って、階下から混乱する声が聞こえてくる。
 地震ならアルベルトは昔一度だけ経験したことがある。あの時は確か、下から強く突き上げられたあとに左右に大きく振られて──

「おそらく地震ではありません。敵影はまだ見えませんが、おそらくは地下、どこかで戦闘が始まっているのかも」

 アルベルトは伝声管に向かってそう声を上げた。
 ちょうどこの時、レギーナが襲撃犯のアジトへと突入し、クレアが[業炎]を放った頃である。つまり最初の地鳴りはレギーナの突入、二度目はクレアの魔術である。
 だが地上にいる身でそれを知る術はない。アルベルトも単に推測を言っただけで、それとてレギーナとミカエラが敵のアジトに突入すると知っているからでしかない。

 だがそれとは別に、アルベルトの[感知]が複数の魔力を捉えた。広場にはまだそれなりの数の市民がいたが、地震のような地鳴りに動揺し右往左往するそれらとは違って、統率された動きで真っ直ぐに高鐘楼を目指してくる、数人の一団。
 通常の人間よりも魔力が低いのか存在感がかなり薄い。と意識しなければ[感知]で捉えることも難しかっただろう。

「それとは別に、敵影発見![感知]で捉えました!」

「………距離およそ1スタディオン、数は…7か。了解した、我らに任されよ」

 特に説明するまでもなく、階下から了解の返答が上がってきた。漆黒騎士たちの方でも[感知]を使ったのだろう。アルベルトには正確な人数まで把握できなかったが、返答した彼はそこまで把握していた。
 そして漆黒騎士たちの足音が地表へと降りてゆく。これで、階下には鈴鐘の担当職員しか残っていないはずだ。


 アルベルトは静かに鎧を脱ぎ始めた。偽装のためとはいえアルベルト用にわざわざ設えた戦士団制式鎧は素晴らしくよく馴染んでいたから少し惜しかったが、金属鎧だから普段から使い慣れた革鎧と違ってどうしても音が出る。脱がなくてはマズい。
 そうして短剣と冒険者認識票以外の金属を全て外した彼は、足音を殺して密かに階下への石段を降りてゆく。
 ひとつ下の階、鈴鐘を吊り下げている鐘楼の心臓部に、目当ての人物がいた。こちらに背を向けて作業をしているその後ろ姿に、アルベルトは足音を殺したまま近付いていく。隠密の技能はそこまで得意ではなかったが、苦手というほどでもない。

「動くな」

 やがて気付かれぬまま背後を奪ったアルベルトは、その人物の首筋に短剣を突き付け、冷たい声で言い放ったのだった。





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