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43.もう一度、友達に
しおりを挟む「なに、君って団長の妹さんだったの?」
絶句しているアイラに代わって、リアムが先にトリシアに向かって問い掛けた。
「はい。トリシア・マクレイです。…と言っても、孤児なので血の繋がりはないんですけどね。兄さんはそういうこと何も言ってなさそうだけど」
トリシアの睨みつけるような視線を受けると、エルヴィスは両腕を組みながら扉に背中を預けた。
「……わざわざ、団員に言うことでもないだろ」
「そうやって孤高ぶってるから、いつまでも騎士団に友達ができないんじゃないの?」
「……友達………、トリシア、やけに冷たくないか?」
「だって、兄さんったら全然手紙くれないし。騎士団の人たちに、私のこと話してなさそうだし。それに、私と同い年くらいのこんなに可愛い子が入団したのも、教えてくれなかったじゃないっ」
ぷいっとエルヴィスから顔を背けたトリシアは、アイラに近付いてくる。
包帯を巻かれたアイラの姿を見て、心配そうに眉を下げた。
「……うるさくして、ごめんなさい。お体の具合はどうですか?」
「……あ…、ええと、ケガの処置は丁寧にしてもらいました。薬で痛みもだいぶ軽減されています」
アイラはつられて敬語になりながらも、トリシアにそう返す。
懐かしい金色の瞳に見つめられると、うっかり昔のことを口走ってしまいそうな気がした。
「その…助けていただいて、ありがとうございました」
「いえいえ、私の魔術具が役立ってよかったです。無理やりリアムさまについて行ったかいがありました!」
どん、と胸を叩くトリシアに、リアムが「本当に無理やりだったよね」とこぼす。
正義感の強いトリシアが、リアムの腕を掴んで離さない様子が簡単に浮かび、アイラはくすっと笑う。
すると、笑ったアイラを見てトリシアが顔を輝かせた。
「わあ、笑った!私の思った通り、笑顔が素敵な方だわ!」
「―――…」
アイラは、前にもトリシアに同じような言葉を言われたことがあった。
魔術学校に入って間もない頃、周囲の期待に答えようと、がむしゃらに魔術を磨いていた。
そんなアイラはある日、授業でトリシアとペアを組んだ。
まだ魔術コントロールが上手くないトリシアの水魔術が、アイラの頭に直撃し、びしょ濡れになった。
その瞬間、トリシアは顔面蒼白になっていたことを覚えている。
『……ご、ごめんなさい!私、わざとじゃ…!』
『………ふふっ』
『えっ?』
『ずっと張っていた気が抜けたわ。すごく楽になった……ありがとう』
びしょ濡れでくすくすと笑い出したアイラを、トリシアは口を開けて見ていた。そして一緒に笑いだす。
『アイラさんの笑顔、初めて見ました。いつもずっと真剣な顔だったから。……えへへ、思った通り、笑顔がとても素敵です』
『……敬語は要らないわ。それと、アイラと呼んでほしいの…トリシア』
『……!うん、アイラ!』
それが、二人が仲良くなるきっかけの出来事だった。
それからはいつも一緒で、トリシアは常にアイラの味方でいてくれたのだ。
「……え?」
「ちょっとアイラ、大丈夫?」
トリシアは目を見張り、リアムにはそう問われる。アイラは頬を伝う温かい涙に気付いていた。
ここで泣くのは、誰がどうみてもおかしいと、アイラには分かっている。
分かっているが、この涙は止められるはずもなかった。
「………っ」
「どうしました?……傷が痛みますか?」
アイラは首を横に振る。トリシアが困ったようにエルヴィスを振り返っていた。
―――あのときと変わらないトリシアに、また会えてとても嬉しい。
嬉しいのに…私のことを覚えていないことが、同じくらい悲しいなんて…。
「……アイラ」
エルヴィスが優しい声音でアイラを呼ぶ。歪んだ視界の中で、憂いを帯びた紅蓮の瞳が映った。
「……同年代の女性同士で、何か悩みがあるなら話してみるといい。トリシアは驚くほど楽観主義だから、気持ちが軽くなるかもしれない」
「……兄さん。それは褒めてるの?」
「さあな。リアム、フィンの手伝いに行くぞ」
「はい。……アイラ、またあとでね」
リアムが優しく口元に笑みを浮かべ、エルヴィスと共に部屋を出て行った。
「もう、兄さんたら!……アイラさん、兄さんっていつもあんな感じですか?」
「…………あんな、感じ?」
「そうです!高みの見物というか、一歩引いてるっていうか……格好つけてるっていうか!」
トリシアは、アイラを元気づけようとしてくれているようで、涙の理由は聞かずに明るく話し続けている。
それがトリシアらしく、アイラは涙を流しながら微笑んだ。
「……エルヴィス団長は、皆から頼りにされているし、とても格好いいわ」
「それは…アイラさんの前だけな気がします」
「え?」
「だって私、兄さんがあんな優しい声と顔してるところ見たことないですし、きっとアイラさんのこと…って、兄さんに叱られそう!ごめん、今のなし!」
トリシアは慌てて両手をパンと叩いてから、何かに気付いたようで顔を青くした。
「あ……嫌だ、私ってば敬語……」
「……いいの。敬語は使わないで」
「でも、男爵家のご令嬢だって聞きました。私は孤児院出身ですし…」
「身分なんて、関係ないわ。理由が必要なら…そうね、私は騎士だから」
アイラはそう言って、涙に濡れた瞳でトリシアを見る。
「アイラと呼んでほしいの。……お願い、トリシア」
こんなことで願いを口にするなんて、トリシアは驚いたことだろう。
けれど優しいトリシアは、楽しそうに笑ってくれた。
「うん。分かったわ……アイラ!」
それはアイラとトリシアが、再び友人となった瞬間だった。
◇◇◇
「……呆れた。まだいたの?」
暫くして医務室へ戻って来たリアムは、トリシアを見るなりそう言った。
「聞いた?アイラ。リアムさまったらひどいわ」
「そうよリアム。トリシアの話はとても面白いんだから。まだまだ話せるわよ?」
「……随分と打ち解けたようだね」
リアムは面倒くさそうにそう返してきた。
対して、アイラは先ほど泣いていたのが嘘のように、きらきらと表情を輝かせている。
今のトリシアを知ることができて、嬉しかったのだ。
トリシアは現在、魔術学校に在籍しているらしい。
その傍らで、実習生として週に何度か魔術具開発局に通っているとのことだった。
トリシアの魔術具開発の腕が突出していることを、アイラは知っている。
エルヴィスがトリシアの腕を売り込み、特別待遇で迎え入れてもらえたようだ。
笑顔でトリシアを迎え入れてくれたのが、局長のスタンリーだったため、今回の事件の結末はトリシアには受け入れ難そうだった。
それでもアイラは、トリシアが魔術具開発の夢に向かって歩んでいることが嬉しかった。
そして初めて知った、エルヴィスとの関係。
血は繋がっていないが、同じ孤児院で育ったということ。
トリシアが孤児院で育ち、途中から平民の家に引き取られたことは知っていた。
そして、兄が一人いると言うことも。
それがまさか、エルヴィスだとは思ってもいなかったが。
アイラにとっては衝撃的な事実だったが、納得した部分もあった。
エルヴィスが使っていた、魔術具の数々。
人を気絶させるものや、髪や瞳の色を変えるもの。それはきっと、トリシアが開発したものなのだ。
それが分かり、アイラは謎が解けた気になってスッキリとした。
エルヴィスとトリシアの関係が、兄妹のようなものだと分かって、安心もしていた。
「アイラ、残念だと思うけど、そろそろ帰るよ」
リアムがそう言うと、トリシアが眉を寄せてアイラをちらりと見た。
「アイラはケガしてるんですよ?魔術具で帰るとしても、体への負担が心配です」
「責任持って俺たちが連れて帰るから心配しないで、トリシア嬢」
扉から入って来たのはフィンだった。相変わらずのきらきらとした容姿に、トリシアが眩しそうに目を細めている。
そういえば、トリシアは王子さまのような男性が好きだったな、とアイラは思った。アイラの兄のクライドのことも、格好良いと頬を染めて言っていた。
「それにしても、団長にこんな可愛い妹さんがいるなんてね」
「……あ、あまり見ないでください…」
「お。久しぶりのこの反応。いいねぇ初心だねぇ。アイラは初めて俺を見たとき、頬染めてくれなかったからなー」
フィンがニヤニヤとアイラを見る。すると、その肩に後ろからポンと手が置かれた。
「……こうなるから、お前には話さなかったんだ。人の妹を誘惑するのはやめてくれ」
「嫌だな団長、俺はいつだって女性を誘惑なんてしていませんよ?女性が自然と寄ってくるんです」
「それは多方向に敵を作る発言だな?」
エルヴィスは呆れた顔をフィンに向けると、アイラの方へ近付いてくる。
どこか疲れたような表情は、何故か色気を増していた。
「……アイラ、気分はどうだ?」
「はい、元気です。トリシアにたくさん元気をもらいました」
アイラが笑って答えると、トリシアが感動したように口元を両手で覆う。
「やだ、天使の微笑み…!兄さん、アイラは一晩ここに泊まっていったらどう?私がずっとついてるけど」
「悪いが、どこかの誰かに狙われているアイラを置いてはいけない。一番安心なのは城の敷地内の、騎士が大勢集まる宿舎だ」
「ね、狙われて…?」
「エルヴィス団長!トリシアには…っ」
アイラは慌ててエルヴィスを止めようとしたが、それよりもトリシアの反応が早かった。
「兄さん、どういうこと?アイラは誰かに狙われてるの?」
「そうだ。今回の事件もアイラが狙われた。そして、魔術具開発局とオドネル伯爵家の協力を得ることに成功した」
「……そういうことなのね」
トリシアは一度視線を落とすと、すぐに意志の宿る瞳をアイラへ向けた。
「アイラ。私も貴女の味方になるわ。待ってて、アイラを守る魔術具を、たくさん開発してみせるから!」
「トリシア…」
アイラはじん、と胸が温かくなった。本当に、トリシアは変わらない。
ならば、とアイラはトリシアの手をそっと握った。
「ありがとう、トリシア。私も、強い騎士になると約束するわ」
「アイラ…」
「だから、その…また、会ってくれる?」
そう問いかければ、トリシアが目を丸くしたあと、嬉しそうに笑う。
「もちろん!……ああ、フィン副団長も素敵だけど、私はアイラを推すわ。私が男だったら絶対にアイラのこと好きになるわね!」
「あ、ありがとう?」
「うわー、俺はアイラに負けましたよ団長」
「そうだな」
「……早く帰るんじゃないんですか?」
いつものように、逸れ始めた話をリアムが戻す。アイラはぐっと体を起こそうとした。
「帰る前に私、リアムのお兄さま方と伯爵夫妻にご挨拶を…」
「そんなのいいから。そのうちまた会えるでしょ。アイラに協力するんだから」
リアムに片手で制され、アイラはしぶしぶと頷く。
最後の会話が婚約の話で、しかも途中から意識が飛んでいたなんて、協力してもらえる相手にだいぶ失礼だったのではないだろうか。
アイラはあとで、手紙と贈り物を用意しようと決めた。
「では、帰るか」
「へっ!?」
考え事の最中にひょいっと抱きかかえられ、アイラは咄嗟にエルヴィスの首元に腕を回す。
それにはエルヴィスも驚いたようで、体が強張ったのが分かった。
「……転移だと負担がかかるから、馬車を手配した。そこまで、この体勢で我慢してくれ」
「…………はい」
エルヴィスの肩越しに、フィン、リアム、トリシアとそれぞれ目が合う。
フィンは楽しそうにニマニマと唇の端を持ち上げ、リアムは気を遣うように視線を逸らした。
トリシアは顔を輝かせ、何故かぐっと拳を握っている。
エルヴィスに抱えられながら馬車まで辿り着くまで、アイラはずっと顔を真っ赤にしていた。
◇◇◇
帰りの馬車は、行きと同じくリアムと一緒だった。
エルヴィスとフィンは、それぞれ馬に乗って周囲を守ってくれている。とても心強かった。
行きのときと違うのは、リアムの顔がどこか晴れ晴れとしていることだ。
それはきっと、両親や兄たちと、きちんと話す時間が取れたからだろう。
だいぶ不器用に思えた兄たちの優しさは、リアムに届いたのだ。
にこにこと微笑んでいるアイラに、リアムは窓の外から視線を移す。
「……何でさっきからずっと嬉しそうなわけ?」
「ふふ、リアムとお兄さま方が仲良くなれたみたいで、安心したの」
「それはどうも。仲が良いとはまだ言えないけどね」
「そうなの?」
「だって、十年近くまともに会話してなかったんだよ?いきなり仲良くなれる?」
アイラが思っていたよりも、兄弟の溝は深かったようだ。少し考えながらも、アイラは頷く。
「リアムなら大丈夫よ。もし気が向いたら、その…過去の話もしてね。誰かに話すことで、気持ちが軽くなるかもしれないわ」
そう言うと、リアムが眉を寄せてじっとアイラを見た。
「どうしたの?」
「……その言葉、そっくりそのまま君に返したいんだけど」
カタカタと、馬車が小刻みに揺れる。リアムは真剣な顔をしていた。
「医務室で、団長の妹が急に入ってくる前に訊きたかったこと、今訊くよ」
「……なに?」
「……君は、何か隠してることがあるよね?」
アイラは、何も答えられなかった。
嘘をつくことも、誤魔化すこともできない。
リアムの瞳をじっと見つめ返し、困ったように笑うことしかできなかった。
そのアイラの反応を、リアムは肯定と捉えたようだ。
「……ずっと不思議に思ってたから。会話の中での君の反応が、どこか不自然なところがあるなって」
「………」
「ちなみに、それを話す気はないでしょ?」
まぁ別にいいんだけどね、とリアムは続ける。
「君が、これ以上傷つくくらいなら話さなくていいよ。でも、ただでさえ命を狙われてるって分かったんだから、不安を溜め込むよりは僕たちに吐き出してよね」
「……僕たち?」
「僕と、デレクだよ。第一騎士団で君と一番仲が良いのは、僕とデレクでしょ?」
当然のように、リアムがそう言った。アイラはリアムがそう思ってくれていることが、たまらなく嬉しかった。
それと同時に、ふわりと心が軽くなる。
誰にも話せないと、自分ひとりで背負い込もうとしていたこの事実を―――誰かに話しても、いいのかもしれないと。
リアムとデレクなら、真剣に受け止めてくれるかもしれない、と。
「……ありがとう、リアム」
「別に、お礼を言われることじゃないよ。僕たちは友達なんでしょ」
「ええ、大切な友達よ。……帰ったら、デレクと一緒に、私の話を聞いてくれる?」
アイラの言葉は、リアムには予想外だったようだ。
目を丸くして暫く固まったあと、少しだけ嬉しそうに微笑んでくれた。
城へ到着すると、馬車の扉をフィンが開けてくれた。
少しよろけながらも、アイラはエスコートを受けて馬車から降りる。
エルヴィスが馬から降りながら、アイラに言葉を掛けようとしたときだった。
「アイ―――…」
「エルヴィス団長!!」
バタバタと、誰かがエルヴィスの名前を叫びながら駆け寄って来た。
第三騎士団の副団長のセルジュだった。
長く伸びた前髪の隙間から、真っ青な表情が見える。
エルヴィスとフィンが、サッと顔色を変えた。アイラも何かあったのかと、リアムと顔を見合わせる。
セルジュは再び、普段とは違う大きな声で叫んだ。
「……エルヴィス団長!そちらから連行された魔術師がっ…、地下牢で自害しました!」
その不吉な報せに、アイラの背中を嫌な汗が伝った。
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