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世界
世界のルール 取れた腕は帽子屋が治してくれました
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ついて行くと、見えてきたのは一軒の家。家というよりは看板を掲げて……麦わら帽子の絵が描いてある。男が言うようにお店だろうか、こんな世界にまともな店も客もいるとは思えないが。
「ここだよ」
私の左腕を右手に持って……いや、正確には引きずって。
「あのー引きずるのは……」
「ああ、すまない。意外に人の腕は重いのだよ。知っているかい、大体三、四キロあってカロリーだと千五百は越えるそうだよ」
「そんな情報知りたくない」
それは残念と言って、男はノックも無しに目の前の扉を開けた。
「さぁ行っておいで」
「え、私だけで?」
「君一人で十分だろう。この腕をつけてもらえばいいのだから」
「いやよ、さっきみたいに切りつけられたらたまったものじゃない。アンタも来て」
残っている右手で男の服を掴む。そうなると使える腕はなくなり、ノックは叶わない。諦めて、失礼ながらそのまま家に入ることにした。
「止めておくれよ」
「お邪魔します」
中へ入ると気配を察したのか、ぱたぱたと近付いてくる賑やかな足音。
「はぁーい! あら、可愛らしいお客さん。青いエプロンドレスがアリスみたい」
中に入ると思ったよりメルヘンな内装で、麦わら帽子やハンチング帽、ブルトン、ハット。ボーダー柄からピンク色まで個性的で様々な帽子が飾られていた。
──なるほど、帽子屋。
アリスに出てくるような、いかれ帽子屋ではなさそうで安心……するには早いかもしれない。さっきのうさぎの一件もあったし、何よりここは夢でおかしな世界。その住民はどうあがいても安心できない。
「あら、貴方が誰かを連れているなんて珍しいですね。新しい住人ですか?」
「そうだねえ」
「猫さんが連れてくるなんて、まさしく不思議の国のアリスちゃんかしら。あら、じゃあ私はマッドハッターなのかしら。ちょっと失礼しちゃう」
──猫?
部屋の中でも帽子……ハットを被っているその女の人は私ではなく、私の後ろの男を見てそう言った。やはりこの変な男が猫に見えるのは私だけではないらしい。
彼女は私より年上だろうか。髪は短く肩ほどだが、すらりとした背の高さと体の曲線がとても女性らしい。お嬢様という感じで、エプロンドレスはきっと私より似合うだろう。
「これをこの子につけて欲しい」
挨拶する間もなく、男は持っていた私の腕を女の人に差し出した。いきなり腕を渡しても困るだろうと止めようとしたが……すんなりと受け取る帽子屋。やはりここは常識で考えてはいけない世界だ。
「あらあら、これはまた綺麗にスパッと。貴方の?」
「えっと、あ……はい」
「じゃあ入って、ここ座って」
ちょいちょいと手招き。怪しさ満載だが、後ろを振り返るとちゃんとあの男がいた。約束は守ってくれているようだ。
男と目が合う。
「彼女は大丈夫。年頃も近いだろうから色々と聞くといい。きっと君と気も合うだろう」
男を信用するつもりもないが、腕が無いのも困る。これで本当に腕が戻るならば仕方なしと言われた席へ座った。彼女の隣だ。
「これだけスパッとやってくれると、逆に繋ぎやすくていいわ」
「そうなんですか」
「ぐちゃぐちゃだと戻すのも大変よ。誰にやられたの? 女王がこんな手間のかかる事わざわざするとも思えないけど」
──女王?
本当にまるでアリスの世界だ。
「いえ。うさぎが」
「うさぎさん? あの人がこんな事をするなんて考えられないけど」
私の中では弱々しい外見の反面、包丁を躊躇なく振り下ろしてきたイメージしかない。彼女の言う事は理解できなかった。
「まぁ貴方若そうだし、きっとすぐ直るわ。年をとっていると脂肪も増えて、神経を見つけるのも大変なの」
そして──針と糸を取り出す。
「ちょっと待って下さい。それで治すんですか」
「痛くないから大丈夫よ。知っているでしょう?」
「でもそれじゃぬいぐるみと同じじゃ」
「同じ原理よ。神経と神経、筋肉と筋肉くっつけるだけだもの。はい動かないでね」
──頭が痛くなってきた。
それでも為す術などなく、私はただ帽子屋という彼女の動作が終わるのを待つしかなかった。その動きは本当にただ裁縫をしているだけで……手元が私の腕の断面ではなく、ぬいぐるみやフェルトだったら素直に上手だと誉められたのに。
──不意に彼女は接着剤を取り出す。
「それは何に使うんですか」
「骨をくっつけるの。針じゃ通らないもの」
この体は一体どうなってしまうのか始終不安を感じていた。やはりいかれ帽子屋だ。
視線を逸らし、腕の方を見ないようにして……気分を変えるためにも違う話を試みようと思った。
「……皆、こうやって治すのですか」
「ええ。お陰で帽子屋さんなのに、どちらかというとお医者さんね」
ふふ、と笑う姿はやっている事と反して上品。手元さえ見なければこんなやり取りも嫌いじゃないのに。
「ぬいぐるみを直すみたい」
「そうね」
「何でも治せるんですか」
「大抵はね。でも勿論、大切な場所がやられたら直せないわよ。血がぶしゃーって出てるしね」
「大切な場所……?」
にょっと、横からあの男が突然顔を出してくる。
「おちびちゃん、まさか変なことを考えていないよね」
「は!?」
「あらやだ、破廉恥」
「何がですか!」
「もう、動いたらダメよ」
乗り出そうと勝手に動いた体を彼女に抑えられ、仕方なしに椅子へと戻る。だが腹の虫が収まらないので男を睨み続けると何の悪びれた様子もなく、部屋に置いてあるソファに寝そべった。あくびをしていて腹が立つ。
──気を取り直して、改めて聞く。
「大切な場所って、致命傷ってことですよね。胸のあたりではないんですか」
「え?」
何を言っているの──さもそう言わんばかりの表情。別におかしなことを言ったつもりはないし、言っていないはずだ。同じく何を不思議がっているのかと言わんばかりの顔で返した。
「貴方、見ない顔だけど……新入りさんよね」
「さっき来ました。アイツに突き落とされて」
空いている方の手の人差し指で寝転がって伸びをしている猫らしき男を指した。相変わらず本人は知らんぷりだが。
「まぁ。本当にほやほやさんなのね」
「それであの変な奴に」
「変とは失礼だなぁ。うさぎさんと戦えばいいと教えただけさ」
「そうだけど、変は変でしょ」
「うさぎさんと戦ったの!」
痛くはないのだが、明らかに腕の無意味な場所から針先がのぞいた。驚いたのが分かりやすくて結構だが、私の体なので止めて欲しい。
「それで腕を? でも大切な場所がどこかも分からないで戦ったって……もしかして猫さんからここのルールを聞いていないの?」
──ルール?
こんなおかしな夢の世界に秩序なんてあるのだろうか、それこそ面白い話だと思う。取りあえず知らないと首を振った。
「猫さーん?」
「話す前に行ってしまったんだよ」
「いや、アンタ絶対崖で私の背中押したでしょ」
「忘れてしまったよ、おちびちゃん」
「なにコイツ!」
改めて男を指さして怒る間も左腕の縫合は続いていた。
ルールはそんなに難しいものではないと帽子屋は語る。
この世界において命は、自分の大切なものとイコールである。大切なものが命となる。すなわち大切なものを刺されれば、命を落とすのと同じことである。
逆を言えば、それさえ守られれば心臓を潰されようが平然としている。
「だからあのうさぎは背中を刺されても平気だったってこと?」
「そうね、うさぎさんにとって大切なものは胸の心臓ではないのでしょうね。大切な場所を傷つけられると血が出るそうだから、目安にもなるそうよ」
「うわ、なんかグロい」
「聞いただけで実際に見たことはないから私にも分からないけどね。消える直前の人、見たことないから」
「治せない?」
「直せないでしょうね。それに、やられた人がここまで来られるとは思えないし。貴方みたいに致命傷じゃないならたまにあるけれど」
他にも訊ねたが、ルールは本当にそれだけだった。
──相手の大切と思う箇所を狙う。
「って、それ知らなきゃ無理に決まってるじゃない!」
私はもう一度男を睨むが、勿論こちらとは違うところを見ていた。
「どうして戦うの?」
「どうしてって、現実に帰りたいから」
後ろから大きなあくび声が聞こえてくる。何度目か忘れたが、ソファに寝そべるあの男を再度睨みつけた。
「……そう」
お姉さんが小さく呟いた。
それからしばらくして──パチリと、糸を切るハサミの音。
先程から指を動かせる感覚はあったが、本当に動くようになっていて驚く。切断されたはずの腕が元に戻るなんてにわかには信じられず、何度も何度も腕をあげたり曲げたり、指をグッパグッパ。
「すごい」
「お粗末さまです。ともかく、腕は貴方の大切な場所じゃないのね」
「私の大切な場所……」
敵の弱点を知るのは大事だが、同時に自分の弱い場所も知らなければならない。必死に守ることとなる箇所だ。
「私の大切な場所って、どこですかね」
「そうねぇ」
「お姉さんは?」
「私? 私は──」
今度は後ろからごとりと鈍い音。誰が音の主かはすぐに分かったが、またかと眉間にしわを寄せたままで振り返った。
「それは安易に聞いてはいけないよ、ここでの生活に関わることだからね」
「どうして。私はお姉さんを狙わないわ」
「たとえおちびちゃんが狙わなくても、聞こえた他の誰かが狙うかもしれない。それが暗黙の了解ってやつさ」
上半身だけ地面に落ちて、足をソファの上でぶらぶらさせている姿には苛つくが……言っていることは間違っていないと理解する。
彼女の方へ向き直った。
「ごめんなさい」
「いいのよ、ほやほやのアリスちゃんなんだから」
このお姉さんが良心的なのは分かったが、変な男も真っ当なことを言えるのは意外だった。
「おちびちゃん、君の大切なものは何だろう」
「だからそれが分からないから──」
「恐らくは、命だろうよ」
「命? 大切なものが命代わりになるんでしょ?」
大切なものと命が等価、それは分かった。けれど男の言葉はまるで謎掛けのようで分かりにくい。
「戻りたいと強く願う君は、自身の命を重んじていると思われる」
「それじゃあ何が」
「命とは、君は何を定義する?」
「……心臓が動いている?」
「正解。だけどここでは頭も生命の代表として扱う」
「頭?」
「正確には頭の中さ」
「脳味噌ってこと?」
「そう。命の概念は難しいが、この世界ではイメージが大切さ。だから命に最も重きを置く人は、脳と心臓を守らなければいけないよ」
私の守るべき場所は、頭と胸──脳と心臓。
「アンタ、詳しいんだね」
「猫さんはきっと何でも知っているよ、導き手だから」
「導き手?」
「アリスでも迷っていると猫さんが助言してくれるでしょ」
「ふーん」
なるほど。
……と、そこまで素直に頷いてしまったが、ある点に気付く。
「言わないのが暗黙の了解なんじゃないの!」
「ああ、すまない。忘れていた」
──やっぱりこの男は信用できない。
やんやと私と男が言い合いをする……といってもほぼ相手にされず、私が怒鳴るだけだったが。
そんな中でくすくす笑い出すのは帽子屋さん。
「あらあら、しょうがないわねぇ。じゃあお互い様ってことで、教えちゃおうかな」
予想外の言葉で静かになる。彼女は手に持っていた裁縫道具を全て机の上に置き、手のひらの上にして見せた。
「私の命は──この両手。帽子が作れなくなっちゃうからね」
「帽子のために?」
「ええ。デザインするにも、ミシンを使うにも、帽子を被るにも手が大事だもの」
帽子を作りたいが為だけに、手が大切な場所……つまりこの人は手さえ残っていれば、胸を突き刺されようが首を切られようが生きているのだろう。
──正直、あまり理解出来なかった。
「その人にとって何が宝物なのか、それを知ることが重要かな」
「なんだかすみません。ありがとうございます」
恐らく知られたくないだろう弱点を教えてくれ──まぁ彼女も私の弱点を知ってしまっているが──その上、アドバイスをくれる姿はとても友好的だった。
「いいのよ、ほやほやさんだから色々知っていかないと。それに猫さんが連れてくるなんて、きっと貴方は特別なのね」
「そうなんですか? こんな失礼な奴が?」
「さっきから扱いがひどいなあ、おちびちゃん」
「そっちこそさっきから私はちびじゃない!」
仲が良いのね──そう言う帽子屋さんにも食いついてしまいそうになるが、彼女に対しては言葉を飲み込んだ。
「さて、分かったかな。相手のことを知ることが大切だ」
それから突然男はソファから起き上がり、私の元へやってきた。
「行こう」
「行くってどこに」
「うさぎさんの所さ」
「また行くの! 嫌よ!」
「わがままを言っていてはいけないよ」
「嫌に決まってるでしょ! またチョンパされる!」
だが有無言わさず、今しがた治ったばかりの腕を引っ張られるものだから……歩かざるを得ない。
「腕とれるから止めて!」
「そんな簡単にとれないわよー強力接着剤とシルク糸を使っているから安心してね」
「そういう問題ですか!」
「気をつけていってらっしゃい。また来てね」
引っ張られるがまま敷居を強制的にまたがされ、その反対側ではお姉さんが上品に手を振っていた。やはり育ちがいいのだろう。
「さぁ行こう」
仕方なしに導かれるがまま、私は彼女の店を後にした──途中、引く男の手が随分と傷だらけなのが目に留まった。
「ここだよ」
私の左腕を右手に持って……いや、正確には引きずって。
「あのー引きずるのは……」
「ああ、すまない。意外に人の腕は重いのだよ。知っているかい、大体三、四キロあってカロリーだと千五百は越えるそうだよ」
「そんな情報知りたくない」
それは残念と言って、男はノックも無しに目の前の扉を開けた。
「さぁ行っておいで」
「え、私だけで?」
「君一人で十分だろう。この腕をつけてもらえばいいのだから」
「いやよ、さっきみたいに切りつけられたらたまったものじゃない。アンタも来て」
残っている右手で男の服を掴む。そうなると使える腕はなくなり、ノックは叶わない。諦めて、失礼ながらそのまま家に入ることにした。
「止めておくれよ」
「お邪魔します」
中へ入ると気配を察したのか、ぱたぱたと近付いてくる賑やかな足音。
「はぁーい! あら、可愛らしいお客さん。青いエプロンドレスがアリスみたい」
中に入ると思ったよりメルヘンな内装で、麦わら帽子やハンチング帽、ブルトン、ハット。ボーダー柄からピンク色まで個性的で様々な帽子が飾られていた。
──なるほど、帽子屋。
アリスに出てくるような、いかれ帽子屋ではなさそうで安心……するには早いかもしれない。さっきのうさぎの一件もあったし、何よりここは夢でおかしな世界。その住民はどうあがいても安心できない。
「あら、貴方が誰かを連れているなんて珍しいですね。新しい住人ですか?」
「そうだねえ」
「猫さんが連れてくるなんて、まさしく不思議の国のアリスちゃんかしら。あら、じゃあ私はマッドハッターなのかしら。ちょっと失礼しちゃう」
──猫?
部屋の中でも帽子……ハットを被っているその女の人は私ではなく、私の後ろの男を見てそう言った。やはりこの変な男が猫に見えるのは私だけではないらしい。
彼女は私より年上だろうか。髪は短く肩ほどだが、すらりとした背の高さと体の曲線がとても女性らしい。お嬢様という感じで、エプロンドレスはきっと私より似合うだろう。
「これをこの子につけて欲しい」
挨拶する間もなく、男は持っていた私の腕を女の人に差し出した。いきなり腕を渡しても困るだろうと止めようとしたが……すんなりと受け取る帽子屋。やはりここは常識で考えてはいけない世界だ。
「あらあら、これはまた綺麗にスパッと。貴方の?」
「えっと、あ……はい」
「じゃあ入って、ここ座って」
ちょいちょいと手招き。怪しさ満載だが、後ろを振り返るとちゃんとあの男がいた。約束は守ってくれているようだ。
男と目が合う。
「彼女は大丈夫。年頃も近いだろうから色々と聞くといい。きっと君と気も合うだろう」
男を信用するつもりもないが、腕が無いのも困る。これで本当に腕が戻るならば仕方なしと言われた席へ座った。彼女の隣だ。
「これだけスパッとやってくれると、逆に繋ぎやすくていいわ」
「そうなんですか」
「ぐちゃぐちゃだと戻すのも大変よ。誰にやられたの? 女王がこんな手間のかかる事わざわざするとも思えないけど」
──女王?
本当にまるでアリスの世界だ。
「いえ。うさぎが」
「うさぎさん? あの人がこんな事をするなんて考えられないけど」
私の中では弱々しい外見の反面、包丁を躊躇なく振り下ろしてきたイメージしかない。彼女の言う事は理解できなかった。
「まぁ貴方若そうだし、きっとすぐ直るわ。年をとっていると脂肪も増えて、神経を見つけるのも大変なの」
そして──針と糸を取り出す。
「ちょっと待って下さい。それで治すんですか」
「痛くないから大丈夫よ。知っているでしょう?」
「でもそれじゃぬいぐるみと同じじゃ」
「同じ原理よ。神経と神経、筋肉と筋肉くっつけるだけだもの。はい動かないでね」
──頭が痛くなってきた。
それでも為す術などなく、私はただ帽子屋という彼女の動作が終わるのを待つしかなかった。その動きは本当にただ裁縫をしているだけで……手元が私の腕の断面ではなく、ぬいぐるみやフェルトだったら素直に上手だと誉められたのに。
──不意に彼女は接着剤を取り出す。
「それは何に使うんですか」
「骨をくっつけるの。針じゃ通らないもの」
この体は一体どうなってしまうのか始終不安を感じていた。やはりいかれ帽子屋だ。
視線を逸らし、腕の方を見ないようにして……気分を変えるためにも違う話を試みようと思った。
「……皆、こうやって治すのですか」
「ええ。お陰で帽子屋さんなのに、どちらかというとお医者さんね」
ふふ、と笑う姿はやっている事と反して上品。手元さえ見なければこんなやり取りも嫌いじゃないのに。
「ぬいぐるみを直すみたい」
「そうね」
「何でも治せるんですか」
「大抵はね。でも勿論、大切な場所がやられたら直せないわよ。血がぶしゃーって出てるしね」
「大切な場所……?」
にょっと、横からあの男が突然顔を出してくる。
「おちびちゃん、まさか変なことを考えていないよね」
「は!?」
「あらやだ、破廉恥」
「何がですか!」
「もう、動いたらダメよ」
乗り出そうと勝手に動いた体を彼女に抑えられ、仕方なしに椅子へと戻る。だが腹の虫が収まらないので男を睨み続けると何の悪びれた様子もなく、部屋に置いてあるソファに寝そべった。あくびをしていて腹が立つ。
──気を取り直して、改めて聞く。
「大切な場所って、致命傷ってことですよね。胸のあたりではないんですか」
「え?」
何を言っているの──さもそう言わんばかりの表情。別におかしなことを言ったつもりはないし、言っていないはずだ。同じく何を不思議がっているのかと言わんばかりの顔で返した。
「貴方、見ない顔だけど……新入りさんよね」
「さっき来ました。アイツに突き落とされて」
空いている方の手の人差し指で寝転がって伸びをしている猫らしき男を指した。相変わらず本人は知らんぷりだが。
「まぁ。本当にほやほやさんなのね」
「それであの変な奴に」
「変とは失礼だなぁ。うさぎさんと戦えばいいと教えただけさ」
「そうだけど、変は変でしょ」
「うさぎさんと戦ったの!」
痛くはないのだが、明らかに腕の無意味な場所から針先がのぞいた。驚いたのが分かりやすくて結構だが、私の体なので止めて欲しい。
「それで腕を? でも大切な場所がどこかも分からないで戦ったって……もしかして猫さんからここのルールを聞いていないの?」
──ルール?
こんなおかしな夢の世界に秩序なんてあるのだろうか、それこそ面白い話だと思う。取りあえず知らないと首を振った。
「猫さーん?」
「話す前に行ってしまったんだよ」
「いや、アンタ絶対崖で私の背中押したでしょ」
「忘れてしまったよ、おちびちゃん」
「なにコイツ!」
改めて男を指さして怒る間も左腕の縫合は続いていた。
ルールはそんなに難しいものではないと帽子屋は語る。
この世界において命は、自分の大切なものとイコールである。大切なものが命となる。すなわち大切なものを刺されれば、命を落とすのと同じことである。
逆を言えば、それさえ守られれば心臓を潰されようが平然としている。
「だからあのうさぎは背中を刺されても平気だったってこと?」
「そうね、うさぎさんにとって大切なものは胸の心臓ではないのでしょうね。大切な場所を傷つけられると血が出るそうだから、目安にもなるそうよ」
「うわ、なんかグロい」
「聞いただけで実際に見たことはないから私にも分からないけどね。消える直前の人、見たことないから」
「治せない?」
「直せないでしょうね。それに、やられた人がここまで来られるとは思えないし。貴方みたいに致命傷じゃないならたまにあるけれど」
他にも訊ねたが、ルールは本当にそれだけだった。
──相手の大切と思う箇所を狙う。
「って、それ知らなきゃ無理に決まってるじゃない!」
私はもう一度男を睨むが、勿論こちらとは違うところを見ていた。
「どうして戦うの?」
「どうしてって、現実に帰りたいから」
後ろから大きなあくび声が聞こえてくる。何度目か忘れたが、ソファに寝そべるあの男を再度睨みつけた。
「……そう」
お姉さんが小さく呟いた。
それからしばらくして──パチリと、糸を切るハサミの音。
先程から指を動かせる感覚はあったが、本当に動くようになっていて驚く。切断されたはずの腕が元に戻るなんてにわかには信じられず、何度も何度も腕をあげたり曲げたり、指をグッパグッパ。
「すごい」
「お粗末さまです。ともかく、腕は貴方の大切な場所じゃないのね」
「私の大切な場所……」
敵の弱点を知るのは大事だが、同時に自分の弱い場所も知らなければならない。必死に守ることとなる箇所だ。
「私の大切な場所って、どこですかね」
「そうねぇ」
「お姉さんは?」
「私? 私は──」
今度は後ろからごとりと鈍い音。誰が音の主かはすぐに分かったが、またかと眉間にしわを寄せたままで振り返った。
「それは安易に聞いてはいけないよ、ここでの生活に関わることだからね」
「どうして。私はお姉さんを狙わないわ」
「たとえおちびちゃんが狙わなくても、聞こえた他の誰かが狙うかもしれない。それが暗黙の了解ってやつさ」
上半身だけ地面に落ちて、足をソファの上でぶらぶらさせている姿には苛つくが……言っていることは間違っていないと理解する。
彼女の方へ向き直った。
「ごめんなさい」
「いいのよ、ほやほやのアリスちゃんなんだから」
このお姉さんが良心的なのは分かったが、変な男も真っ当なことを言えるのは意外だった。
「おちびちゃん、君の大切なものは何だろう」
「だからそれが分からないから──」
「恐らくは、命だろうよ」
「命? 大切なものが命代わりになるんでしょ?」
大切なものと命が等価、それは分かった。けれど男の言葉はまるで謎掛けのようで分かりにくい。
「戻りたいと強く願う君は、自身の命を重んじていると思われる」
「それじゃあ何が」
「命とは、君は何を定義する?」
「……心臓が動いている?」
「正解。だけどここでは頭も生命の代表として扱う」
「頭?」
「正確には頭の中さ」
「脳味噌ってこと?」
「そう。命の概念は難しいが、この世界ではイメージが大切さ。だから命に最も重きを置く人は、脳と心臓を守らなければいけないよ」
私の守るべき場所は、頭と胸──脳と心臓。
「アンタ、詳しいんだね」
「猫さんはきっと何でも知っているよ、導き手だから」
「導き手?」
「アリスでも迷っていると猫さんが助言してくれるでしょ」
「ふーん」
なるほど。
……と、そこまで素直に頷いてしまったが、ある点に気付く。
「言わないのが暗黙の了解なんじゃないの!」
「ああ、すまない。忘れていた」
──やっぱりこの男は信用できない。
やんやと私と男が言い合いをする……といってもほぼ相手にされず、私が怒鳴るだけだったが。
そんな中でくすくす笑い出すのは帽子屋さん。
「あらあら、しょうがないわねぇ。じゃあお互い様ってことで、教えちゃおうかな」
予想外の言葉で静かになる。彼女は手に持っていた裁縫道具を全て机の上に置き、手のひらの上にして見せた。
「私の命は──この両手。帽子が作れなくなっちゃうからね」
「帽子のために?」
「ええ。デザインするにも、ミシンを使うにも、帽子を被るにも手が大事だもの」
帽子を作りたいが為だけに、手が大切な場所……つまりこの人は手さえ残っていれば、胸を突き刺されようが首を切られようが生きているのだろう。
──正直、あまり理解出来なかった。
「その人にとって何が宝物なのか、それを知ることが重要かな」
「なんだかすみません。ありがとうございます」
恐らく知られたくないだろう弱点を教えてくれ──まぁ彼女も私の弱点を知ってしまっているが──その上、アドバイスをくれる姿はとても友好的だった。
「いいのよ、ほやほやさんだから色々知っていかないと。それに猫さんが連れてくるなんて、きっと貴方は特別なのね」
「そうなんですか? こんな失礼な奴が?」
「さっきから扱いがひどいなあ、おちびちゃん」
「そっちこそさっきから私はちびじゃない!」
仲が良いのね──そう言う帽子屋さんにも食いついてしまいそうになるが、彼女に対しては言葉を飲み込んだ。
「さて、分かったかな。相手のことを知ることが大切だ」
それから突然男はソファから起き上がり、私の元へやってきた。
「行こう」
「行くってどこに」
「うさぎさんの所さ」
「また行くの! 嫌よ!」
「わがままを言っていてはいけないよ」
「嫌に決まってるでしょ! またチョンパされる!」
だが有無言わさず、今しがた治ったばかりの腕を引っ張られるものだから……歩かざるを得ない。
「腕とれるから止めて!」
「そんな簡単にとれないわよー強力接着剤とシルク糸を使っているから安心してね」
「そういう問題ですか!」
「気をつけていってらっしゃい。また来てね」
引っ張られるがまま敷居を強制的にまたがされ、その反対側ではお姉さんが上品に手を振っていた。やはり育ちがいいのだろう。
「さぁ行こう」
仕方なしに導かれるがまま、私は彼女の店を後にした──途中、引く男の手が随分と傷だらけなのが目に留まった。
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キャラ文芸
ほっこりじんわり大賞にて奨励賞を受賞しました!ありがとうございます♪
高校を卒業してすぐ、急逝した祖母の喫茶店を継いだ萌香(もか)。
気合いだけは十分だったが現実はそう甘くない。
奮闘すれど客足は遠のくばかりで毎日が空回り。
そんなある日突然現れた閻魔大王の閻火(えんび)に結婚を迫られる。
嘘をつけない鬼のさだめを利用し、萌香はある提案を持ちかける。
「おいしいと言わせることができたらこの話はなかったことに」
激辛採点の閻火に揉まれ、幼なじみの藍之介(あいのすけ)に癒され、周囲を巻き込みつつおばあちゃんが言い残した「大切なこと」を探す。
果たして萌香は約束の期限までに閻火に「おいしい」と言わせ喫茶店を守ることができるのだろうか?
ヒューマンドラマ要素強めのほっこりファンタジー風味なラブコメグルメ奮闘記。
幽閉された花嫁は地下ノ國の用心棒に食されたい
森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行
キャラ文芸
【完結・2万8000字前後の物語です】
──どうせ食べられるなら、美しく凜々しい殿方がよかった──
養父母により望まぬ結婚を強いられた朱莉は、挙式直前に命からがら逃走する。追い詰められた先で身を投げた湖の底には、懐かしくも美しい街並みが広がるあやかしたちの世界があった。
龍海という男に救われた朱莉は、その凛とした美しさに人生初の恋をする。
あやかしの世界唯一の人間らしい龍海は、真っ直ぐな好意を向ける朱莉にも素っ気ない。それでも、あやかしの世界に巻き起こる事件が徐々に彼らの距離を縮めていき──。
世間知らずのお転婆お嬢様と堅物な用心棒の、ノスタルジックな恋の物語。
※小説家になろう、ノベマ!に同作掲載しております。
百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
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