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15.魔力の相性

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 木の幹を飛ぶように移動しながら、斜面を素早く下っていく。
 反対に、木の間を縫うようにして魔犬の群れが登って来ていた。


 大きく一歩を踏み込んだエルヴィスが、勢い良く飛び出した。
 あっという間に魔犬との距離が縮まり、見えない速さで剣を振るうと先頭の魔犬が倒れる。

 それを見た後ろの群れは、勢いを殺すと四方八方に散らばり始めた。エルヴィスを取り囲もうとしているようだ。


 エルヴィスは木の幹を蹴り、次の魔犬との距離を詰める。瞬く間に薙ぎ払われた魔犬は、声を上げることもなく絶命していた。


 ―――すごい。補助魔術をかけているとはいえ、全然目で追えないわ…!


 アイラは既に三頭目に狙いを定めているエルヴィスの動きを、信じられない思いで見つめていた。
 動きそのものに、一切の迷いと無駄がないのが分かる。だからこそ素早く、舞うように剣を振るえるのだろう。


 剣を握りしめながら、どうすれば自分が邪魔にならずに加勢できるかを考える。
 アイラはエルヴィスの後方を狙って近付いていた、二頭の魔犬に目を付けた。


 恐らく、エルヴィスはその二頭の存在に気付いているだろうが、跳躍したアイラはエルヴィスと背中合わせになるように着地する。
 今にでも飛びかかろうとしていた魔犬は、突然現れたアイラを警戒してスピードを緩めた。そこを見逃さずに斬り込む。

 一頭は斬り伏せることが出来たが、もう一頭には刃が届かなかった。あと少し腕が長ければ、とアイラは悔しくなる。



 アイラの剣を逃れた魔犬は、唸り声を上げながら飛びかかって来た。それをしゃがんで躱し、腹部を狙って斬りつけた。
 ピッ、と血しぶきが飛び、顔にかかる。
 魔物の血は目に入ると危ないので、アイラは咄嗟に目をつむった。

 すぐに片手で目元を擦り、状況を確認すると、視界の端で動きがあった。一頭がアイラに向かって大きな口を開けている。


 ギラリと毒々しく光る牙に、恐怖を感じた瞬間、魔犬の体は二つに分かれていた。


「………っ」

「大丈夫か?」


 足元がふらついたアイラの腕を、エルヴィスが掴んで支える。


「あ、ありがとうございました…」


 エルヴィスが倒してくれなければ、あの大きな牙で噛まれていたかもしれない。早鐘を打つ心臓を落ち着けようと、アイラはゆっくりと深呼吸をする。


「……もう魔犬はいませんか?」

「ああ。助かった」


 エルヴィスはそう言ってくれたが、アイラは十頭の内の二頭しか倒していない。
 さらに危ないところを助けてもらい、逆に迷惑をかけることとなった。

 それに、エルヴィスの団服は一切乱れていないし、返り血も浴びていないようだった。
 分かっていたことだが、団長とはこれほどまでに差が出てしまうのだ。


「……少しも助けられませんでしたが」


 しまった、態度に出しすぎた、とアイラは思ったが、口をついて出てしまった言葉を取り消すことはできない。
 だらだらと冷や汗を流して俯いていると、聞こえて来たのは笑い声だった。


「ははっ、拗ねてるんだな」

「す…!?拗ねてませんっ」


 意地になって顔を上げると、エルヴィスが口元を綻ばせていた。優しく細められた瞳に見つめられ、アイラはなんだか居心地が悪くなる。

 刃に付着していた魔犬の血を払い、エルヴィスが剣を収めた。アイラも同じように鞘に収めていると、不意に頬を拭われた。


「えっ…」

「ああ、突然悪い。魔物の返り血は残しておかないほうがいいからな。目は大丈夫か?」

「は、はい。あとできちんと洗い流します」


 何だか今日のエルヴィスは、雰囲気が柔らかいというか、とにかくアイラは落ち着かなかった。
 団長として皆の前に立つときとは、周囲に纏う空気が違う気がした。


「お―――い、大丈夫ですか―――!?」


 上の方から、ギルバルトの声が届く。エルヴィスは「行くか」と言うと、アイラに手を差し出した。
 鍛錬の度合いがひと目で分かるその手を、アイラはじっと凝視する。


「ええと……団長?」

「滑り落ちられても困るから。早く、手を」


 躊躇いながらも、そっと手を添える。
 夜会にほとんど出ず、エスコートされ慣れていないアイラは、頬が熱くなった。

 アイラの華奢な手を指先で優しく握ったエルヴィスは、ふと思い出したかのように口にした。


「ああ、そうだ」

「?」

「補助魔術、すごいな。君の魔力は……心地良かった」


 とても嬉しそうな眩しい笑顔に当てられ、アイラはよろりとよろめいたのだった。





◇◇◇


「―――アイラ!エルヴィス団長!」


 アイラたちの姿を見つけたデレクが、一目散に駆け寄って来る。
 そして、ぎょっとして立ち止まった。


「え、ギルバルト先輩?」

「はぁ~い」


 呑気な声で手を上げたギルバルトは、エルヴィスに担がれていた。アイラの補助魔術で腕力を上げている。

 ちなみに、最初から自分にかけてギルバルトを担げば良かった、とアイラが零したところ、ギルバルトとエルヴィス二人から「それは絶対にやめてくれ」と言われてしまった。


「どうしてそんなケガを…、アイラ、アイラは大丈夫なのか?」

「うん。私はギルバルト先輩のおかげで無傷だよ」

「良かっ…、って誰の血だよそれ!」

「ああこれ?これは魔犬の返り血」

「魔犬!?」


 デレクは相変わらず元気だなぁ、とアイラが思っていると、いつの間にか近付いてきていたリアムがひょこりと顔を出す。
 フィンとオーティスは、こちらを気にしながら馬の準備をしている。事前にエルヴィスが魔術具を使って連絡を入れていたそうだ。


「魔犬ってどういうこと?」

「ええと…」

「それについては戻ってから俺が話そう。ひとまずギルバルトを医務官に見せるのが先決だ」


 アイラがちらりとエルヴィスを見上げると、その意図を察してそう言ってくれた。胸元から魔術具らしき道具を取り出すと、魔力を込め始める。


「悪いが、俺はギルバルトを連れて先に戻る。お前たちは、フィンとオーティスと共に戻り、談話室で団員たちと待機してくれ」

「はい」


 アイラたち三人が揃って返事をした。エルヴィスの肩で、ギルバルトがもぞもぞと動く。


「あー、団長。オレ魔術具の転移って苦手なので、馬で戻りたああぁぁ…」


 最後の言葉は悲鳴へと変わり、ギルバルトとエルヴィスの姿は一瞬の内に消えてしまった。
 転移の様子を初めて見たのか、デレクが「すげえ!!」と興奮している。


 フィンに呼ばれアイラたち三人が戻ると、ギルバルトが乗っていた馬に、誰が一人で乗るかという話になった。


「デレクは一人で乗れないから、オーティスの馬に乗ってくれる?それで、俺かアイラかリアムが一人で乗ることになるんだけど…」


 うーん、とフィンが考えるように唸ったので、アイラは片手を挙げた。


「副団長、私が一人で……」

「君は大変な目に遭ったんでしょ。僕が一人で乗るから」


 リアムが呆れたようにそう言って、アイラの背中をフィンの方へ向かってトンと押す。
 アイラはその気遣いに感謝して、行きと同様にフィンの後ろに乗ろうとしたところ、待ったの声が掛かる。


「アイラ、心配だから俺の前に乗って」

「……ええと、私が手綱を握っても良いのですか?」

「目を輝かせているところ悪いけど、手綱は俺が握るよ」


 しょんぼりと肩を落としながら、アイラはフィンの前に座る。そして後ろからフィンの両手が伸び、手綱を握ったところでふと気付いた。


 ―――もしかしてこの体勢って、とても恥ずかしいんじゃないかしら??


 フィンの胸板が、アイラの背中に触れる。まるで後ろから抱きしめられているようで、そわそわと落ち着かなくなってしまった。
 後ろに座っていたときは、何も考えずにフィンの背中にしがみついていたというのに。


 フィンの合図で、三頭の馬が駆け出した。
 アイラはすぐに質問攻めに合うかと思っていたが、背後から声が掛かる気配は無い。


「あの……フィン副団長」

「………」


 思わず名前を呼ぶが、それでも反応は無かった。後ろを向こうとするとフィンの胸板にぶつかるため、アイラは上を向いて確認する。
 下から見上げたフィンは、明らかに不機嫌そうな顔をしていた。


「……ええと、怒っていますか?」

「…………怒ってないよ。心配してただけ」

「それは…その、すみませんでした」


 ちらりとアイラを見たフィンは、ため息をついて「前向いてて」と言った。


「俺よりもデレクの慌てぶりがすごかったけどね。探しに飛び出そうとするのを止めるのが大変だった」

「あとでたくさん謝っておきます…」

「リアムも口には出さなかったけど心配してたよ。オーティスはギルバルトが一緒なんだから大丈夫だって冷静だったけどね」

「オーティス先輩はさすがですね。ギルバルト先輩が庇ってくれたおかげで、私は無事でしたから」


 ふふ、と笑ってから、アイラはエルヴィスと先に戻ったギルバルトの様子を思い出す。


「先輩は…大丈夫でしょうか。あんなに傷だらけになったのは…私のせいなのです」

「優秀な医務官がいるから大丈夫でしょ。あいつは打たれ強いしね。……それに、先輩騎士としてちゃんとアイラを護ったんだから、俺からあとで上質な酒でも差し入れとくよ」


 フィンの言葉を聞いて、アイラも何かお詫びを渡そう、と考えた。ギルバルトの好きなものは全く知らないため、あとでオーティスに聞こうと心に決める。


「それより、魔犬に遭遇したんでしょ?団長からアイラと一緒に倒したって知らせが届いたときは驚いた。入団二日目でそんなとんでもない体験したのは過去を遡っても君くらいじゃない?」

「……え、えへへ…」

「笑い事じゃないからねー。とにかく、無事で本当に良かった。これ以上、師匠の寿命を縮めないでくださいな」


 フィンは“副団長の“ではなく“師匠の“と言った。
 師匠と弟子としての近しい立場で心配してくれていたと分かり、アイラは嬉しくなって頬が緩む。

 こんなにも、周りに心配してくれる人がいる。自分は一人じゃないと、そう感じる。
 騎士となる道を選んで良かったと、アイラは心から思った。




◇◇◇


 城へ戻り談話室へ入ると、すでに他の団員たちが集まっていた。

 アイラたちを見るなり、どわっと質問が一斉に飛んでくる。
 皆、魔犬の血が残っているアイラを心配してくれた。

 フィンがそれを「どうどう」と宥めていると、タイミングよくエルヴィス団長がやって来た。形の良い眉がピクリと動く。


「……何の騒ぎだ?」

「いや察してくださいよ。皆説明を求めてるんですよ」


 フィンが全くこの人は、という顔をする。団員たちは姿勢を正しており、エルヴィスの言葉を待ち構えていた。
 アイラもじっとエルヴィスを見る。その視線に気付き、エルヴィスが僅かに口元を緩ませたことは、窓の外に身を隠している密偵のロイにも分からなかった。


「まず、端的に言おう。ギルバルトは二~三日の療養が必要だが、無事に復帰できる。あとは北の森に魔犬の群れが出た」


 アイラはギルバルトが復帰できると聞いて、安堵のため息を吐いた。

 団員たちの反応は、最後の魔犬の話に持っていかれたようだ。
 ざわりと動揺が広がり、「どうしていきなり?」「最近は街中でも見ないのに」と会話が飛び交う。


「殲滅はしたが、俺たちの目を掻い潜って、まだどこかに魔犬がいる可能性はある。しばらくは北の森とその周辺を警戒するよう予定に組み込むつもりだから、よろしく頼む」

「はっ!!」


 威勢のいい返事が響き、エルヴィスは頷いた。第二・第三騎士団の団員たちにも、これから説明に向かうと言って、フィンの肩をトンと叩く。


「あとは頼んだ。……新人たちには、今日はもう休息を与えてやれ」

「はい。そのつもりですよ、団長」


 パチンと片目を瞑ったフィンに苦笑して、エルヴィスが談話室を出る。その途中で視線がぶつかり、アイラはペコリと頭を下げた。


「じゃあ、このあとは見回りの編制を考えよう。新人三人組は宿舎に戻って休んでいいよ。今日はありがとう、お疲れ」


 フィンがひらひらと手を振り、アイラたちは揃って「お疲れ様でした」と一礼して談話室を出た。
 背後で扉が閉まり、デレクが深い溜め息と共にアイラを見た。


「アイラ、お前…本当に無事で良かったよ」

「デレク…たくさん心配してくれたんだよね、ありがとう。リアムもね」

「僕は別に。……思ったより平気そうで良かった」


 アイラはふふっと笑う。


「二人が心配してくれて、私はすごく嬉しい。でも大丈夫よ。……団長と、一緒に戦えたしね」

「えっ!?アイラも魔犬と!?」

「……どうしてそうなったのか、聞いたほうがいいの?」


 ぎょっと目を見開くデレクと、心底呆れたような顔をするリアム。アイラは宿舎に戻るまでの間、二人に何があったのかを話しながら歩いた。

 過去に襲われそうになった話は伏せ、それ以外は全て細かく打ち明ける。


 ギルバルトが庇ってくれ、とても気を遣ってくれたこと。エルヴィスが現れ、戻ろうとしたら魔犬の群れがやって来たこと。
 アイラが頼み込み、一緒に魔犬を倒したこと。


 魔犬と戦う話では、アイラはいかにエルヴィスの動きが凄かったかを熱弁していた。
 最初は盛り上がって聞いていたデレクが、だんだんと元気を失っていく。その様子を不思議に思いながら話し続けていると、あっという間に宿舎に着いていた。


「あ、着いちゃったね。それじゃあ二人とも、今日はありがとう。また明日…」

「アイラ」


 自分の部屋へ戻ろうとしたアイラの腕を、デレクが掴む。その表情は真剣で、何かを決意しているように見えた。


「デレク?どうしたの?」

「アイラ…俺は、乗馬は下手くそだけど、絶対乗りこなしてみせるから」

「えっ?……うん、デレクならきっと大丈夫だよ」

「それに、誰よりも鍛錬して、もっと強くなって…それでっ…」


 アイラの腕を掴むデレクの手のひらに、熱と力が籠もる。
 黄緑色の瞳が、真っ直ぐにアイラを捉えていた。


「……それで、誰よりもアイラの隣に立つのにふさわしい男になるからな…!」


 デレクはそう宣言すると、くるりと背を向けて走っていった。
 その後ろ姿を見ていたアイラは、リアムを振り返ると首を傾げた。


「……デレクも、補助魔術で戦いたいのかしら?」

「………もうそれでいいんじゃない?」


 面倒くさい、僕は疲れたから部屋に行くよ、と言ってリアムが手を挙げて去っていった。
 宿舎の入口でポツンと取り残されたアイラは、デレクの言葉の意味がピンとこないまま、自分の部屋を目指して歩き出す。


 歩きながら、アイラは今日の出来事を思い返していた。
 苦手だと感じていたギルバルトと向き合えたし、過去の自分から逃げてはいけないと感じた。
 初めて魔犬と戦うことができたが、動きがまだまだ甘かった。立ち回りを思い出して反省しては、早く返り血を洗い流さなくてはと思い、部屋の前で立ち止まる。


 取っ手に手を掛けたところで、脳裏にエルヴィスの姿が浮かんだ。
 あの不意打ちの笑顔と台詞を思い出し、アイラの体温が上昇する。
 そして、扉を開けると固まった。


 ―――部屋の中に一人、美女が立っていた。

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