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70.共に
しおりを挟むアイラが顔を擦り寄せると、エルヴィスがアイラの肩を強く抱く。
そのまま頭にキスを落とされ、突然のリップ音に驚いたアイラは、一気に現実に引き戻された。
「………なっ、えっ、エルヴィス団長っ?」
「どうした?」
「どっ………、」
熱のこもった視線を向けられ、アイラは言葉に詰まる。
間違いなく今は甘い空気に浸っている場合ではないのだが、離れがたいのも事実だった。
「こらアイラ、いちゃつくのは後にしてくれ」
そんなアイラとエルヴィスを纏う空気を、手で追い払ったのはクライドだ。
「お兄さま…!良かった、無事だったのですね…!」
「それは俺のセリフだからな?…団長、アイラを早く降ろしてくれます?」
エルヴィスは渋々とアイラを降ろした。
クライドから長剣を手渡されたアイラは、手に馴染む感覚にホッと息を吐く。
「……ありがとうございます、お兄さま。ずっと持っていてくださって…」
「遅くなって、ごめんな。それにまだ、全ては終わっていないぞ」
アイラは剣を腰に下げ、状況を確認する。
サイラスと戦っているのが、フィン、オーティス、ギルバルト。
そしていつの間にか魔物が現れたようで、デレク、リアム、カレンが戦っている。
アイラが腕輪で呼び出せたのは、いつも行動を共にしていた仲間のようだ。
「……ネイトさまとマーヴィンさまは…!?」
「ネイト・ラトリッジと使用人なら、あそこだ」
エルヴィスの指差す先に、二人は壁にもたれかかるように座っていた。
どうやら意識はあるようで、険しい顔で現状を見守っている。
「良かった…誰かが移動させてくれたのですか?」
「デレクとリアムが真っ先にな。…アイラ、いまいち状況が掴めないが、お前の敵はネイト・ラトリッジではなく、あそこのそっくりな人物ってことで合ってるか?」
小さな魔物がこちらに向かって来たところを、クライドが魔術で跳ね除けながら問い掛けてくる。
闇の力で攻撃を繰り返しているサイラスを見ながら、アイラは頷いた。
「はい。ネイトさまの弟…サイラス・ラトリッジです」
「やはりあの男がサイラスか。公爵家の人物だし、社交界で有名だから名前は知っていたが…不思議とパーティーで顔を合わせたことは無いんだよな。髪型以外は兄にそっくりだな」
クライドはそう言いながら、また別の魔物に魔術で攻撃する。
どこかに魔物の巣でもあるのか、倒しても倒しても湧いて現れる。
「とにかく、この場をおさめるにはあの男を倒すしかなさそうだな」
「……そう言うなら、さっさとアイラを離して加勢しに行ってくださいよ。ほら、あの黒い炎みたいなやつに副団長たちが苦戦してるじゃないですか」
じとりとクライドに視線を向けられても、エルヴィスは動じていない。
一方アイラは、いつの間にかエルヴィスに握られていた手をちらちらと見ていた。
「分かっているが…離れがたくて困る」
「困るって…貴方は騎士団長でしょう!?こんなときに何を駄々こねてるんです!」
「クライドこそ、アイラのために活躍すると言っていただろ」
「この先の戦いは俺に任せろ、とか言ってたのはどなたですか!?」
アイラは目を瞬きながら、エルヴィスとクライドのやり取りを聞いていた。
―――な、何だかエルヴィス団長とお兄さま、距離が近くなっているわよね?私がいない間に何かあったのかしら?
その時、アイラの視界に魔物と戦うデレク、リアム、カレンの姿が映った。
斬っても斬っても現れる魔物に、悪態をつくデレクの声が聞こえる。
アイラはぎゅっとエルヴィスの手を握った。
「……エルヴィス団長」
「ああ、友人たちのところへ行ってくるといい。君をとても心配していたからな…あの程度の魔物なら、心配ないな?」
「はい、もちろんです。団長とお兄さまは…」
「俺はサイラス・ラトリッジの相手をする」
「俺も行きます。この手で一発殴らないと気が済まない」
クライドがぐるぐると腕を回すので、アイラはくすりと笑った。優しいクライドが誰かを殴ったことなど、今まで一度もない。
そんなアイラを見て、クライドは頬を緩めた。乱れた髪を直すように、優しくアイラの頭を撫でる。
「……本当に、無事で良かった」
「何度も心配をかけて…ごめんなさい」
「ははっ、全くだな。さて、あとひと仕事頑張るか」
ニッと笑ったクライドが、魔術を唱えた。アイラは優しい光に包まれる。
「癒やしの魔術だ。効果は薄いけどな」
「わあ、すごいですお兄さま!いつの間に習得したのですか?」
「あとでたっぷり聞かせてやる。……無理はするなよ、アイラ」
アイラの肩をポンと叩き、クライドはサイラスの方へ走って行った。アイラは腰の剣を抜いて構えると、エルヴィスを見遣る。
「……魔物を倒したら、団長と共に戦ってもいいですか?」
「……ダメだと言っても、聞かないだろ?」
そう言って笑いながら、エルヴィスがアイラの髪をサラリと掬う。
そのあまりに柔らかい表情に、心臓が大きく高鳴った。
「わ…私も……」
「ん?」
「……離れがたい気持ちは、一緒ですので」
「…………」
「で、では!お互い気をつけて戦いましょうねっ!」
言い逃げのごとく走り出そうとするアイラの手を、エルヴィスは離さずにぐっと引く。
「……全てが片付いたら、もう逃がしてはやれないからな」
耳元でそう囁かれ、アイラは腰が抜けそうになった。するりとエルヴィスの手が離れ、とても嬉しそうな笑みを向けられる。
―――ずるい。
アイラは顔を火照らせながら、魔物の群れへ向かって駆け出した。
魔物に近付くにつれ、独特の臭いが鼻をつく。小さな鼠のような魔物から、大型の熊のような魔物もいた。
その群れの中心に近付こうとしながら戦うリアムが、最初にアイラに気付いた。
「アイラ……!!」
「えっ、アイラ!?」
「アイラ!良かったぁ…!」
リアムがアイラの名前を呼べば、デレクとカレンがすぐに反応する。
魔物を斬り伏せながら、三人はアイラを囲むように近付いて来た。
「もおぉ、どれだけ心配かければ気が済むのよ!こんな状況じゃなければ抱きついたのにぃぃ!!」
カレンが涙目で剣を振るう。
「俺だって…!言いたいこと、謝りたいことはいっぱいあるんだからな、アイラ…!」
デレクが眉を寄せながら、飛びかかってきた魔物を二体同時に斬り伏せる。
「僕も同じだよ。君が連れ去られてから、どれだけ自分を責めても足りなかった」
リアムがアイラの背後を狙っていた魔物に一太刀を浴びせ、振り返る。
「……おかえり、アイラ」
「そうね!おかえりなさいアイラ!」
「おかえり!……俺たち騎士団の元へ!」
それぞれから笑顔を向けられ、アイラは涙腺が緩んだ。
自然と込み上がる感謝の気持ちを胸に、涙を浮かべながら心からの笑顔を返す。
「―――ただいま。デレク、リアム、カレン…ありがとう、大好きよ」
アイラの言葉に、三人は目を丸くしてから、照れるように笑った。
「やだもうアイラ、ドレス姿だと笑顔の破壊力が半端ないわ。あたしも、大好きよ!」
「おおおおお俺も、だだだだだ…」
「何、デレクの足元だけ地震でも起きてるわけ?……アイラ、僕も大好きだよ」
「ちょっ、まっ…お、俺の方が大好きだからな!?」
和やかな会話をしながらも、皆しっかりと魔物の相手をしている。
そして、アイラを護るように皆が取り囲んでくれているので、先ほどからアイラはその中心を動かずに済んでいた。
「……みんな、私は大丈夫だから。一緒に、戦わせて」
アイラは笑いながら、その囲いから抜け出すと、四人の輪ができる。
剣を構えれば、やる気と勇気がみなぎった。
「遠目から見ていて、魔物がどんどん湧き出てくるようだったけど…どこかに発生源があるのかしら?」
「そうみたいね。気付いたらここにいて、何だか黒い炎を操る男が攻撃してくるし、いきなり魔物が現れるしで…困ったわね、っと!」
飛びかかってきた魔犬を、カレンがひらりと躱しながら剣で薙ぐ。そこを狙ってきた別の魔犬を、アイラは素早く斬り伏せた。
「……夜会の会場でも魔物が出たんだけど、たぶん似たような原理だと思うんだよね」
リアムが剣を振るいながら言った言葉に、アイラは目を丸くする。
「魔物が出たの?」
「ドラゴンみたいな魔物が三体ね。全部エルヴィス団長が倒したけど」
少しだけ悔しそうに言いながら、リアムが続ける。
「その前に、会場の扉付近に何か細工をしているようだった。その何かが赤く光って、直後に魔物が現れたんだよね」
「魔物の好物とかじゃねぇの?」
「食べ物は光らないでしょ。デレクはバカなの?あ、バカか」
「なあぁぁ!?」
「……でも、似たような感じかもしれないわ。魔物を呼び寄せる匂いとか…」
「そうだとしても、今は呼び寄せられてる感じじゃないね」
「分かったわ!こう…魔物がポコポコ出てくる穴みたいなのがあるんじゃないかしら?」
「………」
「待ってリアムくん、デレクを見るような目であたしまで見ないでー!」
デレクが「ひどくない!?」と叫びながら魔物を倒す様子を横目で捉えながら、アイラは魔物が湧く場所を探していた。
魔物の存在自体が、ここ数年では珍しいはずだった。
それなのに次から次へと現れるということは、魔物の巣にでも直接繋がっているのか、幻術なのか、闇の力が関係しているのか。
「……もういっそのこと、中心に飛び込んで一気に蹴散らせば早いかしら?」
「本当、勇ましいご令嬢だね。でもその案はやめてね」
呆れたようにリアムに言われ、アイラは苦笑した。けれど、何かしなければこの戦いは永遠に終わらない。
サイラスと戦っているエルヴィスたちの状況も気になった。
少し視線をずらせば、思いもよらない人物が近付いて来るのが目に入り、アイラは駆け出していた。
「ごめんね、少し抜けるわ!」
「ちょ、アイラ!?」
デレクの焦ったような声が届く。アイラは追ってくる魔物の相手をしながら口を開いた。
「……ネイトさま!どうしたのですか!?体はまだ…っ」
「俺の心配をしている場合か。どけ、歪みを閉じてやる」
「歪み?」
ネイトは襲いかかる魔物を闇の力で退けながら、魔物が密集する場所へ近づいていく。
「……数が多いな。サイラスめ、一体どれだけの魔物を…」
「ネイトさま、私にできることは?」
そう問い掛けたアイラを一瞥すると、ネイトは少し言いづらそうに視線を逸らす。
「……あの魔物たちが集まる中心の床に、小さな歪みがあるはずだ。それさえ見えれば…」
「分かりました。やはり、私の案で大丈夫ということですね」
「………案?」
怪訝そうな顔をしたネイトを置いて、アイラは一気に駆け出した。そして、すうっと息を吸い込むと、大声を出す。
「リアム、さっきの案をやるわ!デレク、カレン!援護をお願い!」
返事は聞かずに、アイラはそのまま床を蹴って高く飛び、魔物の集まる中心へと着地した。
補助魔術で強化した剣を軽々と振るい、片っ端から薙ぎ倒していく。
すぐに三人が同じように飛び込んで来ては、怒涛の早さで剣を振るった。
「本当、無茶をするね!勝算は!?」
リアムが険しい顔をしながらも、アイラを庇いながら戦ってくれている。デレクとカレンも同じだ。
アイラはふふっと微笑んだ。
「勝算は、今見えたわ」
アイラを含めた四人が、ほぼ同時に剣を振るったとき、ネイトが言う“歪み”が見えたのだ。
「ネイトさま!―――ここです!」
歪みのすぐ近くまで移動したアイラは、分かりやすいように剣を頭上へ掲げた。
少し離れたところに立っていたネイトが、僅かに笑ったように見えた。
「……さすがだな、アイラ・タルコット」
ネイトのその呟きは、アイラの耳には届かなかった。代わりに、魔物たちの悲鳴に似た声が響き渡る。
ネイトが開いた手のひらから、闇の力が黒い炎となって広がり、魔物たちの体を包んだ。
そのまま物凄い勢いで、歪みの元へと魔物たちを押し込んでいく。
アイラたちは、その光景を唖然として見ていた。
あっという間に全ての魔物の姿が消え、歪みが黒い炎と共に崩れ去った。
「……俺たち今、滅多に見れないものを見たよな?」
「……そうね。普通に生きてたら間違いなく見れなかったわね」
デレクとカレンが、歪みがあった場所をまじまじと見つめている。リアムはアイラのドレスの裾を引っ張った。
「……ねえ、あの人は協力してくれたみたいだけど、味方ではないよね?」
「ええと…ややこしいけれど、昔は敵だったわ。でも、ついさっきたぶん味方に…」
ちら、とネイトへ視線を移したアイラは、息を呑む。ネイトはその場でしゃがみ込み、胸元を押さえていた。
慌てて駆け寄ったアイラに、ネイトは片手を挙げた。
「気…に、するな。禁術を使うほど、体に負担が…かかるだけだ」
よほど息苦しいのか、荒い呼吸を繰り返しながら、ネイトがスッと人差し指を向ける。
その先には、エルヴィスたちと戦うサイラスの姿があった。
「……お前に、こんなことを頼むのは間違っていると分かる。でも…頼む。サイラスを…弟を、止めてやってくれ。罪はちゃんと、あとで償うと約束する」
その揺れる瞳を見つめ返しながら、アイラは小さく頷いた。
「私は、今日で全てを終わらせるつもりでいますから」
そう言って微笑むと、アイラは立ち上がって振り返る。
デレク、リアム、カレンが真剣な顔でこちらを見ていた。
「……最後まで、一緒に戦ってくれる?」
剣を握り締めながら問い掛けると、返事の代わりに三人は剣を掲げてくれた。
アイラは笑顔を返すと、最後の戦いの場所へと駆け出した。
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