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白鈴と黒椿
しおりを挟むあの子がもうすぐ到着しそうです。予定通りに。
『――神と共に滅びる。それが妾に残された唯一無二の使命じゃ』
ふと、近々に聞いた友人の執念深いまでに確固たる言葉が脳裏に過ぎって苦笑が零れてしまう。遥か遠い昔に果たせなかった責任をいつまでも律儀に抱え覚えている良い子はつい最近、とうとうここまでやってきてしまいました。
常人ならばとっくの昔に気が狂う、気が遠くなるほどのあれほどまでに長い時を虎視眈々と、同朋すら耐えられずに次々倒れ、使命を果たすたったの一人きりになったとて諦めず――しかし深く息を潜め、ただひたすらにいち傍観者として徹し、この長いお芝居に一瞬の隙が訪れるまでをただひたすらに見守っていただけの忍耐強さ、辛抱強さにはさすがの私でも驚嘆に舌を巻きます。
――あの子に負けず劣らずの想いの強さ。あっぱれです。
ざわ……。
「ふーん、そうですか……ふふふ。やっと時は満ちたと都合よく勘違いして、あげく偽りの全能感に支配され、あれだけ警戒していたというのに簡単に作為を信じてしまうんですから……本当に。ここにきて滑稽なくらい罠に引っかかりますね、あのクソ女は。ふ、あは、ふふふ、あはははははッ」
言葉にするたび、どんどん深く己の笑いのツボを刺激して、より深くどツボにハマっていく。
あの常に臆病なまでに慎重で狡猾だった才能の塊のような女から、到底出てくるだろうとは予想出来ない、頭の弱過ぎるお花畑思考を初めて垣間見た生誕時もそうでした。
「アハハハハハハハハッッ!!!」
――何よりも笑えるのは、あの女自身も無意識にでも気付いているだろうに唯一の欠点であるだろう傲慢で愚かなそのお花畑思考のせいで、気付いたところでもうどうしようもなくどっぷりと罠に自ら浸かっていくしかなかったのだから。
そしてお望み通りに朽ちる事も無く、甘美な永遠を享受できるように取り計らってあげたのですから、感謝してもらいたいものです。
あぁ……その滑稽な姿を思い浮かべるだけで、笑いが発作のように永遠に止まらなくなりそうになるのは、もはや不可抗力の域ですね……ふ、ふふ。
「――おっと。いけませんね」
無意識に開いてしまっていた瞼を、何かの文句を言われる前にしっかりと閉じておきます。この土壇場で拗ねられては……まぁ、それもまた一興でしょう。
ただ、今まで暗黙の契約を盾に散々扱き使ってきましたが、これまでクソ面倒とは言いつつ一度たりとも反発や反抗をしてきたことは無いので、これからも何があろうときっとその瞬間までは間違いなく、契約が履行されないような不確定要素が出るようなことは一切仕出かさないのでしょうが。
『……拙者は、拙者が果たすべき役目を全うするのみでござる故に』
本当に、この子もこの子で無駄な事に真摯で真面目ですね。決まっている予定を覆す事は決して許されず、そもそものその資格すらも決して認められはしないというのに、です。
――それでもと、際限この上ない苦痛に苛まれながらもひたすら極限に身を任せ続け、苦痛を厭うのではなく、むしろ終わらないで欲しいともがき苦しむしか出来ない、一途で真面目な子。
資格無きものが出来ることは限られていますから、仕様のないことでしょうが。
「おかえりなさい」
「――本気で死ぬかと思った」
瀕死の重体で帰ってきたのは、最近生まれたばかりの後輩です。
表面上は無傷に見えますが、それは表面だけです。あの子の本気の攻撃を真正面から受け、無事に存在出来ているだけで奇跡に他なりませんので。
「ええ、それはそうでしょうね」
「おい……」
よくよく観察してみれば、存在を維持する為の大事な核に直接的にヒビが入っています。恐ろしく正確で的確な傷ですね。ちょうど致命傷にならない箇所を見極め、狙われています。
……これなら、少し休養すれば充分に回復出来ます。さすがですね。
「これ、あんたの御遣いのせいなんだが」
「ただの悪戯ですよ」
……私は絶対に嫌ですけど。あの子に悪戯だなんて。
「本当にただの悪戯なのか……? 生まれて初めて死んだ、と思ったんだが」
「ただの悪戯ですよ、可愛らしい悪戯です」
本当か……? と疑わしい目つきをされますが、本当にただの悪戯です。……ただ、事情をよく知らない彼にとっては、全くシャレにならない悪戯だったかもしれませんでしたが。
当の悪戯された本人が攻撃途中で、咄嗟に気付いて手加減したんですから、最悪でも死ぬことは無かったと思いますが。
――これもまた必要な事だった、というだけのことですから。
「もしや、俺が何か失敗してたのか?」
――心外ですね。まさか私がわざわざ迂遠に彼を排除しようとした、とでも疑っているのでしょうか? 最初から彼の排除がしたかっただけだったのなら、そんな遠回しな事をしなくとも瞼を開けば一発なのですよ、一発。
「おい、やめろ! ちょっとずつゆっくり瞼を開くな、恐ろしい!」
「……おっと。失礼しました、つい。まだ半開きなので気にしないで下さい」
「半開きでも俺には致命傷だ……」
それもそうでした。先程から昔の事を思い出していたので、ついつい。
……完全に開眼した際に少し引いてただけのあの子と違って、実に軟弱です。
「ちゃんと受け取ってきましたか?」
「――ああ」
言いながらボワボワ、汚れた綿菓子を懐から取り出して渡してきました。
「「…………」」
……………………。
「……いや早く受け取ってくれないか」
「嫌です。汚いです。洗ってから出直して下さい」
「おい……」
白らけた視線を向けられてしまいました。
……仕方がありません。ボワボワの端を抓むように受け取りました。
「多少、こうである予想はしていましたが……」
あのクソ女が究極の俗物であることを知りつつ、少々過小評価していました。
――ここまで真名を純粋に穢せる魔女は、他には存在しません。
「こんな状態でよく今まで、お姉ちゃんが見捨てなかったものです」
私なら即座に処分しているところです。
「……今さらですが、他にも良い名はありますよ?」
いくら穢れ云々がこれからする事に全く関係無いとはいえ、これの惨状を見てしまえば普通は躊躇はするものです。
というより、吸収するのが私だったら普通に嫌ですし、これ。
そんな意味を込め、彼に最終確認してみました。
「…………ああ。問題ない。それが良い」
ふい、と私が抓むこれを見て少し黙り込み、顔ごと逸らして告げられた。
……まったく、意地を張っているのでしょうか? 嫌なら考え直すべきです。
「なら、ちゃんと目を合わせて下さいね」
「それは違う意味で無理だろ……」
それはそうでした。とても気分が良いと、ついつい無意識にやらかしますから。
……想定していたより、興奮冷めやらぬようです。無理もありませんが。
「分かりました。後悔しないで下さいね――」
「うっ」
彼の頭上へと穢れた綿菓子を抓んで運び、解くようにしてゆっくりと浸透、吸収させていきます。……少々、力業ですが仕方がありません。
そろそろ問答が面倒になってきたのと、これを持っているのが限界だったので。
「――誕生、おめでとうございます。ツバキ」
そう時間も掛からず、作業は終わりました。
――これで、必要な全ての準備が完全に整いましたね。
「――――」
「ちゃんと生まれた気分はいかがです?」
己の何が変わったのか、じっくりしみじみ確かめている様子に茶々を入れます。
大変申し訳ないですが、このままじんわり浸らせておける猶予はないので。
――この後の予定は詰まりに詰まっているのですから。
「すぐには明確な違いは分からないが……開放的で新鮮な気分がする」
……やはり、まだ0ちゃいだからでしょうか。ほやほやの。
出てくる語彙なんて、そんなものでしたね。面白味の無い感想です。
「……今、馬鹿にされた気がするんだが。気のせいか?」
「気のせいですよ」
いけません。いけません。彼の感覚が――存在が以前よりも確固としています。
簡単な思考を浚う程度の力は、より顕著に変化しますから。気を付けなければ。
……今後、彼をからかう難易度が更に高くなってしまいました。残念ですね。
「――それよりも、そろそろ行きましょうか」
「……いいのか?」
少し不安そうな顔で聞かれます。――今さら何を。この腰抜けは。
何を心配しているのかは当然知っていますが、あまりに恐がり過ぎでしょう。
「もちろん、良いに決まっていますよ」
私たちの応援なんて、大した事の無い些末な問題ですから。
ここは黙って先輩に付き従うのが後輩の定めというものですよ。
「――盤面を左右しない観客のアドバイスはただの応援に含まれますので」
「ただの嫌がらせじゃなくてか?」
稀に、そうとも言うかもしれません。稀に。
「もちろん、主目的は見物ですよ。ただの見物」
「……そうか」
あ。色々と諦めた顔してます。見覚えがあって懐かしいですね。
あの子もよく、こんなうんざりとした顔してました。楽しいです。
「平和で穏やかな前座は終わり、残りは阿鼻叫喚のみです」
「悪趣味な……」
「それはただの誉め言葉ですね」
何某かを悪しざまに罵ったところで、私には全くもって何も響きません。むしろ面白がって、更に悪化することでしょう。自分自身でもそう理解しています。
――だって、私はそういう存在なのですから。
「楽しい、楽しい、ただの見物客なのですから。嫌なら来なくてもいいですよ」
「……いや。行くだろう普通に」
それはそうでしょう。ここに残っていれば、どうなるかが分からない彼は特に。
せっかく生まれてこれたのに、0ちゃいで御臨終は私も同じ立場なら嫌です。
「どうせ手出しするような隙もそうそうないですよ」
「手出しって言ってる、言ってる」
「……おっと。これは失礼しました、つい。――応援ですよ、応援」
指摘され、しれっと言い直しましたが……胡乱な目つきで見られています。
少々、心の声が漏れたのがなんだというのですか、まったく……繊細過ぎです。
ユーモアがありません。実につまらない後輩をもったものですよ。
「では、改めて。――ツバキはどちらを応援しますか? したいですか?」
「意味ないだろ、その質問」
確かに、結果ありきでは意味が無いかもしれませんが……分かってませんね。
応援というものは、別に結果の為にだけするのではありませんよ。
「そもそもが、どっちもどっちだ。違いがよく分からない」
……やはり0ちゃいだからか、人生にわかなのでしょうね。
この面白さの真髄を、全くもって理解出来てません。勿体ないです。
では――通な私が、この0ちゃいに良さを教えてあげましょうか。
「だからその過程を面白可笑しく楽しむんですよ、応援して」
「悪趣味な……」
それは先程もう聞きましたよ、芸の無い……。
引いた顔をされても、これからすることを思えば同罪です、同罪。
「――つべこべ言ってると、出禁にしてしまいますよ」
「それだけは本気でやめてくれ……!」
途端、焦ったようにぎょっとする姿を面白がります。
少し考えてみれば、私がまさかそんなつまらないこと、率先してするわけがないと分かるでしょうに……ということは、すると思われたのですね。
――心外です。本気で出禁にして良い気がしてきました。
「やるなよ、絶対にやるなよ……!」
「それはフリでしょうか」
それなら心置きなく全力で乗っかりますが。
「違うにきまってるだろ!?」
「……そうですか」
そうでしょうね。私もそんな面白味の無い、つまらない展開は嫌ですから。
本気でやるんじゃないか、とハラハラしている今の様子からは、先程までの不安はもう見当たらなくなっていました。
――からかうのは、ここまでにしておきましょう。緊張も解れたはずです。
「私をなんだと思っているんですか。――そろそろ本当に行きますよ」
「……そうだな。それがいい。今すぐそうしよう!」
先ほどとは違い、足取り素速くツバキが先へと自ら向かっていく。
……先輩を置いて先を歩くなんて、不届き者ですね。後でお仕置きです。
「私をたっぷり楽しませてくれる、面白い喜劇だと最高ですね」
誰ともなく、ぽつりと満面の笑みで呟いて見物へと向かう――。
「――世界が滅びゆく、その様は」
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