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9.リアム・オドネルの物語

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 リアム・オドネルは、伯爵家の四男として生を受けた。

 ふわりとした金髪に、水色の瞳。美しい母の容姿を受け継いだのは、兄弟の中でリアムだけだった。


 オドネル伯爵家は、魔術道具の開発を生業としている。
 幼い頃のリアムは、両親の働きぶりを間近で見ていて、いつか自分も役立つ魔術具を開発するのだ、と夢を見ていた。
 だがその夢は、すぐに散ることとなる。


 自身の魔力がほとんどゼロに近いことを知ったのは、六歳の頃だった。

 両親が働く魔術具開発局で、個人の魔力を数値化する魔術具が完成したのだ。
 その披露の場として開催された、開発局員を招いたパーティーで、オドネル伯爵家の子どもたちが魔力を測る運びとなっていた。


 小型の魔術具を握り、魔力を込めれば、中のメーターが数値を示す。
 まずは開発に携わった数人が、不備がないか使ってみせる。そして、長男が測ってみると、局員の平均値を大きく上回る数値が出たため、会場が沸いた。

 次男、三男と続けて大きな数値が出る。その度に両親は誇らしげな笑顔を浮かべていた。
 リアムも「にいさまたち、すごい!」とはしゃぎ、自分はどんな数値が出るのか楽しみにしながら壇上に上がった。


 少し緊張で汗ばんだ小さな手が、魔術具を握る。
 リアムが集中して魔力を流すと、メーターが動いた。が、すぐにリアムは愕然とする。
 数値は『1』と表示されていた。一番上の兄は、『73』だった。

 リアムの様子に気付いた両親が、近付いて数値を確認する。二人共目を見開き、神妙な面持ちで頷き合っていた。


 この時、リアムは頭を何かで殴り続けられているような衝撃で、周りは一切見えていなかった。
 両親が、リアムは体調が悪くて魔力を込められなかった、と局員たちに誤魔化したことや、兄たちが訝しげに顔を見合わせていたこと、パーティーが早々とお開きになったことすら知らなかった。


 ただただ呆然としていて、気付けば自分の部屋のベッドに寝転がっていた。


「………はは、」


 乾いた笑い声は、いつしかうめき声に変わり、リアムは一晩中枕を濡らして泣いた。
 そして翌日、部屋に来た両親は、ベッドの上でブランケットにくるまっていたリアムに告げたのだ。


「リアム。あの数値では、魔術具を開発することはできない。最後に魔力を込めて、魔術具は完成するからだ」

「ねえ、リアム。魔力がなくても、設計などに携わることはできるわ。でも私はね、違う職を目指したほうがいいと思うの」


 切り捨てられた、とリアムは思った。
 励ますのではなく、悲しみに寄り添うのではなく、両親は手放すことを選んだのだと。

 何も答えないリアムを置いて、両親は部屋を出て行った。そこからしばらく、家族に顔を合わせることは無かった。



 一日の大半を部屋で過ごしていたリアムは、ふと窓の外に目を遣った。
 オドネル伯爵家の護衛たちが、中庭で訓練をしている。

 その中で一人、やけに動きの目立つ男がいた。流れるように繰り出される剣技に、リアムはいつの間にか目を奪われていた。
 五日間ほど、毎日その男を窓から眺めていた。すると、ふと空を見上げた男と目が合った。


「!」


 ぎくりと体を強張らせたリアムに、男は微笑んで手招きをする。リアムは迷った末、久しぶりに部屋の外へ出た。彼の剣技を、間近で見てみたかったのだ。

 中庭へ出ると、他の騎士たちは休憩に入ったのか姿が無く、男だけが木に寄りかかって立っていた。


 男はジョスランと名乗った。
 リアムの魔力がほとんどなく、ショックのあまり部屋に閉じこもっていることは邸宅中の噂になっていたが、ジョスランはそのことには全く触れず、小さな木剣をそっと差し出してきた。


「リアムさま、ずっとやってみたかったのでしょう?」


 ずっと、という言葉で、リアムが毎日見ていたことは気付かれていたのだと悟った。けれど、恥ずかしさよりも好奇心の方が勝つ。


「……ぼくが、さわってもいいの?ジョスランがおこられない?」

「はは、私のことは気にしないでください。それよりリアムさま、剣はこのように構えるのですよ」


 そこからの数十分は、リアムにとって素晴らしい時間だった。
 ジョスランは筋が良いと、ことあるごとに褒めてくれて、リアムはお世辞だと分かっていたが嬉しかった。

 そして次の日も、そのまた次の日も、リアムはジョスランにくっついては剣を教わった。
 剣を振るっている間は、嫌なことは何もかも忘れられたし、ただ楽しかった。


 そんなリアムを、両親を含め誰も止めようとはしなかった。
 元気が出てくれたことにホッとしたような、どこか憐れんでいるような、そんな視線を常に浴びせられた。

 やがてリアムはジョスランを師匠と呼ぶようになり、ジョスランもリアムを弟子として可愛がった。


 充実した日々はあっという間に過ぎ去り、リアムは十三になっていた。


「……惜しいなぁ。タルコット男爵家の令嬢ならば、魔術学校に入学するものとばかり思っていたが」


 ある日の夕食の席で、父がポツリと呟いた。
 タルコット男爵家は、魔力が高く、魔術師となる者が多いことで有名だ。どうやらそこの令嬢は、違う道を選んだらしい。

 バカげた話だ、とリアムは思った。
 生まれ持ったものが、どれだけ恵まれているかに気付いていないのだ。
 噛んでいた肉の味を、リアムは感じられなかった。



 その日は、何の前触れもなくやってくる。


「リアムさま。今一瞬気を抜いたでしょう」

「……分かってる」

「今日はどこか集中力に欠けますが、何かありましたか?」


 ジョスランは自身の剣を磨きながらそう言った。リアムはその場に座り込むと、肩で息を切らす。


「……兄さんたちが、魔術具の開発に成功した」


 リアムの兄三人は、リアムが剣を学んでいる間、同じように魔術具の開発を両親から直接学んでいた。

 共同開発された魔術具の出来はとても素晴らしいものだったらしい。両親が三人を褒め称える様子を、リアムは通りすがりに見ていた。
 羨ましいと、素直にそう思ってしまったのだ。


 口に出してから、リアムは急に自分が子どものように感じて恥ずかしくなった。
 俯いたリアムに、ジョスランがなんてことのない調子で言う。


「それがどうしたのです。リアムさまだって、偉業を成し遂げているではありませんか」

「………偉業?」

「はい。それは…」


 リアムは、ジョスランが言葉の途中でサッと顔色を変えたのが分かった。それと同時に、背後から迫る殺気に気付く。


「―――リアムさま!!」


 リアムが振り返ると、血しぶきが赤く舞った。見知らぬ男が、うめき声を上げて崩れ落ちていく。
 そして、その男を斬り伏せたジョスランもまた、ゆっくりとリアムの前に倒れた。


「ジョスラン!?」


 一瞬、リアムには何が起きたのか分からなかった。しかしすぐに、目の前の師匠の体を抱き起こす。
 ジョスランの腹部には剣が刺さり、血が滲み出ていた。その状況を見て、サアッと血の気が引く。


「……リアム、さま…お怪我は…?」

「な、にを…!ジョスラン、お前の方が…っ、くそ、止まれっ!」


 リアムは自身の服を破り、ジョスランの腹部に当てる。剣を抜くわけにもいかず、リアムは周囲を見渡した。


「誰かっ…!誰か、衛兵!!」

「……無理、です、リアムさま…」

「無理なもんか!お前は黙っていろ!」


 髪を振り乱すリアムに、ジョスランが弱々しく微笑む。


「……貴方を、お護りできて、良かった…。自慢の、…弟子です」

「……やめてくれ…」

「……これだけ…言わせて、ください。偉業の…話、です」

「やめてくれ、頼むから!」


 リアムは必死で訴えた。涙が次々と溢れてくる。
 こんなに泣いたのは、魔力がほとんどないと分かったあの日以来だった。

 ジョスランは微笑んだまま、震える唇を動かす。


「……リアムさまは…あの日から毎日、楽しそうに…剣を、振るっています。好きで、なければ…できないことです」

「………っ」

「貴方は、……ご自分で…見つけられたのです。魔力が…なかったとしても、輝ける、場所を…」


 ―――どうかそれを誇りに、忘れないでください。
 そう笑って言ったジョスランの瞳を、そのあと二度と見ることは叶わなかった。



 ジョスランが斬り伏せた男は、一命を取り留めた。
 男は魔術具開発局の元局員で、怠慢を理由に解雇された腹いせに、オドネル伯爵家に乗り込んだという。

 伯爵の息子なら、誰を狙っても良かった、と男は笑った。
 たまたま中庭にいたリアムを狙ったのだ。リアムの顔は、両親が開発局に飾っていた家族の肖像画を見て知っていた。


 そして、男の気配にジョスランでさえも直前まで気付けなかったのは、身につけていた魔術具のせいだった。

 “自身の気配を数分間消すことができる”―――それは、兄三人が共同開発した魔術具だった。


 兄たちは、男が魔術具を盗み、悪事に使用したことに憤慨していた。誰もリアムを心配したり、謝ったり、ジョスランの死を嘆いたりしない。

 ただ、両親は少しだけリアムを気にかけていた。何か欲しいものはないか、としきりに物を与えたがるという、よく分からない気にかけ方ではあったが。
 ―――ならば、とリアムはふと思った。


「僕が十五を迎えたら、騎士の入団試験を受けさせてください」


 その言葉を聞いた両親は目を丸くしたが、どこかホッとしたようにすぐに頷いた。そして、推薦状を書こうとまで言ってくれた。
 リアムはそれをありがたく受け入れると、師匠のいない中庭へと向かった。



 毎日毎日、リアムは剣を振るった。
 時にはジョスランと親しかった護衛に頼み込み、相手をしてもらったりもした。

 十五になり、両親に城へ推薦状を送ってもらった。
 騎士団から団長と副団長がわざわざオドネル伯爵家へ訪れ、リアムと軽く面談をし、剣技を見てもらった。


「へえ~、この年齢でここまで動けるのか。どのくらい習ってるの?」


 やたら色素の薄い容貌の副団長にそう聞かれ、リアムは素っ気なく「六歳からです」と答える。
 一通り終えたところで、団長から「合格だ」の短い一言をもらうことができた。

 リアムは努めて冷静にお礼を言い、二人が帰ると真っ先に報告へ向かう。


「ジョスラン!やった、合格だ!僕は騎士になる!」


 中庭の片隅に石を積み上げ、彼の愛用していた剣を立て掛けただけの、簡素な墓。
 そこでリアムは息を切らせながら報告したあと、その隣に静かに座った。

 すると、強く吹き抜けた風が、ジョスランの剣を倒した。カラン、と音を立て、リアムの膝の上に乗る。


「―――…、」


 リアムは不思議と、ジョスランがこの剣を自分に託してくれたような、そんな気がした。


「借りるよ…ジョスラン」


 誇りを、胸に。師匠の言葉を刻み、リアムは剣を持って立ち上がった。





***


 ―――なのに僕は、何をやっているんだ?


 訓練用の木剣を両手で握りながら、リアムは心の中で自問した。

 騎士団の訓練場のど真ん中で剣を構え、目の前には先輩騎士が二人。
 そして隣には―――アイラ・タルコット。


 アイラの存在を嫌でも意識し始めたのは、リアムの入団が決定し、その数か月後に行われた入団試験の噂が耳に届いてからだった。

 “騎士の入団試験を、あの魔力の高さで有名なタルコット男爵家の令嬢が受けたらしい”

 そんなバカな、とリアムは思ったが、数年前の夕食の席で、父が言っていた言葉を思い出したのだ。タルコット男爵家の令嬢が、魔術学校への道を選ばなかったのだと。


 自分が欲しくてたまらなかった魔力を持ちながら、どうして。
 とっくに未練を断ち切ったと思っていたリアムだったが、頭にカッと血が上るのを感じた。


 そして、入団式の今日。
 アイラの姿を目にしたリアムは、噂が真実であったと知るとともに、どうして騎士になれたのかと疑問に思った。

 綺麗に整った顔立ちに、華奢な体。アイラが広間に足を踏み入れた瞬間、空気が澄んだ気がした。
 けれど、何故だかリアムは苛立ちが募った。周囲の人間がアイラを見て浮足立っているのも、不真面目に思えて許せなかった。


 そしてあろうことか、同じ第一騎士団に所属してしまった。
 気付けばリアムは、敵意を剥き出しにしてアイラに食って掛かっていたのだ。

 さらにどういうわけか、その相手と共闘することになっている。


「……リアム、くん?不本意だけど、副団長には逆らえないから…私は貴方と組むわね」

「………」

「まず私が全力で相手に向かうから、援護をお願いするわ」


 真っ直ぐに対戦相手の先輩騎士を見据えたまま、アイラがそう言った。リアムはため息を吐く。


「言ったよね。誰とも馴れ合うつもりは無いって」

「そうね。でも馴れ合うんじゃなくて、背中を任せるって言っているのよ」

「はあ?なに―――」


 ピッ、と短い笛の音が響いた。開始の合図だ。

 隣で風を切る音がしたかと思えば、アイラの姿は先輩騎士の目の前に移動していた。そして一人目を狙い、素早く一太刀が振るわれる。

 あまりの速さに呆然としていたリアムは、周りの歓声で我に返った。騎士団員たちの前で、彼女に遅れを取るわけにはいかないとすぐに動く。


 先輩騎士たちは、見事な連携でアイラを狙っていた。
 一人が攻撃を躱すと、背後からもう一人が現れる。かと思えば、次は死角から狙われる。
 アイラはどれもギリギリで反応して避けていた。

 リアムは、一番勝算が高い動きを瞬時に計算する。二人がアイラと向かい合っている隙に、背後へ回り込むと木剣を突き刺すように踏み込んだ。


 ―――え?


 先輩騎士の一人が振り返り、リアムの木剣を受け止める。素早い反応だが、リアムが驚いたのはそこではなかった。
 相手の一振りは、空を斬る。しゃがんで避けていたリアムはそのまま薙ぎ払おうとするが、入れ替わるようにもう一人の先輩騎士が木剣を振るい相殺した。

 リアムは一度、距離を取った。反対側では、アイラが舞うように戦っている。


 ―――アイラ・タルコット。君は一体―――…


「……っ、リアム、くん!」


 ほんの一瞬の動揺を、相手は見逃してくれなかった。
 ガンッと鈍い音が響き、リアムは弾き飛ばされる。木剣が打ち込まれた脇腹に痛みが走った。

 何とか受け身をとったものの、体勢を立て直す前に相手が木剣を振り上げるのが見えた。
 ああ、負ける。そう悟ったリアムの目の前に、小さな体が突如現れた。

 その背中が、あの日のジョスランと重なる。


「―――…、」


 木剣が振り下ろされると同時に、リアムはアイラの足元を素早く薙いだ。
 バランスを崩し、後ろに倒れたアイラの体を受け止めつつ、リアムはあらん限りの力で木剣を振るった。


 ガァン、と音を立てて弾け飛んだ木剣は、相手のものだった。
 腕の中で、アイラが瑠璃色の瞳を零れ落ちそうなくらいに見開いている。


 ―――ああ。今度は、僕が護れた。


 リアムはどこか晴れ晴れとした顔で笑ったのだった。

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