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第Ⅰ章 傲慢なる聖騎士
シーク・サルバドの生涯:後編
しおりを挟む「ど、して……」
何故、急に、どうして、そんな無意味な言葉がぐるぐるとリオンの頭の中を駆け巡る。
「今回の小競り合いを収束させて帰っている途中、」
気のせいではなかった。血の気がどんどんと失せていくのに、シークは笑みさえ浮かべ、淡々と話しを続けた。
――やめて。
「全く信じてなかったんだがなぁ……なんでか、俺にもお有難い報せってのが届いた」
――なんで。
「そいつが言うにゃあ俺はもともと、……どうにも本来ならとっくの昔に死人だったらしい」
――どうして。
「だから本来の姿に、――元に戻す、んだってよ。……俺みたいなちっけえ存在にまで気を配ってよぉ、世界の維持ってのは本当に大変なこった! ガハハ!」
――何故。
「どうしてッ! 今さらッ!」
「――見逃すには殺し過ぎた、だそうだ」
「――――」
リオンは二の句が告げられなかった。
言いたいことは沢山あった。反論も。
元々は国の要請で――、相手が仕掛けて来なければ――、生きるためには仕方なかった――、……言い出せばキリがない。
――だが、何も、言えなかった。
シークの顔が、……顔が、覚悟を、決めていた、から。もう、受け入れていた、から……。
あ、――
「……泣くな。お前が泣くと、メアも泣いちまうだろ」
――笑ってる。シークが、笑ってる。シークはもうすぐ死ぬのだと、勝手に、一方的に、理不尽に、決められたのに、笑ってる。涙がとめどなく溢れて止まないリオンの頬に、弱々しく手を添えて、……そっと、……そっ、と、……拭っ、て、……それが、それで、余計、止められ、な――。
リオンの、溢れて止まない、……涙に、……少し、……すこし、だけ、こまった、顔、で、……わらっ、……笑って、……しょッ、しょうがない、やつだっ、てッ、わらっ、て――。
「――俺はなぁ、リオン。今までのこと、全部に感謝してんだ。世の中の広さ、怖さってもんも知らねぇで、馬鹿で調子こいたクソガキだった時も、呪いのせいで何もかもが無意味に感じて自暴自棄だった時も、最愛の妻、エミリーにビンタ食らった時も、やり直そうと四苦八苦した時も、魔物のせいで次々と血縁が絶たれていくのを余裕もなく見送っていた時も、全部。――すべてがお前に出会うための苦労だったと思えば、大した苦労なんてあってないようなもんだった! なにせ、お前と出会ってこの方、なんでもかんでも良いこと尽くめだしな!」
「そんな、こと……」
ない――。そう言おうとするリオンの発言を遮るように、シークは本気で、心の底から幸せだと言わんばかりの笑みを浮かべ、嬉しそうに続けた。
「あれだけ続いた魔物の襲撃は嘘みたいにパタリと止むしよぉ、エミリーなんて、方々の医者から何度も産めないなんて診断を受けてたくせに、お前が来てすぐ娘まで産んじまうしよぉ、魔物の襲撃と重なってあんまり構ってやれなかったってぇのに、お前のおかげで死に際に幸せな人生だったってんだ、……夫として、父親としても面目がねえ話だが、全部お前が居てくれたおかげだ」
エミリーは、確かに笑顔で逝った。
最期にリオンが話をしたとき、エミリーは可笑しそうに笑って言った。
『シークはすぐ、弱虫が顔を出すの。面倒な父親に拾われて散々だとは思うけど、どうか嫌わないで、些細なことでいいの、お父さんを助けてあげて。――あなたはきっと、シークに必要な存在なのよ』
その時の言葉ははっきりと今でも覚えている。強いシークを助ける場面なんて、リオンは考えたことも無かった。……だが、今のシークはどうだろうか。
あんなに力強かった手が、生気に満ち満ちた顔が、……もう、何十年も老けたかのように悪い顔色は、なんだ。
「……嫁としてもってかれることにゃなっちまったが、サルバド家の存続は約束すると、王が、誓いを立てた。メアは病弱だが、エミリーほどじゃぁ、ねえ。王室が、助けてくれんなら、もう、お前たちは、大丈夫、だ」
ひとつひとつ、懸念事項を消すように、シークは喋った。
『シークはすぐ、弱虫が顔を出すの』
……もうリオンとシークの目が合わ、ない。
「お前は、俺の、思った、とお、り、素質が、あった……はぁ……はぁ……。――強く、なった……ほん、とに、強く……」
強くなんて、なって、ない。強ければ、シークを、助けられた、はず。
……呼吸の間隔が、どんどん鈍くなっていく。
『どうか嫌わないで』
シークはリオンの尊敬する、エミリーと一緒で憧れの英雄、だ。英雄、なの、に……。
『些細なことでいいの、お父さんを助けてあげて』
助け、られ、ない。
「まだ、俺より、強く、なれ、る」
「シーク父様に、勝ったこと、ない、のに……」
シークが、笑った。声が、か細く、震えている。
――未練もあろう、後悔もあろう、心残りなんて沢山あろう、――なのに、シークは初めて会った時と同じ、顔で、……笑った。
「……こっちに、きて、くれないか……?」
「――――」
目が、合った、気がした。
無言で立ちあがったリオンは、もう身体の機能が鈍くなっているのか、リオンの居場所すら分からなくなっている様子のシークを、優しく、抱きしめた。
宙を彷徨い始めていた手は、リオンに気付いて、弱弱しく背中に回された。
――そういえば、シークとは初めての、抱擁だった。
『――あなたはきっと、シークに必要な存在なのよ』
……違いますよ。エミリー母様。
本当は、本当に必要なのは私じゃ、なくて、私が、シークを、必要で……。
私は、何も……何も、でき、ない。
「大きく、なった、……なあ……」
「シーク父様ほどでは、ありません」
リオンの言葉に、僅かにシークの肩が小刻みに震えた、気がした。
もう、大きな声は出せないのか。震えるような、囁くような。シークの声は、密着していても耳元でやっと、……やっと聞こえるようなか細い声になっていた。
『――すぐ、弱虫が顔を出すの』
きっとこれは、弱虫ではありませんよ、母様。
父様は強い、人、です、か、ら……ッ。
「……そりゃ、ぁ、これ、でも、父親、だから、……な。……はぁ、……そう、簡単に、……はぁ……抜かされっ、……たまる、かっ、……てん、だぁ……」
「――とう、さま」
もう、リオンの声は、届かない。
「メア、のこと、たの、……りお……えみ――」
「しぃ、く、と……ぁま……」
――シーク・サルバド。享年41歳。
個人の武勇を知らぬ者はおらず、幼少期より周辺諸国にその名を轟かせた。
若くして亡くなった妻に最期まで操を立てたほどの愛妻家であるとしても有名であり、家族の為であれば王族相手であっても一切の容赦がなく、娘二人をそれはもう溺愛したという。
サルバド一族が次々と悲劇的な死を遂げることとなった災禍において、サルバド家最後の英雄と謳われ、希望の存在として最期まで王国の剣として在った。
王国からの公式的な声明によると、持病が悪化したことで寿命が縮み、その最期は愛する娘の腕の中で看取られ、穏やかなものであったそうな。
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