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16.先輩騎士たち

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 その美女は、ゆったりと流れる動作で髪を結わえていた。


 紫色の艶のある髪は濡れていて、細い首筋を水滴が滑り落ちる。
 白いシャツのボタンの上半分がはだけており、豊かな胸が惜しげもなくさらされていた。

 アイラは慌てて背後で扉をバタン!と閉める。


 その音に気づいたのか、桃色の可愛らしい瞳がアイラへと向けられた。


「……うん?」

「………あ、あの…」

「ああー!あなたが新人の子ね!」


 ぱあっと顔を輝かせた美女は、アイラに近付くと両手を握った。あまりの眩しさにアイラは目を細める。


「あたし、カレン・ウォード!第二騎士団の所属なの。よろしくね」

「あ、アイラ・タルコットです。よろしくお願いします」


 カレンは手を握ったままブンブンと振ると、じいっと食い入るようにアイラを見つめた。


「わぁ~、噂通り天使みたいに可愛いわ。それで実力もあるんでしょ?あたしも第一騎士団で一緒に訓練したーい!あ、アイラって呼んでもいい?」


 楽しそうにカレンが話し、圧倒されたアイラはかろうじて「は、はい」と返事をする。
 甘い花の香りが鼻をくすぐり、カレンの色気には同性のアイラでもくらくらした。


「あたしね、今さっき任務から帰ってきたの。仲間にアイラの話を聞いて、早く会いたいなって思いながら湯浴みを…って、アイラはどうしてここに?まだ仕事中よね?」


 こてん、と首を傾げるカレンの動きは、計算されているかのように美しかった。緊張しながらアイラが口を開く。


「あの…今頃、エルヴィス団長が第二・第三騎士団に説明をしていると思うのですが、さきほど任務中に魔犬の群れと遭遇しまして…」

「魔犬!?そうなの!?」

「はい。それで…私は戦ったので返り血を…」

「戦った!?返り血!?あらやだ本当、早く湯浴みをしてらっしゃい!」


 サッと顔色を変えたカレンが、ぐいぐいとアイラの背を押し、湯浴みの部屋へと連れて行く。


「タオルは用意しておくからね!」

「あ、ありがとうございます」


 とりあえず、アイラは素早く湯浴みをすることにした。宿舎の中で、湯浴みができる個室がある部屋はここだけだ。

 女性騎士への心遣いで、この部屋ができたと聞いた。男性騎士は、宿舎の一画に大きな大浴場があり、そこで体を綺麗にする。


 湯浴みから上がると、着替えとタオルが用意されていた。カレンが持ってきてくれたようだ。
 アイラは着替えると、髪をタオルで拭きながら部屋に戻る。


「カレンさん、着替えとタオルをありがとうございました」

「やだ、さん付けなんてしなくていいわよ!数少ない女騎士同士なんだから、仲良くしましょ?歳はあたしの方が上だろうけど、敬語もナシねっ」


 パチンと片目を閉じたカレンは、自身の隣に座るようにポンポンとソファを叩く。


「良ければ、お話しない?入団試験の話とか聞きたいわ。さっきの魔犬の話もね」

「はい…あ、う、うん」

「やだ可愛い。本当に天使!」


 遠慮がちに隣に座ると、カレンにがばっと抱きしめられた。その柔らかい温もりに、アイラは魔術学校のときの大切な友人の姿を思い出す。


 そこからは、カレンの怒涛の質問が始まった。
 アイラは一つ一つ丁寧に答え、同時に疑問に思ったことは質問しながら、情報を整理する。

 あっという間に夕方になり、アイラはだいぶカレンと打ち解けて話せるようになっていた。
 底抜けに明るいカレンと話していると、その元気を分け与えて貰えている気になるから不思議だった。


「あらやだ。もうこんな時間?ジスラン副団長のところに行かなきゃ」


 カレンがハッとしたように立ち上がり、バタバタと動き出した。シャツの上から団服を羽織り、アイラを見る。


「アイラ、夕飯はどうするの?」

「うーん…誰か誘って食堂に行こうかな」

「誰かと一緒なら安心ね。規律はしっかりしてるけど、アイラくらい可愛かったら不埒なこと考える男が現れてもおかしくないわ。自分の身はしっかり守るのよ」

「ふふ、私はカレンの方が心配だわ」


 自分が男なら、間違いなくカレンに恋に落ちるだろうなぁ、とアイラは考えながら、「その心配には及ばないわよー!」と朗らかに部屋を出ていくカレンに手を振った。

 アイラもゆっくりと立ち上がり、誰を食事に誘おうかと悩みながら部屋を出る。


 基本的に食事は、宿舎の食堂で食べるか、夕食に関しては城下街で食べることもできる。実際、休日前には仕事終わりに城下街で酒を飲む騎士も多い。


 ―――デレクとリアム…はどうかしら。約束はしていないし、もう食べ終わっているかも。
 フィン副団長…は気軽に誘えないし、エルヴィス団長なんてもっと無理。あとは……。


 アイラの頭に一つの考えが浮かび、自然と足はある人物を探しに動いていた。


 たまたま見かけた第一騎士団の先輩に声を掛け、アイラは目的の部屋の前まで案内してもらう。
 扉を軽く叩こうとしたところで、ちょうど部屋からその人物が出てきた。

 目の前に現れたアイラの姿に、茶色の瞳が大きく見開かれる。


「……アイラ?何故ここに?」

「こんばんは、オーティス先輩」


 にこりと微笑んだアイラは、オーティスを食事に誘ったのだった。





***


 食堂に入ると、無数の目がオーティスとアイラに注目する。


「えっ、オーティス…?」
「どうして天使と一緒に…」
「落ち着けお前ら、あれだろ、保護者の引率的なやつだろ」
「そうだよなぁ、ジスラン副団長の次に堅物なオーティスだもんなぁ」


 うるさい聞こえているぞ、とオーティスは思った。同じ年に騎士団に入った同期たちが好き勝手に話している。

 第一騎士団の見知った仲間たちからは、「あれ?アイラはフィン副団長との仲が怪しいと思ってたんだけどなー」「それなー」と普通に会話が聞こえてきた。


 そんな中、アイラは自分が噂されている声が聞こえていないのか、気にしていないのか、食堂を取り仕切るモナにおすすめの料理を尋ねていた。

 オーティスの中で、アイラの評価は“素晴らしい補助魔術の使い手であるが、どこか抜けている騎士”だった。


 二人はそれぞれ食事を選ぶと、端の席に向かい合って座る。
 周りが好奇心に満ちた目で見ているが、オーティスは無視したまま口を開いた。


「……それで、話と言うのは?」

「はい。ギルバルト先輩についてなのですが…」


 アイラの答えに、周囲がざわつく。
 オーティスに憐れみの視線を向ける者もいた。皆が何かを誤解しているようだが、オーティスはアイラに先を促した。


「ギルバルト先輩にお世話になったので、お見舞いの品は何が良いのか相談させていただきたかったのです」


 ギルバルト先輩が好きなものはご存知ですか?とアイラが続けると、途端に周囲は落胆した。色恋沙汰じゃなかったのか、と。

 そうなれば、もう二人の会話に興味は無くなったようで、ガヤガヤといつもの食事の風景が戻る。


 オーティスはそんな周りの仲間たち…特に同期の騎士たちをあとで蹴飛ばそうと思いながら、アイラの質問に答えた。


「あいつの好きなものは、女性と酒くらいしか思いつかないな」

「……それだけ聞くと、ギルバルト先輩ってひどい人みたいですね」

「実際ひどいなまくらな男だろう、あいつは」


 そう言いつつ、オーティスは知っている。
 あのふざけたように伸びる語尾も、茶化すような雰囲気も、ギルバルトという人間の本質を表すものではないということを。

 剣を持たせると、こうも変わる人間がいるのか、とオーティスを感心させた一人なのだ。


 アイラはくすくすと笑いながら、ナイフで肉を切っていた。男爵家の令嬢というだけあって、その仕草一つが様になっている。


「でも、体中傷ついていたのに、私をずっと気遣ってくれました。とても優しい人だと思います」

「それは騙されているんじゃないか?きっと、君が女性だからだ。相手が俺だったらそうはいかないと思う」

「ふふ、それは性別というより、信頼度の問題になりますね」


 想像と違うアイラの反応に、オーティスは食事の手を止める。信頼度の問題、という言葉が気になった。


「……どういうことだ?」

「私とオーティス先輩では、ギルバルト先輩と過ごした時間は天地の差がありますよね?私はまだ信用がないから、常に探るような目を向けられるし、下手に刺激しないように優しくしてくれるのです」


 それとは逆に、とアイラが続ける。


「オーティス先輩は、信頼されていますから。軽口を叩いても、許されない範囲には踏み込まないと思います。……そうですね、ギルバルト先輩のあの掴みどころのなさそうな態度は…相手との距離を測る物差しみたいな…」


 ううん、と顎に手を添えて考えているアイラの言葉が、オーティスの中にストンと落ちた。
 距離を測る物差し。なるほどな、と思った。


「君はすごいな。出会って二日であいつを分析できるとは」

「……相手の様子をうかがうことは、散々してきましたから」


 一瞬、アイラの瑠璃色の瞳が揺らいだとオーティスは感じた。
 男爵家の令嬢が騎士となるまで、きっと色々な問題があったのだろう。深く追求する気は無いが、オーティスには容易に想像できた。


「それが今、君の力になっているのなら良いんじゃないか?」

「……え?」

「実際俺は、君の言葉でギルバルトに対する認識が深まったと思う。ありがとう」


 オーティスがそう言うと、アイラは瞬きを繰り返し、ゆっくりと微笑んだ。
 なるほど、団員たちが噂するように、天使のようだなとオーティスは思いながらお茶を飲む。


「……私の分析では、オーティス先輩はとてもお人好しな人です」

「それは良く言われるが…」

「褒め言葉ですよ。人の気持ちを救ってくれる、ということです。私はもう二回も救われました」


 嬉しそうな笑顔を向けられ、オーティスは気恥ずかしくなって頭を掻いた。
 これ以上アイラといると、自分の中に他の団員たちと似たような気持ちが芽生えてしまうような気がして、気を逸らすように周囲に視線を巡らせる。

 そこで、オーティスはあるものに目が留まる。


「……甘味」

「えっ?」

「ギルバルトの好きなものだ。食堂のやたら甘ったるそうな甘味を、よく食後に食べていた気がする」


 オーティスの言葉に、食事を終えたアイラがポンと手を叩いた。


「では、これからお持ち帰りで包んでもらって、ギルバルト先輩のお見舞いに行きましょう!」


 いつものオーティスなら、この提案には乗らなかった。甘味代だけ支払い、アイラに任せてすぐさま部屋に戻ったはずだ。

 けれどこの時、口から出たのは「そうだな」という肯定の言葉だった。
 オーティスは自分で驚いたが、アイラが楽しそうに食器を片付け始めたので、やはりやめておくなどとは言い出せなかった。


 そして、ギルバルトがいる病室へ足を踏み入れた瞬間、オーティスはこの選択を激しく後悔することになったのだった。






***


 アイラとオーティスが揃ってやって来たのを見て、ギルバルトは面白い組み合わせだな、と思った。


 けれど、たまたま見舞いに来てくれていたもう一人の人物は、同じ感想は抱かなかったらしい。
 鋭い視線が向かい、オーティスがピシッと固まって口元を引きつらせる。そんな様子を、ギルバルトは意外そうに見てから口を開いた。


「やっほー、オーティス先輩、アイラちゃん。お見舞いに来てくれたの?」


 へらりと笑うギルバルトに、アイラが小さな籠を持って近付いて来る。大きな瞳が、ちらちらとギルバルトの隣に立つ人物を気にしていた。


 艶のある黒髪に、紅蓮の瞳。
 そんな稀な容姿を持つ人物は、この城でただ一人だ。


「……お疲れ様です、エルヴィス団長」


 アイラは、まず先にエルヴィスに頭を下げた。今は団服の上着を脱いでいるが、さすがに上司を後回しにはできないのだろう。
 ちなみに、オーティスはまだ動けずに固まっている。ギルバルトは心の中で「おーい」と呼び掛けた。


「……ああ、お疲れ」

「団長もお見舞いですか?ギルバルト先輩、なんとこちら、食堂の甘味詰め合わせです」


 じゃーん、という効果音が聞こえそうな素振りで、アイラが籠の上に掛かっていた布を捲った。
 見慣れた甘味の数々に、ギルバルトの目が輝く。


「今オレが欲しかったものがここに…!アイラちゃん、このお礼は必ず…!」

「いえ、これはオーティス先輩の案なので、ぜひお礼は先輩に」

「え~、オレはアイラちゃんとお礼を口実にご飯でも行きた……ゴホン、いやぁ本当に嬉しいなぁ!ありがとう」


 僅かな怒気を感じ取ったギルバルトは、咳払いをして笑顔を貼り付けた。ちょっと待って、と頭の中は大混乱である。


 ―――まさか、あの団長が?アイラちゃんを???


 本人は隠しているつもりなのかもしれないが、こうも冷ややかな目を向けられれば、嫌でも気付かされる。
 それは、先程から冷や汗を流しているオーティスも同じだろう。

 アイラはこの部屋の異様な空気を感じ取ってはいるようだが、自分が渦中にいるとは思わず眉根を寄せて首を傾げている。


「どうしましたか?あれ、オーティス先輩はどうしてまだ入口に?」

「…………用事を思い出したので失礼する。エルヴィス団長、お疲れ様でした。では」

「へっ?」


 まるで訓練中であるかのような素早さで、オーティスは頭を下げるとさっさといなくなった。
 呆気に取られていたアイラが、すぐに申し訳なさそうに眉を下げる。


「用事があったのに、夕食まで付き合わせてしまったわ……あとで謝らないと…」


 ポツリと呟かれた言葉は、ギルバルトの耳に届いたし、エルヴィスにも聞こえていただろう。その紅蓮の瞳の奥がギラリと光った気がした。
 ギルバルトは明日のオーティスの無事を祈る。


 そして、この病室のベッドの上からは逃れられない自分の身を、このあとどうやって守ろうかと瞼を閉じて考えるのだった。

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