子宮で眠るアリスさん

アサキ

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世界

世界のルール 取れた腕は帽子屋が治してくれました

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 ついて行くと、見えてきたのは一軒の家。家というよりは看板を掲げて……麦わら帽子の絵が描いてある。男が言うようにお店だろうか、こんな世界にまともな店も客もいるとは思えないが。
「ここだよ」
 私の左腕を右手に持って……いや、正確には引きずって。
「あのー引きずるのは……」
「ああ、すまない。意外に人の腕は重いのだよ。知っているかい、大体三、四キロあってカロリーだと千五百は越えるそうだよ」
「そんな情報知りたくない」

 それは残念と言って、男はノックも無しに目の前の扉を開けた。
「さぁ行っておいで」
「え、私だけで?」
「君一人で十分だろう。この腕をつけてもらえばいいのだから」
「いやよ、さっきみたいに切りつけられたらたまったものじゃない。アンタも来て」
 残っている右手で男の服を掴む。そうなると使える腕はなくなり、ノックは叶わない。諦めて、失礼ながらそのまま家に入ることにした。
「止めておくれよ」
「お邪魔します」

 中へ入ると気配を察したのか、ぱたぱたと近付いてくる賑やかな足音。
「はぁーい! あら、可愛らしいお客さん。青いエプロンドレスがアリスみたい」
 中に入ると思ったよりメルヘンな内装で、麦わら帽子やハンチング帽、ブルトン、ハット。ボーダー柄からピンク色まで個性的で様々な帽子が飾られていた。
──なるほど、帽子屋。
 アリスに出てくるような、いかれ帽子屋ではなさそうで安心……するには早いかもしれない。さっきのうさぎの一件もあったし、何よりここは夢でおかしな世界。その住民はどうあがいても安心できない。
「あら、貴方が誰かを連れているなんて珍しいですね。新しい住人ですか?」
「そうだねえ」
「猫さんが連れてくるなんて、まさしく不思議の国のアリスちゃんかしら。あら、じゃあ私はマッドハッターなのかしら。ちょっと失礼しちゃう」

──猫?

 部屋の中でも帽子……ハットを被っているその女の人は私ではなく、私の後ろの男を見てそう言った。やはりこの変な男が猫に見えるのは私だけではないらしい。
 彼女は私より年上だろうか。髪は短く肩ほどだが、すらりとした背の高さと体の曲線がとても女性らしい。お嬢様という感じで、エプロンドレスはきっと私より似合うだろう。

「これをこの子につけて欲しい」
 挨拶する間もなく、男は持っていた私の腕を女の人に差し出した。いきなり腕を渡しても困るだろうと止めようとしたが……すんなりと受け取る帽子屋。やはりここは常識で考えてはいけない世界だ。
「あらあら、これはまた綺麗にスパッと。貴方の?」
「えっと、あ……はい」
「じゃあ入って、ここ座って」
 ちょいちょいと手招き。怪しさ満載だが、後ろを振り返るとちゃんとあの男がいた。約束は守ってくれているようだ。
 男と目が合う。
「彼女は大丈夫。年頃も近いだろうから色々と聞くといい。きっと君と気も合うだろう」
 男を信用するつもりもないが、腕が無いのも困る。これで本当に腕が戻るならば仕方なしと言われた席へ座った。彼女の隣だ。
「これだけスパッとやってくれると、逆に繋ぎやすくていいわ」
「そうなんですか」
「ぐちゃぐちゃだと戻すのも大変よ。誰にやられたの? 女王がこんな手間のかかる事わざわざするとも思えないけど」

──女王?

 本当にまるでアリスの世界だ。
「いえ。うさぎが」
「うさぎさん? あの人がこんな事をするなんて考えられないけど」
 私の中では弱々しい外見の反面、包丁を躊躇なく振り下ろしてきたイメージしかない。彼女の言う事は理解できなかった。
「まぁ貴方若そうだし、きっとすぐ直るわ。年をとっていると脂肪も増えて、神経を見つけるのも大変なの」

 そして──針と糸を取り出す。
「ちょっと待って下さい。それで治すんですか」
「痛くないから大丈夫よ。知っているでしょう?」
「でもそれじゃぬいぐるみと同じじゃ」
「同じ原理よ。神経と神経、筋肉と筋肉くっつけるだけだもの。はい動かないでね」

──頭が痛くなってきた。

 それでも為す術などなく、私はただ帽子屋という彼女の動作が終わるのを待つしかなかった。その動きは本当にただ裁縫をしているだけで……手元が私の腕の断面ではなく、ぬいぐるみやフェルトだったら素直に上手だと誉められたのに。
──不意に彼女は接着剤を取り出す。
「それは何に使うんですか」
「骨をくっつけるの。針じゃ通らないもの」
 この体は一体どうなってしまうのか始終不安を感じていた。やはりいかれ帽子屋だ。
 視線を逸らし、腕の方を見ないようにして……気分を変えるためにも違う話を試みようと思った。
「……皆、こうやって治すのですか」
「ええ。お陰で帽子屋さんなのに、どちらかというとお医者さんね」
 ふふ、と笑う姿はやっている事と反して上品。手元さえ見なければこんなやり取りも嫌いじゃないのに。
「ぬいぐるみを直すみたい」
「そうね」
「何でも治せるんですか」
「大抵はね。でも勿論、大切な場所がやられたら直せないわよ。血がぶしゃーって出てるしね」
「大切な場所……?」

 にょっと、横からあの男が突然顔を出してくる。
「おちびちゃん、まさか変なことを考えていないよね」
「は!?」
「あらやだ、破廉恥」
「何がですか!」
「もう、動いたらダメよ」
 乗り出そうと勝手に動いた体を彼女に抑えられ、仕方なしに椅子へと戻る。だが腹の虫が収まらないので男を睨み続けると何の悪びれた様子もなく、部屋に置いてあるソファに寝そべった。あくびをしていて腹が立つ。

──気を取り直して、改めて聞く。

「大切な場所って、致命傷ってことですよね。胸のあたりではないんですか」
「え?」
 何を言っているの──さもそう言わんばかりの表情。別におかしなことを言ったつもりはないし、言っていないはずだ。同じく何を不思議がっているのかと言わんばかりの顔で返した。
「貴方、見ない顔だけど……新入りさんよね」
「さっき来ました。アイツに突き落とされて」
 空いている方の手の人差し指で寝転がって伸びをしている猫らしき男を指した。相変わらず本人は知らんぷりだが。
「まぁ。本当にほやほやさんなのね」
「それであの変な奴に」
「変とは失礼だなぁ。うさぎさんと戦えばいいと教えただけさ」
「そうだけど、変は変でしょ」

「うさぎさんと戦ったの!」

 痛くはないのだが、明らかに腕の無意味な場所から針先がのぞいた。驚いたのが分かりやすくて結構だが、私の体なので止めて欲しい。
「それで腕を? でも大切な場所がどこかも分からないで戦ったって……もしかして猫さんからここのルールを聞いていないの?」

──ルール?
 こんなおかしな夢の世界に秩序なんてあるのだろうか、それこそ面白い話だと思う。取りあえず知らないと首を振った。

「猫さーん?」
「話す前に行ってしまったんだよ」
「いや、アンタ絶対崖で私の背中押したでしょ」
「忘れてしまったよ、おちびちゃん」
「なにコイツ!」
 改めて男を指さして怒る間も左腕の縫合は続いていた。


 ルールはそんなに難しいものではないと帽子屋は語る。

 この世界において命は、自分の大切なものとイコールである。大切なものが命となる。すなわち大切なものを刺されれば、命を落とすのと同じことである。

 逆を言えば、それさえ守られれば心臓を潰されようが平然としている。


「だからあのうさぎは背中を刺されても平気だったってこと?」
「そうね、うさぎさんにとって大切なものは胸の心臓ではないのでしょうね。大切な場所を傷つけられると血が出るそうだから、目安にもなるそうよ」
「うわ、なんかグロい」
「聞いただけで実際に見たことはないから私にも分からないけどね。消える直前の人、見たことないから」
「治せない?」
「直せないでしょうね。それに、やられた人がここまで来られるとは思えないし。貴方みたいに致命傷じゃないならたまにあるけれど」
 他にも訊ねたが、ルールは本当にそれだけだった。

──相手の大切と思う箇所を狙う。

「って、それ知らなきゃ無理に決まってるじゃない!」
 私はもう一度男を睨むが、勿論こちらとは違うところを見ていた。

「どうして戦うの?」
「どうしてって、現実に帰りたいから」
 後ろから大きなあくび声が聞こえてくる。何度目か忘れたが、ソファに寝そべるあの男を再度睨みつけた。
「……そう」
 お姉さんが小さく呟いた。



 それからしばらくして──パチリと、糸を切るハサミの音。
 先程から指を動かせる感覚はあったが、本当に動くようになっていて驚く。切断されたはずの腕が元に戻るなんてにわかには信じられず、何度も何度も腕をあげたり曲げたり、指をグッパグッパ。
「すごい」
「お粗末さまです。ともかく、腕は貴方の大切な場所じゃないのね」
「私の大切な場所……」
 敵の弱点を知るのは大事だが、同時に自分の弱い場所も知らなければならない。必死に守ることとなる箇所だ。
「私の大切な場所って、どこですかね」
「そうねぇ」
「お姉さんは?」
「私? 私は──」

 今度は後ろからごとりと鈍い音。誰が音の主かはすぐに分かったが、またかと眉間にしわを寄せたままで振り返った。
「それは安易に聞いてはいけないよ、ここでの生活に関わることだからね」
「どうして。私はお姉さんを狙わないわ」
「たとえおちびちゃんが狙わなくても、聞こえた他の誰かが狙うかもしれない。それが暗黙の了解ってやつさ」
 上半身だけ地面に落ちて、足をソファの上でぶらぶらさせている姿には苛つくが……言っていることは間違っていないと理解する。
 彼女の方へ向き直った。
「ごめんなさい」
「いいのよ、ほやほやのアリスちゃんなんだから」
 このお姉さんが良心的なのは分かったが、変な男も真っ当なことを言えるのは意外だった。

「おちびちゃん、君の大切なものは何だろう」
「だからそれが分からないから──」
「恐らくは、命だろうよ」
「命? 大切なものが命代わりになるんでしょ?」
 大切なものと命が等価、それは分かった。けれど男の言葉はまるで謎掛けのようで分かりにくい。
「戻りたいと強く願う君は、自身の命を重んじていると思われる」
「それじゃあ何が」
「命とは、君は何を定義する?」
「……心臓が動いている?」
「正解。だけどここでは頭も生命の代表として扱う」
「頭?」
「正確には頭の中さ」
「脳味噌ってこと?」
「そう。命の概念は難しいが、この世界ではイメージが大切さ。だから命に最も重きを置く人は、脳と心臓を守らなければいけないよ」

 私の守るべき場所は、頭と胸──脳と心臓。

「アンタ、詳しいんだね」
「猫さんはきっと何でも知っているよ、導き手だから」
「導き手?」
「アリスでも迷っていると猫さんが助言してくれるでしょ」
「ふーん」
 なるほど。
 ……と、そこまで素直に頷いてしまったが、ある点に気付く。
「言わないのが暗黙の了解なんじゃないの!」
「ああ、すまない。忘れていた」

──やっぱりこの男は信用できない。
 やんやと私と男が言い合いをする……といってもほぼ相手にされず、私が怒鳴るだけだったが。

 そんな中でくすくす笑い出すのは帽子屋さん。
「あらあら、しょうがないわねぇ。じゃあお互い様ってことで、教えちゃおうかな」
 予想外の言葉で静かになる。彼女は手に持っていた裁縫道具を全て机の上に置き、手のひらの上にして見せた。
「私の命は──この両手。帽子が作れなくなっちゃうからね」
「帽子のために?」
「ええ。デザインするにも、ミシンを使うにも、帽子を被るにも手が大事だもの」
 帽子を作りたいが為だけに、手が大切な場所……つまりこの人は手さえ残っていれば、胸を突き刺されようが首を切られようが生きているのだろう。
──正直、あまり理解出来なかった。
「その人にとって何が宝物なのか、それを知ることが重要かな」
「なんだかすみません。ありがとうございます」
 恐らく知られたくないだろう弱点を教えてくれ──まぁ彼女も私の弱点を知ってしまっているが──その上、アドバイスをくれる姿はとても友好的だった。
「いいのよ、ほやほやさんだから色々知っていかないと。それに猫さんが連れてくるなんて、きっと貴方は特別なのね」
「そうなんですか? こんな失礼な奴が?」
「さっきから扱いがひどいなあ、おちびちゃん」
「そっちこそさっきから私はちびじゃない!」
 仲が良いのね──そう言う帽子屋さんにも食いついてしまいそうになるが、彼女に対しては言葉を飲み込んだ。

「さて、分かったかな。相手のことを知ることが大切だ」

 それから突然男はソファから起き上がり、私の元へやってきた。
「行こう」
「行くってどこに」
「うさぎさんの所さ」
「また行くの! 嫌よ!」
「わがままを言っていてはいけないよ」
「嫌に決まってるでしょ! またチョンパされる!」
 だが有無言わさず、今しがた治ったばかりの腕を引っ張られるものだから……歩かざるを得ない。
「腕とれるから止めて!」
「そんな簡単にとれないわよー強力接着剤とシルク糸を使っているから安心してね」
「そういう問題ですか!」
「気をつけていってらっしゃい。また来てね」
 引っ張られるがまま敷居を強制的にまたがされ、その反対側ではお姉さんが上品に手を振っていた。やはり育ちがいいのだろう。
「さぁ行こう」
 仕方なしに導かれるがまま、私は彼女の店を後にした──途中、引く男の手が随分と傷だらけなのが目に留まった。
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