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政変
神と対峙
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弾なんて、とうに切れていた。持ってきた刃物の切れ味も格段に落ちている。
「クソッ……一人抜かれましたが、彼等は大丈夫でしょうか」
また一人投げ飛ばしてから、ランが言う。速さも大分落ちていた。疲労が溜まっているのは明らか。
「アイツは……多分仕方ない。ひとまずお前が無事なら──」
変なことを言いかけて、咄嗟に口を閉じた。幸い、騒音でランの耳には届かなかったようだ。
先程、自分達に見向きもせず、駆け抜けていった黒い軍服姿は──
『アンタ達に興味はない』
間違いなく、最初に襲い掛かってきた敵の、いわくヤバい奴。
──コウ。
つまるところ、彼の末路を察した。決して親しかった訳ではない……だけどあのヘドロのように淀んだ世界で、共に道化を演じた者同士。通ずるところはあった。彼がセンチと話す時は嬉しそうで……最後の別れ際はとても印象的だった。
「ボーっとしている場合ですか!」
彼を思い出して物思い。一瞬、気が抜いた隙に迫ってくる敵を、ランが思い切り投げ飛ばす。肩で大きな息をしていた。
「すまんな」
その後ろから襲ってくる軍服の刀を、自分が拾った刃物で受け止めて、オトガイを強打。その隙に目を潰した。刃先はぼろぼろ。
──限界だ。
「もう、無理です……」
「はっ……わし等にしては上出来じゃ」
「貴方だけでは、さっさと特攻して終わっていたでしょうが。偉そうに」
今は数が減ったが、どうせもう少ししたらまた増援がやってくるだろう。まさに次から次へと湧いてくる虫の群れだ。
「どうします」
背中を合わせて、左右二つの通路を見やる。
上の階へ向かう道と……下の出口へ向かう道。今なら突破して、下の玄関から逃げ出すことも可能だろう。
──でも、どうしても、外へ逃げる気にはなれなかった。
「言っとくが、お前がわしに着いてくる必要は一切ないからな」
撤退の考えは二人とも同じ。
だけど仲間の身が気掛かり。
──無事だろうか。
迷うことなく……上に向かって走り出した。
「──だと思いましたよ」
ランは有無言わず、奥へ進む道に着いくる。
「何でじゃ!」
「僕の勝手でしょ」
「外行け!」
「いやです」
仕方ないので……連中のせめてもの置き土産に、持ってきた瓶を投げ捨てる。多少は上手いこと当たったらしく、小さな爆風。追われる間隔が少し広がった。
「なんですかあれ」
「自爆用」
「小さいですね」
「まともに配合したら、ちゃんと死ねる予定やったわ」
「だから、死ぬなっつってんでしょ」
本当に口が悪いと思った。
二人で狭い道を駆け抜けて──だけど思い改まって、向きを変える。
急いで後を追わなければならないのは分かっているが……どうしても行きたいところがあった。
「すまん──ラン、先行け!」
並走していたランから距離をとる。
「何処へ行くのですか!」
「ちょいと……寄り道」
最奥部へ向かうのとは少し逸れて、違う道へと……近付くにつれて機械音が聞こえてくる。
もう見つかったってなんてことはない。勢いよく扉を蹴破るが、そこに一切の人気は無かった。
「見捨ておったか……薄情やのぉ、とれる知識とったらポイってか」
まぁかえって都合は良い──自身のポケットを探りながら、特定の数字が刻まれた検体に近付く。再び来られるかは分からなかったが……このために、数個の道具は使わず取っておいた。
「ここは……」
後ろから身軽な足音。案の定、ランも後を追ってきたようだった。
「なして来た……来んでえかったに」
チラリと後ろを一瞥して彼の存在を確認したが、すぐに視線は目の前のものへと戻した。
背中越し、ランに向かって……小さく話す。
「むしろ来んな──見るモンやあらへん、恥ずかしいやろ。服も着てへんに」
最後に……ガラス越しに触れる。やはり冷たい。変わらず規則正しく光りが流れるコードの束。
今度は──目の前の存在に、話し掛ける。
「すまん……その状態から元に戻す方法、思い浮かばんかった。今の俺じゃ、無理だわ……じっちゃ」
聡いことに、ランはそれ以上は部屋に入らず……口も挟んでこなかった。
「もっと勉強してたら……可能性はあったんかな」
冷たい水槽に触れて、目を閉じて……かつての温もりを思い出す。思い出して、目を開けた。
伝わることのない最期の時間──。
「だからって、待っとってくれなんて言わん……ごめんな」
思い切り──手元のドライバーを突き刺すと、ひびが入った。そのまま広がり、隙間から液体が漏れ出る。もう一度強く叩けば、パリンと部分的に砕け散った。
アラーム音がうるさいが……きっともう、誰も来ないだろう。ここはそういう場所なのだ。いいように利用されて、念のための保管場所。
けたたましい音の中にふと微かな電子音を聞いた。容器の根元にある小さなモニター画面がカチカチと光を帯びる。
──i miss home
ぐっと……何かが溢れそうになるのを堪えて、荷物から取り出した最後の瓶を床に叩きつけた。
「行くで、ラン」
声と同時に、大きな炎があがって……背中を向けて、歩き出す。床に液体を垂らしながら進む、火がよく広がるように。
ランは無言で着いてくる。悠長にしている時間はないが、彼なりの気遣いに感謝した。
「大好きやで……またな、じっちゃ」
小さく呟き、大きな火花が舞い始めたその部屋を後にした──。
ぐるぐる、ぐるぐると……上へ上へひたすら階段を昇っていく。まるで何かを囲むような形。実際中央には大きな柱が立っていた。
「腕大丈夫?」
「カンナこそ」
いくらステープラで処置して強く巻こうとも、左腕の包帯から血が滲む。共に負傷していたが、休んでいる場合でないことは明らか。互いを気遣うのが出来る精一杯だった。
「──この先に、いるんだよね」
不意に口走るカンナ。頷く。
「うん……僕等が探していた、神」
ここまで来ると誰もおらず、静かだった。
「カンナ」
階段が終わり、平坦な床が続く。目の前には重々しく、大きな扉。
二人で視線を交わしてから……扉を左右に押し開いた。
すると開かれた空間──眩しさに一瞬目がくらむが、すぐに慣れた。
視界を占める、一面の青い水。
「何この匂い……」
部屋に入った瞬間、カンナが反射的に手の甲で鼻を抑える。同じことを感じたことだが……似た匂いを僕は知っている。
「──ホルマリン?」
記憶を辿れば、兄達が使っている地下の作業室に始まり、先程捕まったウミナリの人形からも漂っていた臭い……保存液だ。
人形のカプセル内で見慣れている色とは違うし、刺激臭も知っているほどきつくはない。だけど恐らく含まれているはずだ。濃度と配合量が違うのかもしれない。
「そうだよ、ホルムアルデヒドに電解質、ブドウ糖。生体活動に必要なものと固定液を含んでいる。青いのは機械の光の反射が強いんだがね」
──驚く。
誰もいないのに声が響く。けれど、その響きは随分人離れしており……電子音に近い。言葉に起伏がなく、淡々と読み上げているようだった。
「どこ!」
辺りを見渡しても、勿論人の気配はない。焦ったのかカンナが叫んだ。
「そんなにきょろきょろしなさんさな。君達の……向かって右側だよ」
二人で顔を見合わせる。右と言われても人はいないが、確かに音はその辺りから聞こえるし、物が雑多に置かれている。
恐る恐る奥へと進むと──
「やぁ、はじめまして。若いお二人さん」
近付くと分かった……ウィーンと、機械の音。僕達の動きに合わせて動く二つの球体は、まるで眼球。音はその少し下の、広い画面から発せられていた。
「……監視カメラ?」
「ああ、ありがとう。やっと正面から顔が見えたよ。センチくんとカンナさんだね」
近付いても人の姿は変わらず確認出来ないが、見ているとしたらこの器械からだろうか。自分達の姿が画面の中央に写される。それに加えて……端では、城内の様子も次々と写されていた。通り過ぎた部屋の数々や……動くミキとランさんの姿も一瞬だけ。
──無事だ!
早く片付けて、助けに行きたいと強く思った。そのためにも……目の前の存在を。
「まだあどけなさの残るお二人だね。こんな若いお客さんは久しぶりだ。光栄だよ、会えて」
僕達は顔を見合わせる。想像していた様子と違って、音はともかく柔らかい物言い、温和な口調。襲ってくる様子もない。
僕は画面とにらめっこ。カンナは……少し離れて、うろうろと声の主を探し始める。
「あの……貴方が、神様ですか?」
眼球のような器械が動く。僕の周りをうろちょろとして、角度を変えて見ているようだった。
「滅相もない。わたくし個人にそのような力はありません」
疑問。
ここは城の頂上──いるのは政府の頂点、神のはず。先程アイさんにも言われた……この先にいるのは神だと。
「では、貴方は……?」
ビィンと、一瞬音が乱れた。
「わたくしは神ではありません。政には長けていましたが、齢六十を過ぎた頃に肉体は病に倒れました」
──肉体?
ところどころ、気になる単語。
「完全な人間などおらず、まさに個人では神にはなり得ません」
しかし、と──続ける先が何かあるのか。
「長けた能力者で構成された組織こそは、まさに神と言えるでしょう……全知全能なのですから」
その思考が行き着く先が何なのか──想像がつく気がした。
「センチ!」
突然大きく呼ぶカンナ。何事かと彼女の傍らへ急ぐ。
すると水槽のガラスにへばりつき……恐ろしそうに震えて下を指差す。
指された先に視線を送る。
──吐き気を催す。
「何……あれ……」
目の前のガラスの中には青い液体が漂うのみ。ただし深く深く、下へと続いている。城の中央にあった柱の中を通っていたのはこれだろう。
しかし、更に深部には──異様なもののが連なる。
「気持ち悪い……あれって、人の頭だよね……」
画面裏側から繋がる太い管。その先を追っていくと行き着く集団……塊。カンナは口元を押さえて苦い顔をしていた。
──頭部の集まり。
電気の管だらけの水槽の中。特に太い管の先には、一人の男性の頭……口の中へと繋がる。距離があってしっかりとは確認できないが、目は混濁しきっている。皮膚も固定した後の独特の張り方。
首の断面から細い線が更に伸びて、周りを取り巻く。同様にその繋がりの先にも別人の頭。繰り返しで、深くなるにつれて頭の数も増えて行き、深部の方はもう見えない。それに伴って無数の線がとぐろ巻いている。
「ははっ、お嬢さんには刺激が強すぎましたかな」
一方で──能天気な声。
「今となれば、確かにこの残し方は少々見目がよろしくない。当時の反省点です」
「当時?」
「センチくんはあまり驚かないんだね。流石は人形師の家系だ」
「当時って、どういうことですか。貴方は一体誰なんですか」
声を張り上げるだけ。本体が分かったところで、画面に向かうのは無駄だと判断したからだ。
「当時は当時だよ、戦争の頃さ──知っているのだろう。キョウマくんは報告しなかったようだが、わたくし達はここから見ていましたよ」
先程の画面からは、あらゆる部屋の状態を確認できた。確かに見えていたのだろう。
「盗み見ですか」
「城主が配下の動向を確認するのは当然の務めですから」
「随分な趣味ですね」
「なんと、まぁ。せっかく保管室を見せて差し上げたのに」
「それが……悪趣味だと言うんですよ」
皮肉めいたって、きっとコイツには届かない。ありがとうと更に返ってけるだけだった。
「ミキのおじいさん……よくも、あんな姿に」
「何を言いますか。彼もわたくし達の大切な一部分です。ただ方向性に違いが生じたので、別の場所にいていただいただけですよ」
何を言っても通じないだろう……奥歯を噛み締めて、睨み付ける。
さて──そう切り出して、電子音は平然と続けた。
「わたくし個人の話でしたね。個人の話をしても致し方ありませんが……当時、戦略対策と技術部門の長官をしておりました」
聞き慣れない言葉だが、何となく察する。ミキが言っていた、知識の基盤が同じとは限らない……それは僕等とこの頭の塊には当てはまることだろう。
「ニューロンの活動を維持したまま保存可能か──身をもって示したのでございます。結果、この半永久的に継続できる知能を我々は得ました」
はっとする。
理解できる数少ない単語から考え、て察する。
半永久的な継続、維持したままの活動。
それはまるで──
「マリオネット……」
「ええ、その原点と言えるでしょう」
電気が流れるのか、一瞬水槽の中が明るく光った。
「当時の技術だったので至らぬ点は多々ありますがね。ただ、伝達機能の維持に重きを置いていたので、このように自発的に言葉を選べます」
現在の人形は意思疎通など不可。形態も全く異なる──。
しかし原点と言われても不思議ではなかった……いや、矛盾がなかった。
「君主は下におられます、そうそこ、右下のあたりです。わたくしが代表に言葉を発しているように感じられるかもしれませんが、我々の思考は繋がっております」
僕達は……冷たく、水の中に浮かぶ頭達を見下ろし続けた。
「個人ではなり得ない、全智の存在──この姿から我々を神と呼び、崇拝し、国民は進んで従事してきました」
「進んで? 誰が!」
いよいよ我慢できなくなったカンナが吼えた。
「アンタ達が強制したんでしょうが!」
「とんでもない。あるべき職務を与えたまで」
「大事なことは隠して! いいように使って!」
「無駄な情報は戸惑わせるだけ。知識は必要とすべき箇所に集め、混沌を回避したのは我々です」
──平行線。
言葉は成り立っているのに会話は成り立たず、押し問答。
「じゃあ何! お姉ちゃんもセンチも、こんな目に合うのも必然だと言うの!」
「何を言いますか。結果、彼等は鍛え抜かれ、選ばれ……ここへ招かれた。余計な騒動を起こさなければ、半永久的な存在となって我が国を支える選択肢も与えられた──それを」
音が変わる……いや、変わらないのだが、確実に雰囲気が変わった。
「どうして定期的に、不穏分子となって湧いてくるのか」
「──現状に納得していないからです」
たまらず僕も声をあげた。
ただ、定期的という表現──以前にも反乱を企てた人が存在していたということだろう。正直意外だった。
失敗に終わり、今に続くのだろうが……その人達が繋いでくれたものがきっと、僕達にあるはずだ。
「知って、考えて……選ぶ権利が、僕達にはある」
「たかが一人の頭で何ができましょう──そのために、このような姿となり国を支えているのです」
「思い上がりも甚だしい……お前達がやっているのは、利己主義を偽善で隠した、ただの押し付けだ」
「──血は争えないようですね」
まぁいいでしょうと、電子音は続ける。
「挨拶はこれまでにしましょう……では、君達は何を求めてここまで来たのでしょうか」
拳を更に握り締めて、緊張で渇いた口から言葉を絞り出す。
「現在の制度の廃止──マリオネットの技術を放棄し、この制限された思考から人々の解放を」
ははは、と恐らく笑い声。電子で紡がれれば、笑う声もただの音の集まり。高低のない響きは不気味以外の何者でもなかった。
「人形技術を放棄……この国に戦争で負けろと言うおつもりですか」
「あった事実は受け止めなければならない。でも、僕達の世代には勝ち負けなんて関係ない。大切な人を犠牲にしてまで得る力なんて……誰が望むもんか!」
右の拳でガラスを殴る。勿論びくともしない。それでもやらずにはいられなかった……気持ちをぶつけたかった。
しかし、奴等には何も届かない。
「なるほど──交渉条件は揃いませんね。しかし、貴方方に何ができますか?」
今度はカンナが蹴りつける。割れはしないが、強い振動が表面を伝って僕には届いた。
怒りの表情だがカンナは何も発ず、深部の塊をただ睨み付けている。
再び正面を見据えて、僕は吐き捨てるように言う。
「お前達を……ふんぞり返っている頂点から引き落とす──その逃げ込んだ水槽から、引きずり出してやる」
「面白い。しかし、わたくし達を消し去ることがどのような事態を招くかまで、しかと想像に及んでおりますか?」
混沌、混乱、身内での争い──神は次々にあげていく。自身の価値を、自らが築き上げた国の素晴らしさを。
「天候や気温調整も我々が行っています。朝と雨を失った国民が混乱もなく従事するとでも?」
睨み付けるだけだった僕等だが……カンナが再び怒声をあげる。
「私達は家畜じゃない……考える頭を持っている! 統制された世界じゃなくたって、生きていける!」
「ほう……威勢だけが良いようですね、カンナさん。貴女には何があります?」
勢いが弱まり、ぐっと言葉を飲み込む。
「私は……」
「センチくんは有能だ。カズエくんやミキくんもならまだしも、君には何がある? オトナシくんも充分な存在だった。比べて君は」
「うるさい」
ガン、と──瞬時に、破壊音で言葉を遮った。
雑多の中に転がっていた鉄の棒を振り上げて、思い切り振り下ろす……先程まで見ていた画面を再起不能なまでに破壊する。何度も振りかざした後には、火花が幾つも舞った。
「センチ……?」
驚いたカンナが、僕を見つめる──いや、僕の手元を。
「何故無駄なことを」
それでも音は鳴り響く。腹立たしい。
「無駄って何だよ。カンナをバカにするな」
用のなくなった棒を床に放り捨てる。虚しく転がる音が空間に響いた。勿論敵の反応に変わりはない。あの画面を叩いたところで無意味なことは分かっていた。本体は水槽の深部なのだから。
「カンナが背中を押してくれたから、僕はここにいる。カンナが感情を見せてくれるから、僕は冷静でいられる──誰かは誰かの隣に立っている。無駄なんてない」
自分でも驚くほど静かに、冷静に、落ち着いて言い放つ。
「交渉の余地すらない、決裂だ──僕は、お前達を、殺す」
雑音が……数多く重なる。
「まぁ、無理なこと」
「どのようにして、我々に挑むのですか。そのような、か弱い肉体で」
「やはり愚か。愚民のために我々がいかに体を張って」
「我が国の勝利の後の、安泰も見据えて」
甲高い音も混ざり、耳障りな時間が続く。耐えられなくてカンナは反射的に耳を押さえていた。
「──センチ、どうする? 本体は深くにいるよ。私達が届くのは浅いとこのコードくらいしか……」
「コードを切ろうが無駄です、あらゆる機器と無線で繋がっていますので、君達には到底及ばない」
わざわざ説明してくれるなんて、本当に知識をひけらかす連中の見苦しいこと。本当の知恵者は自ら高々と歌い上げることはしない。苦しい時に助けてくれる……それはきっと、カズエ兄さんのように、ミキのように、僕の周りの皆のように。
対抗すべく、僕も考えを言葉にする。
「それに水槽の中は生身には有害……そうだろ。これは保存液の類いだ」
「察しがよろしくて。同様に諦めが肝心かと」
──諦めない。
隣のカンナを見つめる。
「僕はもう諦めない……さっき諦めて、カンナを怒らせちゃったから」
「……怒ってない! 言い方に気を付けてよね──でも」
何かと思うと、頬を少しだけ赤くして、見たことない様子で……怒りながら、少し照れているようだった。
「ありがとう……私には、何もないけれど」
「そんなことない。カンナは僕の隣に立っていてくれる」
「……私はセンチの隣にいる。センチも、私の隣にいてくれる。一緒だよ──諦めたくない」
「うん……皆も、後ろにいてくれる」
二人で強く、頷いた。気持ちは一緒だ。
ならば──どうやったら倒せるか。
もう一度、水の奥底……深くに眠る頭の塊を見やる。
「あらゆる電気系統と繋がっているなら──お前達の存在ごと抹消するしかない、ということか」
「不毛な……崇拝者が修理し、バックアップから復活させるだけでしょう」
「それすら叶わなくさせればいい」
「手の届かない存在──神の我々に、いかほどに?」
──皆がいる。導いてくれた。
コロンを失って、真実の片隅を見た。カズエ兄さんを……キドとランさんを傷付けて、ミキと罵倒し合って弱さをさらけ出しながら真実へ近づいた。過程でコウさんやカンナという信頼出来る仲間も得た。
そうして、始まりの彼女へ……手をのばす。冷たいカプセルは、変わらずひんやりと心地よい。
「オトナシ──最後にもう一度、力を貸して!」
鞄から彼女を取り出す。
──それでもやはり最後は、人形の力が必要。
これを最後にしたい……そう思いながら、天高く振りかざす。
がしゃんと、カプセルをその場で叩き割った。破片の中から愛しい人を始めとして、肉付けされた人形を掴み取あげて……水の中へ投げ入れた。手が焼けるのも今は気にならない。
右耳に急いでコネクターを装着する……ガキンと脳天まで抜ける嫌な感覚は慣れた。代わりに聞こえる歌声は好きだった。
だけど何故だろう──。
「オトナシ……?」
音が、聞こえてこなかった。
「クソッ……一人抜かれましたが、彼等は大丈夫でしょうか」
また一人投げ飛ばしてから、ランが言う。速さも大分落ちていた。疲労が溜まっているのは明らか。
「アイツは……多分仕方ない。ひとまずお前が無事なら──」
変なことを言いかけて、咄嗟に口を閉じた。幸い、騒音でランの耳には届かなかったようだ。
先程、自分達に見向きもせず、駆け抜けていった黒い軍服姿は──
『アンタ達に興味はない』
間違いなく、最初に襲い掛かってきた敵の、いわくヤバい奴。
──コウ。
つまるところ、彼の末路を察した。決して親しかった訳ではない……だけどあのヘドロのように淀んだ世界で、共に道化を演じた者同士。通ずるところはあった。彼がセンチと話す時は嬉しそうで……最後の別れ際はとても印象的だった。
「ボーっとしている場合ですか!」
彼を思い出して物思い。一瞬、気が抜いた隙に迫ってくる敵を、ランが思い切り投げ飛ばす。肩で大きな息をしていた。
「すまんな」
その後ろから襲ってくる軍服の刀を、自分が拾った刃物で受け止めて、オトガイを強打。その隙に目を潰した。刃先はぼろぼろ。
──限界だ。
「もう、無理です……」
「はっ……わし等にしては上出来じゃ」
「貴方だけでは、さっさと特攻して終わっていたでしょうが。偉そうに」
今は数が減ったが、どうせもう少ししたらまた増援がやってくるだろう。まさに次から次へと湧いてくる虫の群れだ。
「どうします」
背中を合わせて、左右二つの通路を見やる。
上の階へ向かう道と……下の出口へ向かう道。今なら突破して、下の玄関から逃げ出すことも可能だろう。
──でも、どうしても、外へ逃げる気にはなれなかった。
「言っとくが、お前がわしに着いてくる必要は一切ないからな」
撤退の考えは二人とも同じ。
だけど仲間の身が気掛かり。
──無事だろうか。
迷うことなく……上に向かって走り出した。
「──だと思いましたよ」
ランは有無言わず、奥へ進む道に着いくる。
「何でじゃ!」
「僕の勝手でしょ」
「外行け!」
「いやです」
仕方ないので……連中のせめてもの置き土産に、持ってきた瓶を投げ捨てる。多少は上手いこと当たったらしく、小さな爆風。追われる間隔が少し広がった。
「なんですかあれ」
「自爆用」
「小さいですね」
「まともに配合したら、ちゃんと死ねる予定やったわ」
「だから、死ぬなっつってんでしょ」
本当に口が悪いと思った。
二人で狭い道を駆け抜けて──だけど思い改まって、向きを変える。
急いで後を追わなければならないのは分かっているが……どうしても行きたいところがあった。
「すまん──ラン、先行け!」
並走していたランから距離をとる。
「何処へ行くのですか!」
「ちょいと……寄り道」
最奥部へ向かうのとは少し逸れて、違う道へと……近付くにつれて機械音が聞こえてくる。
もう見つかったってなんてことはない。勢いよく扉を蹴破るが、そこに一切の人気は無かった。
「見捨ておったか……薄情やのぉ、とれる知識とったらポイってか」
まぁかえって都合は良い──自身のポケットを探りながら、特定の数字が刻まれた検体に近付く。再び来られるかは分からなかったが……このために、数個の道具は使わず取っておいた。
「ここは……」
後ろから身軽な足音。案の定、ランも後を追ってきたようだった。
「なして来た……来んでえかったに」
チラリと後ろを一瞥して彼の存在を確認したが、すぐに視線は目の前のものへと戻した。
背中越し、ランに向かって……小さく話す。
「むしろ来んな──見るモンやあらへん、恥ずかしいやろ。服も着てへんに」
最後に……ガラス越しに触れる。やはり冷たい。変わらず規則正しく光りが流れるコードの束。
今度は──目の前の存在に、話し掛ける。
「すまん……その状態から元に戻す方法、思い浮かばんかった。今の俺じゃ、無理だわ……じっちゃ」
聡いことに、ランはそれ以上は部屋に入らず……口も挟んでこなかった。
「もっと勉強してたら……可能性はあったんかな」
冷たい水槽に触れて、目を閉じて……かつての温もりを思い出す。思い出して、目を開けた。
伝わることのない最期の時間──。
「だからって、待っとってくれなんて言わん……ごめんな」
思い切り──手元のドライバーを突き刺すと、ひびが入った。そのまま広がり、隙間から液体が漏れ出る。もう一度強く叩けば、パリンと部分的に砕け散った。
アラーム音がうるさいが……きっともう、誰も来ないだろう。ここはそういう場所なのだ。いいように利用されて、念のための保管場所。
けたたましい音の中にふと微かな電子音を聞いた。容器の根元にある小さなモニター画面がカチカチと光を帯びる。
──i miss home
ぐっと……何かが溢れそうになるのを堪えて、荷物から取り出した最後の瓶を床に叩きつけた。
「行くで、ラン」
声と同時に、大きな炎があがって……背中を向けて、歩き出す。床に液体を垂らしながら進む、火がよく広がるように。
ランは無言で着いてくる。悠長にしている時間はないが、彼なりの気遣いに感謝した。
「大好きやで……またな、じっちゃ」
小さく呟き、大きな火花が舞い始めたその部屋を後にした──。
ぐるぐる、ぐるぐると……上へ上へひたすら階段を昇っていく。まるで何かを囲むような形。実際中央には大きな柱が立っていた。
「腕大丈夫?」
「カンナこそ」
いくらステープラで処置して強く巻こうとも、左腕の包帯から血が滲む。共に負傷していたが、休んでいる場合でないことは明らか。互いを気遣うのが出来る精一杯だった。
「──この先に、いるんだよね」
不意に口走るカンナ。頷く。
「うん……僕等が探していた、神」
ここまで来ると誰もおらず、静かだった。
「カンナ」
階段が終わり、平坦な床が続く。目の前には重々しく、大きな扉。
二人で視線を交わしてから……扉を左右に押し開いた。
すると開かれた空間──眩しさに一瞬目がくらむが、すぐに慣れた。
視界を占める、一面の青い水。
「何この匂い……」
部屋に入った瞬間、カンナが反射的に手の甲で鼻を抑える。同じことを感じたことだが……似た匂いを僕は知っている。
「──ホルマリン?」
記憶を辿れば、兄達が使っている地下の作業室に始まり、先程捕まったウミナリの人形からも漂っていた臭い……保存液だ。
人形のカプセル内で見慣れている色とは違うし、刺激臭も知っているほどきつくはない。だけど恐らく含まれているはずだ。濃度と配合量が違うのかもしれない。
「そうだよ、ホルムアルデヒドに電解質、ブドウ糖。生体活動に必要なものと固定液を含んでいる。青いのは機械の光の反射が強いんだがね」
──驚く。
誰もいないのに声が響く。けれど、その響きは随分人離れしており……電子音に近い。言葉に起伏がなく、淡々と読み上げているようだった。
「どこ!」
辺りを見渡しても、勿論人の気配はない。焦ったのかカンナが叫んだ。
「そんなにきょろきょろしなさんさな。君達の……向かって右側だよ」
二人で顔を見合わせる。右と言われても人はいないが、確かに音はその辺りから聞こえるし、物が雑多に置かれている。
恐る恐る奥へと進むと──
「やぁ、はじめまして。若いお二人さん」
近付くと分かった……ウィーンと、機械の音。僕達の動きに合わせて動く二つの球体は、まるで眼球。音はその少し下の、広い画面から発せられていた。
「……監視カメラ?」
「ああ、ありがとう。やっと正面から顔が見えたよ。センチくんとカンナさんだね」
近付いても人の姿は変わらず確認出来ないが、見ているとしたらこの器械からだろうか。自分達の姿が画面の中央に写される。それに加えて……端では、城内の様子も次々と写されていた。通り過ぎた部屋の数々や……動くミキとランさんの姿も一瞬だけ。
──無事だ!
早く片付けて、助けに行きたいと強く思った。そのためにも……目の前の存在を。
「まだあどけなさの残るお二人だね。こんな若いお客さんは久しぶりだ。光栄だよ、会えて」
僕達は顔を見合わせる。想像していた様子と違って、音はともかく柔らかい物言い、温和な口調。襲ってくる様子もない。
僕は画面とにらめっこ。カンナは……少し離れて、うろうろと声の主を探し始める。
「あの……貴方が、神様ですか?」
眼球のような器械が動く。僕の周りをうろちょろとして、角度を変えて見ているようだった。
「滅相もない。わたくし個人にそのような力はありません」
疑問。
ここは城の頂上──いるのは政府の頂点、神のはず。先程アイさんにも言われた……この先にいるのは神だと。
「では、貴方は……?」
ビィンと、一瞬音が乱れた。
「わたくしは神ではありません。政には長けていましたが、齢六十を過ぎた頃に肉体は病に倒れました」
──肉体?
ところどころ、気になる単語。
「完全な人間などおらず、まさに個人では神にはなり得ません」
しかし、と──続ける先が何かあるのか。
「長けた能力者で構成された組織こそは、まさに神と言えるでしょう……全知全能なのですから」
その思考が行き着く先が何なのか──想像がつく気がした。
「センチ!」
突然大きく呼ぶカンナ。何事かと彼女の傍らへ急ぐ。
すると水槽のガラスにへばりつき……恐ろしそうに震えて下を指差す。
指された先に視線を送る。
──吐き気を催す。
「何……あれ……」
目の前のガラスの中には青い液体が漂うのみ。ただし深く深く、下へと続いている。城の中央にあった柱の中を通っていたのはこれだろう。
しかし、更に深部には──異様なもののが連なる。
「気持ち悪い……あれって、人の頭だよね……」
画面裏側から繋がる太い管。その先を追っていくと行き着く集団……塊。カンナは口元を押さえて苦い顔をしていた。
──頭部の集まり。
電気の管だらけの水槽の中。特に太い管の先には、一人の男性の頭……口の中へと繋がる。距離があってしっかりとは確認できないが、目は混濁しきっている。皮膚も固定した後の独特の張り方。
首の断面から細い線が更に伸びて、周りを取り巻く。同様にその繋がりの先にも別人の頭。繰り返しで、深くなるにつれて頭の数も増えて行き、深部の方はもう見えない。それに伴って無数の線がとぐろ巻いている。
「ははっ、お嬢さんには刺激が強すぎましたかな」
一方で──能天気な声。
「今となれば、確かにこの残し方は少々見目がよろしくない。当時の反省点です」
「当時?」
「センチくんはあまり驚かないんだね。流石は人形師の家系だ」
「当時って、どういうことですか。貴方は一体誰なんですか」
声を張り上げるだけ。本体が分かったところで、画面に向かうのは無駄だと判断したからだ。
「当時は当時だよ、戦争の頃さ──知っているのだろう。キョウマくんは報告しなかったようだが、わたくし達はここから見ていましたよ」
先程の画面からは、あらゆる部屋の状態を確認できた。確かに見えていたのだろう。
「盗み見ですか」
「城主が配下の動向を確認するのは当然の務めですから」
「随分な趣味ですね」
「なんと、まぁ。せっかく保管室を見せて差し上げたのに」
「それが……悪趣味だと言うんですよ」
皮肉めいたって、きっとコイツには届かない。ありがとうと更に返ってけるだけだった。
「ミキのおじいさん……よくも、あんな姿に」
「何を言いますか。彼もわたくし達の大切な一部分です。ただ方向性に違いが生じたので、別の場所にいていただいただけですよ」
何を言っても通じないだろう……奥歯を噛み締めて、睨み付ける。
さて──そう切り出して、電子音は平然と続けた。
「わたくし個人の話でしたね。個人の話をしても致し方ありませんが……当時、戦略対策と技術部門の長官をしておりました」
聞き慣れない言葉だが、何となく察する。ミキが言っていた、知識の基盤が同じとは限らない……それは僕等とこの頭の塊には当てはまることだろう。
「ニューロンの活動を維持したまま保存可能か──身をもって示したのでございます。結果、この半永久的に継続できる知能を我々は得ました」
はっとする。
理解できる数少ない単語から考え、て察する。
半永久的な継続、維持したままの活動。
それはまるで──
「マリオネット……」
「ええ、その原点と言えるでしょう」
電気が流れるのか、一瞬水槽の中が明るく光った。
「当時の技術だったので至らぬ点は多々ありますがね。ただ、伝達機能の維持に重きを置いていたので、このように自発的に言葉を選べます」
現在の人形は意思疎通など不可。形態も全く異なる──。
しかし原点と言われても不思議ではなかった……いや、矛盾がなかった。
「君主は下におられます、そうそこ、右下のあたりです。わたくしが代表に言葉を発しているように感じられるかもしれませんが、我々の思考は繋がっております」
僕達は……冷たく、水の中に浮かぶ頭達を見下ろし続けた。
「個人ではなり得ない、全智の存在──この姿から我々を神と呼び、崇拝し、国民は進んで従事してきました」
「進んで? 誰が!」
いよいよ我慢できなくなったカンナが吼えた。
「アンタ達が強制したんでしょうが!」
「とんでもない。あるべき職務を与えたまで」
「大事なことは隠して! いいように使って!」
「無駄な情報は戸惑わせるだけ。知識は必要とすべき箇所に集め、混沌を回避したのは我々です」
──平行線。
言葉は成り立っているのに会話は成り立たず、押し問答。
「じゃあ何! お姉ちゃんもセンチも、こんな目に合うのも必然だと言うの!」
「何を言いますか。結果、彼等は鍛え抜かれ、選ばれ……ここへ招かれた。余計な騒動を起こさなければ、半永久的な存在となって我が国を支える選択肢も与えられた──それを」
音が変わる……いや、変わらないのだが、確実に雰囲気が変わった。
「どうして定期的に、不穏分子となって湧いてくるのか」
「──現状に納得していないからです」
たまらず僕も声をあげた。
ただ、定期的という表現──以前にも反乱を企てた人が存在していたということだろう。正直意外だった。
失敗に終わり、今に続くのだろうが……その人達が繋いでくれたものがきっと、僕達にあるはずだ。
「知って、考えて……選ぶ権利が、僕達にはある」
「たかが一人の頭で何ができましょう──そのために、このような姿となり国を支えているのです」
「思い上がりも甚だしい……お前達がやっているのは、利己主義を偽善で隠した、ただの押し付けだ」
「──血は争えないようですね」
まぁいいでしょうと、電子音は続ける。
「挨拶はこれまでにしましょう……では、君達は何を求めてここまで来たのでしょうか」
拳を更に握り締めて、緊張で渇いた口から言葉を絞り出す。
「現在の制度の廃止──マリオネットの技術を放棄し、この制限された思考から人々の解放を」
ははは、と恐らく笑い声。電子で紡がれれば、笑う声もただの音の集まり。高低のない響きは不気味以外の何者でもなかった。
「人形技術を放棄……この国に戦争で負けろと言うおつもりですか」
「あった事実は受け止めなければならない。でも、僕達の世代には勝ち負けなんて関係ない。大切な人を犠牲にしてまで得る力なんて……誰が望むもんか!」
右の拳でガラスを殴る。勿論びくともしない。それでもやらずにはいられなかった……気持ちをぶつけたかった。
しかし、奴等には何も届かない。
「なるほど──交渉条件は揃いませんね。しかし、貴方方に何ができますか?」
今度はカンナが蹴りつける。割れはしないが、強い振動が表面を伝って僕には届いた。
怒りの表情だがカンナは何も発ず、深部の塊をただ睨み付けている。
再び正面を見据えて、僕は吐き捨てるように言う。
「お前達を……ふんぞり返っている頂点から引き落とす──その逃げ込んだ水槽から、引きずり出してやる」
「面白い。しかし、わたくし達を消し去ることがどのような事態を招くかまで、しかと想像に及んでおりますか?」
混沌、混乱、身内での争い──神は次々にあげていく。自身の価値を、自らが築き上げた国の素晴らしさを。
「天候や気温調整も我々が行っています。朝と雨を失った国民が混乱もなく従事するとでも?」
睨み付けるだけだった僕等だが……カンナが再び怒声をあげる。
「私達は家畜じゃない……考える頭を持っている! 統制された世界じゃなくたって、生きていける!」
「ほう……威勢だけが良いようですね、カンナさん。貴女には何があります?」
勢いが弱まり、ぐっと言葉を飲み込む。
「私は……」
「センチくんは有能だ。カズエくんやミキくんもならまだしも、君には何がある? オトナシくんも充分な存在だった。比べて君は」
「うるさい」
ガン、と──瞬時に、破壊音で言葉を遮った。
雑多の中に転がっていた鉄の棒を振り上げて、思い切り振り下ろす……先程まで見ていた画面を再起不能なまでに破壊する。何度も振りかざした後には、火花が幾つも舞った。
「センチ……?」
驚いたカンナが、僕を見つめる──いや、僕の手元を。
「何故無駄なことを」
それでも音は鳴り響く。腹立たしい。
「無駄って何だよ。カンナをバカにするな」
用のなくなった棒を床に放り捨てる。虚しく転がる音が空間に響いた。勿論敵の反応に変わりはない。あの画面を叩いたところで無意味なことは分かっていた。本体は水槽の深部なのだから。
「カンナが背中を押してくれたから、僕はここにいる。カンナが感情を見せてくれるから、僕は冷静でいられる──誰かは誰かの隣に立っている。無駄なんてない」
自分でも驚くほど静かに、冷静に、落ち着いて言い放つ。
「交渉の余地すらない、決裂だ──僕は、お前達を、殺す」
雑音が……数多く重なる。
「まぁ、無理なこと」
「どのようにして、我々に挑むのですか。そのような、か弱い肉体で」
「やはり愚か。愚民のために我々がいかに体を張って」
「我が国の勝利の後の、安泰も見据えて」
甲高い音も混ざり、耳障りな時間が続く。耐えられなくてカンナは反射的に耳を押さえていた。
「──センチ、どうする? 本体は深くにいるよ。私達が届くのは浅いとこのコードくらいしか……」
「コードを切ろうが無駄です、あらゆる機器と無線で繋がっていますので、君達には到底及ばない」
わざわざ説明してくれるなんて、本当に知識をひけらかす連中の見苦しいこと。本当の知恵者は自ら高々と歌い上げることはしない。苦しい時に助けてくれる……それはきっと、カズエ兄さんのように、ミキのように、僕の周りの皆のように。
対抗すべく、僕も考えを言葉にする。
「それに水槽の中は生身には有害……そうだろ。これは保存液の類いだ」
「察しがよろしくて。同様に諦めが肝心かと」
──諦めない。
隣のカンナを見つめる。
「僕はもう諦めない……さっき諦めて、カンナを怒らせちゃったから」
「……怒ってない! 言い方に気を付けてよね──でも」
何かと思うと、頬を少しだけ赤くして、見たことない様子で……怒りながら、少し照れているようだった。
「ありがとう……私には、何もないけれど」
「そんなことない。カンナは僕の隣に立っていてくれる」
「……私はセンチの隣にいる。センチも、私の隣にいてくれる。一緒だよ──諦めたくない」
「うん……皆も、後ろにいてくれる」
二人で強く、頷いた。気持ちは一緒だ。
ならば──どうやったら倒せるか。
もう一度、水の奥底……深くに眠る頭の塊を見やる。
「あらゆる電気系統と繋がっているなら──お前達の存在ごと抹消するしかない、ということか」
「不毛な……崇拝者が修理し、バックアップから復活させるだけでしょう」
「それすら叶わなくさせればいい」
「手の届かない存在──神の我々に、いかほどに?」
──皆がいる。導いてくれた。
コロンを失って、真実の片隅を見た。カズエ兄さんを……キドとランさんを傷付けて、ミキと罵倒し合って弱さをさらけ出しながら真実へ近づいた。過程でコウさんやカンナという信頼出来る仲間も得た。
そうして、始まりの彼女へ……手をのばす。冷たいカプセルは、変わらずひんやりと心地よい。
「オトナシ──最後にもう一度、力を貸して!」
鞄から彼女を取り出す。
──それでもやはり最後は、人形の力が必要。
これを最後にしたい……そう思いながら、天高く振りかざす。
がしゃんと、カプセルをその場で叩き割った。破片の中から愛しい人を始めとして、肉付けされた人形を掴み取あげて……水の中へ投げ入れた。手が焼けるのも今は気にならない。
右耳に急いでコネクターを装着する……ガキンと脳天まで抜ける嫌な感覚は慣れた。代わりに聞こえる歌声は好きだった。
だけど何故だろう──。
「オトナシ……?」
音が、聞こえてこなかった。
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