らぶさばいばー

たみえ

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春宵一刻 夜桜 (前)

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 魔獣襲撃による各地の混乱を収束させるため、学園は一時休校扱いとなってしまった。
 寮も一時閉鎖されるため、私は帰郷を余儀なくされた。

 シオン様は帰郷に際して色々と心配して下さったけれど、よほど魔獣が目前まで迫った心労は大きかったのか、どこか話をしていても上の空に感じられて、それどころではなさそうだった。
 ……後になって倒れてしまわれたくらいなのだから、無理をしているに違いない。

 そう思い至って、これ以上シオン様に心労を掛けてご迷惑を掛けるわけにはいかない――と、私は大丈夫だと繰り返し伝えて一時の別れの挨拶を交わした。
 実際、学園に来るまでも一人で来れたのだから特に帰郷に関しては何も問題は無かった。
 問題は無かった、――はずだった。

「――ない! うそ!?」

 私は一人、途方に暮れた。
 当てにしていた移動手段が何故か消えてしまっていたのだから。

 森の奥深く、廃れた祠の祭壇に在ったはずの、
 ――黒玉という移動手段が。

 シュ――ッ!

「――グッ!?』」

 え? と疑問に思う間もなく、気付けば周囲の景色を置き去りにして動き、木々の間を縫うように目では残像すら追いきれないほどの速度で何かから逃げるように逃避をしていた。
 全身がキシキシと軋みを上げて、細々と切り裂かれ続けているような壮絶な痛みが絶えず襲っていた。のに、悲鳴すらまともに上げられなかった。
 ――う、ごけないっ!

 目まぐるしく変わる視点で目を回す余裕も無かった。全ての痛みを無視したような動きは確実に命を削っていると確信出来るほどのもので――。
 ――ふと。まるで絵画のように私も周囲も固まった。

 ……否。今度は逆に、動いているのかさえ疑わしいほどの遅々とした速度で景色が動いていた。目が慣れた、というのとは違うのは理解していた。
 全てが静止してしまったような視界に、まず最初に私の首へと煌めく刃が迫っているのが目に付いて。

 キン――。

 まるでいつか見た曲芸のように、――それ以上の動きで首に迫った刃を避けるため、見下ろす位置で平行するように身体は勝手に跳ね上がっていた。
 全てが止まったような速度のなか、一人だけそれを無視した速度で動いている代償は――きっとこの痛みだ、と悟った。

 ――まさに紙一重。
 後数瞬回避が遅れればあっさりと私の首は飛んでいた。
 それに遅れて気付き、身体の痛みや不自由よりも命を削った心地だった。

「『――――ッ』」

 回避したはずの刃が、真下で刃先を真上へと急転換したのがハッキリと見えていた。
 そのまま追うように執拗に私の首を狙う執念は尋常ではなかった。

 なにより、全てが止まったように遅くなっているはずなのに、その刃先はブレることもなく私のでの転換だった。

「『ふぅ……』」

 それはただの吐息だった。
 まるで今までずっと息を忘れていたかのように、吐息が漏れた。

 ふ――。

 気付けば、視界は一面の青。下には一面の緑。
 私は、遥か上の空へと飛んで――。

『ギュルルルルウウウウウウッッ!!』
「『く――不浄な欠片の分際でッ』」
『ギュェ……』

 不浄な、欠片……?

 、と思ったら一瞬掛かったはずの重みは腕の一振りで消し飛んでいた。
 私はといえば、に気を取られていた。

 自分の身体が勝手に動いて、急に自分の物ではなくなってしまったような感覚の中で、感じる痛みだけはどこまでも本物だった。
 けれど奪われた身体から零れ出た言葉は自身の言葉や知識からではなく、やはりだった。
 突然のことに動揺していた意識が、その結論を出すのはすぐだった。

 ドドオオオオオンンンッッ!!

 逸れた意識に遅れるように耳目に届いたのは、地上のどこかで巨大な砂埃が舞い、破壊が響く音だった。
 まるで巨大な穴が開いたように、お伽噺の大魔法でも打たれたかのような痕は呆気にとられるほど壮観で。
 まるで空から星が落ちたみたいに――。

「反撃しないのか」
「『まっ――!』」

 ハッ! とした時には既に遅く、中途半端に振り返ろうとして失敗した体勢で、私は彼の燃え盛る炎のような色の瞳だけが鮮明に見えていた。
 目が合ったはずの彼は表情を少しも変えることなく、宣告した。

「――墜ちろ」

 底冷えするような声に背筋が凍るよりも先に、気付けば一瞬にして強烈な衝撃を受けて真っ逆さまに地上へ墜落していた。
 斬られる直前でかろうじて片腕が間に合ったおかげで、どうやったのか全く分からないけれど刃から伝わる斬撃は衝撃へと緩和された。
 ……度々迫る死の恐怖は、筆舌に尽くしがたい。

 ――ずっと恐怖と混乱でいっぱいいっぱいだというのに、それでもどこまでも冷静で取り乱すことは無い。
 ……だからこそ、私は身体の主導権を彼女に持っていかれてしまっているのかもしれない、と思った。
 彼女が出て来なければ、一体何度死んでいたことか……。

 ――墜落に紛れ、そのままこの場を離れて彼から身を隠す――ぁ、考えが読めて、る……?

 ――まだ、助かるんだ。
 彼女の考えの上辺だけを読み取って、思わず安堵した。

 遥か上空で私を攻撃した体勢のまま動かない彼に、――追撃が無い今しか逃げる隙はない、と彼女ではない私でも簡単に理解した。
 一瞬にして目まぐるしく変わる状況の確認や疑問は後でいい、今はとにかく話し合いなんて出来そうにない彼から離れないと――。

 そうして止まったまま動かない彼から遠ざかってほっとしたのも束の間、私は目を見開いた。
 ――動けないッ!

 動けないだけではない、動けなくなっていた。
 何の前触れもなく、突如として四肢が固定されてしまったかのように落下の最中で私は両手足を広げたまま、無防備に仰向けのまま地へ墜ち激突した。
 舞い上がった砂埃以外、遠くに見える彼という景色にまるで変化は無かった。

「『ガハ――ッ!』」

 継続的に続いていた痛みの代償なのか、やっと吐き出せるとでもいうように大量の血を吐き出した。心なしか、全身が急激に寒く感じられた。
 私の身体がそんな状態でも気にすることはなく、彼女は彼に何をされたのかと、そればかりを少しの驚きと共に冷静に沈考していた。
 目が、霞む――。

「――オイオイ、陛下。器選び失敗してんじゃねェか! ほんの少し力入れただけでこの有様になるなんざァ惰弱過ぎるぜ、こいつァ」

 意識が遠のきそうで朦朧と保たれているなか、どこか場違いなほど幼い子どもの声が突然聞こえた。
 その声を聞き、沈考していた彼女が何かに納得したのが伝わる。

「『……まさか貴方がそちら側につくとは、想定外でした。――ミルローズ』」

 覗き込むように見下ろし話しかけてきたのは、物々しい眼帯を付けた隻眼の、けれど幼くも妖精のように美しい少女だった。
 頭の横にはそれぞれ結んだ桃色の髪を二つ可愛く揺らし、シオン様と同じ紫水晶のように美しい色の瞳は子ども特有の丸みを帯びた可愛らしさがあった。
 本来なら容姿に似会わないはずの言葉遣いは、何故か彼女ならどこか様になっているように感じられた。

「――捨てた過去の名だ、その名で呼ぶんじゃねェ。今のオレ様はただの……『ミル』だ」
「『そうですか』」
「チッ、相変わらず冷めたやつだぜ……」
「やはりか――」
「『――――』」

 割り込むように入って来たその声につられるように、私は自然と、いつの間にか遥か上空から私の近くに降り立っていた彼へと視線を向けていた。
 ミルと名乗った少女は、静観するようで彼の登場に少し目を細めただけだった。

「――勘違い、ではなかったようだ」

 冷徹なまでに冷え冷えと見下し怒り狂う赤を見上げ、淡々と答えた。

「『――やはり誤魔化されてくれませんでしたか。非常に残念です』」

 微塵も残念、とは思っていないというのは声音から感じ取れた。
 むしろ想定内であったかのようにどこまでいっても平坦な声だった。

「『激憤のところ恐縮ですが、私と取引しませんか――魔神アスター』」
「――――」

 キンッ

「――テメェ。いきなり抜刀とは穏やかじゃねェな」
「邪魔を、するな……ッ!」
「気持ちは分かるが抑えろ。どのみち本体じゃねェから意味ねェぞ」
「――――」

 ――何が起こったのか、何故か私は私の目で捉えることが出来た。
 これも、彼女のおかげなのだろうか……。

 彼が剣を出現させて私の首を斬り落とそうとしたのを、横で静観していた少女が何かの防御魔法らしきもので寸前で食い止めたのだ。
 見ているしか出来ない私は、もう何度目になるか分からない死の恐怖で冷えた身体を更に凍えらせていた。

「それに器――この身体の持ち主はテメェの大事な大事な妹の友人なんじゃねェのかよ。死んだって知ったら、泣くんじゃねェか?」
「どうとでも。死んでない証拠と適当な理由はいつでも用意出来る」
「たく、悪いやつだぜ……。一体誰に似たのやら。――だが今はやめておけ。たとえ何度も殺して力を多少衰弱させても陛下は陛下のままだ。覚醒しちまえばまるで意味はねェ。ここで殺して、別の頑丈な器に移られるほうが後々厄介だ。――それにわざと挑発するってェのは陛下の得意技だぜ。このまま怒りのままに斬れば陛下の思う壺になるわけだが、それでテメェは良いのかよ?」

 少女の説得に、それでも彼が刃を引く様子は見られなかった。
 よほど殺したいのが、濃い血の色のように染まった瞳の奥から伝わってきていた。

「ま、それでもどうしてもってんならァ、――テメェの妹含めて人類滅亡させる覚悟でってんなら話は別だがな。それなら止めはしねェぜ?」
「――監視を怠るな」
「誰に向かって言ってんだ、小童が」

 ようやく話がまとまったのか、彼がやっと刃を引いてくれた。

「――さて。聞こえてんのか? 嬢ちゃん」
「『聞こえていますよ』」
「胡散くせぇ! ――本人出しやがれや」
「『――――』」
「どのみち、これからオレ様のすることに抵抗出来ねぇだろうがよ。諦めやがれ」
「『……そのようですね。腕を上げたようで何よりです、ミル』」
「――さっさと変わりやがれ」
「――ぁ、」

 唐突に、今まで感じていたのと比べ物にならないほどの強烈で鮮烈な痛みが、上書きするように全身に広がっていった。
 ――彼女から私へと、主導権が切り替わったのは明らかだった。

「あ、こりゃマジィ。……相当無理させやがって。――ほらよ、これで声ぐらいは出せるようになったか?」
「ぅぐ、ぁ、……」

 何をされたのか確認する余裕は無かったが、その何かをされたことで先程よりも幾分かマシな痛みにまで緩和されたのは感じ取れた。
 それでもこのまま死んでいまいそうなほどの強烈な痛みが全て無くなったわけではなく、引き続き全身を苛み続けていた。

「その苦悶の顔みりゃ、何考えてんのかは分かる。……だがな、死にそうだって気持ちは死んでねェから湧く考えだ。オレ様が見張る限り、その身体は死には死ねェから安心して心の気合い入れやがれ。――じゃねぇと本気で死ぬぞ、嬢ちゃん」

 めちゃくちゃなことを言われた。けれど少しだけ、心なしか身体の痛みが引いたような心地がした。気のせいかもしれないけど。
 私を励ましたのか脅したのか定かではない言葉の後、少女は何やら地面に何かを描く作業をしていた。
 ――魔法、陣?

 以前、見たのは一度だけ。シオン様が彼を召喚した時に一瞬だけ垣間見えた通常の魔法とは異なる高度な魔法。
 、これがだというのを理解した。

「――陛下が何を考えてこの時期にアスターに近付いたのか、大体の見当は付く。だが、らしくもなく詰めが甘かったぜ。あんな簡単に餌に喰いつくとはな。あれがなけりゃ、疑惑のままで逃れられたかも知れねぇってのに。だが、いくら上手く隠そうが昔っからご丁寧に人質を用意してから近付くのはあんたの使い古したやり口だ。陛下を知らないアスターは騙せても、オレ様はあの行動で陛下だってすぐに分かったぜ」

 え、ちが――!?

「『――そうですか。貴方は昔から優位な時ほどご丁寧な解説が好きでしたからね』」
「説教かよ、ウゼェ。……オレ様に捕まって何されるか分かってんのに、えらく余裕そうじゃねェか。――気に喰わねぇぜ」

 気付けば、またしても主導権はいつの間にか彼女へと戻っていた。
 ――いや、。私は一言も口を開いていない。

「『気のせいですよ。これでもかなり焦っていますから』」
「けっ、だから見えねぇつってんだよ。いちいち癪に障って苛つくぜ」

 どこから発されているのか、彼女の声が木霊して少女と会話をしていた。私はそれを、不思議な感覚と共にただただ聞いていた。
 何の話をしているのかは、分からない。でも、何故か読み取れた彼女の意図や意思をもって理解は出来ていた。

 ――だから、シオン様のお兄様である彼に会って近づいたのが偶然であったこと、会話の全てが意思であったこと、――そして意思や意図が今日この時までずっと眠っていて欠片も表出していなかったことは分かっていた。
 ……けれど、それならあの時に彼女の意思がなかったのなら、必死に彼を引き留めようとしたのは一体――。

 でも、それを口にすることは出来なかった。
 ――まるで口封じでもされてしまったように。

「――お喋りはそこまでにしろ」
「せっかちな奴だぜ。しんみりした昔話くらい、見逃してほしいもんだぜ」
「興味ない」

 先程の怒りに燃える瞳が嘘だったかのように、凪いでしまった無表情は本当に何もかも興味が無いと言わんばかりであった。
 私の取り戻した身体の主導権は早速とばかりに震えて今の心の畏れを表現していた。

「魔女の歴史に興味津々な妹が聞いたら嘆くぜ? もっと有難がれよ、伝説をよ」
「……興味ない」
「お? ちょっと揺れたか? ――だがそれはそれとして、だ。妹にだけは死んでも喋んなよ」
「分かってる」
「妹のこととなりゃあ呆れるほど随分とお利口だぜ、テメェはよ」

 彼らが会話している間も、少女の作業の手が止まることは一度として無かった。――しかしついに、その手が止まった。
 一瞬、隻眼に哀しみの色を灯した少女は、聞き取れない言葉で何かの呪文を紡ぎ始めた。

『我、この地に集いし業を――』

 聞き取れ、理解出来たのは最初だけ。古代の言葉であること、それが彼女から流れて来た知識の最後だった。
 後は聞き取れない言葉を延々と聞かされ、黒い光に染まった魔法陣が私の胸めがけて吸い込まれるように消えるまで出来ることは何も無かった。

「――よし。こんなもんかァ? 調子はどうよ、嬢ちゃん」
「……ぇ、あ……の……」

 全身を苛んでいた痛みは、何故か綺麗サッパリ消えていた。
 急に消えてしまった感覚のせいなのか、それとも長く操られて主導権を持っていかれていたせいなのか、自分の身体だというのにまるで長年病床に居たように身体に力が入らなかった。

「――まだ辛いか? だがよ、オレ様によって痛みの原因は封じられた。後は嬢ちゃんの気力次第だぜ?」
「……あ、りがとう、ございました……?」

 どんな感情で、どんな言葉を言えばいいのか分からず、とりあえず壮絶な痛みから救ってくれたことに対してのお礼をした。
 少女はそれを聞いて、可愛らしく丸みを帯びていた目をさらにまん丸にさせ、大きく口を開けて盛大に笑った。

「ぷっ、ワハハハハ! ――こりゃ傑作だぜ。散々とばっちりで殺されそうになってた奴が最初に出す言葉かよ!」
「ご、めんなさい……?」
「ブハッ」

 言葉を間違えたのか、と今度は条件反射で謝罪を口にしてしまい何故か再び少女に笑われてしまった。
 地べたをお腹を抱えて転げ回られてしまい、そんなに面白いことを言っただろうかと戸惑ってしまった。

「――あァ、久々に声出して笑ったぜ。やるな、嬢ちゃん。流石にあの陛下が選ぶ器だけあったぜ、尋常じゃねェ精神力だ。――これ程のものなら、オレ様の弟子として今後やってけそうだなァ?」
「弟子……?」
「そうだぜ。――嬢ちゃんには何もかも突然で悪ぃが、これは強制だから拒否は出来ねェ」

 大笑いしていたのが嘘のように鋭い眼差しで睨み据えられ、びくりと身体が震えた。
 得体の知れない怪物に睨まれているような錯覚は、気のせいではないとでもいうように、恐怖で身が竦む。

「何も知らねェ関係ねェ嬢ちゃんを巻き込んで、急で本当に悪ぃとは本気で思ってる。――思ってるが、生憎とこっちも相当に切羽詰まっててなァ。まるで手段なんて選んでられねェ立場ってやつだ。諦めてオレ様に師事しやがれ」
「…………」

 睨まれていると思っていた眼差しは、よく見ればどこまでも真摯で真っ直ぐで、――とても真剣で、切実なものだった。
 視線を合わせていると得体の知れない気配に怖気づくのに、瞳の奥の切実な何かを読み取ってしまうと、何故か危機感はもう感じられなかった。
 気付けば私は、この状況で一番知りたかった疑問を口にしていた。

「あの……な、なにもの、ですか……?」
「お前が知る必要の無いことだ」
「うるせぇ! つーかまだ居たのかよ。テメェはもう用済みなんだよ、とっとと帰りやがれ」

 びくり、と彼の声に反応して身体が竦んでしまう。
 首に何度も迫った刃の恐怖が、存在ごと抹消しようと向けられた殺意が、もうその気はないと言わんばかりに無感情に佇んでいる彼の中に鳴りを潜めているのに、まるで恐怖が纏わりつくように震えは一向に止まらなかった。

「彼女の答えを聞いてからだ」
「妹が嬢ちゃんを気にするからってかぁ? 分かりやすい奴だぜ、全くよォ。なら尚更テメェは口出しせず、黙って見てやがれ!」
「答え次第だ」
「オレ様の言葉、ひとっことも聞いちゃいねぇなッ! いっそ清々しいぜ!」

 妹……シオン様。私はどうして、シオン様のお兄様である彼に、どうして、私が何を、いや、私じゃなくて彼女が、でも私を――。

「あァクソッ! テメェがいるせいで話が全く進まねぇぜ! ――≪捕えろ≫≪浮け≫!」
「なんの、真似だ――ッ!」

「これでヨシ。あーあァーやんなるぜ最近の若い奴らはよォ、まるでなってねェ! ……これだから力押しはてんでダメなんだって簡単なことにも気付きやしねェ。だがよ、――伝説を舐めて油断してっと易々と足元掬われるっつーことも知らねェのかよ?」
「この程度、俺を脅かすほどのものではない。さっさと拘束を解け」

「……情けねェ姿で呆れた自信家だぜ、テメェらはよ。一体どこからその自信が湧いてくんのか。……危機を感じ無いから一切気にしねェってか? そんで本気出すのは危篤の時だけだって……? ――馬鹿が。ついさっきここであった一部始終を忘れるテメェの頭は鳥頭か? ああァん!? ――暫く星になって反省しやがれ」
「ふざけるなッ!」

「今のお高く止まったテメェにはお似合いだぜ? 小童。――≪飛べ≫。高度は割増しにしてやったからな! その異常な自信の熱源を少しは冷やしてきやがれ!」
「降ろせッ! 凶帖きょうじょうの魔女ッ!」
「そんな古びた呼び名で褒めんなよ、照れるぜ。――ほい、邪魔者退散いっちょ上がりィ!」
「ぐ――ッ!」

 ぽかーん、と口を開いたまま、私は彼が突然宙に浮いてそのまま直上の空の彼方へと刹那の間に消えていく光景を流れのまま見送ってしまった。
 ――あまりに一瞬の出来事だった。

 少女が彼に怯える私に気付いて彼に去れと言い募っていただけのはずなのに、気付けば言い争いから実力行使? に及んでいた。
 あまりにあっさりと彼が為す術も無く飛ばされてしまった驚きのせいなのか、怯えはいつの間にか治まっていた。

「――こんな風に。理不尽に対抗する為の力、欲しくねェか? いずれ全部が嬢ちゃん自身の為にもなるってオレ様が保証するぜ。なにせ、――」

 ぱんぱん、とまるで手についた埃を払うように手を叩いた少女が、改めて仰向けのまま地面に寝ていた私へ手を差し伸べて手を無理やり掴んで引き上げた。
 強い力に引っ張られて立ち上がって――そこで、やっと先程まで感じていたはずの強烈な全身への痛みがいつの間にか全て消えていることに気付いた。

「――オレ様ミル様が本物の魔女の魔法ってやつを叩き込むんだからなァ」

 魔女……。魔女って、お伽噺の……いや。
 私はもう、残されたわずかな理解していた。
 ――魔女がお伽噺ではなく、実在する本物の存在であるということを。

「只人が魔女に師事出来ることも稀だが、オレ様のような大魔女様に師事出来るやつはこの世広しといえど僅かだ。――喜べ。嬢ちゃんは記念すべき九十九人目の弟子だぜ?」
「九十九……」
「その顔、多いと思ってんのか? ――言っとくがなァ、オレ様に師事したいと自ら出向いて門前払いされた奴はその数万倍はいるんだぜ?」

 数万倍……。想像出来ない。でもきっと物凄い人、なんだろう。それはもしも彼女の知識の断片を読み取れてなかったとしても理解出来ただろう。
 断片から読み取った、彼女が認めていたほどの人物だったと知ってるせいで色眼鏡が多分に掛かってるのかもしれないが。

 ……きっと普通なら常軌を逸した状況に、迫られる選択に、普通の人は狂乱し、戸惑い、迷うのだろう。
 ――けれど数奇なことに、私はそんな状況に慣れていた。

 そして私の中に居るという彼女の知識の断片を少しだけ読み取ったからこそ分かることもある。
 拒否権は無い、と言って脅しているけれどおそらく拒否権は、ある。

 そしてそれは少女にとって――私にとっては穏当な手段ではない。
 一番良くて記憶の封印だろうか。彼女の知る少女の性格がそのままであれば、その可能性は高そうだ。

 ……そちらを選べば、少なくとも私は何も知らないままで、けれどこれ以上に不必要な恐怖に晒されることは暫く無くなる。
 そしてそのまま元通り、何事も無かったかのように日常へと戻って、――いずれ時が来て、封が解かれた時に私の心は芯から

 ……どうしてこんなことに巻き込まれてるのか、私はまだ何も知らない。知ることが出来なかった。
 だからこそ、それを知れる唯一の機会を逃す愚を選ぶことは本能でも、理性でも出来ないと答えは出ていた。
 最後に垣間見えた彼女のアレが真実なら私は――。

「――だから喜べよ。本来ならぜってェ有り得ねェが、巻き込まれた結果とはいえ希有にもこのオレ様に師事出来る僥倖をよ!」
「……あなたに師事すれば、私は強くなれますか?」
「――あァ。保証するぜ」

 美しい少女に似つかわしくない、とても獰猛な笑みだった。
 もしも気付かれてしまえば――その威圧感は緊張感の鏡映しであり、ここで彼女を選べば後戻りはできないという事実は死の恐怖に勝るとも劣らない。

 ……それでも私は知りたかった。だから私は選ぶ。
 

「何から始めればいいんでしょうか? 下っ端の騎士や職人は掃除や洗濯などの雑用から修行を開始するらしいので、私も……」
「なんだァ、そりゃ? んなことしても強くなれるわけねェだろ。だから最近の奴らは弱ェのか? ……やれやれ。これだから凡人の考えには呆れるぜ、全く」

 心底呆れた風にため息を吐いた師匠は、酷く歪んだ笑みで言葉を続けた。

「――まずはいつ、どこで、どんな風になって死んでもいい覚悟を決めやがれ。それが最初に与える弟子としての課題だぜ」
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