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◇試験一日目
しおりを挟むカリカリとペンが紙の上を走る音が、広い室内に小さく響く。
等間隔に離れた位置に机と椅子が設置され、婚約者候補たちが真剣な眼差しでペンを動かしていた。
最初の選抜試験は、知識・教養のテストだ。
一般常識から始まり、エレフィス様の婚約者となった際にこういう場面に出くわしたらどう行動するか、等の王族としての知識が問われる問題まで、内容は幅広い。
これは、エレフィス様の教育指導者が作成した問題だった。
そして試験官となる初老の教育指導者…エイベル様は正面の椅子に腰掛け、眼鏡の奥からじっと婚約者候補たちを観察していた。
現在の試験の監督者として、エイベル様がこの場にいる。
あとは俺を含めた騎士が数名、部屋の様々な位置に立ち、不正がないか目を光らせていた。
彼女たちの侍女と護衛は、別室で待機となっている。これも、不正を防止する為だ。
部屋の後方に立っている俺は、婚約者候補たちを観察した。その中でも目立つのは二人。
一人は、テノルツェ国のシェリル王女。
とにかく、姿勢が美しい。ペンを走らせる所作までも優雅に見えるから、流石としか言いようがない。
そしてもう一人は……ルイーゼ嬢だった。
こちらはシェリル王女とは正反対の目立ち方をしている。つまり、悪目立ちだ。
背中は丸まり、問題用紙にこれでもかと目を近付けているようだ。その背中はぷるぷると震えていて、ペンを握る手は、試験が始まってから一度も動いていない。
……どうやら答えがサッパリ分からないらしい。
無理もないな、と俺は思った。
生まれながらに王族として教育を受けている訳でもなく、例え指導者を雇っていたとしても、彼女の性格からまともに勉強するとは思えなかった。
無理やり婚約者候補の座に居座るくらいだから、少しは根性を見せて欲しいところだが…そうもいかないか。
眉をひそめつつ、この場にいない侍女の姿を思い出す。
恐らくルイーゼ嬢が流したであろう噂を昨夜聞いた俺は、ふざけるなとその場で声を荒げてしまい、エレフィス様を驚かせた。
昨日、中庭に現れた侍女……リーチェの姿を見た時、とても冷静ではいられなかった。
痛々しげに赤く腫れた頬、乱れた髪。
状況を確認するために身体検査をした使用人の話では、肩に痣もあったという。
昨日、調書をとる為に事の詳細を話した時のリーチェの口調は、とても淡々としていた。
ルイーゼ嬢のシェリル王女への暴言の部分だけは、苦々しげに眉を寄せていたけれど。
その様子を正面で話を聞くエレフィス様の後ろから見ていて、何度足が動き出しそうになったことか。
……出来ることなら、抱きしめたいと思った。
少しくらい、弱音を吐いてもいいと言ってあげたかった。
対して、リーチェの話を聞き終えて向かった先、ルイーゼ嬢の部屋では、頭を抱えたくなるほどだった。
『エレフィス様、あの侍女は妄想癖があるようですわ』
開口一番、確かにルイーゼ嬢はこう言ってのけた。面食らったエレフィス様に、つらつらと口からでまかせを語り始めたのだ。
ちょっと話そうとシェリル王女の部屋を訪れたら、自分とエレフィス様の関係に嫉妬した侍女が、突然掴みかかってきた。
それを振り払うと、侍女が倒れて怪我をした。
それでもまた襲いかかってきそうになった為、自分がシェリル王女に部屋から逃げるように助言した。
―――作り話にしても、もっとまともな嘘がつけなかったのだろうか。
いやそれ以前に、事実と異なる虚偽をエレフィス様に……王族に述べるということは、立派な罪だということを、この令嬢は分かっていないのだろうか。
ちらりと視線を向けた先にいたエレフィス様は、とても冷めた目でルイーゼ嬢を見ていた。
幸運なことに、ルイーゼ嬢は自分の作り話の脚色に夢中で気付いていなかったが。
そしてその夜のうちには、例の噂が流れた。
リーチェの怪我は、無実の護衛騎士につけられたことになっていたから不思議なものだ。
噂の的になっているリーチェといえば、今朝の大広間では涼し気な顔でシェリル王女の側に立っていたのだった。
「―――はい、そこまで」
エイベル様の嗄れた声が響き、ペンを走らせる音が一斉に止まる。
ルイーゼ嬢の背中を冷ややかに凝視しているうちに、どうやら終了の時刻になったらしい。
エイベル様がゆっくりと腰を持ち上げ、順に答案用紙を回収する。その用紙を差し出す様子でさえ、王女それぞれ違いが出ていた。
疲れた顔、ホッとした顔……真剣な顔で、両手で用紙を差し出したのはシェリル王女だ。
ちなみに、ルイーゼ嬢に至っては用紙を自分で差し出すことすらせず、片眉を上げたエイベル様が回収していた。
「少しの休憩ののち、昼食及びマナーの試験に入りますので、移動をお願い致します」
案内に従い、婚約者候補たちが移動を開始する。俺たち騎士も同じように移動するが、国王陛下の側近とエイベル様のみこの場に残り、採点を行う。
陛下の側近は、エイベル様がきちんと公正に採点をするかの見張りと、その結果を陛下たちに報告する役目を担っていた。
次のマナーの試験は、テーブルマナーから始まる。
普段なら空腹を満たすための昼食も、今日は試験だというのだから、婚約者候補たちは気が気でないだろう。
ちなみに今回も、侍女や護衛は別室で待機となっている。
婚約者候補たちが、緊張した面持ちで、横並びの丸テーブルに一人ずつ着席する。
試験官である、王妃陛下付の侍女ミエラ様が片手を挙げると、給仕がワゴンと共に入ってきた。
「それでは、マナーの試験を開始します。順に食事が運ばれますので、皆さん普段通りに食事をして下さいね」
ミエラ様はニコリと微笑んだが、その瞳の奥は鋭く光っている。試験官の打診があったとき、彼女は喜々として受けたそうだ。
それぞれのテーブルの上に食事が運ばれ、緊張感に包まれる昼食が始まった。
食事の匂いに惑わされないよう、騎士たちは先程の休憩時間に食事を掻き込むように済ませている。
俺の配置は今度は正面に近いため、婚約者候補たちの食事の様子が良く見えた。
さすが王女というだけあって、テーブルマナーは完璧で、それぞれ大差は無さそうだ。
ルイーゼ嬢も一応普通に食事出来ている。
一度緊張からか、フォークを落とした王女がいた。残念ながら、そういったミスは減点となる。
食事を終えると、次はまた少し休憩を挟み、礼儀作法の試験だ。
「では、私が順にいくつか挨拶をするので、返してくださいね」
ここでも、返事や所作の大差はなく見えた。ただ違いが出たのは、その表情だ。
見るからに強張った笑顔の王女もいる中、シェリル王女だけは完璧な微笑みを浮かべていた。
先程の試験の時も思ったが、婚約者候補たちの中で、シェリル王女が一番人目を引く。
容姿だけではなく、纏う空気というか…この方は間違いなく王族だ、と思える見えない何かがあるのだ。
リーチェがあそこまで敬愛するのも頷ける。
挨拶を終え、歩行のチェックが入る。姿勢や歩幅などを見るらしい。全員が決められた距離を歩くと、突然扉が開いた。
その先に見える姿に、婚約者候補たちだけでなく、俺たち騎士も目を丸くする。
「……ミエラ、私は来る時間を間違えた訳ではないよな?」
「ええ、エレフィス殿下。そうですね、どうやら私としたことが、殿下にも参加いただくことになっている旨を伝え忘れていたようです」
困ったわ、とでも言うように頬に手を当てたミエラ様だが、これは確信犯だろう。
エレフィス様の登場を隠して婚約者候補たちを動揺させておいて、このあと何かするはずだ。
案の定、ミエラ様は満面の笑みで言い放つ。
「では、エレフィス殿下に順にエスコートしていただきましょう。夜会にて、婚約者として紹介を受け入場する設定です」
それからひと息付く暇も無く、ミエラ様が「まずは貴女からね」と一番近くにいた王女を呼び寄せた。
呼ばれた王女は一瞬体を固くしてから頷くと、ふう、と息を吐き出してエレフィス様へ近付いた。
エレフィス様は事前に内容を聞いていたのか、ふわりと微笑んで片手を差し出す。
王女は頬を赤らめ、自身の手を添えてから、エレフィス様のエスコートで歩き出した。
特に問題なく順番が回っていき、ルイーゼ嬢の番になる。彼女は熱の籠もった眼差しでエレフィス様を見ていた。
添えるはずの手はエレフィス様の手を握りしめているし、歩く距離も近い。その目はエレフィス様にずっと固定されている。
絶えず微笑みを浮かべているエレフィス様は流石だが、ルイーゼ嬢の様子は端から見れば、獲物を狙う肉食獣のそれだった。
最後に魅せたのが、やはりシェリル王女だった。
華奢な手を添え、エレフィス様と目を合わせ優しく微笑む。
お手本のような姿勢で歩きながら、周囲に微笑みかける。微笑みかけられた他の王女たちは、ハッとしたように息を飲んだ。
そう、ここは夜会で婚約者として紹介を受け、入場する設定だ。
当然、周囲には招待客がたくさんいて、注目されているだろう。拍手も送られているはず。
ならば、感謝の微笑みを浮かべるのは自然な反応だ。
設定をしっかりと頭に入れ、シェリル王女は完璧に対応してみせた。
ミエラ様は満足そうに笑みを浮かべ、他の王女たちも尊敬の眼差しを向けていた。
……ルイーゼ嬢だけが、嫉妬を隠しきれずに唇を噛んでいる。
「はい、大変結構です。殿下もありがとうございました。本日の試験は終了ですので、このまま側近たちと合流し、自室に戻って下さいね。明日の予定は追って連絡が届きますので」
「明日は私と話をしていただく時間もありますので、よろしくお願い致します」
エレフィス様がそう言って、最初に退室する。ミエラ様の視線が俺に向けられ、軽く頷いてから後を追った。
「……まさか、エレフィス様が現れるとは思いませんでした」
後ろからそう言うと、エレフィス様が肩で笑う。
「ははっ。ミエラにやられたようだな。王女様方も同じ気持ちだろう」
「全くです。……この後はどうされますか?先にご報告を…」
「エレフィス殿下!」
突然、大きな声で呼び止められ、エレフィス様が足を止めた。半ばうんざりした顔を隠さずに振り返る。
「ブレント……今日はどうした?仕事はいいのか?」
「そんなに鬱陶しそうにしないで下さいよ。仕事はきちんと済ませておりますので…それより、孫娘の調子はどうですかな?」
ニコニコと自身の髭を撫でつけているのは、ブレント・ツェラー……この国の宰相である。
そして孫娘とは、ルイーゼ嬢のことだ。
「……よく頑張ってくれていますよ」
「そうですかそうですか!本当に可愛い孫娘でして、私としても上手くやれているか心配なのですよ」
当たり障りのない返答に、ブレント様は嬉しそうに笑う。
この方は、宰相としての実力は申し分ないし、人柄も温厚で周囲から信頼されている。
ただ残念だったのは……異様に孫娘のルイーゼ嬢に甘いところだ。
甘やかして甘やかして、恐らく、エレフィス様の婚約者になりたいとお願いされ、二つ返事で頷いたのだろう。
自慢の孫娘なら、他国の王女たちと肩を並べられると、本気で思っているのが何とも言えない。
「明日の夕方には結果が出る。今日はもう自由時間だから、ルイーゼ嬢を労ってやるといい」
「ええ、そうですね!では失礼致します。明日もどうぞよろしくお願い致しますね!」
朗らかに去っていったブレント様の恰幅の良い後ろ姿に、エレフィス様は何とも言えない眼差しを送っていた。
「……どう思う?」
「明日の夕方、膝から崩れ落ちるブレント様の姿が見えます」
「お前、間違っても人通りのある廊下でそうハッキリ言うな」
じろりと睨まれ、俺は両手を挙げて肩を竦めた。エレフィス様はまた歩き始め、その足は執務室へ向かうものではない。
「どちらへ?」
「少しな、気分転換に剣をやってくる。お前は下がっていいぞ」
「いえ、そういう訳には……」
「他の者を連れて行くから問題ない。きっと心配性の私の護衛騎士には、他にも心配している女性がいるはずだからな」
視線を投げ掛けられ、言葉に詰まった。
ああ、やはりバレていたか。
昨日、怪我をして現れた他国の侍女に咄嗟に駆け寄ってしまったから、怪しまれるとは思っていたが。
……何も訊かれなかったのは、エレフィス様なりの気遣いだろう。
「……お言葉に甘えまして、少し様子を見に行ってきます」
「そうしてくれ」
追い払うように手を振られ、俺は苦笑しつつも踵を返した。
俺の姿を見たリーチェは、どんな反応をするだろうか、と楽しみに思いながら。
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