侍女と騎士の恋物語

天瀬 澪

文字の大きさ
上 下
13 / 15

◆監禁と脱出

しおりを挟む
 

 ―――ああ、やられたわ。


 両手を縄で縛られていることに気付き、私は冷たい床に横たわったままそう思った。

 どうやら、薬品で眠らされていたらしい。まだ頭がぼんやりとするけれど、視界は良好だ。
 すぐ近くにシェリル様が横たわっている。胸が上下しているので、同じように眠らされているだけのようだ。


「……シェリル様、シェリル様聞こえますか?」


 床を這いながら、ずるずるとシェリル様の元へ近付く。
 私の呼びかけに、長いまつ毛がゆっくりと持ち上がった。しばらくとろんとしていた瞳が、パッと見開かれる。


「……リーチェ!?」

「シェリル様。良かった……シェリル様はどこも縛られていませんね」

「縛られ……?まあ、リーチェ!」


 シェリル様が私の手足を見て悲鳴を上げた。
 すぐに起き上がり、縄を解こうとしてくれるも、結び目は固いようだ。


「シェリル様、手が傷ついてしまいますのでお止め下さい」

「何を言っているの!私なんかよりリーチェの方が傷ついているでしょう!」

「私はこれくらい平気ですよ。シェリル様はこのあと、両陛下との面談がありますので…」


 そこまで言ってから、ピタリと手を止めたシェリル様と顔を見合わせた。
 ―――私たちがこうなってしまってから、どのくらいの時間が経ったのだろう。


「ここは……どこかの物置かしら?やけに涼しいわね」


 周囲に視線を巡らせてから、シェリル様がぶるりと身体を震わせた。確かに、外は汗ばむ陽気だというのに、ここは随分と肌寒く感じる。


「シェリル様、すみませんが私の体を起こすのを手伝っていただけますか?」

「もちろんよ。……縄を解けなくてごめんなさい」


 申し訳無さそうなシェリル様に手伝ってもらい、私は体を起こすと周囲を見渡した。
 確かに乱雑に物が置かれていて、物置に見える。でも他の部屋にあるはずのものが無い。


「窓……」

「え?」

「窓がありません」


 シェリル様がそれに気付き、顔を曇らせる。
 壁のランプに明かりが灯っているが、それでも少し心許ない。
 外の様子が見えない為、今が何時なのか分からなかった。さすがに夜になるまで探されずに、放置されているとは考えたくないけれど。


「ここは……地下なのかしら」

「その可能性が高いですね。シェリル様、一応扉が開くか試してみていただいても?」


 こんな状況でも、スッと優雅に立ち上がったシェリル様は、この部屋で唯一の扉へ向かった。


「……駄目ね。開かないわ」

「そうですか……助けが来るまで待つしか無さそうですね」

「ええ、そうしましょう。……きっと、もう婚約者にはなれないわね」


 独り言のように、シェリル様が呟いた。俯いていた為、表情は見えなかったけれど、心が痛む。

 両陛下との面談の時間は、もうとっくに過ぎているだろう。
 面談に無断欠席したとなれば…その場で婚約者候補から外されても仕方がない。

 きっと、私たちをここに閉じ込めた人物も、それを狙っていたはずだ。
 それが誰だが明確なだけに、余計に腹が立つ。


「まだ諦めないで下さい、シェリル様」

「リーチェ……でも…」

「でも、は禁止です。あんな女にシェリル様が負けるなんてこと、あってはいけません」

「あんな女って……ふふ、口が悪いわよ」

「いいんですよ、ここにはシェリル様と私しかいませんから」


 くすくすとシェリル様が笑う。希望を失いかけていたその瞳に、またゆらりと炎が燃えたように見えた。


「そうね。私たちがこんなことになったのは、あの女……ルイーゼ様のせいよね?」

「ええ、間違いないでしょう。思えば、突然時間変更と言って騎士が迎えに来たのも、不審に思うべきでした」


 エレフィス様との和やかな時間を、ルイーゼ様の乱入で壊されたあと、部屋で昼食を終えると護衛から伝えられたのだ。

『今しがた、両陛下の遣いの騎士が来ました。面談の時間が早まったと言っております』

 聞けば、面談が予定より早く進んでいるとのことだった。事前に騎士が迎えに来ることは伝えられていたし、見たところアルテシア国の騎士の服に身を包んでいた為、信じてしまった。

 その騎士が、アルテシア国民であるルイーゼ様の護衛騎士だと気付けなかったのだ。


 まんまと罠に嵌ってしまったシェリル様と私は、騎士に連れられて廊下を歩いていた。
 そして、だんだんと人気が無くなってきた所で、私は不審に思った。

 ―――両陛下がいるはずの謁見の間へ向かっているはずなのに、衛兵がいないのはどうして?


 後ろを確認しようとしたところで、急に背後から口を塞がれた。先導していた騎士に、シェリル様が同じように口を塞がれているを視界に捉え、薄れゆく意識の中で、私はポケットに手を伸ばしていた。

 そして意識を取り戻したら、この有り様だ。


「ルイーゼ様は、こんなことをしてどうなるか考えなかったのかしら……」

「恐らく、そこまで考えていないでしょうね」


 前に私が忠告したことを、綺麗サッパリ聞き流したに違いない。
 このままシェリル様を蹴落としたとして、ルイーゼ様は自分が何の咎めも無しに婚約者になれると、本気で思っているのだろうか。


「他国でここまで内部のゴタゴタに巻き込まれるとは、思ってもいませんでした」

「そうねぇ……お父様がどう出るか心配だわ。エレフィス様との婚約を望んで下さってはいたのだけれど」


 陛下は、シェリル様をそれはもう溺愛している。
 大事な娘が他国の城内で監禁のような目に遭ったと知ったら、国政を放り投げて駆けつけて来るかもしれない。


「この国の国王陛下が、この事態をどう受け止めるかによりますよね。……シェリル様は、どうなることをお望みですか?」


 私がじっと見つめると、シェリル様は眉を下げて微笑んだ。


「それがねリーチェ、私……困ってるの」

「どうされました?」

「こんな目に遭っているのに、ずっと頭に浮かんでいるのはエレフィス様の笑顔なのよ。私はどうしようもなく、あの方に惹かれているみたいなの」


 今にも泣き出してしまいそうな、そんな顔でシェリル様は続けた。


「ルイーゼ様には、相応の罰を望むわ。私だってさすがに怒るし、リーチェに対してしたことはもっと許せないもの。……でも、エレフィス様には罪の意識を持って欲しくないの。私はあの方の婚約者に……妻に、なりたいのよ」


 シェリル様の、望む道。
 それがハッキリしているなら、私が出来ることはただ一つ。

 全力で、シェリル様を支えることだ。


「分かりました、シェリル様。見つけてもらうのをただ待つだけじゃなく、ここから出られる方法を考えましょう」

「そうね。見つけてもらえるかも分からないし……」

「それは大丈夫だと思います。……きっと、ゼレン様が見つけてくれます」


 私がそう言うと、シェリル様が「あら」と口元に手を添えた。


「リーチェが、殿方をそこまで信頼しているなんて……ゼレン様に嫉妬してしまうわ」

「安心して下さいシェリル様。私の全幅の愛と信頼は、シェリル様に捧げていますので」

「……それは少しゼレン様が可哀想よ。そして、私には重すぎる愛だわリーチェ」


 シェリル様と顔を合わせて笑い合う。早く、エレフィス殿下の隣で幸せそうに笑うシェリル様が見たい。


「シェリル様、立ち上がりたいのですが……」

「ええ、任せて」

「ありがとうございます。そのまま、扉の方まで支えていただけますか」


 足首が縛られているので、ぴょんぴょんと飛びながら移動する。扉に耳を付けてみたけれど、外の音は何も聞こえなかった。


「この扉の外に、地上へ続く階段があるのかしら?」

「そうだと思います。そこまでの距離が分かりませんし、声が届くかどうか……よし、シェリル様。少し離れていて下さい」


 シェリル様は不思議そうに扉から離れると、首を傾げた。私も少し距離を取る。


「何をするつもりなの?」

「扉を壊します」

「そう、扉を―――…え!?」


 シェリル様の驚きの声は、私が扉に思い切り体当たりをした音で掻き消された。
 ダァン、と大きな音と共に、肩に痛みが走る。


「リーチェ!止めなさい!!」


 制止の声を無視して、もう一度。メキッという音が聞こえ、肩で息を吐く。


「見て下さいシェリル様、この扉、鍵の部品が脆くなっています。あと数回体当たりすれば壊れますよ」

「それなら、私もやるわ」

「何を仰っているのですか。そんなことさせられません」

「いいえ、やるわ。私はもう、リーチェだけに痛い思いをさせるのは嫌よ」


 ギラリと瞳が燃えている。これはもう、私が何を言っても聞かない時のシェリル様だ。
 二人でやれば、すぐ壊れるかもしれない。でも、大事な大事なテノルツェ国の王女様の身体に、傷なんて…

 私が葛藤しているのが分かったのか、シェリル様が両手で私の頬を優しく包み、口を開く。


「リーチェ。例え私が怪我をしたって、決して貴女のせいにはさせないわ。……それにね、私はリーチェを生涯手放すつもりはないの」


 ごめんなさいね、と茶目っ気たっぷりにシェリル様が笑った。
 ……もう、ずるい。こんな時に、嬉しい言葉をくれるなんて。


「……分かりました。三つ数えたら、ありったけの力で体当たりしましょう」

「頑張るわ」


 互いに頷いてから、カウントする。


「いち、に、さん!!」


 鍵が外れ、扉が勢い良く開いた。
 成功したと喜ぶより先に、その勢いのままシェリル様と共に床へ倒れ込む。

 それと同時に、バタバタと足音が近付いてきた。


「―――シェリル様!!」

「リーチェ!!」


 光が差し込む階段から、二人の陰が降りてくる。
 顔だけ上げて姿を確認した私は、心の底から安堵した。


 ―――ああ、やっぱりゼレン様が見つけてくれた。


 先頭を駆け下りてきたエレフィス殿下は、よろりと立ち上がったシェリル様を素早く支えてくれる。


「シェリル様!どこかお怪我は……!」

「平気です。私よりリーチェをお願いします、エレフィス様。私は……私は、両陛下の元へ向かいたいのです」


 懇願するようにそう言ったシェリル様に、エレフィス殿下は目を見張っていた。
 そしてすぐに頷くと、その場でシェリル様を横向きに抱き上げた。……お姫様抱っこだ。


「きゃあ!?」

「失礼します、シェリル様。どうかこのま向かわせて下さい。……リーチェ」


 驚くことに、エレフィス殿下が私の名前を呼んだ。
 ゼレン様が私を起き上がらせてくれている最中で、咄嗟に返事が出来ずに見上げていると、殿下は美しい笑みを浮かべる。


「君がシェリル様の侍女で良かったと、心から思う。私では頼りないかもしれないが、どうかこの後は任せて欲しい」

「……もちろんです、エレフィス殿下」


 私はシェリル様に仕えた頃から、決めていたのだ。
 その足で自ら迎えに来た王子様の手を、お姫様が取ることを望んだなら。

 ……私は、ずっと見守ってきた背中を、そっと押してあげるのだと。


「シェリル様を、よろしくお願い致します」


 エレフィス殿下の腕の中で、シェリル様が潤んだ瞳を私に向けていた。私までつられて視界が滲む。


「私が護ると、約束しよう。……ゼレン、先に戻る。あとは頼んだ」

「はい。行ってらっしゃいませ」


 階段を上って行く王子様とお姫様の姿を見送ってから、私の手足の縄を短剣を使って解いてくれているゼレン様を見た。


「……ゼレン様」


 ああ、思ったより声が震えた。
 ゼレン様がゆっくりと、灰色の瞳を持ち上げる。


 ―――次の言葉を口にするよりも先に、私の体は優しく抱きしめられていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

まずはお嫁さんからお願いします。

桜庭かなめ
恋愛
 高校3年生の長瀬和真のクラスには、有栖川優奈という女子生徒がいる。優奈は成績優秀で容姿端麗、温厚な性格と誰にでも敬語で話すことから、学年や性別を問わず人気を集めている。和真は優奈とはこの2年間で挨拶や、バイト先のドーナッツ屋で接客する程度の関わりだった。  4月の終わり頃。バイト中に店舗の入口前の掃除をしているとき、和真は老齢の男性のスマホを見つける。その男性は優奈の祖父であり、日本有数の企業グループである有栖川グループの会長・有栖川総一郎だった。  総一郎は自分のスマホを見つけてくれた和真をとても気に入り、孫娘の優奈とクラスメイトであること、優奈も和真も18歳であることから優奈との結婚を申し出る。  いきなりの結婚打診に和真は困惑する。ただ、有栖川家の説得や、優奈が和真の印象が良く「結婚していい」「いつかは両親や祖父母のような好き合える夫婦になりたい」と思っていることを知り、和真は結婚を受け入れる。  デート、学校生活、新居での2人での新婚生活などを経て、和真と優奈の距離が近づいていく。交際なしで結婚した高校生の男女が、好き合える夫婦になるまでの温かくて甘いラブコメディ!  ※特別編3が完結しました!(2024.8.29)  ※小説家になろうとカクヨムでも公開しています。  ※お気に入り登録、感想をお待ちしております。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】おしどり夫婦と呼ばれる二人

通木遼平
恋愛
 アルディモア王国国王の孫娘、隣国の王女でもあるアルティナはアルディモアの騎士で公爵子息であるギディオンと結婚した。政略結婚の多いアルディモアで、二人は仲睦まじく、おしどり夫婦と呼ばれている。  が、二人の心の内はそうでもなく……。 ※他サイトでも掲載しています

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

【完結】冷徹執事は、つれない侍女を溺愛し続ける。

たまこ
恋愛
 公爵の専属執事ハロルドは、美しい容姿に関わらず氷のように冷徹であり、多くの女性に思いを寄せられる。しかし、公爵の娘の侍女ソフィアだけは、ハロルドに見向きもしない。  ある日、ハロルドはソフィアの真っ直ぐすぎる内面に気付き、恋に落ちる。それからハロルドは、毎日ソフィアを口説き続けるが、ソフィアは靡いてくれないまま、五年の月日が経っていた。 ※『王子妃候補をクビになった公爵令嬢は、拗らせた初恋の思い出だけで生きていく。』のスピンオフ作品ですが、こちらだけでも楽しめるようになっております。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

処理中です...