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75.告白
しおりを挟む気持ちが逸っている自覚が、エルヴィスにはあった。
―――『……アイラ。俺の、婚約者になってくれ』
それでも、口にせずにはいられなかった。
例えそのあとに、顔を真っ赤にしたアイラに逃げ出されたとしても。
静まり返ったというより、凍りついた部屋の中で、国王に同情の目で見られながら肩を叩かれたとしても。
とりあえずアイラの女神作戦をどう進めるかの話だけをしている間、その場の全員から気遣うようなよそよそしさを感じたとしても。
エルヴィスは、もう待てないと思った。
他の誰かの腕におさまる前に、自分の腕でアイラを抱きしめたかったのだ。
「………」
「………」
エルヴィスとアイラは今、無言で城内を歩いている。
時折ちらりと後ろを振り返って姿を確認すると、アイラはぎこちなく微笑むだけだった。
二人だけで話がしたいと言われ、エルヴィスは悩みながらも思いついた場所へ向かっていた。
大人しくついてくるアイラだが、その胸中は分からない。
今までの態度から、決して嫌われてはいないとエルヴィスは思っていた。
ネイトの邸宅で落下するアイラを助けたときに、顔を擦り寄せて来てくれた瞬間は、同じ気持ちなのではと期待を抱いてしまった。
けれど、告白の返事は即答して貰えなかったのだ。
周囲にはたくさん人がいたし、雰囲気も何もない場所で申し訳ないとは思ったが、確実にエルヴィスは傷ついていた。
「………」
「………」
沈黙を守ったまま、エルヴィスとアイラは暫く歩き続けた。
階段を上り、一つの扉の前で立ち止まる。
エルヴィスは胸ポケットから小さな鍵を取り出すと、その扉を開いた。
「……ここでも、いいか?」
「ここは―――…?」
扉の先に足を踏み入れたアイラの顔が、少し明るくなった。
案内した場所は、屋上だった。
立ち入りが許されているのは、騎士団長のエルヴィスのみである。
屋上からは城下街が見渡せ、とても眺めが良く、騎士団長になりたての頃はよく息抜きでやって来ていた。
「騎士団長の特権だな。良い眺めだろ?」
「はい、とても!今日はお天気が良いですし、とても風が気持ち良いです…!」
アイラは両手を広げ、深呼吸を繰り返していた。風に靡く蜂蜜色の髪が、日の光を受けてきらきらと輝いている。
綺麗だな、と思いながらじっと見つめていると、視線に気付いたアイラがエルヴィスを見て頬を赤く染めた。
―――嫌われては、いないと思う。ならばアイラの中で、返事をする前に俺に訊きたいことがあるんだろう。
それが何なのかは、容易に想像がついた。
アイラの救出のためにロイを潜入させたとき、それは覚悟していたことだ。
ロイのことだから、きっとうっかり余計なことを言ったに違いないのだ。
ちなみにロイは、アイラとクライド以外に顔はバレていない。
フィンたち騎士団が合流する前に、周囲に潜んでもらっていた。そして戦いの終わりを見届けると、ひっそりと城へ戻ったのだ。
今も、ネイトやサイラスがいる地下牢付近を警戒してもらっている。
「……エルヴィス団長」
「ん?」
「ロイさまは、お元気ですか?」
まさに今、ロイのことを考えていたエルヴィスは、アイラの問いに一瞬反応が遅れた。
それをアイラは訊いてはいけないことだと勘違いしたようで、慌てて両手を振る。
「あ、いえ!何でもありません!」
「……いや、俺の反応が悪かった。ロイは元気だ。鬱陶しいほどにな」
苦笑しながらそう答えれば、アイラはホッとしたように笑った。
「……良かったです。あまりお話はできなかったのですけれど…エルヴィス団長の、部下だと仰っていました」
「部下…そうだな、部下であり友人であり、父親代わりのような存在だと、俺は思っている」
空を見上げながら、エルヴィスはロイの姿を思い出していた。
初めてロイと会ったのは、エルヴィスがまだ九歳の頃だ。そしてその出会い方は、決して普通のものでは無かった。
「最初は……俺は、ロイに命を狙われていたんだ」
「……えっ!?」
「俺というか、俺がいた孤児院自体が狙われていた。そこで出会って、今こうして身近で頼れる存在になっているから…出会いとは不思議なものだと思う」
しみじみとそう言葉を続ければ、アイラが様子を伺うような視線を向けていた。
きっと、訊きたいことは山程あるだろう。
「ははっ、そんな可愛い顔で見つめないでくれ」
「かっ…、」
「何でもいい。訊きたいことでも、言いたいことでも。アイラと話をするために、ここに来たんだからな」
黒いマントを脱ぎ、エルヴィスは屋上の床にそのまま座った。隣にマントを敷くと、アイラを手招きする。
「おいで、アイラ」
「……だ、団長のマントに座るわけにはいきません…!」
「そこに座るか、俺の膝の上に座るかだけど?」
エルヴィスがニヤリと笑ってそう言えば、アイラが悔しそうな顔をするのが分かった。
唇を尖らせて近付いてくると、「し、失礼しますっ」と言って隣に座る。その場所は、マントがある場所とは反対側だった。
「……頑固だな?」
「頑固でもいいです。憧れの騎士団長のマントの上に座るなんて、私にはできませんから」
拗ねたようなアイラの表情も、ただ可愛らしい。エルヴィスはくくっと笑う。
「さて、何でも聞こうか」
「……では、一番気になることを、最初にいいですか?」
すぐ隣りにある華奢な肩が、緊張で僅かに強張っているのが分かった。
エルヴィスはできるだけ柔らかい表情で頷くと、アイラが静かに口を開く。
「……あの火事のとき、私を魔術具で助けてくれたのは………エルヴィス団長、ですか?」
瑠璃色の瞳が、じっとエルヴィスを見つめている。
それは、とても優しい問い掛けだった。
きっとアイラ本人は確信しているだろう。それでも、エルヴィスに問い掛ける形にしてくれている。
話したくなければ否定してもいいと、誤魔化してもいいのだと、アイラの優しさが言葉の裏で滲んでいた。
その優しさにつけ込むことなど、エルヴィスにはとても出来ない。
「―――ああ、俺だよ」
答えたあとすぐに、エルヴィスは可笑しくなって笑ってしまった。
気持ちを伝えるつもりも、人生をやり直しているということを打ち明けるつもりも、最初は無かったというのに。
風に揺れる前髪を掻き上げたエルヴィスを、アイラは泣きそうな顔で見ていた。
「……では、エルヴィス団長も…私と一緒に、人生をやり直しているということですか?」
「そうだな。でも俺は、前も今も騎士団長で変わりはない」
「どう、して…っ」
どうして、の続きは想像がついた。
どうして助けたのか、どうして話してくれなかったのか。アイラの立場なら、エルヴィスも同じことを思ったはずだ。
「アイラ、俺は君に…」
「………?」
「……初めて会ったときから、惹かれていた」
トリシアの魔術具で髪と瞳の色を変え、任務として潜り込んだタルコット男爵家のガーデンパーティー。
副作用で体調が悪く休んでいたエルヴィスに、声を掛けてくれたのがアイラだった。
今よりも少し幼く、魔術師になる夢を持って輝いていた少女―――…。
「……泣かないでくれ」
アイラが静かに涙を流していた。エルヴィスはその目元をそっと拭うと、涙に濡れた瞳に自身が映っているのが見えた。
そのままコツンと額を合わせると、アイラの体がピクっと跳ねる。
きつく握りしめられた小さな手を優しく包み、エルヴィスは口を開いた。
「アイラ…俺は、孤児院で育ち、トリシアに出会い……そこで居場所を一度失った」
「………っ」
「けど、当時の騎士団長に救われたんだ。俺とトリシアは、その人と騎士団にとても世話になった。俺の家名の“ヴァロア”は、その人から貰った大切なものだ」
瞼を閉じれば、エルヴィスは未だに鮮明に思い出すことが出来る。
子どもが苦手だと言っていたくせに、家名を与えてくれ、最期に「父親と呼ばれてみたい」と言って笑った、大切な存在の人を。
「そして、その人は……俺に騎士団長という立場を託してくれた。俺はその名に恥じないよう、懸命に剣を振るった。……だが、なかなか上手くいかなくてな」
話しながら、エルヴィスは当時を思い出して苦笑する。
騎士団長の座を譲り受けたあとしばらくは、騎士団の中でエルヴィスに反発する者と、エルヴィスを擁護する者で分かれていた。
それも仕方ないことだ。そう頭では分かっていても、拒絶されれば心は知らずの内にすり減っていく。
そして心身共に疲れていたエルヴィスに、トリシアが変装をして気分転換すればいいと、魔術具を渡してくれたのだ。
騎士団長としてではなく、ただの騎士に変装し、たまたま選んだ任務先が、タルコット男爵家のガーデンパーティーの警備だった。
いくつもの偶然が重なり、エルヴィスはアイラに出逢うことが出来た。
「……アイラ。あの日君に逢えて、俺は騎士団長として頑張ろうと思った。それからずっと……君を、気にかけていた」
ずずっと鼻を啜ったアイラが、瑠璃色の瞳をエルヴィスに向ける。
「……私が魔術学校の倉庫で、襲われそうになったときも…ロイさまに見回りをお願いしてくれていたのですか?」
「……ああ。トリシアから、ずっとアイラの話は聞いていたんだ。君が、魔術学校で不当な扱いを受けていると。…結果的に、トリシアが先に助けてくれたけどな」
「トリシア……。私、トリシアとまた友達になれて、とても嬉しいです」
「そうだな…魔術学校でアイラと過ごしていたトリシアもきっと、喜んでいると思う」
エルヴィスの言葉に、アイラが泣きながら笑う。
アイラとトリシアの友情は、今回時を遡っても、また育むことが出来ている。
それはエルヴィスにとって、とても嬉しいことだった。
時を遡る魔術具を開発したトリシアは、それを使ったアイラが、別の道を歩む選択をしたとき、自分の中からアイラの存在が消えてしまうと分かっていた。
それでも、アイラを魔術学校での苦痛から救いたいと、ただそれだけを願っていたのだ。
「……私が騎士として、入団試験を受けたときは……驚きましたか?」
遠慮がちにそう問い掛けられ、エルヴィスは当時を思い出す。
やり直した人生でアイラが魔術学校に通っていないことを知り、どこかで幸せに生きていてくれればいいと思っていたところで、試験会場でアイラの姿を見つけたときのことを。
「驚いたが…それ以上に、“生きていてくれて良かった”と、そう思った」
「………っ、」
「それから…同じ騎士として、近くで護れることが出来ると思って、嬉しかったな。アイラが魔術学校に通っていたとき、俺は君を近くで護ることは出来なかったから」
「……エルヴィス団長は、優しすぎますっ…!」
「そうか?俺が優しいのだとすれば、それはアイラに対してだけだろうな」
フッと笑ってそう言ったエルヴィスに、アイラはまた涙を零す。
「俺は騎士団長になってから、敵国を属国にする為に攻め入ったことがある。そこで何人もの騎士を斬り伏せ、この黒髪と紅い瞳から“死神”と呼ばれ……斬り伏せた騎士の家族からは恨まれもした。決して優しい人間じゃない」
「そんなこと、ありません…!私を救うために…一緒にやり直しの人生を歩んでくれるなんて…。そして、そのことを知らずに、私は…」
「……俺が言わなかったんだから、アイラが自分を責める必要は無い。それに…こう言っては何だが、騎士団でアイラと過ごすことが出来て、俺はとても…幸せなんだ」
エルヴィスはずっと、自分は大切な誰かを失い続ける運命なのだと思っていた。
手を伸ばし掴んだと思えば、指の隙間から零れ落ちてしまうような、そんな運命なのだと。
けれど、アイラを失いたくないと思い、あの火事の日にトリシアから預かった魔術具を使った。
それは一種の禁忌を破ったも同然だったが、結果としてアイラは今、エルヴィスの隣にいる。
そして、アイラの歪んだ運命を、ようやく正すことが出来た。
それは同時に、失うばかりだと思っていたエルヴィスの運命が、否定されたということになる。
―――大切な人を、アイラを…手放さずに済む。そんな運命が訪れたことが、俺には何よりも嬉しいんだ。
エルヴィスがじっと見つめていると、アイラはゆっくりと口を開いた。
「……エルヴィス団長、私…団長のことをもっと知りたいです。私と出逢う前のことも…出逢ったあとのことも」
「それは……だいぶ長くなるし、つまらないと思うぞ」
「つまらなくありません。私が歩く道の裏で、エルヴィス団長がどんな道を歩み、何を思ってきたのか……知りたいのです」
涙で潤んだ真剣な表情で、アイラがエルヴィスに訴える。
エルヴィスを知ろうとしてくれているアイラを、遠ざけることなどもちろん出来なかった。
「……分かった。今の状況が落ち着いたら、時間があるときにちゃんと話そう」
「はい。……約束ですよ」
アイラが嬉しそうに微笑む。その笑顔を間近で見られる距離にいることが、エルヴィスには夢のようだった。
胸の中で芽生えた、小さな想い。それはアイラを知れば知るほど、大きく根付いていった。
「……改めて、言わせてくれ」
将来を見据えて、恋人ではなく、婚約者になってほしいと思った。
けれど、一番大切なことを言葉にしていない事実に、エルヴィスは今さら気が付いた。
「アイラ。俺は―――君が、好きだ」
ようやく打ち明けられた想いに、エルヴィスは晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。
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