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12.新人騎士の初任務
しおりを挟む朝に目が覚めたアイラは、むくりと起き上がると両手を見つめた。
「……や、やったわ…!私、生きてる…!」
体はぷるぷると小刻みに震え、安心感から涙が滲んでくる。
入団式の翌日を迎えること。
それはアイラにとって、一つの山場を乗り越えたことに繋がるのだ。
入団式の日は、アイラが人生をやり直す前に、火事で命を落とした日と同じだった。
今回はアイラは火事となった邸宅にいなかったわけだが、火事そのものがまた起こるかもしれない。
アイラは両親や使用人など、邸宅に関わる全ての人に観劇のチケットを渡し、火事の場所から遠ざけていた。
昨日は入団式、第一騎士団での模擬戦、補助魔術の説明と怒涛の一日を終え、すぐに両親へ手紙を書いていた。
兄のクライドから貰った、物をすぐ相手に届けてくれる魔術具に手紙を託すと、夜には返事が届いた。
両親からの手紙には、観劇が素晴らしかったことや、アイラと一緒に観たかったなどといった他愛のないことが書かれており、火事については何も触れられていなかった。
そこで一つ、アイラの肩の荷が降りたのだった。
けれど、人生をやり直すということ自体、あり得ないことだとアイラは思っている。
火事が原因でなくても、同じ日に命を落とすかもしれないし、まだ見ぬ明日を迎える前に、また三年前に戻ってしまう可能性だってある。
昨夜は不安でなかなか眠れなかった。
そして、アイラは無事に今日を迎えることができたのだ。
やり直しの人生で、新たな一歩を踏み出せるのだと、そんな晴れやかな気分になる。
アイラはベッドから降り、鼻歌交じりに身支度を始めた。
騎士団の宿舎は、とても綺麗である。
騎士の大多数が男性だが、掃除や洗濯などは班分けして行われており、定期的に副団長であるフィンのチェックが入る。
住む場所が綺麗だと心も弾むので、アイラは嬉しかった。
ただ残念なのが、女性騎士がアイラを含め、三人しかいないという事実だった。
さらに一人は通いを選んでおり、アイラともう一人の女性騎士が、広い部屋を二人で使っている。
アイラは着替えながら、空のベッドに目を向けた。同室の女性騎士は、現在任務中とのことでまだ会えていない。
フィンの話だと、第二騎士団の所属で、サバサバとした話しやすい女性らしい。歳はアイラの二つ上で、騎士になって三年目の先輩だ。
―――早くお会いしたいけど、仲良くなれるかしら…。
ベッドの脇に立て掛けていた長剣を腰に携え、アイラは扉を開いた。
食堂へ足を踏み入れると、大勢の騎士で賑わっていた。
大きなテーブルが並び、各々が好きな席に座って食事を口にしている。食事はカウンターに何種類か並んでいて、その日の気分で選べるという素晴らしいシステムだ。
アイラがさっそくカウンターへ向かうと、ふくよかな女性が声を掛けてきた。
「おはよう!ああ、あんたが新人の女の子だねぇ!」
「おはようございます。アイラ・タルコットです。よろしくお願いします」
「おんやぁ、礼儀正しいお嬢さんだねぇ!あたしはこの食堂を取り仕切るモナだよ。さ、好きなの選んでおくれ!」
モナはそう言って豪快に笑うと、別の仕事に取り掛かっていった。アイラは魚料理を選び、トレーに乗せて席に着こうと振り返り―――固まった。
―――え。どうしてみんなこっちを見ているの…!?
あらゆる目が、アイラに向いている。
その視線に居心地の悪さを感じて固まったままでいると、黙々と食事を続ける騎士がいることにアイラは気付いた。
無意識に、足がその騎士の元へ向かう。アイラの気配を感じたのか、食事の手を止めた騎士は、ため息を吐き出した。
「……どうして隣に来るわけ?」
「おはよう、リアム。隣いい?」
「ダメって言っても座るんでしょ」
リアムは観念したかのように、自分の隣の椅子を引いた。アイラはその紳士的な行動に感心しながらも、ホッとして腰を降ろす。
周囲の騎士たちは、再び食事を取り始めたり、しゃべり始めたりしているが、未だにちらちらと視線がアイラへ向けられていた。
アイラは付け合せの野菜に手を付けると、口に運びながらこっそりとリアムに問い掛ける。
「ねえ、女性騎士ってそんなに珍しいの?」
「……それだけじゃないと思うけどね」
「どういう意味?」
「自覚がないって、幸せなのか不幸せなのか分からないね」
「??」
隣の美少年は謎めいたことを言う。
アイラは不思議に思いながらも食事を続けた。メインの焼き魚はとても美味しい。
他愛ない会話をしていると、アイラの左隣にドカッと誰かが座った。見れば、すぐに誰だか分かる。
「デレク!おはよう」
「…………おはよ」
デレクは何故だかムスッと口を尖らせている。
「どうしたの?嫌な夢でも見たの?」
「いや、そうじゃなくて…」
黄緑色の瞳が向かう先は、アイラの右隣にいるリアムだった。
そういえば、昨日はリアムの暴言からデレクが守ってくれたのだ。アイラはリアムと共闘したことですっかり水に流しているが、デレクはそうもいかないのだろう。
「アイラが僕の隣に座ってるのが気に食わないんでしょ?嫌だね心の狭い男は」
「んなっ……」
「もう、そんな言い方しないでリアム。デレクは私のこと心配してくれているのよね?」
アイラがそう言って首を傾げると、デレクは言葉に詰まっているようだった。
「……アイラは、もう気にしてないのか?あんなに酷いこと言われて…」
「大丈夫よ。リアムは謝ってくれたし、暴言には耐性がついているし」
「暴言の耐性!?どういうことだ!?」
デレクが立ち上がりそうな勢いで食いついてきたことで、アイラは失言してしまったと口元を片手で押さえた。慌てて話題を変える。
「ええと、とにかくリアムのことはもう友達だと思ってるわ。それに隣に座ったのは、他の人たちの視線が落ち着かなくて…リアムは唯一、私のこと全然気にしていない感じだったから」
「と、ともだち……」
ショックを受けたようなデレクの表情を見て、アイラは「あ」と思いついたように声を上げた。
「もしかしてデレク、やきもち妬いているの?」
「………っ、」
「私の一番最初の友達はデレクだから、そこは永遠に変わらないわ!安心してね」
笑顔でそう言うと、赤くなったかと思ったデレクの顔は、途端に青くなった。
いつの間にか食事を終えていたリアムが、カチャリとフォークを置く。
「……無自覚って怖いね。心底君に同情するよ、デレク」
「リ、リアム…!」
リアムは憐れみの眼差しをデレクに向け、デレクは目を潤ませてリアムを見ている。
アイラはそんな二人に挟まれ、交互に顔を見ながら眉を寄せた。
「ねぇ、何の話?」
「「何でもない」」
リアムとデレクの声が揃う。アイラは首を傾げながらも、何だか息が合ったようだしまぁいいか、と食事に戻ったのだった。
食事を終えると、アイラたちは揃って訓練場へ向かった。
訓練場は城の敷地内に三箇所あり、第一・第二・第三騎士団がそれぞれ順に使用しているという。
今日は、昨日とは違う訓練場で、事前に渡された地図を元にそこへ向かった。
なお、アイラは方向音痴のため、何度もデレクとリアムに軌道修正をされる。
「信じられない。どういう方向感覚してるの?」
「アイラが入団式のときに迷ったって言ってた理由が、俺はよく分かった」
「ああ、だからギリギリに?何だ、注目集めたくてわざと遅れて来たのかと思ってた」
「……そんな風に思われていたの…」
とんだ誤解をされていたらしく、アイラは肩を落とす。リアムからの印象は恐ろしいほど最悪だったようだ。
先輩騎士たちには一体どう思われてるのか…とアイラが考えているうちに、訓練場へ到着した。
数人の先輩騎士たちが既に自主練や打ち合いをしており、三人は挨拶を済ませるとそれぞれ剣を抜く。
アイラとリアムは自分で用意した剣だが、デレクは騎士団から支給された剣だった。
「あ~、いいなぁ。俺も自分の剣が欲しい…」
「買えばいいんじゃない?」
リアムがサラリと言ったので、デレクは「金が無い!」と嘆いた。
アイラは少し申し訳なく思いながらも、家族から贈られた剣を構える。そのまま日課になっている素振りを開始した。
デレクとリアムも、それぞれ思うように自主練を始める。打ち合いの際は木剣を使用するように、と副団長のフィンから言われているため、三人は剣を使っての自主練を選んだ。
徐々に他の騎士たちが集まり、やがて白いマントを靡かせてフィンがやって来た。
「みんな、おはよう。とりあえず整列してくれるかな」
「はっ!」
一斉に短く返事をしながら、あらかじめ決められた場所へ整列する。新人であるアイラたちは列の先頭だ。
そこで、あることに気付く。
「副団長、他の新人騎士はどうかしたのですか?」
そう声を上げたのは、先輩騎士のオーティスだった。アイラも気になっていたため、じっとフィンの答えを待つ。
フィンは「あ~…」と少し言いづらそうにして、アイラをちらりと見た。
「昨日の模擬戦を見て、第一騎士団でやっていける自信がないからと、他の騎士団への異動願が出された。…んで、俺はそれを受理したから…」
そこで言葉を区切ると、フィンがアイラ、デレク、リアムの順に人差し指を向ける。
「……第一騎士団の新人騎士は、君たち三人だけになった」
「へっ…」
「なぁ!?」
「………そうですか」
アイラとデレクが間抜けな声を出し、リアムは冷静に頷いた。
十人いた第一騎士団の新人騎士は、たった一日で三人になっていた。
何だか自分のせいな気がしたアイラは、唇をキュッと結ぶ。その反応に気付いたフィンは、人差し指をアイラに戻した。
「アイラ、君の責任じゃないから気にしないこと。あいつらの度胸が足りなかっただけだから」
「……副団長…」
アイラの視線に、フィンは笑って頷いてくれた。そしてマントの内側からピラッと一枚の紙を取り出す。
「はい、最初の報告は終わり。それで今日の任務だけど、医務官から薬剤の原料採取の依頼が入った。北と西の森だね」
「いつもの班分けでよろしいですか?」
オーティスの問いに、フィンは「んー…」と少し考える素振りを見せた。
それが見せかけのもので、フィンの中ではとっくに答えが出ているということに、付き合いの長い人間は気付いている。
そのうちの一人であるオーティスが、僅かに眉を寄せた。
「……まさか、新人も参加させるおつもりですか?」
「さすがオーティス、俺のこと良く分かってるねぇ」
にこりとフィンが笑い、どこからかギルバルトの「よっ!我らがオーティス先輩!」という野次が入る。オーティスはそれを無視した。
「副団長、この任務は確かに危険性は低いですが、まだ入団二日目ですし…」
「お前の言いたいことは分かるよ。でも、俺はこの三人を新人として扱う気はあまりないんだよね」
鋭い視線が飛び、アイラはギクリと体を強張らせた。これは、一切の弱音を許さない瞳だ。
フィンの二年の指導で、多少の無茶は乗り越えているアイラだったが、あまり体を酷使する指導は控えて欲しいと思っている。
「よし。今日は新人騎士三人と先輩騎士三人で、二人一組で任務に当たらせる。こっちは北の森ね。西の方はいつもの班でよろしく」
「……分かりました。では北の森の三人は?」
「もちろんオーティス、お前でしょ。あと…んー、ギルバルトと…最後に俺」
「副団長が同行するのですか?」
オーティスが驚くと、フィンは当然とばかりにニヤリと笑う。
「新人を全員丸投げするわけにもいかないでしょ。んじゃ、さっそく出発するよ」
◇◇◇
「……大丈夫?デレク」
「…………………吐きそう…」
真っ青な顔で、デレクが口元を押さえている。足取りはふらふらしていて、時々おしりを押さえていた。
「あっはは~ごめんね、オレ乗馬下手くそでさぁ~」
全く反省していない様子で、ギルバルトがケラケラと笑う。デレクと一緒に乗っていた馬を優しく撫でていた。
騎士団は移動の時、たいてい馬に乗る。
他に騎士以外の同行者がいる場合は馬車になったり魔術具を使用したりするが、魔術具は高価なため滅多に選ばない。
「うう…何でアイラとリアムは平気なんだよ…」
涙目のデレクの背中をさすりながら、アイラはリアムと顔を見合わせた。
「私は小さい頃から、乗馬は習ってたから…」
「僕も。貴族の嗜みってやつだね」
「くそー…羨ましいぃ…」
「まぁまぁ。新人騎士は合間で乗馬訓練もあるから。そのうち慣れるよ」
デレクの様子を見ていたフィンが、何故か楽しそうに言う。デレクは明らかに嫌そうな顔をした。
「さて、班分けはここに来るまでに考えた。俺とデレク、オーティスとリアム、ギルバルトとアイラ。それぞれに採取するものの資料を渡すからよろしく。昼頃に一旦ここに集合で」
フィンがオーティスとギルバルトに資料を渡している姿を、アイラは恨めしい目で見る。
ギルバルトと組まされたことが、不満だったのだ。
「アイラちゃん、よろしくね~」
にこにこと近寄ってくるギルバルトに、アイラは何とか笑みを作る。ギルバルトの探るような視線が苦手だった。
フィンが先頭に立ち、森の中へ足を踏み入れると、三方向に別れて進む。
森の中は整備されていて、草を掻き分ける心配はなく、砂利道をまるで散歩でもするかのように歩いていく。
「…ギルバルト先輩」
「なーに?いやぁ、女の子が言う”先輩”って響きはいいねぇ」
「先輩は、貴族出身なのですか?」
軽い調子を受け流し、アイラがそう訊くと、ギルバルトは意外そうな顔をした。
「二人きりになって、最初に俺に聞くことがそれなの?」
「はい。ダメでしたか?」
「いーや、ダメじゃないけどさぁ。…オレは貴族じゃないよ、平民。ただちょこーっと普通の平民と違うのは、貴族の女友達が多いってところかな~」
貴族の女友達…なるほど、そこから情報を仕入れたのか、とアイラは思った。
ギルバルトが昨日、アイラが貴族界で噂になっていると言っていたことが気になっていたのだ。
「そうですか。疑問が解けてスッキリしました」
「ええ~……そういう反応なの?何かショックだなぁ…おっと、薬草発見」
ピタリと足を止めたギルバルトは屈み込むと、黄色の花が咲いた草を引っこ抜く。
「これね、頭痛の薬の元になるらしいよ。多めにって指定があるから、この辺の引っこ抜こうか」
「はい」
アイラはギルバルトに背を向けるようにして、別の場所から同じ草を抜き始めた。
「結構たくさん生えてるね」「そうですね」「他のもすぐ見つかるといいね」「そうですね」と、実のない会話を繰り返す。
ギルバルトがやたらと話しかけてくるため、アイラは新人という立場上、無視するわけにはいかなかった。
騎士となれば、貴族や平民といった身分の壁は関係なくなる。騎士としての年数が重要となるのだ。
ふと、アイラはギルバルトが静かになったことに気付く。
さすがにつれない返事が嫌になったのか、と思ったアイラのすぐ耳元で、小さな声が響いた。
「ねえ」
アイラは驚いて、耳元を押さえて振り返る。いつの間にか背後にギルバルトがいた。
「アイラちゃんは、どうしてそんなにオレを警戒してるのかな?」
「………っ、」
陰りを帯びた緑の瞳に、ぞわりと肌が粟立つ。こわい、と感じたアイラは、自分自身にどうして?と問い掛けた。
―――ああ、そうだ。似てるのね…あの人に―――…。
アイラの閉じ込めていた記憶が、嫌でも蘇ってくるのだった。
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