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試し
しおりを挟む「――こちらが密かに頼まれていた調査の報告書だ」
「ありがたく確認させていただきますわ」
曲がり角の先、気配もなく怖い顔で見下ろされたときは何か怒らせるようなことをしてしまったのだろうか……と無駄に肝が冷えてしまったが、蓋を開けてみればなんてことはなかった。
実は以前、カトレアとの茶会帰りにナズナに遭遇してすぐ、私が「あれ? もしかしてこれって世界滅亡の危機……?」と気付いてからずっと思い悩んでいたあることの調査のひとつにナズナが適任者だ! と直感して、あることの調査依頼をお願いしていたのだ。
失礼ながらある意味、ある種の試し行為でもあった。
……あの日、原作のキャラ設定を知っていなければ絶対に気付かなかっただろうほどの小さな違和感。
カトレアが過激な発言を包み隠すこともしていなかった要因がやはりどうにも気がかりで……私が最近思い悩んでいる件に絡む何かの非常に重要な事実または情報を隠されている気がしたのだ。
ただの魔女の勘である。
しかしただの勘でもそこは魔女の勘……不安を解消するに越したことはない。そのため、危険な賭けだったがナズナへ直接調べてもらうようお願いしていたのだ……が。
渡された報告書の確認を進めるたび、不安は的中していたのだと分かって思わず読みかけの書類片手に額に手を当て嘆息する。
――内心でまさか……とは思っていたけど、本当にまさかの恐ろしい事態が知らず知らずのうちに進行中であったのだからやるせない。
「――ナズナ様、このことを私に教えてしまって本当によろしかったんですの? よくてカトレア様からお叱りをお受けになる処罰で済むかと思いますけれど……順当に処罰されれば機密漏洩はかなりの重罪にあたるのでは?」
「委細問題ない。今の私の職務の範囲内だからな」
時々、休息に入るとはいえ私への長期護衛任務は続いている。その職務の範囲内であると、堂々と答えるナズナの真っ直ぐな目と綺麗な立ち姿に一片の後ろめたさなどまるでないようだった。
……さすがは物語のような正道の騎士らしい騎士を目指すナズナだ。
私はといえば、バレバレだとしても裏でこそこそ調べたことを小心者らしく非常に後ろめたく感じているというのに……。
……その肝の太さを譲ってほしい。などとしくしく痛み始めた胃をさすってうなだれる。知らなければ良かったかもしれない、今からでも見て見ぬふりをしてはいけないだろうか……などと思ってしまう私にはナズナのように堂々とした態度は出来ない。
だってまさか本当に――。
「――人々が魔に堕ちているだなんて……!」
もっと明け透けに言ってしまえば、人が魔獣になって暴れているのだ。……どうりで狩っても狩っても一向に数が減らないわけである。
この事実を知ってしまった以上、今までの魔獣への認識を含めても非常に気分の悪くなる話である。
さらに最悪なことに、今までは民心に混乱を招かない為にか、あるいは敵の組織力や強大さ故にか、双方ともに徹底的な情報統制がされており、どういった基準で人が魔獣へと変化してしまっているのか、という明確な原因が今の今までにさっぱりと分からなかったという。
それが今回、王国が唐突に帝国への征伐戦争に乗り気とはこれ如何に……。
ナズナに渡された資料のご丁寧な注釈によると長年、犯人として怪しい怪しいとは真っ向から疑いつつも表面上は友好的な関係を築いていたらしいのに、体よくこんな事態になった途端に、まだ推測だけの段階で仕掛けることにしたなどと……明確な証拠も揃わないうちに、あまりの決断速度に急展開が過ぎると思うのは私が小心者のモブだからだろうか。
原作『らぶさばいばー』の設定でも揃いも揃って天才鬼才偉才集団の彼ら彼女たちの頭脳が揃ってそうだ、と結論を弾き出したのだからきっとそういうことなのだろうが……胃が、しくしくする。
もしかしたら、――とはモブなりに私も魔女として薄々勘付いていた。
皇女が龍になったと聞かされた時、――そうなるのは果たして帝国の皇族だけのことなのだろうか……? と。
頭の片隅でちらっと疑問がよぎって、すぐに後回しにした。……その時は、他に優先対処すべき事項が多くあったから既に頭も心もお腹もいっぱいいっぱいだったのだ。
それでも初めて存在を知ることとなった不浄というものについて、合間合間にアザレアから教えを受けているうちに嫌な予感はひしひしと増していた。
そう――特にあの姫様と会ってからというものずっと、ひしひしと日増しに……今思えば、会うたび常にどれもこれもかなり重要な情報をこれでもかとあからさまにぽろぽろ言っていた。
私はそれを正しく理解出来ていたはずなのに、――見積もりを甘く考えてしまった。そんな悪夢みたいなことが実際に起きているのだと、心のどこかで頑なに信じたくなかったのかもしれない。
魔女でもない、不浄を感知出来ないだろうカトレアたちが恐ろしいソレに先に気付いて戦争だなんだと堂々宣言するくらいだ、よほどに確信出来る情報や根拠があるに違いないとは薄々思っていたはずなのに、その嫌な予感を無理やり無視してきた。
今になってこういった重要情報が開示されたのは、私のそういう――母と兄が不在な上、アザレアも忙しい状況で――ビビった消極的で曖昧な態度も理由にあったろうがまあそれよりは……私にギリギリまでその事実についてもう取り消しが利かないところまでの準備が整うまで、全く何も仔細を伝えなかった理由はまあ理解出来る。
――情報統制だ。忠心を試されたようで、まるで納得はいかないけど。
だからといって腹心のナズナを用いてやり返すのも子供っぽかっただろうが……そこは君主として多少は目溢ししてほしいところだ。しくしく。
――きっと夫と一緒に謁見した時の様子に、それと後から明確な理由を告げずにまだ暫くは皇女を王宮で匿いましょう、だなんて無茶ぶりを無理に上申したからなんだろうなあ、とは。
私がどこまで帝国と通じているか。たぶん、こうした保険はカトレアの仕業だ。ただの勘だけど。
どうよ! 裏表、全て真っ白だったでしょうよ! と鼻高々なまま疑ったやつらの目の前で全力でどやりたい。……絶対やらないけど。
「そういえば、離宮の姫から聖物の引き取りはいつ頃かと催促があったのだが……」
資料を前に百面相を浮かべていた私にナズナが思い出したかのように声を掛けて来た。
…………ん? 聖物……?
・
・
・
「――りゅ、」
龍太ああああああ!!!! うっかり忘れてたああああああ!!!!
◇◆◇◆◇
「やれ、此度はずいぶんと慌ただしい訪問じゃのう」
「も、申し訳ございません、ベラ様……」
きょとん、と鋭い刃を熱心に研いでいただろう手を止めて、ガーベラ姫がこちらへゆっくりと顔を向けた。
今さらキャラ濃いめなガーベラ姫に何をツッコんでも虚しいだけだろうが……是非に心の中ででもツッコんでやりたい!
こういう時の王侯貴族の姫って大体、お茶やおやつとかを嗜んでた最中で突然の訪問にびっくり、とかいうのが普通の展開なのではなかろうか……と。
しかしそうした疑問やツッコみはすぐさま心の彼方へと追いやり、ちらちら妙に目に付くやたらと切れ味鋭そうなギラギラした刃に対する疑問も、なるべくそれを視界に入れないようにすることで同じく彼方へ疑問を投げやり、訪問早々にただただ平謝りすることとした。
――呑み込むべきはそれが何であろうと空気を読んでしっかりと呑み込む。それが真の大人の処世術である……。
「うっかり龍太の引き取りを長引かせてしまい、長らくご迷惑をと焦ってしまいまして……」
「……お主、」
「はい……」
いや、ほんと、ごめんなさい……です?
え。あれ。笑われてる!? 何故に……!?
「……ふ。もしや龍太とは、あの聖物の名か? 随分と――」
「ええ、はい……神龍に対し、やはりまずかったでしょうか」
何か言葉を最後にぼそりと付け加えられたような気がしたが、焦りと不安で緊張しててよく聞こえなかったのできっと空耳か気のせいだろう。
それよりも、神とつくからにはやっぱり勝手な名づけは不敬とかあるのだろうか。すでに大陸ごと沈んでしまったとはいえ、その縁の移民者が全く王国に居ないわけでもない。西南大陸では聖物として扱われてたみたいだし……今さらなんだか無駄に不安になってきた。
……もしもダメだったら兄のせいにして責任を押し付けてしまおうか……そもそもよく考えたら引き取った――押し付けられたのって実質兄だし。それにきっと兄なら何があろうともおそらく大丈夫だろうし……。
私なら何があろうとも全くもってダメダメだろうけどっ!
「――うむ。特段、お主は気にすることないぞ?」
「そう、でございますか」
「うむ」
何かの含みを持たされた言葉だったような気もするが、とりあえず大丈夫だという言質を西南大陸最高権力者たる姫様から頂いたのだから、と深く気にすることなくスルーした。
――そんなことよりも今は龍太だ。王宮では皇女以外に龍らしき影をどこにも見つけられなかったので、うっかり忘れてしまっていたが……引き取る予定の当龍は何処だろうか。
「あの、それでベラ様。龍太は何処に……?」
「うむ。しばし待て」
サッと立ち上がった姫様がトコトコと窓辺へと移動する。……存在感のわりに、意外と背が低くて実にお可愛らしい。
なんて不敬なことをつらつら考えつつ、なんとなくの流れでガーベラ姫の行く先を見届けていると、窓辺に片足を乗せて姫様が身を乗り出した。
――え!? ちょ、飛び降り!? ここ二階だけど、でも実際には前世の三、四階分相当の高さが……ッ!!
「『――ダンデ・ポポ=ラークスパーッッ!! 今すぐ妾の部屋へ、聖物を連れて参るのじゃッッ!!』」
キキキィィーーン。
と、私の勘違いはすぐさま引っ込むことになる。金切声に等しい大音声が窓辺から姫の声で遠くへ向けて強烈に放たれたからだ。
耳鳴りのように聞こえた音は、先日ガーベラ姫に教えてもらった魔法のおかげで、ただの耳鳴りではなく、意思の乗った声として聞き取れた。
この魔法を知らなかった前までの私なら、きっと急な耳鳴りに姫が錯乱して叫んでると勘違いしただろうが、今は違う。
――それにしてもこれは凄い。
動物がワンワン、にゃーにゃー、カァカァと鳴いて何やら意思疎通してるのは何となく分かっていたが、まさかキンキンした叫び声だけで似たようなことを再現するとは物凄く器用なことだ。
だって、あくまで私は聞こえるようになっただけで、まだ伝えるために喋れはしない。
流石にそこまで魔法に熟達できず、皇女とも実際には人の言葉でやり取りしていた。皇女が元から龍であれば意思疎通は不可能だっただろうほどに難しい技術なのだ。
などと感心していると――。
「――はいはいーっす!! 只今参上っす!」
はやっ。
にゅるり、と存じ上げる龍に跨った褐色の太鼓男が窓辺からひょいっと顔を出した。
……あ、位置が。
「ハッ!? 姫のおみ足が真近にッ!? ぐふぅ!?」
「――近くに居るならば居ると主張せぬか! この愚か者めが!」
と思ったのも束の間、容赦なく姫のかかと落としが太鼓男の顔面に直撃する。あまりの見事な早業に、私の眼は全く攻撃の軌跡が見えなかった。
もしやとは思ってたけど姫様……やはりあちら側の住人だったか……。
「ぐ、ぶふぅ!? ひ、姫っ? それは酷いっすよ! 姫の言いつけ通りに息を潜めて静かに物陰で見学してたっす!」
「なお気持ち悪いわ!」
「ぐはぁ!?」
一度は踏みつけから逃げて抗議したものの、取りつく島もなく再び足蹴にされる太鼓男。……気のせいか、心なしか満面の笑みである。いや、気のせいじゃない。ガーベラ姫が軽蔑の眼差しでゲシゲシしてるもの……!
……私は一体、何を見せられているのだろうか。
「く、修験に集中出来ないから鳴らすなと、姫直々のご下命だったっす! 今回こそは断固抗議するっす!」
「妾の命を都合よく曲解するでないわ愚か者! 鳴らすなとは近くで鳴らすなという意味じゃと知ってて、お主にとっての不都合を意図的に無視しおってからに……ッ! そもあれは変態の居場所を常に把握する為の枷じゃ! 死ぬまでずっと叩いておれこの愚か者めがッ!!!!」
「そ、そんなぁ! さすがにひどいっすよ姫ぇぇ……! ぐべぇ!?」
「それ以上、妾に近寄る出ないわッ! いちいち言動気色悪い男め……!」
……私は一体、何を見せられているのだろうか。
何してるの? とばかりに首を傾げて姫たちのやり取りを眺める龍太を眺めながら、白目を剥きそうになる目を遠くの空へと意識を飛ばしてやり過ごす。
――ああ、これっていつ終わるんだろう……?
急に訪問したのはこちらであったが、シオンが気になるのはそればかりであった――。
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