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前世と転機
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しおりを挟む鬱蒼と生い茂る暗鬱とした雰囲気の森の奥。今日も今日とて二つの影がひそひそと座り込んで話し込んでいた。
「――そろそろ決めたかしら。アドニス」
「うん。やっぱり一度ディアナの国に行きたいかな」
「……私の国ではないけれど、理解したわ」
複雑な面持ちでアドニスの返答を聞いていたディアナは脱力するように頷いた。冒険者ギルドに立ち寄り、小細工の後にギルドカードという身分証明書を獲得した二人はあれから3年、中級冒険者手前のランクまで位を上げるための仕事をしていた。いわゆる、初心者が請け負う危険の少ない雑用系の仕事である。
これは悪目立ちして耳ざとい奴らに見つからないようにというディアナの考えのもとでの行動であったが、同時にアドニスの無知を補うためには必要な期間でもあった。
――そして今年で10歳。
7歳から加入可能なギルドに7歳で加入し、10歳まで仕事をコツコツ順調に続けていれば、そろそろ一般的な子どもが危険な依頼を請け負うようになる駆け出し冒険者として扱われ始める時期だ。それが多数の平凡な一般的な冒険者の成り立ちである。ディアナ達が目立たないための考えであった。
そしてこの3年。ディアナは寝たきりだったアドニスの知識補填の為に一般常識から今後の世界情勢までも、知り得る限りを教えてもいた。それはひとえに、出国する際の行き先をアドニスに決めてもらうためであった。
ディアナが独断で決めても良かったが、今世はアドニスの好きに生きさせたいという信念のもと、そういうことになっていたからだ。アドニスはといえば、欠伸が出る簡単な仕事を片手間に、この3年間ずっとディアナから色々教えて貰った結果、興味が色んな方向に移り変わっていた。
「何か欲しいものでもあるの?」
「うーん……」
実は、二人が3年前に貰った大金は金貨一枚も使っていなかったため、大抵のものは買おうと思えば買えるのである。ただ、悪目立ちするため今まで使用は控えていたが。
そろそろ出国するため、目立っても問題ないと考えたディアナは、その意味を込めてアドニスに問うていた。
「奴隷かなぁ」
「どっ、」
――奴隷ですって?!
ディアナはぎょっとした。まさかアドニスからそのような単語が出てくるとは思わなかったからである。驚きのあまり、ディアナの思考がその真意を探るべく勢いよく高速回転した。
――戦闘に関して言えば二人とも心配することなど何もない。荷物を運ぶのもディアナの収納魔術で事足りる。主要な言語の読み書き喋りは、前世の知識によりディアナが網羅していた。
ディアナ一人居れば他は要らないだろう便利さだと我ながらひそかに自賛していたが、その不可能などあれば即行で無くす! とばかりに息巻き実現するディアナが傍に居てさえ、アドニスが奴隷を欲しがる理由など何も――いや、ひとつだけあった。ディアナには不可能なことが。
……ではまさか、そういう奴隷?
「……アドニス。その、気付かなくてごめんなさい」
「……ん?」
話している途中、急に近場の木にふらふら移動したかと思うと、思考に耽りながら木の幹へ指をちょんちょん、と柔らかく突き刺して、いじけた雰囲気を醸し出したディアナを見て不穏を察したアドニスは、アルカイックスマイルともいわれる柔らかな笑みを浮かべたままこてん、と首を傾げてディアナに先を促した。
「私、そういうことには疎くて……これからは遠慮なく言うのよ。生理的なものだもの。恥ずべきことではないわ!」
話すうちに雰囲気がトゲトゲしいものに変わっていくのをアドニスはひしひしと感じ取っていた。……これは、回答を間違えれば酷くディアナの機嫌を損ねるに違いない、と。
「……奴隷が欲しいのはそこまで大げさな理由ではないけど」
「そうなの? 本当は無理してるのではないの?!」
「ううん。僕は大丈夫だよ。むしろディアナために負担を減らしたいと思っていたから」
「……私の負担?」
なにそれ美味しいの? とでも言わんばかりにピンと来てないらしいディアナの反応に、アドニスは苦笑を漏らした。何でも出来るディアナはまだ発展途上だと認めたがらないが、今後の成長に期待が持てないほどにはディアナの唯一の弱点だったからだ。
死活問題とまでは言わないものの、アドニスとしては今までそれなりに気にしていた問題が、どうやらアドニス命! なディアナにとっては些末な問題だったらしい。
――ならば今の内にここで引導を渡そう、とアドニスは重々しく口を開いた。
「そう。――ディアナ、僕に隠れてずっと料理の練習してたでしょ」
「うっ……」
ドゴンッ、と重い響きが辺り一帯に響いた。ディアナが幹に頭突きしたのである。
「正直、僕も得意じゃないけど、ディアナはもう呪われてるみたいに出来ないから」
「うぐっ……」
メリメリッ、と何かがめり込む音も続いた。ディアナの指が幹にめり込んだのである。
そう。前世は料理する余裕もなく素材をそのまま食べていたスラムから、料理するなんて無縁だわ、な貴族令嬢という人生を歩んだディアナである。素材自体を知っていても、完成した料理以外に触れたことはない。つまり、そういうことであった。
むしろ何も知らなかったアドニスのほうが上手く出来る始末である。
「だからそれならいっそのこと、奴隷を専属料理人にしたほうが早いでしょ」
「……アドニスがそう言うなら」
いまだ己の不出来を認めたくないのか、苦渋の面持ちで重々しくもディアナがアドニスの提案を承諾した。
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