らぶさばいばー

たみえ

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 ――どうしてこうなった。

「ででで、でるっでるっカッ……!」

 何の効果音だ。落ち着け。 

「落ち着きなさいませ、サクラさん」
「はひっ……」

 小動物のように涙目全開でお返事を頂く。何を隠そう、ヒロインである。ええ。『らぶさばいばー』の主人公、我らがゲームのヒロインである。
 いったい何がどうしてこうなってしまったのか。いや、理由は分かってるんですけどね。

「ふ、ふ、ふちゅちゅかものでしゅがっ……!」
「……サクラさん。不束者と言いたいのでしょうけど、使いどころを間違っていらっしゃいますわ」
「は、はひっ!」

 おかしい。こんなはずでは。

「……ひとまず先を急ぎましょう。顔合わせとはいえ初日から遅れるわけにはまいりませんもの」
「ひゃいっ!」

 カチコチとした怪しい足取りで進む主人公のサクラちゃん。無理も無い。私も何故こんなことになってしまったのか、理由は分かっているけど納得は出来ない。
 気疲れ満載の入学式後、エスコートされるままに会場を後に――身分が低い順で――してクラスへ移動した私たちは学校のお約束とも言える自己紹介を執り行った。先生にもよるだろうけど、私たちのクラスは出席番号順で自己紹介を行った。
 身分関係なく自己紹介を行ったのは貴族的な挨拶のイロハを知らない貴族身分でない者のためだ。
 そもそも一々貴族に合わせて仰々しく挨拶していたら優秀な人材と話なぞ一生出来まい。私が庶民だったら貴族に見つかる前に尻尾撒いて逃げてるな。それか隠れてやり過ごす。だって面倒くさいんだもん。
 それに上位の身分の者が先に声を掛けて知り合わないと話出来ないし。自分を売り込みたい子には辛いよね。貴族庶民関係なく。ほぼ同じメンバーで三年間共に過ごすのだから、儀礼的なものは全て省いているのだ。
 ちなみに我が家の書庫にあった古い本には昔の王がまどろっこしいから省かせた、という裏話が残っていたりする。つまり貴族も面倒くさいとは思っているのね、と当時の私は思った。
 ……廃止まで行ければ良かったのにとも思ったけど、そうは問屋が卸さない。習慣的な人の癖や民族的な風習はそう易々とは辞められない。国民性というか、人間性というか……。
 何より貴族のプライドが高過ぎた。分かりにくい言い回しで腹の探り合いすることの何が楽しいのか……。

「――サクラさん。そこは壁ですわ」
「はへっ!?」

 勢いのまま衝突しそうになったサクラちゃんの両肩を掴んで引き留める。緊張でいっぱいいっぱいという表情だ。
 目の前にある壁にはデザインだと思われる扉のような宗教画があった。精緻に隅々までこだわっている。
 ……しかし無駄に凝ってるなあ。間違えて突撃する気持ちも分からなくはない。いや無いな、やっぱ。
 サクラちゃんが気もそぞろなのは仕方ない。途中だった回想を再開させる。
 ――そう。自己紹介を済ませた後、学校のお約束は続く。

「生徒会の大会議室はどちらかしら……?」

 ――委員会決めである。

 私とサクラちゃんは顔合わせのために召集されている。というのも、クラスの委員会決めで私がクラス委員長でサクラちゃんが副委員長に収まってしまったからだ。
 基準としては身分が高い者と低い者でペアになる構図だ。ゲームでは同級生の悪役令嬢と主人公ちゃんが収まっていたわけだけど。何故か私が収まってしまった。ハハハ。なんで? ホワァイ?

「ででででで――」

 とうとうバグり始めたな。

「シオンでいいですわ、サクラさん」

 一緒に活動することも多いだろうし、いつまでもこのままではさすがに私が面倒臭いので、さりげなく名前呼びの許可を出す。
 決してサクラちゃんと仲良くなってあわよくば気軽なやり取りとか遊びをしてみたいとか思ってない。ほんと、ぜんっぜんそんなこと思ってないから。

「おおおおそれっ、おおおおかったです!」

 おおぅそれみぃ~よぉ~……虚しい。

「……恐れ多い、と言いたいんですのね。分かっておりますわ。ですから落ち着いて下さいませ。これから三年間も共に過ごすわけですから、サクラさんが慣れるためとお思いになられたらよろしいですわ」
「は、は、い」

 そうそうしんこきゅう、しんこきゅう~。ゆっくり吸って~、吐いて~、はい、深呼吸~、深呼吸~。
 若干妊婦さんへの扱いみたいになってしまったが、サクラちゃんが落ち着くように足を止めて深呼吸させた。落ち着きを取り戻すまで時間を喰ったけど、顔合わせに遅れるほどではない。
 しばらくして落ち着いたサクラちゃんに「し、し、しおんさま……」と呼ばせることに成功して――何してるんだ、私は――先に進む。ゲームと地図自体は変わらないので迷子イベントも発生しないのが一番ありがたい。
 むしろ近道を駆使してどんどん消費した遅れを取り戻していく。サクラちゃんだから不思議に思われてないけど、普通、初めて入った建物をスイスイは進めないのは貴族も変わらないのよ。
 この子、一見しっかりしているようでおっちょこちょいなのかもしれない。……どうしよう。なんだかほっとけないわ。

「……あら?」

 最初よりはマシだけど、未だにカチコチした動きのサクラちゃんの手をどさくさに紛れて引いて進んでいると、いつのまにか目的地に着いていた。
 立派に装飾された煌びやかな扉と、その前を陣取る騎士。ちなみに生徒だ。部活として存在している騎士で正式な騎士ではないけど。いわゆる将来の騎士候補生である。
 ――ただし入部するには厳しい試験を課されるため簡単では無いようだけど。真面目にやればそのまま就職出来てしまうのだから当たり前っちゃ当たり前だろうが。
 扉の前に進み出ると、私たちに気付いた騎士の一人が前へ進み出て厳かに問い質す。

「――新入生か。名乗りたまえ」
「――この度、紅薔薇のクラス委員長を勤めることとなった、シオン・ノヴァ=デルカンダシアと申します。こちらはサクラ・クローバー。副委員長でございます」
「うむ。確認した。通れ」

 名簿を確認した騎士に道を空けてもらい、スススと開いてもらった扉を通り過ぎた。始終カチコチだったサクラちゃんもそれに続いて進む。
 貴族と庶民が組む理由がこれだ。貴族は庶民への気配り、ひいては統治する家臣への扱いについて模範となりながらも学び、庶民は貴族の習慣や作法に触れ、将来勤めることで身近となる貴族社会への理解を深めるのだ。
 ついては先程の騎士への名乗りも私が行ったのである。サクラちゃんは思わず頭を下げていたけど、騎士の視界に入らないように私の全身でカバーした。
 ……気持ちは痛いほど分かる。だがそれをやり続けると暇を持て余した頭の軽いご令嬢たちに絡まれてしまうので、ここは心を鬼にしてぼそっと「頭は下げずとも良いのですよ」と注意しておく。
 ちょっとぴくぴくっとしたけど、コクコクと小刻みに頭を振ったので伝わったと思う。何かの電波を受信したかのように小刻みなのが気になるけど。これは指摘するべきだろうか。いやでも「着信受けた時のガラケーみたいな振動ですわね」なんて言っても伝わらないだろう。

 ……誰にも伝わらないだなんて、なんと口惜しい……。くっ……!

 立派に装飾された扉を潜り抜けると、広々とした室内には例の如く豪華なソファが自己主張激しく存在していた。半数以上は既に人が揃っているようで、上座に現生徒会メンバーが座っていた。
 自分から探し回ることは貴族の振る舞い的に出来ないので、ドアマンみたいにひっそり控えていた学園付属の召使に目配せしてエスコートを待つ。
 学園内では庶民も居るので多少は緩く振る舞っても大目に見られるが、それに騙されて本当に適当なことをしようものなら自分の、いや下手したら数代先まで噂されることになる。それもかなり悪く。貴族社会は油断大敵なのだ。

「――デルカンダシア嬢、ようこそ。私は第一王位継承者、ルドベキア・ロベリア・ハルシャギク=シネラリア、以後よろしく」

 目配せに気付いた召使がこちらへ粛々と近付いてくる途中、いきなり上座の、しかも最も煌びやかでいて他とは大きさが段違いのソファで寛いでいた王子より声が掛かった。
 チラッとは見て確認したものの、目上の者をガン見したり、室内をキョロキョロするのは淑女としてはしたないので、じっくりとは確認しておらず突然のことに顔が強張る。
 ……ああ、せっかく近付いた召使がサッと跪いてスススと綺麗に退いてしまった。王族相手だからまぁその判断は間違ってませんけどねっ。ちくしょー。

「……お初にお目に掛かります、ハルシャギク殿下。この度、紅薔薇のクラス委員長を賜りましたデルカンダシア辺境伯が娘、シオン・ノヴァ=デルカンダシアと申します。こちらは副委員長を拝命致しました、サクラ・クローバーと申します。二人、謹んで勤める所存にございます」

 ひぇぇ~……!

 王子に失礼だけど、マジで言わせて。
 ……なんてこと言ってくれちゃってんだこの野郎おおおおおッッ!
 声を掛けられた時点で空気が凍り付いたのは感じ取れたけど、それは一瞬で、すぐさま全身を突き刺すような殺気が室内を充満し始める。だが待ってほしい。悪いのは私ではない。上座でふんぞり返ってるやつだ。
 相手は王族。口に出した瞬間に不敬で捕まるだろうけど、ちょっと顔には出てしまったもしれない。しかし王族に対してだけは頭を下げる必要があるため見られずに済んだ。たぶん。危なかったな。
 入学式の時もそうだったけど、身分が上位の者が先に声を掛け、下位の者が挨拶を行う。まあ、今の状況も客観的に見ただけでは手順として間違っていない。間違ってはいないが……。
 ここで問題になるのは、他にも室内に待機している委員たちがいて、本来であれば全員が揃ったところで順番に挨拶を行うはずなのに、入室した途端に個人的に直々で声を掛けられ、しかも名乗る前に姓とはいえ先に名前を呼ばれてしまったのだ。
 ――そう。現在、それが理由で室内はギラギラとした嫉妬の渦が私へ向けて一心に突き刺さってしまっているのだ。……くそう。なんてことだ。完全に油断してしまった。あいつは楽しければいい愉快犯だった。ちっ。
 しかし、すかさず訂正出来た私グッジョブ。まあ、最初の言葉がちょっとキツめな声になってしまったのは許してほしい。というか許せ、お前のせいなんだから。

「……楽にしていいよ。さあ座りなさい」
「ありがとう存じます」

 お許しを頂き――本来であれば挨拶の前にはエスコート役に案内されて勝手に座る予定だったのに――やっと指定の席へ着席する。私の陰に隠れてサクラちゃんも追従して着席した。
 視線が突き刺さって痛いなか、重苦しい――女子生徒のみ――空気に誰も会話しない。全員が揃うまで実際には数分と掛かってないだろうけど、済ました顔で視線を受け流し続けるのは中々に苦行であった。
 結局その後、全員が揃うと当然の流れで王子への妙に気合が入った挨拶特攻が始まり、それに時間を取られてメインの委員会活動内容は簡潔な説明で終わってしまった。……自分で蒔いた種だ。最後まで自分の力で刈り取るがいい。
 ……それにしても婚約者持ちに対しての勢いが凄いな。おそらく王族にだけ許されている側妃枠を狙ってるんだろうけど。私の感想としては物好きだな、としか思わない。
 ふふふ、せいぜい対処に追われるがいいさ。レクリエーション的な何かが終わって、早々にその場をそそくさと退場した私たちなぞもうご令嬢たちの眼中にはないだろうからさ。
 何が何だか分からず、目を回しながら私に大人しく引かれるサクラちゃん。会議中、気絶もせずに随分と大人しくしているなとは思ったけど、この様子ではもしかしたら記憶が飛んでしまっているのかもしれない。

「――ハッ! ……ししし、しょんさまっ?」

 誰だよ。シオンだよ。ションって仮に居ても男性名じゃねーか。私でなく他の貴族相手なら激おこプンプン丸だぞ。

「……もう終わりましたから、寮へ戻りましょう」
「りょう……? え、え、おわ、え?」

 有無を言わせず手を引いて導いてあげる。この子危なっかしいなあ。さすがは主人公。強制トラブルメーカーである。
 手を引いて帰ることしばらく、突然サクラちゃんが足を止めた。釣られて私も足を止めた。不思議に思って後ろを振り返ったら、もじもじするサクラちゃん。

「「…………」」

 ……ちょっと待たれよ。その反応はもしかして、あれかな。うん。ねえまさかあれなのかな。ねえ……?

「……サクラさん」
「…………」

 もじもじもじもじ……。

「……催したんですの……?」
「……はい」

 頬をほんわり赤らめ、照れたようにもじもじしながら返事をされた。――尊い。

 ――ハッ!

 待つんだ私。冷静になれ。びーくーる。ちょっと目が遠くを見つめてしまったけど、確か現在位置から近くにお手洗いがあったはず。ちなみにこの世界では和式が一般的だ。
 前世の中性貴族はおまるなんて使ってたくらいだし、なんなら平安時代はボットン式だったらしいし。下着も履かないというね。てこれは別の話か。
 ――そろそろ逸れる現実逃避はやめて超特急でお手洗い所へ向かう。私が一緒でなければ大惨事だったに違いない。おそらく緊張の連続の後で急に帰ると分かったらホッとして緩んでしまったのだろう。……色々と。

「もう少しですわ。耐えて下さいませ」
「はぃぃ……」

 ダメだ。もうこの子は限界ね。仕方がないので気付かれないようにさりげな~くサクラちゃんの体内水分を魔法で操る。気休めだけど無いよりマシだ。
 ちなみに母が「長時間つまらない話を聞いているときに困るでしょう」と独自開発した魔法らしい。長時間のつまらない話って誰のことだと聞いてみたら「まあ、そのうち分かるわ」と躱されたけど。
 そして分かった。たぶん、あれはお茶会とか社交界とか貴族の付き合い諸々を指していたのだということに。
 そして何度か同じ魔法を重ね掛けしてお手洗いを目指すこと十分ほど。校内が広いということもあるが、恥も外聞もなく淑女がみだりに駆けずり回るのはタブーとされているのが厄介だ。それに人とすれ違う時も、自分よりも上位の貴族から声を掛けられれば挨拶をしなければならない。
 基本的に王族に公爵、侯爵が近道のような細い道を歩き回ることなぞまずない。彼らは護衛の面でも広い道しか歩かないのだ。なので現状私より上の身分の貴族とはすれ違わないし、私が声を掛けなければ下位の貴族はスルー出来る。良かった。微妙に判断が難しい伯爵とかではなくて。

「――着きましたわ。一人で問題ないかしら?」
「ははは、はぃ……」

 余程限界だったのか、サクラちゃんが声を置き去りに速足で女子トイレにフェードアウトして行った。……本当に大丈夫なのかしら?
 人通りも少ない場所を選んだので、待っていても何も言われないだろう。心配なのでそのまま待ってあげることにした。さすがに致してる間近に居る趣味は無い。隠せるサウンドもないんだから、相手にとっても気まずいだろうし。
 ぼ~っとしながら前方にある庭園を観察する。ここは裏道みたいな隠れスポットなのだ。ゲームでは頻繁に主人公が攻略対象と密会していたので割とハッキリ覚えている。
 サクラちゃんの乙女としての尊厳を守れて気が緩んでしまっていたのだろう。ホッとして壁にもたれ掛かった。ああ、綺麗な青天だなあ――

「――あれ? こんなところで可憐な妖精に会えるだなんて、これも運命かな?」

 ……完全に油断した。覆いかぶさるようにやんわりと顔の横に手を置かれて最初に思う。次に、急に視界に割り込んだ相手を見て思ったことはひとつ――

 ――ここ、女子トイレなんですが。
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