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狂気の告白
しおりを挟む「――あーあ。最悪。言わないでよね。シオンに気付かれちゃったでしょ。ざーんねん」
は?
声と共にするり、と背後から視線を前に固定するように顎へ手が伸びてきて、更に胴体にも腕を回されて完全に動けなくされる。
さっきまでまったく気配を感じられなかったのに、急に背後から抱き着かれてしまい、驚きで思考が吹っ飛んだ。
「――どうする? おすすめはしないよ」
囁くように耳元で聞かれて頭がクラクラしてしまう。そんな場合じゃないと分かっているのに、気持ちとは裏腹に全身の血の巡りが早く感じられた。
……くっ、やっぱり接触は無理! 無意識に身体が動揺しすぎる!
「ち……ちか……はなれ、て……!」
「ごめんね。でもこうでもしないとシオンが危ないから」
いやいやいや! 危ないのは私じゃなくてあんた!
離れてくれないほうが色々危ないんですけど私!?
「また気絶しちゃったら大変だよ。僕、いま真っ裸だから」
「ま……」
ぼんっ! と効果音が付きそうなほどの速さで一気に顔が赤く熟す。そのまま湯気でも出そうな勢いでプシューっと顔の火照りが増していく。
なんとかなけなしの理性を総動員して、向かい側でしらーっと見ているだけだった牡丹くんに目で本当かどうかを問うてみる。
通じたのか、真顔でコクリと頷いて牡丹くんがガチトーンで告げた。
「……うむ。全裸でござる故に」
あコレ、ガチのやつだ……。
「へ……へんたい!」
「可愛い」
なにが!?
ぐるぐるマークの混乱状態な目になりながらした抗議は、謎の感想によってあっさりスルーされてしまった。
罵詈に対して可愛いって何!? 頭おかしいんじゃないの!?
「どうしてハ、ハ、裸なんですの!?」
羞恥と怒りが同時に湧いてきて、訳も分からずに「違う、今それじゃないだろ」な問いが思わず出て来てしまう。
本当は一刻も早く離れてほしい的なことを言いたかったはずなのに……。
「うーん。雲隠れしてたから?」
「はぁ?」
絶賛混乱中だったが、そのふざけた答えにとうとう怒りのほうが上回ったのか、ちょっとだけ頭が冷静になってなかなかに低い声が出た。
また煙に巻こうとして……ッ!
「本当だよ、ほら」
「ふざけた事を……え!?」
胴体に回されていた腕をひょいっと顔の前まで持ち上げられて、腕が消える様子を見せつけられ唖然となる。
文字通りもやもやと蒸発するように霧化して消えていく腕は、衝撃以外の何ものでもなかったからだ。
「な、い……」
触れない!
「納得した?」
信じられない思いで咄嗟に消えかけの腕に触れてみたが、見えている部分は触れるのに、霧と化した部分は空振りするだけで触覚的に気持ち悪いことになっていた。
消えた部分に手を置いていると、腕が出現して押し戻された。出現する時の感触があまりに気持ち悪くて反射で手を引っ込める。
「ど、どういう……ハッ!」
人体が霧化したり戻ったりなんて一体どういう仕組みなんだ、と聞こうとして途中でとんでもないことに気付く。
というより、牡丹くんの発言の中で勘違いしてスルーしてた部分を、何故かこの時に恐ろしいまでの六感で思い出してしまったのだ。
「ぼ、ぼたん様……先程、四六時中傍にと仰っておりましたわよね?」
「うむ」
「それはどの程度……?」
「四六時中は四六時中でござる故に」
――――。
「朝も昼も夜も?」
「うむ」
「……着替え中も?」
「うむ」
「ま……まさか、入浴中もッ!?」
「うむ」
うむ、じゃねーよ! 何してたんだよ護衛! 護衛しろよ! 護衛を!
あまりのことに内心で口汚く怒ってからやっと理解が完全に追い付いたのか、衝撃で魂が口から出かけるほどに放心してしまう。
――もはや単に恥ずかしいとかいう次元ではなかった。
「……い、つから……?」
魂が口から飛び出た放心状態で出た恐ろしい疑問に、背後でひそかに笑われる気配がした。
笑い事じゃない……。
「いつからだと思う?」
「――――」
――そんなの。
「そうだよ。君の思った通り、僕たちが出会ったあの日から」
「う……」
嘘だああああああああああああ……!
……もう貞操がどうとかはこの際どっかに置いておく。問題は他だ。
あの日からずっとって言った。ずっとって。
――私は名実ともに綺麗なものが大好きだ。大大大好きだ。だから勿論、夫の美しい顔は果てしなく私の好みだった。
衝突事故同然で幸運にもそんな超絶好みな子と幼くして結婚して、早々に勝ち組になってしまったと勘違いするほどの当時のシチュエーション、私は「噂の転生特典だ!」などと浮かれていてまるで正気ではなかった。
だからだろう。まさかそれから10年も夫とは会えないのだとは露知らず、転生ロマンスファンタジーのあるあるをこれでもかと期待してしまった私は色々とやらかしていたのだ。
例えば夫との結婚生活を妄想するくらいならまあ表面的にはバレないので良しとしても、それを我慢できず表に出してしまっていた場合を想像してほしい。
穴があったら入りたい……いやむしろ自分で掘って埋まりたい……ッ!
転生もののあるあるで良くある愛され妻になるチャンスをものにすべく、お嫁さん修行とか言って色々なことに手を出しては、不器用なあまりに尽く上手くいかず「お嫁さんになれない……」と泣いた黒歴史がががが……ッ!!
いつまで経っても見つからない夫に対する夢がぼろぼろ崩れ落ち始めた頃、だんだんと思考が落ち着き冷静になってきて「あれ? もしかして私ってばこのままだと未亡人同然で生涯終わる? 離婚出来ないから再婚も出来ないし……」と今世も独身貴族コースをひた走っている己の運命の悲劇に戦慄して誰への抗議なのか謎のボイコットを謎にかましたりとか。
数々の奇行が走馬灯のように脳裏を鮮やかに通り過ぎて色褪せていく。
「それで、結局どうするの? あ、もちろん僕はおすすめしないからね」
「どうする……」
どうしよう。近場に手頃な工事現場とかないだろうか。……ないか。
どこでもいいから、深い穴があったら飛び込んで埋まりたい……。
「本当に臭いんだよ? そんなに不浄なんかを嗅ぎたいの?」
「……不浄」
――ああ、そうだった。
そういえば、元はといえばその話から……あ。
「――不浄、の痕跡……」
夫が急に抱き着いてきて、更に話もとんでもない方向に逸れて精神的ダメージを明後日の方向から受けていたが、その直前に気付いてしまったことがあったのだ。
――そう、不浄について知っていくうちにどうしようもなく気付いてしまうことが。
「――僕のことだね」
何の含みも衒いもなく、あっさりと白状した夫に息が詰まる。
「なぜ……」
「どれのこと?」
いくつか聞きたいことはあったが……まずは火急の問題からだ。
「……では、私の不浄感知の妨げをなさっている理由を」
「それ? うーん。――君を守るためだって言ったら、信じる?」
「――――」
前もそう言ってたけど……いまいち意図が読めない。
素直にそのままの言葉通り受け取ってもいいものか――。
「シオンには綺麗なものだけ見て感じていてほしいから――」
未だに顎を前へ固定されたまま後ろから聞こえてきた言葉に、どう判断すべきか迷って更に言葉に詰まる。
そうしてとりあえず深く考えるのを後回しにして次の質問をぶつけようと口を開きかけた時、まるで今日の天気を話すようなトーンで夫が言葉を付け加えた。
「――そのせいで結果、世界が滅んだところでどうでもいいし?」
「……え」
どうでも……えっ?
「シオンさえ無事なら、世界が消えちゃってもどうでもいいことだよね」
「何を、言って――ッ」
本当に何を言っているのかが理解出来ない。私を守りたい、私さえ無事なら良いのだと言っておきながら、反対に私という個が存在しているために必要なはずの世界が滅んでしまっても、消えてしまってもどうでもいいだなんて……全くもって矛盾した発言だ。
理解出来なくて何かを言おうとするが、口からは呼吸だけで言葉は一向に出てこなかった。絶句だ。
「あれ? ここって感動して惚れ直すとこじゃない?」
「じょう、だん……ですわよね?」
お茶らけたように笑いながらの言葉に、私の魔女の直感がひしひしと警告してきていた。
この感じは、知ってる。これはまさに、――。
「僕は本気だよ。君以外は心底どうでもいいし、興味が無いんだ」
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「だから君が最も好む、それでいて君にとって美しい環境を整えたし、君にとって害になるものは二度と君に近付かないように処理もしたよ。君へ常に纏わりついていた邪魔者たちにはずっと辟易してたけど、それも今は居ないから苛々することはないし、こうして何者にも邪魔されずに君の近くに居られる。本当なら今のうちに君をどこかに隠しておきたいくらいなんだけど、残念ながら実行する為にはそこの護衛が邪魔で邪魔で邪魔で邪魔で――。まあ他の邪魔者たちと違って同情でもしてるのか酷い邪魔まではしてこないからさ、それによく考えたらせっかく君をどこかに隠せても優しい君は護衛が居なくても逃げようとするだろうし。そうやって君に嫌われることになるくらいならいっそ――って思いながらずっと我慢してるんだ。――君に嫌われるくらいなら僕は何でも我慢出来るよ。君が嫌だというなら凄く心配だけど君の事を四六時中見ていることをやめるし、こうして君に会いにくるのも心が引き裂かれたように凄く苦しいけど暫くは我慢する。君が望むなら僕は僕を殺してでも全てを君の望むままに何でも叶える――だからその代わり」
「――――」
「お願いだから僕と別れたいだなんて考えないで。嫌わないで。好きにならなくてもいい。邪険にしてもいい。僕を殺したり拷問したり軽蔑したって構わない。……でも、嫌う事だけはしないで。僕のことが気に入らないなら全部変えるから。顔も身体も声も言葉も性格も――全部全部君の好きなように変えるから。お願いだから僕を一人にしないで。嫌わないで。君だけなんだ。僕には君しかいないんだ。他なんていらない。君さえ存在していれば僕の存在でさえどうでもいい。君が苦しむ姿を見たくない。君が悲しむ姿を見たくない。君だけが消えるなんて嫌だ。君の傍にいたい。幸せに笑う君をただ見ていたいだけなんだ。世界がどうなろうとも、僕がどうなろうとも構わない。――ただ君が無事ならそれだけでいい。それ以外に僕が望むことなんてない。でも、それなのに君に嫌われたくないんだ。贅沢な想いかな。卑しい独善かな。ただただ君の幸せを願っているだけなのに、僕は欲深くて正直者だから、自制が利かないんだ。でも嫌わないで。我慢するから。全部全部我慢するから。怖いよね。ごめんね。分かってる。でもお願いだから別れたいだなんて考えないで。嫌わないで――」
堰を切るようにして零れ溢れだした言葉が止まる様子はなく、まるで何かに対して懺悔しているかのように同じ意味の言葉を延々懇願しながら繰り返すさまはただただ哀れで、言葉に込められた切実な私への想いを感じて訳もなく感化されて悲しくなってくる。
いつの間にか胴体に戻されていた腕は更にきつく締め付けるようにしてお腹を圧迫していたが、それが痛いとは感じなかった。むしろ私よりも、言葉を吐いては自分の言葉で傷ついて、その度に私に縋りつくようにしてきつく抱き着いてくるような夫の姿のほうが何倍も痛々しく感じられた。
「――分かりましたわ。今後も夫婦として在ることを約束致しますわ」
「……ほんと?」
幼い子どものように確認してきた声に、諦めたようにこくりと頷いた。
……まあ正直、再会してすぐの頃はともかく今となってはそこまで破婚をしたいしたいという感じでもない。
破婚したかった理由の大半は、全く何も知らない仲で突如として詐欺のような結婚事故に遭遇したも同然なのだから、当然白紙に戻すのがお互いにとって最善なのだと思っていたのと……それなのに初対面同然の相手から私へ多大な好意が何故かあって、あまりにその好意の正体が不気味だったという点が最も大きかったわけなのだし。
最後の一押しというわけじゃないが……結局はなあなあに流されやすい私の性格が出てきて、今受けた告白紛いの真っ直ぐで切実な言葉たちのせいで絆されたのか、夫の好意をただの好意としてすんなり受け入れてしまったようでもう抵抗はまるで無かった。
……というよりむしろ、諦めたともいう。ここまで重い感情を持たれているとは全くもって想像してもいなかったが、もしも今後仮に私が他の誰かを仮に好きにでもなったら……その人物を殺して成り済ますくらいはしてきそうだと、何故か発する言葉の端々の狂気から予測が出来た。
まあ世界が終ろうとしててピンチ! って気付けてこれからって時に呑気に恋愛がどうとか……あまりにとち狂ったことしてる余裕も暇もないから、一旦棚上げの保留にして未来の自分に丸投げしているともいえる。
頑張れ、未来の私。これは単なる逃避なんかじゃない。一旦現実を潔く受け入れてから経過を見守っていくという立派な選択は、未来への大事な投資なんだから……ッ! 後は任せた。
……もちろん、今までずっと私生活を覗かれていたこととかGPSで常に位置特定みたいなことをされていたこととか、直近のこれからについて思うところは今も充分、というか多分にあった。
が、それについてはおいおい問い詰めてなんとかするとして――。また何かをきっかけに長文台詞で重いものを延々吐かられる前に、とにかくまずは目的を果たすのが良いと親切にも私の魔女の勘が小突いてきていた。
――教えてくれてありがとう、我が魔女の本能よ。しかし出来れば夫が長々と重苦しい感情を吐露してる間に沈黙してないで、もっと早めに小突いて指摘してほしかったよ……とほほ……。
「――では、しかとお約束も致しましたので。今度は私が不浄を嗅ぎ取れるよう配慮してくださいますわね?」
「……えー? ほんとに嗅ぎたいの? 臭いよ?」
「臭いからと放棄出来るほど子どもではございませんもの。どうか妨げの解除をしてくださいませ。でなければ先程の約束を反故に致しますわよ」
「それはやだ。――うん。分かった。そこまで言うなら」
さっきあれほどまでに私の望みならなんでも叶える、とかなんか……これでもかと豪語していたくせに早速かなり渋られててイラッとくる。
――平常心、平常心。
どういう仕組みで邪魔されているのかは知らないが、――邪魔している者が誰で、その誰かさんが妨げを解除出来るのならば何も問題ない。
今の今まで顎に固定されていたままだった手が引っ込んで、背骨の辺りを撫でられた。
すこしくすぐったい感じにムズムズと身体が勝手に反応して動き出しそうになるのを我慢していると、夫から「いくよ? 本当にいいの?」と再度念押しするような声掛けがあった。
「どうぞ」
それに対して軽く催促の返事をした私は、まだしっかりとこれから起こることを理解していなかった。
おかげで――すぐに己の認識の甘さを呪う事態となる。
「――はい。これで君の望み通り、不浄が嗅げるようになったよ」
「そうなの?」
「うん。気持ち悪くなったらすぐに言ってね。すぐ元に戻すから」
「必要ありませ……」
嗅げるようになったと言われてもすぐに何かを感じられなかったので、咄嗟に必要ないと答えようとした。せっかく不浄の感知が出来るようになったらしいのに、たかが少々臭いとかいう理由でまた元通りにするなんて冗談じゃない、という想いもあった。
が、それを答えようとした途中で突如として浮かんだ生理的な涙と共に、胃から何かが逆流するように熱くなった喉に言葉が止まったことでやっとその不浄の悪臭に気付く。
……やば、待って、これ、ちょっと臭いとか、我慢出来るとかそういうレベルじゃ――。
「ゔ……――」
ヹぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ――。
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