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57.戦いの始まり②
しおりを挟むフィンは、バージルの元へと向かう馬車の中で、談笑をしていた。
相手はタルコット男爵家の令嬢で、騎士団の部下であるアイラだ。
アイラの今夜の姿は、たくさんの綺麗な女性を見慣れているフィンでさえも、思わず目を奪われる美しさだった。
色白な肌を際立たせる、鮮やかな赤いドレスはとても良く似合っている。
ドレス選びのときに護衛についていたギルバルトから「動きやすさ重視で選んでましたよ~」と報告を受けていたが、華美な装飾の少ないドレスだからこそ、アイラの素材そのものが光って見えた。
外は寒いため、華奢な肩には白い毛皮の上着が掛かっている。到着したらすぐ脱げるように、前のボタンは留められていない。
そのため、つい大胆に開いた胸元に視線が向いてしまった。
邪な考えを振り払うように、フィンは視線を胸元から逸らす。
「……もうすぐ着くけど、基本は俺から離れないでね」
「はい、もちろんです」
アイラがふわりと微笑んだ。いつもより着飾っているため、その笑顔の輝きが増す。
「困ったな。他の団員たちに見せたらヤバそう」
「?何がヤバいのですか?」
相変わらず、自分の容姿に無頓着なアイラにため息を吐いた。
フィンは以前の夜会でもアイラのドレス姿を見ているので、少しは耐性がついているが、他の団員たちは違う。
普段は団服に身を包むアイラしか見ていないのだ。
こんなに着飾ったドレス姿を見れば、惚れる男の一人や二人、普通に現れるだろう。
デレクなんかは卒倒するかもしれない…とフィンは思った。
今回の夜会では、第一騎士団のほぼ全員が警備の任務へと就いている。
皆の強い要望もあり、フィンからエルヴィスへ願い出ていた。
見慣れた顔が多いほうが、アイラも安心するだろうと、許可は簡単に出た。
他にも、第二・第三騎士団の団員も何名か借りてきている。アイラと仲の良いカレンも、うるさく立候補するので含まれていた。
「ところでフィンさま、剣を下げたまま会場へ入れるのですか?」
そう言って、アイラがフィンの腰にある剣に目を向ける。
「ああ、俺はバージルから特別に許可が出てるから。夜会の参加者に指摘されたら、会場の警備も兼ねて参加してるって答えるつもりだし」
「そうですか。……やはり私は、堂々と剣を持ち歩くことは難しそうですね」
真剣な顔でアイラが言った言葉に、フィンは思わず笑った。
「そりゃそうでしょ。どこにドレス姿で剣をぶら下げた令嬢がいるの?そんな令嬢がいたら、好みだけどね」
自分自身の言葉に、フィンはどこか引っ掛かった。そんな姿になろうとしているアイラは、もしかして自分の好みなのだろうか、と。
小さな疑問を抱えながら、フィンは訊ねた。
「……あー…、それで、剣はどうしたの?」
「お兄さまに預けてきました。会場に入る前に、デレクかリアムに渡してもらえたらと思いまして。私は、護身用に短剣をここに」
そう答えながら、アイラがドレスの裾を大胆に捲る。
あらわになった太腿に、フィンはひゅっと息を呑んだ。
「なっ…にを、やってんのアイラ!」
「えっ」
フィンが慌てて裾を掴んで直せば、アイラがポカンと口を開けている。
「……仕込んだ短剣を、お見せしようかと…」
「違う違う、君は自分の太腿をさらけ出しただけだから。俺の目には短剣なんて入らなかったから!」
どうしてこんな説明をしながら、顔を赤くしなければならないのか。フィンはアイラのあまりの無防備さにイライラした。
そんなアイラは、ようやく自分がしたことに気付いたようで、カッと顔を赤くする。
「わ、私はそんなつもりは…!す、すみませんでした…」
「……本当にね、もう二度としないでね。俺だから良かったものの、他の男だったら誘われてると思われて、襲われても仕方ないから」
フィンは額に手を当てて、深い溜め息を吐き出した。
―――これは、本当に俺って男として認識されてないんじゃないか?
師匠?上司?前には兄みたいだって言われたし、家族枠?
考えれば考えるほど、アイラの眼中にないことが面白くなかった。
フィンは席を立つと、アイラの隣に座り直す。
「……フィンさま?」
まだ顔を赤くしたままのアイラが、隣に移動したフィンを見る。
その穢れの知らないような無垢な表情を、めちゃくちゃにしてやりたいと思ったフィンは、そんな自分の感情に驚いた。
「……は、」
口から乾いた笑い声が漏れ、フィンは瑠璃色の瞳から逃れるように俯いた。
アイラの声が、またフィンの名前を呼ぶ。心配が感じられる声音を、フィンは俯いたまま笑って聞いていた。
―――ああ、なんだ。そういうこと。
顔を上げたフィンは、アイラの腕を掴んで抱き寄せた。
細いながらも、女性らしい柔らかさがちゃんとある。蜂蜜色の髪を掻き上げ、露わになった首筋にフィンは唇を寄せた。
アイラの肩が跳ね、同時にドンッと胸を押される。
見るからに顔を真っ赤にしたアイラは、唇を震わせていた。
「~~~なっ、ななな何をするんですか…!」
「何って、恋人らしいことだけど」
フィンはけろりと答える。
「言ったよね?この前は恋人らしいことできなかったから、頑張るって」
「い、今は私たちだけではないですか…!」
「ん?それは二人きりだから、もっと刺激的なことをお望みってこと?」
「ちちち、違いますっ!もう!からかわないでくださいっ!」
瞳を潤ませて否定するアイラだが、その姿が男を煽るとは思ってもいないのだろう。
もう少し手を出したい気持ちになるが、これ以上は今までの信用を失ってしまうと判断したフィンは、頭をアイラの肩に預けるだけに留めた。
「………っ!?」
「うわ、ふわっふわの上着だな。気持ち良い」
ちらりと視線を持ち上げれば、アイラが混乱したようにフィンを見ているのが分かった。
「……ねえ、他の男を頼りになんかしないでよ」
「え……」
「アイラが一番頼りにするのは、俺であって欲しい」
それはまるで、独占欲のような我儘だ。
そこに居るだけで女性が寄ってくる人生を送っていたフィンは、初めて一人に執着していることに気付いたのだ。
じっと見つめていると、アイラがふっと笑った。
てっきりまた赤面すると思っていたフィンは、その反応に驚いて体を起こす。そして。
「分かりました。私の大切な剣は、フィンさまに預かってもらうことにします」
「…………はっ?」
見当違いな返答に、フィンは思わず間抜けな声を出した。
アイラが微笑みながら続ける。
「私が、剣をお兄さまに預けたのが不満だったのですよね?確かに、フィンさまに預けた方が何かあったときすぐ受け取れますしね」
「………」
「あっ、でも二本も剣を下げてたら、それこそ怪しいですよね?……フィンさま?」
フィンはその場でうなだれ、頭を抱えた。
「……なにこれ、どういうこと?俺にしては結構勇気出して言ったのに、とんでもない受け止められ方してるのは何の嫌がらせ?」
「ええと…?」
「ああもう、それがアイラだよ。分かってる分かってる、分かってたけども!」
がばっと顔を上げると、隣でアイラが驚いた表情を浮かべていた。フィンはその頬を片手でぐにっとつまむ。
「……これだけは言っておく。俺、今まで誰か一人に本気になったことないから。本気になったら、どうなるか分からないから」
「………ひゃい…」
パチパチと瞬きを繰り返し、頬をつままれたままアイラが頷いた。
それを見て、やっぱり意味が分かってないなとフィンは呆れる。
「はあ…どうしてこんなことに…」
「??」
「ま、いいや。夜会ではもっとすごいことするから、覚悟しといてね」
「……!?」
頬から手を離すと、目を見開いたアイラが口をぱくぱくとさせている。
おそらく、もっとすごいこととは何か、訊きたくても訊けないのだろう。
ーー―ああ、可愛いな。これは思ったよりも重症みたいだ…俺が。
フィンは苦笑しながら、再びアイラの肩に頭を預けた。
***
アイラとフィンを乗せた馬車は、夜会開始時刻の三十分ほど前に到着した。
ウェルバー侯爵邸の門の入口付近は、すでに大勢の人で賑わっている。
「はい、お手をどうぞ、お姫さま」
「………」
フィンが差し出してくれた手を、アイラは無言で握った。じろりと睨むことも忘れない。
なぜならば、馬車の中で散々からかわれたからだ。
いきなり抱き寄せられ、首筋にキスをされたり、肩に寄りかかってきたり。
何故か今まで好意を寄せた男性の話を振られたりもした。
さらに、馬車が到着したとき、アイラの上着をフィンが脱がした。そして立ち上がる際、長い指先がアイラの肩をなぞっていった。
びくっと反応したアイラを、フィンは悪魔の笑みで見ていたのだ。
よって、アイラの中でフィンという存在は“師匠であり頼れる上司”であったが、そこに“なんだか危険”が追加された。
眉間にシワを寄せたままのアイラの手を引き、フィンが耳元に口を寄せる。
「……アイラ、注目されてるから。恋人のフリ、恋人のフリ」
ぼそっと小さくそう呟かれ、アイラは素早く周囲に視線を巡らせた。
確かに、馬車から次々と降りてくる令嬢や、近くを歩く令息、その親と見られる人物…様々な方向から視線が向けられていることが分かる。
アイラは一息吐いてから、無理やり笑顔を作って馬車から降りた。
フィンの腕に抱きつくように手を伸ばし、こてんと頭を寄せる。
すると、周囲がざわめいた。
「見ました?今の…」
「やはりあの噂は本当ですのね」
「ウェルバー侯爵とも仲がよろしいのでしょう?」
「今後の為にも、接点を作った方が…」
アイラは自分がとった行動が恥ずかしすぎて、顔から火が出そうだったが、効果は抜群だったようだ。
隣のフィンも、上機嫌で鼻歌を歌いだしている。
玄関口へ辿り着くまでに、大勢の貴族たちに声を掛けられた。
皆がアイラに取り入ろうとしていて、怖いくらいだった。その中には、前の夜会で嘲笑ってきた令嬢もいた。
「まあ、バージルさまではなく、フィンさまと恋仲でしたのね!次期騎士団長へとの期待が高いお方を選ぶなんて、貴女もなかなかの目利きだわ」
「………」
「次期騎士団長だなんて、恐れ多いですよ。私はまだまだ実力不足です」
令嬢の言葉にアイラが反応できずにいると、すかさずフィンが庇うように前に出てくれた。
フィンがきらきらと笑顔を振りまけば、令嬢の頬が赤く染まる。
アイラはホッとした。危うく令嬢に突っかかってしまうところだった。
―――次期騎士団長、だなんて…。まるで、エルヴィス団長が早くその座を引き渡せばいいのに、と思っているかのような言い方だわ。
エルヴィスは、アイラにとって絶対的な存在だ。エルヴィスが団長でない姿など、想像もできなかった。
騎士団の団員たちには恐れられてはいるが、尊敬もされている。
副団長三人には慕われているようだし、国王からの信頼も厚いと誰かから聞いた。
だが、その一方で、貴族からはあまりよく思われていないということを、リアムから以前教えてもらっていた。
孤児院の出身だからという、そんなバカげた理由だった。
その話を聞いたとき、アイラはとても悔しかったのを覚えている。
「……アイラ」
名前を呼ばれ、アイラはハッと我に返る。フィンが少し困った表情をしていた。
「そんなに強く腕を抱きしめなくても平気だよ」
「……しっ、失礼しました」
知らずのうちに、腕に力が入っていたらしい。アイラは慌てて少し体を離す。
「いや、俺は全然構わないんだけどね?」
ニヤリと笑ったフィンはきっと、アイラの強張った体をほぐそうとしてくれたのだろう。
やはり優しいな、と思いながら、アイラふわりと微笑む。
「……もう、冗談はやめてくださいね」
「………ここでその笑顔?反則でしょ…」
なにやらフィンが口元に手を当て、ぼそっと言ったが、アイラの耳にはよく聞こえなかった。
そのあとも近寄ってくる人波を笑顔で対応し、やっと邸宅の玄関口へと辿り着く。
入口に立っている衛兵に名前を告げると、会場へ案内してくれる使用人がつくようだった。
しかし、アイラとフィンの元へ来たのは、どうみても使用人ではなく、衛兵のような服を着ていた。
さらに、アイラはその青年に見覚えがあった。
「あら?貴方は…」
「お待ちしておりました、アイラさま、フィンさま。ご案内を務めさせていただきますので、よろしくお願いしますね」
にこりと人懐こい笑みを浮かべたのは、以前城でバージルに会ったとき、隣にいた青年だった。
武術大会で操られ、捕らえられており、バージルが直々に迎えに来ていた。
「ああ、君か。アイラ、バージルの護衛のコリーだよ」
フィンは顔見知りなのか、そう言ってアイラに紹介してくれる。コリーはぺこりと頭を下げた。
「僕も、事情を知る一人ですので。護衛はお任せください」
「……ありがとうございます。よろしくお願いします」
おそらく、案内役として護衛をつけてくれたのは、バージルの計らいだろう。何から何までお世話になってしまっている。
コリーのあとに続いて歩き出しながら、アイラはこっそりとフィンに訊ねた。
「フィンさま、バージルさまの好きなものは何でしょう?」
「ん?なに、浮気?」
「………フィンさま…」
じとっとした視線を送ると、フィンが笑う。
「あはは、アイラがそういう目で睨むのって、俺くらいだよね」
「……フィンさまが、笑えない冗談ばかり言うからでしょう」
「いいね。その目が俺だけのものになるなら、冗談を言い続けよう」
「………」
何だか最近のフィンはおかしいなと思いながら、アイラはまた冷ややかな視線を送る。
廊下を歩いていると、すぐに遠目からでも会場が分かった。大きな扉が、人の出入りが多いためか開け放たれていたからだ。
「会場はこちらです。時間がまだありますので、ご歓談をお楽しみください。僕は一度、バージルさまにお二人が到着されたことを伝えてまいります」
「あ…バージルさまに、よろしくお伝えください」
アイラがそう言うと、コリーは笑って背を向けた。
その姿を見送ってから、よし、と意気込んで会場の扉を見据える。
「ではフィンさま。向かいましょう」
「そんな気合い入れなくても。大丈夫だよ、皆がアイラを護ってくれるんだから。……ほら、手始めにあそこに」
扉に近付くと、ひらひらと手を振る騎士の姿が目に入った。ギルバルトだ。
一応立場をわきまえているのか、声を掛けてくることはせず、ただ笑って目配せをしてくる。
アイラはふふっと笑うと、軽く手を振った。
よく周囲を見れば、第一騎士団の団員たちがところどころに配置されている。
皆、アイラを見て目を丸くしていた。
「……フィンさま、私どこか変なところがありますか?」
「いや?綺麗すぎるくらいだよ…皆、君に見惚れてるんだ」
「見惚れる…」
その単語を口にしても、アイラはしっくりとこない。けれど、見惚れてもらえるくらいの見た目になっているのなら、エルヴィスに見てもらいたかったと残念な気持ちになる。
「……何でそこで残念そうな顔するかな?まあいいや、扉をくぐるよ」
「はい」
アイラはまた知らずのうちに腕に力を込め、フィンに密着した。
フィンは身じろぎし、周囲の騎士たちがそんなフィンを羨ましそうに見ているが、アイラの視界には入らない。
何かが起こるか、何も起こらないのか。
気を抜けない夜会の会場へと、アイラは足を踏み入れて行った。
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