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◇侍女と騎士の接触
しおりを挟む―――ああ、思い出した。
真っ直ぐに俺を見ていた紫の瞳を見つめ返しながら、記憶を辿る。
テノルツェ国シェリル王女の生誕祭で、王女のすぐ側でずっと微笑みを浮かべていた女性だ。
栗色の艶のある髪をきっちりと後頭部で纏めていて、美人だけど隙がないな、なんて感じたことを思い出す。
今も同じ髪型で、控えめな化粧だが、長いまつ毛に縁取られた吊り目がちな瞳に、形の良いふっくらとした唇、血色の良い頬が綺麗な顔立ちを引き立たせている。侍女の服を纏っているが、体つきもとても女性らしい。
「お心遣いありがとうございます。……それでは失礼致します、エレフィス様」
半ば意識を持っていかれているうちに、エレフィス様とシェリル王女の挨拶が終わり、侍女がシェリル王女に向かって笑顔を向けた。ああ、あの笑顔は……心から主を敬愛しているのが分かる。
しかしその笑顔はすぐに消え、ハッとしたように俺へと視線が戻った。探るように見られ、その理由に思い当たる。
……ああ。きっと彼女が、俺が招待状に同封した手紙を見たんだ。
僅かに口角を上げると、戸惑ったようなぎこちない笑みが返ってきた。去っていくその細い背中を見送っていると、エレフィス様が振り返る。
その表情を見た俺は、思わず笑ってしまった。
「……おやまぁ。この場の女性が見たら卒倒しそうなくらいの笑顔ですよ、殿下」
「何?」
エレフィス様は慌てたように表情を取り繕ってから、次に声を掛けてきた他国の王女の相手を始める。この王女も婚約者候補だ。綺麗に着飾ってはいるが、シェリル王女の比では無い。
先程のエレフィス様の神のような笑顔から察するに、やはり気になっている相手はシェリル王女のようだ。
さて、まだ会場へ来ていない招待客は半数もいる。形式上の簡単な挨拶が終わるまでは、ここから動くわけにはいかない。
そしてようやく、エレフィス様へ釘付けの婚約者候補や、媚びへつらう国内の重役など、全ての招待客の挨拶を終えたことを確認すると、エレフィス様は片手を挙げ合図を出した。
庭に用意していた舞台の上で、演奏家たちが音楽を奏で始める。それを今か今かと待っていたかのように、足早に歩き出した主を静かに呼び止めた。
「エレフィス様」
「……何だ?ゼレン、私は先程の約束通り……」
「分かっていますよ。けれど、決して他の婚約者候補様方を蔑ろにしないで下さいね」
小さな声で指摘すると、エレフィス様が一瞬身じろぎする。……ああやはり、頭の中はシェリル王女とのダンスで一杯だったか。
他国の婚約者候補のほとんどが参加している中、シェリル王女だけをいきなり特別扱いするのはまずい。
ダンスに誘われるのはいつか、とそわそわしている婚約者候補たちが、いきなり牙を向くことだってあるのだから。
それに、年内には婚約者候補たちを城に集め、選抜試験をすることを国王陛下は考えている。
心は既にたった一人の少女に傾いていたとしても、それを周囲にまだ悟らせる訳にはいかないのだ。
「ゼレン、感謝する。……さぁ行くぞ」
俺の言葉の意図を理解したエレフィス様は、真剣な眼差しで頷いてから、やはり足早にシェリル王女を探しに向かった。
そんな主の姿に苦笑しながら、まだ幼くも逞しい背中を追いかける。
歩くたびにサラリと風に揺れる金髪が、周囲の人々の視線を奪っていく。
パーティーの主催者であるエレフィス様の、最初のダンスの相手は誰かとざわめき立っていた周囲は、ピタリと足を止めたエレフィス様の前に立つその姿を見て、納得の表情を浮かべたように思えた。
「……シェリル王女殿下。私と踊っていただけますか?」
「はい。喜んで」
跪き、差し出されたエレフィス様の片手に、シェリル王女の華奢な手がそっと添えられる。二人は微笑み合いながら、音楽に合わせて踊り始めた。
その様子を見守っていた周囲も、それぞれが異性と手を取り合っていく。エレフィス様にチラチラと熱視線を送る他の婚約者候補たちは、最初のダンスの相手に選ばれたシェリル王女に不満は無さそうだった。
それは、シェリル王女のテノルツェ国が、我が国アルテシアに次ぐ大国であることが大きい。
もしシェリル王女が辺鄙な小国の王女であったなら、周囲からは不満と嫉妬の視線しか向けられなかっただろう。
つまり、シェリル王女を最初のダンスの相手に選ぶことは妥当な流れで、エレフィス様の気持ちは周囲に悟られてはいないはず。
……シェリル王女から少し離れてダンスを見守る、あの侍女以外は。
楽しそうに踊るエレフィス様とシェリル王女の姿を横目に捉えながら、静かに近付いて行くと、俺に気付いた侍女は僅かに目を見張った。
「お初にお目にかかります。エレフィス王太子殿下の護衛騎士、ゼレン・アーヴァーと申します」
「……シェリル王女様付きの侍女、リーチェ・ライノルドと申します」
「リーチェとお呼びしても?」
「……は、い。構いません」
「良かった。私のことはゼレンと」
ニコリと微笑みながらそう言うと、侍女…リーチェは探るように俺を見ながら「分かりました」と頷いた。そしてすぐに、視線を周囲に巡らせると、艶のある唇をそっと開く。
「……どのようにお声を掛けようか悩んでおりました。まさかゼレン様から、堂々とお声が掛かるとは……」
「そのように警戒しなくとも大丈夫ですよ。お互いの仕える主がダンスをしている間、世間話をしているように見えるだけです」
「それもそうですね。……では、招待状に同封されていた手紙を書いたのは、ゼレン様ということでよろしいのですよね?」
エレフィス様の姿が確認できる位置取りで、リーチェの隣に並ぶように移動する。ちらりと俺に視線を送ったリーチェに軽く頷くと、彼女はその眼差しをシェリル王女へと向けた。
「シェリル様は、それはそれはとても可愛らしいでしょう?」
「……はい?」
「天使のような見た目の可愛らしさだけではなく、性格もなんですよ。庇護欲を唆られるといいますか。その中にも芯の強さがあって…」
つらつらとシェリル王女の素晴らしさを語り始めたリーチェに、口をつぐんだまま視線だけを向ける。
紫の瞳は熱を持ち、うっとりと自分の主を見つめている。その頬は色付いていて、まるで恋をしているようだ。
恋という感情は俺にはよく分からないが、恋人同士が甘い言葉を囁きながら見つめ合う表情にそっくりだった。
いくつもの賛辞を口にしたあと、リーチェが俺に顔を向け、ふわりと微笑む。
「―――ですから、シェリル様に心を奪われる気持ちは、とてもよく分かります」
その妖艶な笑みに、ぞくりと全身が粟立った。喉を鳴らし、何とか平静を装う。
「……招待状に添えた一輪花の意味に、気づいて頂けたようで何よりです」
「もちろんです。ですから、こちらからの返信にも一輪花を添えたでしょう?」
エレフィス様の想いを込め、送った一輪花の花言葉は『早くあなたに会いたい』。そして返信に添えられた、エレフィス様の瞳の色の一輪花の花言葉は……『待ち望んでいます』。
その花を見た時、俺は思わず目を見張った。
招待状を開封する者に、一輪花の花言葉が伝わるかどうかは分からなかった。シェリル王女の瞳の色の花を選んではみたものの、そこに特別な意味が込められていることに気付いてもらえるか。気付いたとして、王女には伝えずにいてくれるか。
そして、同封した手紙の通り、護衛騎士である俺に声を掛けてくれるか。
一種の賭けのような望みをかけた招待状に、まるでシェリル王女も同じ気持ちかのような返信が届いたのだ。
「……つまり、返信の一輪花の意味通りに受け取って構わない、ということですね?」
「ええ、構いません」
「そうですか。ちなみに……このことは?」
「ご安心下さい。花言葉のやり取りは、私しか知りません」
もちろん、そちらも口外していませんよね?とでも言いたげな鋭い視線に、思わず苦笑する。先程まで恋する乙女のようだったのに、今は主に仇なす者には牙を剥く番犬のようだ。…犬に例えるのは失礼か。
ダンスの一曲目が終わり、踊っていた者たちは動きを止め、互いに一礼する。エレフィス様とシェリル王女もにこやかに挨拶を交わし、こちらに向かって歩き出したのを見て口を開く。
「どうやら、時間切れのようですね」
「そのようですね。……どうしますか?」
「後ほど、宿泊先に連絡を入れます」
「分かりました。では」
驚くほどアッサリとリーチェが立ち去った為、俺は虚を突かれて瞬きを繰り返す。リーチェとすれ違いながらやって来たエレフィス様が、そんな俺を見て片眉を上げた。
「どうした?ゼレン。間抜けな顔をしているが」
「………いえ。何でもありません」
「何かあったと思われる間が気になるが、次のダンスの相手を決めるとしよう」
「はい」
そわそわとこちらの様子を伺っている婚約者候補たちの中から、エレフィス様は早くも次の相手を決めたようで、迷いなく足が進む。
その後ろを歩きながら、俺は視界の端にいるリーチェに視線を向けていた。
周りから恵まれていると評される容姿に、王太子殿下の護衛騎士という肩書。それに釣られて擦り寄ってくる女性が多い中、彼女のように何の興味もありません、といった態度は珍しかった。
「……俺も随分、自惚れたものだな」
自嘲気味に呟くと、視線をリーチェからエレフィス様へと戻し、俺は思考を切り替えたのだった。
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