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1.アイラ・タルコットの人生

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 ―――何が、いけなかったのだろう。



 轟々と燃え盛る炎をぼんやりと見つめながら、少女はそんなことを考えていた。


 少女の人生は、至って順調なはずだった。
 男爵家に生まれ、決して裕福な生活では無かったが、優しい両親と兄がいた。

 魔術学校へ首席で入学し、友人に恵まれ、充実した日々を送っていた。
 しかし、徐々に歯車が狂いだし、少女が気付いた時にはもう、手遅れだったのだ。


 身に覚えのない罪を擦り付けられ、蔑まれ、乱暴されそうになったこともあった。
 じわじわと心を蝕む苦痛の日々に、少女は耐えられなかった。

 限界を感じた少女は、邸宅に引きこもり、カーテンを締め切った暗い部屋で過ごすようになった。
 両親や兄、使用人たちの心配の言葉には耳を塞ぎ、拒絶した。


 そして、今日。
 突然の爆音と共に火の手が上がった。


 倒れてきた本棚に下半身を押し潰され、少女は為すすべも無く、うつ伏せのまま自身の部屋に広がっていく炎を眺めていたのだった。



 ―――ああ。きっと、罰が当たったんだわ。


 少女の頭はガンガンと痛み、手が痺れてくる。押し潰された下半身の痛みは、感じなくなってきていた。そして、とにかく熱かった。
 少女が諦めたように瞼を閉じた瞬間、ガラスが割れる音が響く。


「―――……!!」


 同時に、誰かの声が聞こえた気がしたが、重たい瞼を持ち上げた少女の意識は途切れかけていた。

 ただ、ぼやけた視界いっぱいに広がる燃え盛る炎と、目の前に来てしゃがみこんだ人物の、紅蓮の瞳がやけに鮮明に映った。


「………きれい…」


 ほとんど掠れた声で呟かれた言葉と共に、少女の頬を一筋の涙が伝う。



 この日、アイラ・タルコットは生涯の幕を閉じたのだった。






◇◇◇


「―――…さま、アイラお嬢さま!」



 ハッと目を見開くと、目の前にアイラの顔を覗き込む侍女の姿があった。
 心配そうに眉を寄せ、侍女が口を開く。


「……大丈夫ですか?随分とうなされていたようですが……」

「私……」


 ベッドから体を起こすと、アイラは手が震えていることが分かった。全身にびっしょりと汗をかいている。
 蜂蜜色の長い髪は乱れ、瑠璃色の瞳は震える手のひらをじっと見ていた。

 呆然としているアイラに、侍女がグラスに水を注いで渡した。


「どうぞ」

「ありが、とう…ベラ」


 ベラと呼ばれた侍女が微笑むと、アイラはその笑顔を懐かしく思った。


 ―――そうだわ。ベラはいつも優しくしてくれていたのに、私はずっと拒絶していて―――…


 そこまで考えて、アイラは窓辺に視線を向ける。
 カーテンはタッセルで留められ、開け放たれた窓から心地良い風が流れ込んでいた。
 陽の光が差し込み、部屋全体を明るく照らしている。……アイラには、眩しすぎるほどに。


 ―――あれは、夢だったの?


 轟く爆音、倒れた本棚に押し潰された時の痛み、燃え盛り迫りくる炎。
 思い出し、ぶるりと体を震わせると、アイラは否定するように首を横に振った。


 忍び寄る死の感覚は、決して夢なんかでは無かった。
 けれど今、アイラの体は、どこにも痛みはない。

 では、今置かれている状況は、夢の世界……または死後の世界なのだろうか。


 アイラは炎に包まれる前、ずっと部屋に引きこもっていた。
 カーテンが開かれた、光の差し込む部屋の記憶は、もう一年以上も前になる。

 希望に満ち溢れていた日々を思い出し、胸を痛めながら、アイラはグラスにそっと口を付けた。

 こくり、と水を飲むと、たちまち喉が潤っていく。
 夢なのか死後の世界なのかは分からないが、喉は渇くらしい。
 グラスの中身を一気に飲み干したアイラは、ベラへ視線を向けた。


「ベラ。……変なことを、聞いてもいい?」

「変なこと、ですか?ええ。私に答えられることでしたら」

「今は……私が十七になった年よね?」


 命を落とす数か月前、アイラは十七歳の誕生日を迎えていた。

 引きこもり、一切外界との接触を拒絶していたが、きちんと日付は確認していた。自分がどの時間を過ごしているのかを忘れてしまったら、完全に壊れてしまうような気がしたからだった。

 だからベラにそう問い掛けたのだが、彼女は眉をひそめてから、言いにくそうに口を開く。


「ええと……お嬢さま。まだ夢を引きずってしまっているようですね。今はお嬢さまが十四になられた年です」

「……えっ?」


 アイラはグラスから手を離し、空のグラスがごろりとベッドに転がった。ベラが慌ててそれを回収する。


「じゅう、よん……」

「はい。つい先月、アイラお嬢さまのお誕生日を、皆様でお祝いなさったでしょう?」


 ベラの瞳が不安そうに揺れた。アイラの様子がどこかおかしい事を、本気で心配しているようだった。
 アイラの心臓が、どくんどくん、と大きな音を繰り返し立てる。


 まだ、ここで生きている―――そう感じさせるほどに。


「私……私はまだ、魔術学校に入学してはいない……?」


 震える唇で、独り言のように呟いた言葉は、ベラに届いていた。


「お嬢さま。お嬢さまが目指す魔術学校の入学試験は、今年最後の月に行われます。なので、まだ入学など……」

「ベラ」


 アイラが言葉を遮ると、ベラは自分が窘められたのだと思い、すぐに頭を下げる。


「し、失礼致しました。お嬢さまの魔力なら、必ず魔術学校にご入学できると―――…、」

「違うの、ベラ。私は……魔術学校には入りたくない」

「え?」


 驚いて顔を上げたベラは、信じられないと言いたげにアイラを見た。その表情の理由が、アイラにはよく分かる。


 アイラの生まれたタルコット男爵家は、代々優れた魔術師を世に送り出していた。

 魔力は生まれつき備わっているもので、その強さの多くは家系に由来している。
 元魔術師である父はもちろん、平民の生まれである母も珍しく魔力が高かった。

 よって、その間に生まれた兄とアイラは魔力が高く、父の指導もあり、魔術の扱いは幼い頃から上手だった。
 兄もアイラも、当然のことのように魔術師を目指し、魔術学校に入学することを夢見て日々勉強をしていたのだ。


『わたし、ぜーったい、まじゅつしになる!』


 アイラは幼い頃、毎日のように瞳を輝かせてそう言っていた。そんなアイラに両親は微笑み、兄は「一緒になろうな」と笑って約束をした。けれど。


 ―――もしも。もしもこれが……夢じゃないのなら。


 夢でも死後の世界でも無く、やり直しができる世界などあるのだろうか。
 それでももう一度、やり直すことができるのならば。


 ―――私はもう二度と、あんな思いはしたくない。


 不意に、アイラは最期の光景を思い出した。
 誰かは分からなかったが、アイラの元へ駆けつけてくれた人物の、紅蓮の瞳を。

 ……そして、その人物が、身に纏っていた服を。


「……決めたわ」

「お、お嬢さま?」

「私は―――騎士を目指す」


 折れないような、強い心を。強い意志を。
 炎の中駆けつけてくれた人物のように、誰かを助けようと手を伸ばすことができる、そんな強さを求めて。


 アイラ・タルコットが、やり直しの人生で、騎士となることを決めた瞬間だった。


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