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第二章前半【いざ東方へ】

2-9.ミカエラの特技

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「さ、行きましょっか♪」

 温泉をさんざん堪能し倒して上機嫌のレギーナ。

「あ~もう一泊したかぁ~」

 普段はメンバーの舵取りをして手綱を引く役のはずのミカエラでさえこうである。

「次はザムリフェで一泊、でいいのよね?」

 なのでヴィオレがミカエラの代わりみたいになっている。

「そうだね。ラグシウムまで行ければ良かったけどね」

 それに応えながらアルベルトは手綱を揮って、スズを歩ませ始めた。
 ラグを出発してから四日目、一行は出城手続きを終えてサライボスナの東門を出てきた所である。

 今日は朝から雨が降っていて、いよいよ本格的に雨季に入ったと思わせる空模様だ。雨に濡れる街道の土の匂いが濃厚に立ち上り、遠くの山々や見はるかす空も灰色に煙っている。


 ザムリフェまではラグからブルナムまでとあまり変わらない距離だ。1日の移動距離としては短いが、その次のザムリフェからラグシウムまでがそれより少し長いので、ザムリフェを飛ばしてラグシウムまで行こうとすると、夜明け前から準備して朝一に出発したとしてもかなり急がなければならない。
 そのため、脚竜車の発注の時に言ったように『無理をせず、余裕のある旅程』で行くことにしてザムリフェ、ラグシウムで各一泊することにしたわけだ。

 というわけで、〈渓谷のせせらぎ〉亭で朝食を頂いたあと彼女たちはまたしても“美容”の湯を堪能し、朝の遅い時間にサライボスナを出発したのである。

 しかし皆さん、そんなお風呂ばっか浸かってふやけませんかね?


「ていうかおいちゃん、またえらい濡れたばいね」

 昼食の用意のために路肩に車両を停めて車内に入ってきたアルベルトを見て、少し呆れたようにミカエラが言う。

「いやあ、だいぶ降ってるからね」

 アルベルトは苦笑するしかないが、服から滴る雫が絨毯にポタポタ落ちていく。

「ちょっと、早く拭きなさいよ。絨毯の染みになっちゃうじゃない」

 レギーナが冷ややかな目で言い放つ。
 そこへヴィオレが荷物室から拭き布を出してきてアルベルトに手渡した。

「クレアも、そんなとこで絞らないの」

 見ると、クレアがアルベルトの服の裾を絞ろうとしている。ちなみに外が雨なので今日の彼女は御者台に座ろうとしない。

「おとうさん…濡れると風邪ひくし…」
「はは、ありがとうクレアちゃん。でも大丈夫だよ」

 ヴィオレから渡された布で手早く拭き取りつつ、アルベルトは彼女の杏色の頭を撫でた。撫でられて彼女ははにかんだように微笑わらう。

「ばってん、そげん濡れるかいね?ひさしのあるやろ?」
「スピードが結構出てるから前から吹きつけてくるっていうのもあるけど…」
「あるけど?」
「スズが結構跳ね飛ばすんだよね」

「「「あー、なるほどね」」」

 見ればアルベルトの服にも顔にも結構目立つ泥跳ねが飛び散っている。早速改良点の見つかったアプローズ号であった。

「ほんなら、[水膜]でもかけとこうかね」

 よっこらせ、と掛け声をつけたくなる動作でミカエラが立ち上がる。
 もちろん彼女は若いのでそんな掛け声は出さないが。

「えっでも、魔術だとずっとかけ続けなきゃいけないから…」
そげなんそんなの[付与]して[固定]しときゃあよかだけやし。街に着くまでぐらいならそれで足るやろ」


 魔術は基本的には術者がずっとかけ続けるものだ。術式それぞれにある程度の効果時間があり、その間は一度かければ効き続けるが、それ以上持続させようとなると再度かけなければならない。
 そうした手間を省くための術式がちゃんとあって、それが[付与]と[固定]である。任意の術式を発動させたあとに[付与]を重ねがけすることで、最初の術式を任意の場所や物に定着させることができるのだ。
 そして[固定]は、その[付与]した状態を固定化する術式である。[固定]しておけば通常の持続時間を超えても術式の効果が失われないため、長時間同じ術式を続けたいのならある意味で必須になる。強力な術者の[固定]であればかなりの長時間、ないし長期間の固定が可能になる。

 [付与]も[固定]も無属性魔術の、「付与魔術」に属する術式だ。これらの術式は無属性なので誰にでも扱えるため魔道具制作にも大きく取り入れられていて、だから魔道具はひとつの術式を何度でも再現できるようになっている。

 なお[水膜]は青の属性魔術にある防御魔術のひとつで、自身の周囲の任意の方向に水の膜を作り出し、それで敵の攻撃を防ぐ術式だ。水は大気中に気化した状態で豊富に存在するためいつでも液化させることができ、特に今日のような雨の日は持続時間も延びる。
 水の膜なので密閉性が高く、防御魔術であるだけに小石や矢程度の物理攻撃や簡単な攻撃魔術、それに毒の風や煙なども全部シャットアウトできる。

 つまりミカエラは、雨避けのために御者台に簡易的な防護結界を張ろうと言っているわけだ。

「いいのかい?なんだか申し訳ないな」
「よかよか。クレアの言うごとように風邪引かれたっちゃ困るし、まかり間違うてウチらを狙う輩がおらんとも限らんけんね」

 そげな阿呆はおらんやろうけど、と付け足しつつミカエラは笑った。
 だが確かに、彼女たちを移動中に攻撃しようと考えた場合、まず最初に狙われるのは御者台のアルベルトになるはずだ。

「ほんで?とりあえず前っかわだけでよかやろか?」

 御者台にさっさと出ていってからミカエラが振り向く。その足元も壁も、確かに結構濡れていて泥跳ねも目立つ。

「そうだね、そうしてもらえたら」
「ん。ちょい待っとき」

 ミカエラは口の中で詠唱を始め、頭上に両手を掲げる。その指先で屋根から延びる庇の中心部を指すと、術式を発動させる。
 そのまま両手を左右に動かして庇の突端をなぞっていき、端まで来たところで今度は両手を下げてゆく。その指先の動きに沿って術が発動していき、両手を下げると同時に庇から水の膜が降りてゆく。それはちょうど両サイドの昇降口を除いて御者台をすっぽり覆う形になった。
 かなり薄い膜状にしてくれたようで、これなら走行中の前方視界もさほど悪化しなさそうだ。

 その後彼女は続けて[固定]の詠唱をして、それで完了だ。

「…ん、あれ?ミカエラさん今[付与]した?」
「したばい、当たり前やん」
「でも詠唱してないよね?」

 怪訝な顔のアルベルトに、ミカエラは薄い胸を張ってドヤ顔で応えた。

「んっふっふ。ウチはね、こう見えてっちゃんね!」

 つまり彼女は最初の段階で、[水膜]と[付与]を同時に発動したというのだ。
 だがそうと聞けば、アルベルトにも思い当たる節がある。

「そうか、そう言えば最初に会った時も…」
「あ~、そういやそうやね。あん時も同時に使つこうたんやったね」

 アルベルトはそれで納得してしまったが、彼は気づいていない。あの時の治療が青の属性魔術の[治癒]ではなく法術の「請願」であったことに。あの時ミカエラは、毒を解除する青属性の[解癒]の術式と、青派の請願のひとつ[癒やしの請願]を併用していたのだった。
 つまり彼女は法術師にして魔術師、しかも魔術をふたつ同時に、あるいは法術と魔術を同時に発動できる、稀有な才能を持った天才なのであった。



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