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3.副団長の思惑
しおりを挟むアイラとフィンは、互いに木剣を握り、距離を取って向かい合うように立つ。
アイラに立ち会うよう声を掛けられた侍女のベラが、ハラハラと様子を見守っていた。
「アイラ嬢、本当にやる気?」
フィンが木剣で自分の肩をトントンと叩きながら、半ば呆れた視線をアイラへ向ける。
「俺としては、か弱いご令嬢にケガをさせそうになるのは心苦しいんだけど……」
「お気になさらず。それに、もしフィンさまに稽古を付けていただいていたら、ケガを嫌がった時点で落第ではないですか?」
「出会ったばかりなのに、君はよく俺が分かってるねぇ」
少し嬉しそうにフィンが笑った。とても美しい笑みだ。
アイラにとって、その笑みが嘘くさく思えてしまうのは、かつて魔術学校で他人の顔色を窺って過ごしていた弊害だろう。
「じゃあ、お好きなタイミングでどうぞ」
「……よろしくお願いします」
フィンが木剣を構えると、アイラはすうっと目を細めた。
相手は騎士団の副団長。経験の差は歴然だし、実力を比べることすらおこがましい。
ならば、隙を付くには最初が肝心だ。……アイラを侮っている、まさに今。
「!」
ガンッ、と鈍い音が響いた。
瞬時に距離を詰めたアイラの一振りを、フィンが受け止めている。
その目が驚きに見開かれたことを確認する間もなく、二度三度と木剣を振る。
軽やかに攻撃を繰り返すアイラを、フィンの重い一太刀が弾いた。
アイラはすぐに体勢を立て直し、身を屈めて近付くとフィンの足元を狙って薙ぐ。
綺麗に躱され、向かって来た反撃にアイラは身を翻した。そのまま地面を蹴ると、高く飛び上がる。
アイラを見上げたフィンが、片目を瞑った。
自身の背後に、燦々と輝く太陽があることを―――アイラは知っている。
「はあっ!」
声を出し、木剣を持つ手に力を込め、目一杯振り下ろす。
しかし次の瞬間には、アイラは地面に尻もちを着き、握っていたはずの木剣は遥か遠くに飛ばされていった。
「ア、アイラお嬢様!」
ベラが悲鳴のような声を上げ、アイラに駆け寄る。アイラは自分で立ち上がると、服の汚れを両手で叩いた。
「お嬢様、お怪我は……」
「平気よ、ベラ。フィンさまが加減して下さっているから」
そう言ってフィンを見れば、思い切り眉を寄せて立っていた。
睨むような視線を向けられ、アイラがへらりと笑う。
「さすがは副団長さまですね。全力でも全く歯が立ちませんでした」
「……全力?嘘だろう。絶対まだ何か隠してる顔だよそれは」
「あら、それは買いかぶりすぎです」
「下手な演技はいいよ。だって実際…君はとっておきの力を隠していた」
口をへの字に曲げたフィンに、アイラは困ったように眉を下げた。
「隠していた訳ではありませんが……」
「いいや、隠してた!だって俺が午前中にこっそり品定めしているのに気付いて、わざと下手くそな自主練をしていたんだろう?……魔術を、使わずに」
言い当てられたアイラは、頭をがしがしと掻くフィンを見る。結わえられていた銀髪がボサボサだ。
悔しそうなその様子から、手合わせの直前まで魔術に気付かれていなかったことが分かる。
―――そう。私は、魔術を使った。
自らの身体能力を高める、私の得意な補助魔術を。
魔術には種類がある。
炎や水を出す、自然を扱うもの。その魔術を道具に込めたものを、魔術具と呼ぶ。
魔術師は、自らの魔力を使った魔術そのものと、魔術具を使って仕事をこなす。
そして他に、身体に影響を与える補助魔術がある。
しかし補助魔術は繊細な魔術のコントロールが必要となるため、扱える魔術師は少ない。
元魔術師である父のラザールは自然の魔術を好み、魔術学校に通っている兄のクライドは、魔術具の扱いを得意としている。
アイラは以前の魔術学校に通う人生で、補助魔術を極めていたのだ。
そこで学んだ約二年の歳月は、しっかりと今回の人生の糧になってくれていた。
―――魔術師になる道は、選ばない。だけど私は、身につけた魔術を、無かったことにはしたくないの。
「身体強化……脚と腕か?瞬発力、それに跳躍力…軽々と木剣を振るってたけど、まさか木剣にも?」
顎に片手を添え、フィンがぶつぶつとアイラの行動を分析していた。
最後の問い掛けと共に、フィンの視線が遠くに転がっている木剣に向く。
アイラも同じように木剣を見ながら頷いた。
「さすがですフィンさま。最初に懐へ飛び込む為に脚を、次に力を出す為に腕を、最後に素早く打ち込む為に木剣に補助魔術をかけました」
「……あのね、当たり前のように言ってるけど君…とんでもないことしてるよ」
「やはり狡いですかね?……ですが、私が騎士になるにはこうでもしないと…」
「いや、狡いとかじゃない。これは立派な戦法だし、誇って良い」
フィンはそう言うと、ずいっとアイラに顔を近付けてきた。隣にいたベラが息を呑む。
「あの、フィンさま……?」
遠慮がちにアイラが呼ぶと、目の前の整った顔がにんまりと笑った。
「うん、合格だ。気が変わった。俺が君の稽古をしよう」
「……!本当ですか!?」
アイラが年相応の無邪気な笑顔を浮かべると、フィンは目を瞬く。
ベラと手を取り合って喜ぶアイラの様子を、不思議そうに見ていた。
「ちゃんと、そういう顔もできるんだね」
「え?」
「いや、何でもない。じゃ、早速計画練ろっか。騎士の募集は毎年かかるけど、いつ試験を受けてもらうかは俺が決める。それでも良い?」
「……はい。頑張ります」
アイラはすぐに真剣な顔つきになる。
試験を受けるのが遅くなればなるほど、既に騎士となっている者との経験の差は開く。
けれど、試験に合格したとしても、内容についていけなくては意味がない。
まず目指すのは、指導で教わることを最速で吸収し、フィンの許可を得ること。
深呼吸をすると、アイラは転がる木剣を取りに足を踏み出した。
***
城内を歩く男は、上機嫌で鼻歌を歌っていた。
その様子を、すれ違う女の使用人が頬を染めてちらちらと見ている。
フィン・ディアスは、騎士団の副団長である。
副団長は三人いる。その三人がそれぞれ部隊を率いており、全体をまとめるのが一人の騎士団長だ。
その騎士団長であるエルヴィスの部屋の前で立ち止まり、フィンはノックと同時に扉を開けた。
「エルヴィス団長~、失礼します」
「……返事の前に扉を開けるな」
じろりと睨んでくるエルヴィスに、フィンは悪びれもせず軽く謝る。
「すみません、ちょっともう嬉しくて、つい」
「その背後に薔薇でも背負っていそうな笑顔の理由は、聞かなきゃダメか?」
「聞いて欲しいけど、全部は話せない…いや、話したくないのが心苦しいところです」
「はいはい。早く言え」
つれないなぁ、とフィンは笑う。エルヴィスとは長い付き合いのため、二人の雰囲気は上司と部下という堅苦しいものではなく、友人に近いものだった。
エルヴィスの実力は知っているし、尊敬もしている。それでも今の関係が、フィンには心地良かった。
「前に、俺が稽古を付けることになったって話したでしょう?」
「あー、最初は断る気だったとかいう…」
「そうそう、それで惚れ込んじゃったやつです」
フィンは当時を思い出す。
魔術師の家系に生まれ、高い魔力を持つにも関わらず、騎士を目指すとかいう令嬢の指導の打診があったと、魔術師の知り合いから伝えられた時は嫌悪しか感じなかった。
どうせ遊び感覚なのだろう、とフィンは思った。
当たり前のように身近にある魔術に飽き、ちょっと違うものに手を出してみよう、といった類のとものだと。
だから、取り敢えず直接会って様子を見た上で、断ろうとフィンは思っていた。
令嬢の遊びに付き合うほど、副団長の自分は暇ではない、と。
男爵に挨拶をし、午前中は庭で自主練をしていると聞いたフィンは、物陰から確認することにした。
そこにいた令嬢は、綺麗な蜂蜜色の髪を靡かせていた。動きやすい軽装を着ているのが勿体無いと思うほど、容姿の整った令嬢だった。
しばらく観察していたが、案の定酷いものだった。体幹はブレ、腕に力は入っていない。素振りだけで実力が分かる。
早いところ諦めてもらって帰ろう。フィンは早々と結論付けた。
その結論が覆ったのは、不合格を言い渡したのに挑戦的に手合わせを望まれ、一太刀を受けた時だった。
こっそり観察したときとは明らかに違う動きに戸惑いながらも、フィンは長年叩き込まれた剣術で対応した。
そして令嬢らしからぬ動きをした少女が、魔術を使っているとフィンは確信したのだ。
魔術を使わないと思い込んでいた自分を、その場で叱責したくなった。
扱うのが難しいとされる補助魔術を、自身と木剣にかけている。
その事実だけで、目の前の小さな少女が宝のように輝いて見えたのだ。
「いやぁ、あそこまでゾクゾクしたのは久しぶりでしたね」
「お前にそこまで言わせるのか。で?わざわざ俺に言いに来たってことは、今年の試験を受けさせるのか?」
手元で書類を捌きながら、エルヴィスが視線だけを向ける。フィンは嬉しそうに笑った。
指導を始めて、約二年。少女は予想よりずっと早く、フィンの課題を全て乗り越えてみせた。
「思ったより俺好みに成長してくれたんで、もう楽しみで楽しみで。エルヴィス団長、受かったら絶対に俺の第一騎士団に入れてくださいね」
「善処はするが、約束はできないぞ。……が、俺も楽しみにしてるよ、その令息の実力をこの目で見るのをな」
エルヴィスの言葉に、フィンは笑みを崩さなかった。もう一つ楽しみにしていることがあったからだ。
騎士団長のエルヴィスに、フィンは自分が指導している相手が、魔術師の家系と名高い男爵家の令嬢だと話していない。
ここまで褒める相手が、女だと知った時、エルヴィスの顔はどう崩れるだろうか。
さらに、その少女が補助魔術を駆使して剣を振るうと知ったら。
―――楽しみで、たまらないな。
フィンはやはり上機嫌で、鼻歌の続きを歌いながら部屋を出て行った。
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